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十一話 真実の入り口

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「フラン様! おはようございます!」

 朝からマリスは元気だった。ラクアが運んでくれた朝食を済ませると、早く行こうと言わんばかりに扉の前でニコニコ笑っている。

「今日も一日頑張りましょうね!」

「お、おう。そうだな…」

 昨日の落ち込みっぷりが嘘のように明るい。眠っているティータに挨拶をして廊下に出たマリスの足取りは軽かった。

「マリス…無理してねえか?」

「いいえ! 全く!」

 俺の少し前を歩くマリスは振り返らない。

「よく考えれば呪いをかけた人なんていないんですよ! お二人の話を聞けばすぐに解る事です!」

 二人とはエレクトとリリベルの事だ。マリスの出産に立ち会って存命なのはユリアという元メイド長を合わせて三人だけ。必然的に屋敷にいる二人から詳しい話を聞く事になる。

「さあさあ! お昼前にぱぱっと済ませてしまいましょう!」

 振り返ったマリスは満面の笑みを浮かべていたが寂しげに見えた。ほんの少しでも家族を疑いたくないのだろう。

※ ※ ※

「おはようございます! リリベル叔母様!」

 居間で本を読んでいるリリベルは少し驚いたがすぐに柔和な表情へ戻った。

「おはようマリス。フラン様も。今日は日の光が優しくて読書にはもってこいね」

「どうも。読書中わりいんだが、ちいと話ができねえかな?」

 リリベルは柔らかな表情を崩さず本を閉じて俺達に向き直った。

「どんなお話かしら」

「マリスの出産に立ち会ったって聞いてな。その時の事を知りてえんだ」

「あらあら。そうよね。自分の妻の事は生まれた時から知りたいものよね」

「いや、あのそういう感じじゃないんだけど、まあ、はい」

 軽く呼吸を整えたリリベルは窓の外を見ながら語り始めた。

「あの日は桶をひっくり返したかのような大嵐だったわ。オルフェが産気づいたのに産婆が嵐で来られなくて、私とユリアで何とか凌いだの」

「オルフェってのはマリスの母親か?」

「あらごめんなさい。そうよ。ああ、それとユリアは当時のメイド長ね。今はもうおばあちゃんになったからここにはいないけれど、月に一度はお茶を飲みに来るわ。いつまで経っても足腰が弱くならないの。うふふ」

 昔を懐かしむように語るリリベルに暗い雰囲気は感じられない。

「あっと、お話が逸れてしまったわね。ごめんなさい。産気づいてからが大変だったわ。陣痛が早くなってもマリスはなかなか出てきてくれなくて。つい笑ってしまったの」

「え…」

 マリスはどうしていいのか解らないようでぽかんとしていた。

「フルグライト家の者は籠りがちだから、マリスもそうなのねって思ったら我慢できなくなって。でもね。オルフェも笑ってくれたわ。次にユリアも笑って。それを見た私はまた可笑しくて笑っちゃったのよ」

 話を聞いているマリスも笑顔になっていた。

「そしたらすぽんと貴方が生まれたわ。きっと楽しそうにしている私たちが気になったのね」

 幸せな話だ。どうせならこのまま終わらせたかったがそうもいかない。

「マリスを取り上げたのは誰だ?」

「ユリアね。私も手伝ったと言ったけれど実際は慌てていただけだったわ」

「ふむ。マリスの両親と当主の両親、それに祖父とユリアの六人がその場にいたのか?」

「分娩室にいたのは私とユリアだけよ。男がいても仕方ないじゃない。別室で待っていたわ」

「まあ…そりゃそうか。じゃあ次にマリスを抱えた順番を教えてもらいてえ」

「順番…?」

 額に手を当てて思い出そうとしているが、どうやら覚えていないようで首を横に振った。

「ごめんなさい。順番は解らないけれどその場に居る皆がマリスを抱きしめたわ。特におじいさまは涙でお顔が酷かった」

「その時に何かおかしなことはなかったか? 何でもいいんだ」

 首をかしげるリリベルは本当に見当がつかないようだった。

「私が覚えている限り特におかしな事はなかったわ」

「…そうか…」

「ああでも…そういえば」

「! 何だ!?」

「照明が一瞬だけ消えたわね。大嵐だったから」

「ライデン石は嵐に影響を受ける事があるようです。まだまだ研究途中なのですがライデン石の照明に使われる金属部分が、強風で舞い上げられた細かな砂利との摩擦で…」

「マリスちょっと静かに。その照明が消えたのはいつだった?」

「ううん…マリスが生まれてすぐだったような…。でも本当に一瞬だけよ?」

「そうか…」

 あとは思い出話だけだった。そのどれもが幸せで彩られていた。マリスもそれを聞くのが初めてだったらしく、頬をゆるませて楽しんでいた。リリベルと別れた俺たちは次に向かった。

「こう言っちゃなんだが意外だ。この家の奴らはマリスにもっと風当たりがきついのかと思ってたぜ」

「今でも叔父様と叔母様は変わらず接してくれます。ラス君は怒りっぽくなって、プラボちゃんはますます引き籠るようになったけど基本的には変わりません。ただ…」

「当主か?」

「…はい。おじいさまが亡くなった頃から私たちに冷たくなりました」

 祖父がこの家の中核だったのだろう。マリスも随分と慕っているようだし皆に好かれていたようだ。その祖父の弟にあたるエレクトは頼りない雰囲気だったが悪い奴には見えない。もしこいつが呪いをかけた張本人ならマリスの心はどうなってしまうのだろうか。


※ ※ ※ 


「お茶でございます」

「ラクアありがとう」

「どーも」

 マリスの部屋に戻った俺たちは一息ついていた。あの後すぐにエレクトへ尋問しに行ったが成果は無かった。当時は緊張してあまり覚えていなかったらしい。自分の子じゃないのにそうなってしまうのが実に彼らしいが。

「困ったなー。あとはユリアって婆さんだけだが…」

 俺の言葉にほんの少しだけラクアが反応したのが解った。何を言ってもスルーする彼女の目が泳いだのだ。

「ユリアは魔法を使えませんよ! という事は…ほら! フラン様! 呪いをかけた人なんていないんですよ! ねっ!?」

 身内に呪いをかけた人がいないと解ったのか、マリスはベッドに倒れ込んでにまにましている。

「では私はこれで」

「ちょっと待てよ」

 俺の声を無視して出て行こうとするラクアの手を掴んだ。その瞬間に世界がひっくり返り、体に衝撃を覚えた。そして右腕がもげそうな程の激痛に襲われた。

「おごほっ!? ぐあ!? いだだだだだ!?」

「えっ!? なに!?」

 地面に突っ伏されているので自分が今どうなっているのか解らない。

「や、やめて! ラクア! フラン様を放して!」

 音もなく離れたラクアは静かに佇んでいた。

「お前…体術使いか? 手加減しろよいってええ…」

「では私はこれで」

「ちょっと待ってって! マリス! 止めて!」

「ラクア! お話があるみたいだから待ってあげて」

「…はっ」

 俺もフルグライト家に入ったはずなのだがラクアにとっては関係ないらしい。

「お前…さっき妙な反応をしたよな」

「…」

「ラクア。フラン様と会話してあげて」

「…はっ」

 こいつぶっ飛ばしてえ。

「してない。では私はこれで」

「こいつ嫌! 何なん!?」

「ラクア。フラン様と正直に会話をしてあげて」

「…はっ」

 ラクアはピクリともその場から動かず俺をちらりとも見ない。

「…さっきさあ。妙な反応をしたじゃねえか。もしかしてユリアについて何か知ってるんじゃねえのか?」

「私の祖母だ」

 意外な答えが返って来た。て言うか俺には敬語じゃないのな。

「血縁かよ! ありがてえ! じゃあ質問させてくれ。あらかじめ言っとくが、これは全部マリスとティータの為だ。解るな?」

「…何だ」

「ユリアはマリスの出産の時に何か言ってなかったか? おかしなことがあったとか、おかしなものを見たとか。何でもいい。教えてくれ!」

 ラクアはチラリとマリスを見ると目が泳ぎ始めた。どうやら何か心当たりがあるらしい。

「頼む! もうお前しか残ってねえんだ!」

「ラクアお願い。嘘偽りなく真実を話して」

 ラクアの眉は八の字に曲げ唇を固く結んでいる。俺には冷たいラクアとは思えない程に儚い表情をしていた。

「…主の為ならば」

「お願い。ラクア」

「祖母が晩年に語っておりました。マリス様を受け止めたあの日の事は未だ色あせる事のない奇跡だったと。泣き声さえも神々しくて、まるで天使の子が下界に降りられたようだったと」

 少しだけはにかんだラクアだったがすぐに表情が暗くなった。

「でも…気がついた時には…変わっていたと。あんなに可愛い唇も、綺麗な鼻も、何もかもが…全て…」

 空気が凍った。

「…その時にマリスを抱いていたのはユリアか?」

「いや」

 マリスは呆然とラクアを見ている。

「ナブネス様だ」

 もうマリスの方へ顔を向けられない。

「ナブネス様が抱いている内に顔が変わったと。確かにそう見えたと言っておりました」

「…間違いねえのか? 分娩室にはいなかったと聞いたぜ?」

「生まれてすぐナブネス様が飛び込んできたそうだ。奪い取るように抱いたと」

「…照明が消えてまたついた時には変わっていた?」

「!…そうだ。何故知っている」

「ついでに知っていれば教えてくれ。もしかしたらユリアはティータにも同じような事が起きたと言ってなかったか?」

「!…だから何故知っている」

 最悪だ。嫌な予感が当たってしまった。マリスとティータに呪いをかけたのはフルグライト家の中核だった男。マリスがあれだけ慕っていた人物。ナブネスだった。
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