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第3章

第26話

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 「先生。お早う御座います。」

 「先生。今日はよろしくお願いします。」

 「先生。ちいせぇ砂利の移動は済んでねぇす。足元に気ぃ付けてくだせぇ。」

 朝起きてから仕事場に向かうまで、最近はよく奴隷に話しかけられるようになった。

 特に2ヶ月前にステ爺を助けてから多くなっていった。ステ爺の人望の凄まじさがよく分かる。

 「おう。スッテン。先生の足引っ張んじゃねぇぞ。」

 「スッテン!きっちり仕事しろよ。辛くなったらいつでも変わってやるからよ。」

 「わ~ってる、わ~ってるって!先生のことはこのスッテンに任しときなって。」

 それに比例するようにスッテンも話しかけられてるようだ。

 スッテンはおれのマネージャーか秘書的な役割だと思われてる。だからか、幾分他の奴隷たちの言葉が強くなっている。とはいっても、嫌われたり脅されたりしているわけではない。この性格からか、結構奴隷たちにも好かれているようだ。

 「いや~、すっかり先生も奴隷たちに人気だな。結構先生に助けられた奴らもいるからなぁ。」

 「いいから、とっとと仕事に掛かろう。今日の飯を最大限美味く感じたいからな。」

 「ちげぇねぇ。どんなときでも悪あがきは忘れちゃなんねぇからな。じゃあ、今日は一振り一振り形を変えながらやってみようか。」

 「了解。」

 あれから色々スッテンと話したが、一番の収穫は魔法の鍛錬に詳しいことがわかったことだ。

 スッテン自身の魔法と、俺の魔法の方向性が違うことから多少の感覚の違いはあれど、要所を抑えた指導はなかなか新鮮だ。こういう風に小まめに指導してもらえるのはありがたい。

 「先生の魔力量は相当なもんだ。かなりデケェ。魔力を鍛えるには単純だ。出し切って寝ることだ。そうすりゃ徐々に徐々に成長していく。先生の年齢だったら普通は成長期を終えてるもんだが、先生の場合まだらしい。理由はよくわかんねぇが、成長してるなら問題ねぇ。魔力の強化訓練は今まで通りでいいと思う。より効率的に魔力を消費する必要はあるが。」

 「魔力が馬鹿デケェのに対して、魔力操作は一流とは呼べねぇ。どんな魔法を作るにしろ発生させるにしろ、魔法ってのは魔力操作が基本となる。魔力操作でクリアすべきことは、早く、正確に、沢山の量を、だ。正確さについてはぼちぼちだが。他はダメだ。まず、速さと正確さを鍛える。」

 「?正確さはぼちぼちなんだよな?じゃあ、速さだけ鍛えればいいんじゃないか?」

 「先生ぇ。ゆっくり、正確に操作するっていうのは誰にでも出来るんだよ。大事なのは早く、正確に操作するってことだ。もちろん、ゆっくりでもそこそこ正確に操作出来るって土台があってこそ速く正確に操作する訓練が出来るわけだ。これが出来てるだけで、大分次の段階が早くなる。」

 「まず、今のツルハシの型を取ってくれ。先生がよくやってる土を固める魔法で…そう、そんな感じ。横方向と縦方向の型が取れればいいだろ。」

 「今回、先生がツルハシを振り上げた瞬間、さきっぽを球体にしてくれ。そして、ツルハシを振り下ろしてから岩石に当てるまでの間に、元の形に戻してくれ。寸分の狂いなくだ。そこの型にきっちりとハマるようにさ。」

 「最初は時間が掛かるとは思うが、どんなに時間が掛かっても自分が出来たと思うまで振り下ろしちゃなんねぇぞ。」

 「けど、管理者様が来たら真面目に仕事してねぇってバレちまうぞ。」

 「そうならねぇよう。早く出来るようになるといいな。っへへ。」

 意外と厳しいな。まぁいいけど。

 やってみるか。

 「ッ…!これは…、結構難しいな。ゆっくりやっても全然出来ねぇ…」

 「そうだろう、そうだろう。でも、この段階の訓練を出来るにはそれなりの基礎能力が必要なんだぜ?先生はそこら辺は問題ないからな。結構それってすげぇんだぜ?」

 「それはいいけどよ…。なんか、コツとかないか?」

 「う~ん…。これは、只々反復練習あるのみだからなぁ…。コツも本人の感覚次第なところもあるし、なんとも言えねぇんだよ。下手に他人の感覚を意識すると全然上達しなかったりするしなぁ。こればっかりは頑張ってくれとしか…。」

 「そういうもんか…」

 「まぁ、先生の得意系統は土属性だろ?早く土を固めたり、造形したりってのはどんなときにも役に立つ。穴掘りや、狩や、戦いとかな。」

 「あえて助言するなら道は一つじゃねぇってことだ。とにかく正確に、早くツルハシを作れる様になればいいんであって、方法は問われていないからな。」

 「とにかく時間を掛けて、沢山やるしかないのか。」

 「そうだぜ、幸い俺たちゃ腐るほど時間があるからな。しかし、いくら鍛えたところで奴隷のままだったらあんま意味ねぇかもな。」

 「仕事が効率的に出来るようになればその分楽になるだろ?」

 「どうかねぇ…。」

 まぁ、こんな感じで日々仕事と訓練を平行している。

 あれから2週間ほど同じトレーニングをしているが、全く進展している気がしない。

 2周間だったら当然かも知れないが、コツくらいは掴みたいもんだ。今の状態は仕事の邪魔にしかなっていない。

 感覚としてはあれだな、アルマの店で金を一つにまとめたのをとんでもなく早くやる感覚だ。

 早くやるだけだったらなんとかなりそうだが、ここで正確なという言葉が入ると格段に難しくなる。

 というかゆっくりでも微妙に違ってしまっていて、正確さ自体もそんなに高くないと思い始めた。ゆっくりなら正確だとスッテンはいっていたが、お世辞だったのだろう。

 まずは、ゆっくりでもいい。正確に作ることを意識しよう。

 「おー、やってんな。奴隷ども。」

 最近は女に振られて暇になったのか、管理者様がよくこちらに来て、仕事を観察している。

 殆どが、酒とぐちだが。

 「おい。スッテン付けた当初は、仕事の速さがとんでもなかったのに、今はなんでこんなに仕事のペースが落ちてんだよ。」

 酒瓶片手に、鼻息荒く俺に突っかかってくる。

 「…すいません。」

 言葉は少なく、ただツルハシを振るい続ける。

 ここで身につけた処世術の一つだ。

 謝るにしろ、弁解するにしろ、言葉が多くなればなるほど何かしら引っかかりが出てくる。

 謝ってるときは鼻につくところが出てくるし、弁解してる時は粗がでる。

 だからなるべく喋らないほうがいい。口が上手けりゃ違うんだろうが、俺はそんなに舌が回るほうじゃないってことがここに来てから分かった。

 だから、行動で示すんだ。

 それがどんなに分かり易く、あざといものであろうとも管理者様達が望んでいるものが仕事である以上、それに真剣に取り組んでいる姿勢を見せれば…それがたとえフリであったとしても…それ以上邪魔は出来な。

 「……俺はなんでだって聞いてんだよ!!!」

 アニメとか漫画とかで人が殴られると頭の周りに星が飛んでる表現を見たことがある。

 よくわかった。

 予想もしないタイミングで、予想もしない方向から殴られた時。

 目の前に衝撃が走るんだ。

 殴られた所ではなく、目の前に衝撃が見える。

 こりゃ確かに星みたいだ。しかも、いつでも見られる。ありがたくて鼻血が出るね。

 「あぁ!!?てめぇ!俺を舐めてるだろ!!?おい!どうなんだよ!!蛆虫野郎がよ!!」

 今日は機嫌が悪い日だったか。

 まいったね。こりゃ。

 しばらく止まらないぞ。

 俺は魔法が使えて体を強化している。しかも、どんな怪我をしても生きてさえいれば、ディック爺様が綺麗に戻してくれる。

管理者様はそれを知ってるからか、殴るときに容赦はない。死ななきゃいいだろぐらいのもんだ。

 かと言って避けようものなら苛烈を極めていく。

 黙って殴られるしかないわけだ。

 バレないように、最新の注意を払って、急所をギリギリで避ける。

 一発一発ごとになるべくド派手にぶっ飛ぶ。

 これを繰り返せば、ダメージ、回数を少なくすることが出来る。

 ついでに殴られてるときに情けない声を出すのも忘れない。
 
 意外とこれが一番重要だということが、経験上わかってきた。

 管理者様はどうやら、気持ちよく殴るよりも、気持ちよく泣き叫ぶことをご所望のようだ。

 どちらにしろ俺たちに救いはないわけだが。

 「旦那!旦那!そこら辺でいかがです?これ以上、旦那程の方がやっちまったら、金貨200枚が0枚になっちまいますぜ!」

 「あ”ぁ”あ”!?手前ぇがしっかり手綱を握ってねぇからこんなことになってんじゃねぇかよ!!」

 「す、すいやせん。すいやせん。旦那。勘弁してくだせぇよ。」

 「舐めてんじゃねぇぞ!!糞虫!!」

 どうやら俺からスッテンにターゲットが移ったようだ。

 「なぁ…、おいっ!最近お前らは調子にっ!乗ってんじゃっ!ねぇっ!かっ?」

 管理者様は喋りながら段々熱が入り始めている。

 一つ一つ殴る力に憎しみと鬱憤が詰まっている。

 「…っはぁ…。他のクズ共より多少稼いでるからって自分らは特別だと思ってるか?俺を適当にこなそうと思ってるだろ?」

 「…っいえ…決してそんなことは…」

 「それが舐めてんだよっ!俺様への返事はそれでいいのかっ!?」

 「っっぐぅ…、も、申し訳ありません。すいませんっ!!」

 「自分たちは殺されねぇと思ってんだろ?他の奴隷みたいに、指切り取られたり、腕落とされたり、耳落とされたりしねぇと思ってんだろ?」

 俺の値段をわざと言う事で冷静にさせようとしたんだろうけど…、ダメだな。

 どう考えても管理者様は、憂さ晴らしに来ているようだ。

 何を言っても藪蛇だろう。いや、言えば言うほど癇癪が止まらない状態だ。

 「お前らが多少調子いいとしても、俺がやっぱ使えませんでしたと報告すれば、そうか、で終いなんだよ。そこんところわかってねぇよなぁ…」

 「っひ…勘弁してくだせぇ…旦那、旦那…」

 そうして管理者様は右手小指の爪を剥がした。もちろんスッテンのだ。

 なんの躊躇もなく、ごく自然に、腕で額の汗を拭うほどの違和感も与えず剥ぎ取った。

 「ァぐああっ!…い、痛ぇ…痛ぇ…」

 「なぁ…、昨日俺は、むしゃくしゃしててよぉ…。ラミシュバッツ様が仰るわけだ…。お前は奴隷を殺し過ぎだと、もっとちゃんと管理しろ、とな。わかってねぇ。わかってねぇよ。一番効率的に奴隷を使ってるのは俺だってのによぉ…。他の管理者と比べても儲けは段違いなのは瞭然なのによ。」

 管理者様は、爪を剥いだ小指をおもむろに掴み、握りつぶす。

 「あああっ!!旦那!…痛ぇです!旦那…。」

 「だからよ、俺はその日のうちに目についた奴隷を2,3人殺したんだ。いや、4人だったか…?まぁ、どうでもいい。問題は殺した奴隷の中にも、そこそこ使えるやつがいたんだ。たまたまな。そうしたら今日、ラミシュバッツ様は俺になんて仰ったと思う?」

 「……痛ぇです…旦那…痛ぇです…旦那…」

 「「全くよくやりおる。だが、その方の管理方法が一番結果を出しておるしな…。しょうが無いやつめ、これからも頼むぞ。」だとよ。なんとっ!ラミシュバッツ様から直々にお褒めの言葉を頂いたばかりか、俺に一番のご期待を下さったわけだ。他の管理者で褒められた奴なんざ一人も居ないんだぜ?」

 とんでもないな。

 今日は機嫌が悪いんじゃなく、機嫌が良かったのか…。

 気分が良くても悪くても殴られるのかよ。どうしろってんだ。

 「まぁ、何が言いてぇかっつ―とよ。俺達は他より使えるから殺されねぇってのはとんだ勘違いってわけよ。なぁ、どう思う?ん?」

 しかし本当に全力で人を痛めつけてるな。少しは躊躇ったりしないんだろうか。

 いや、そんなことしないか。だって俺ら人じゃねぇーもん。…虫だもんな。

 「お前も逝っとくか?流石に昨日殺しすぎたから、200枚の方は殺せねぇがよ。お前程度なら大して損もねぇよな?」

 「…旦那…どうか…旦那…」

 馬鹿なやつだ。スッテンもよ。

 余計な事しなけりゃ、殴られることもなかったのによ。

 殺されることだってなかったろうによ。

 よく知らねぇ野郎助けて、死んじまったら世話ねぇよ。

 …。

 …あーあ。

 …奴隷ってのはホントに損だよ。

 「か、管理者様…!!」

 「あ?」

 「ヒィ…!!管理者様……ッグスッ!申し訳ありません…!!ヒッグ!……どうかお許しを…どうか……!!どうか…!」

 「勘弁してください…!がんばりますんで……!!必死にやりますんで……!」

 「………ッチ。次はこんなもんじゃ済まさねぇぞ!!しっかりやれや!」

 必死にすがりついて、惨めに涙と鼻水と鼻血を垂らしながら懇願した。

 どうやら、管理者様自身が考える退き時と、俺の情けない姿で溜飲が降りたらしい。賭けに勝ったか。

 まぁ、昨日めちゃくちゃ殺して、今日もまたってのは、流石に本人もまずいと思ってたんだろう。

 なんとなく、そんな感じだった。

 それに、ここまで情けなく惨めな感じを出しておけば、気は削がれるよな。

 日本に居た時はこんなことできなかったけど、今は関係ない。

 情けなくても、惨めでも、生きていれば。

 生きてさえいれば…。

 管理者様が最期に一発スッテンを蹴りつけた後、揚々と坑道から出ていきやがった。

 殴られ、蹴られ続け、精神的、肉体的に疲れたからか、お互い微動だにしない。いや、出来ない。

 魔力探知の感じから生きていることは確実だ。

 スッテンの方もそれがわかっているからか、こちらにしばらく話しかけてこなかった。

 「……すまねぇな…先生。」

 「……」

 「…助けようとしたけど、また、助けられちまったな…」

 「…」

 「…奴隷なんてやるもんじゃねぇな。本当よ。」

 「…ああ」

 お互い顔は見ないか。

 しばらくして、どれだけ時間が経ったかわからないが、とにかく互いに顔を見せられる程度には時間が過ぎた頃、俺は立ち上がった。

 「飯食いに行こうぜ。それに、ディック爺にかかりゃまた、いつもどおりだ。」

 「…あぁ…」

 俺達は動かない体を互いに支え合いながら、いつものねぐらに戻った。

 ディック爺は何も言わずに治してくれた。

 綺麗さっぱり傷を治してくれた。体の傷は、綺麗さっぱり。

 ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
 
 しばらくの仕事はお互い喋らずにこなしていった。

 ついでに訓練もしているが、仕事に大きな支障が出ない範囲で使っている。

 それでも、3ヶ月ほど経てば、午前一杯訓練に当てても、午後だけで今までよりも少し多い程度の採掘は出来るようになっていた。

 「先生は魔力に関してだいぶ感覚が鋭敏だな。普通この年から訓練を始めたら、2年、3年はかかるもんなんだがな。…まるで子供が初めて魔法を習ったときみたいだ。一説によれば、子供であればあるほどコツをつかみやすいそうだ。理想は生まれたての子供に魔法を教えるのが一番いいんだってよ。」

 「いや…、でもそりゃ無理だろ?」

 「もちろん無理だ。若ければ若いほど魔法使いとしての能力が高くなるから出てきた、学士ジョークみたいなもんさ。」

 「じゃあ、母ちゃんの腹ん中にいる時に教わればもっとすごいことになりそうだな。」

 「それいいな。この冗談を言われた時はそう返すわ。」

 魔法をスッテンに教わり始めた時は、訓練の方法から魔法の歴史についてまで止め処なく話しながら仕事をしていたもんだが、今はこうやって二言三言言葉を交わしたら、また作業に戻る。

 それの繰り返しだ。

 そこそこ仕事を進めないとまた目を付けられるからな。

 それとなるべく入り口の方に向けて糸を張っている。

 少なくとも管理者様が入ってきた時に真面目に仕事をしていれば、お叱りも多少しのげるだろうって感じだ。

 どうやらスッテンも感覚を入り口の方に常に向けているらしい。

 スッテンがかなり近い場所で魔力を広げているからか、魔力を広げている事を自分の魔力でもわかるようになってきた。

「そりゃそうだ。通常魔力ってもんは魔力同士と反応する。古代ではそもそも魔力は魔力としか反応しなかったって文献が残ってるくらいだ。古代魔法の専門の学士によると、それが正常であって、魔力が現実のそこらの物に影響を及ぼしていることのほうがおかしい状態だと主張してる奴等もいる。」

 「そんなこと言ってもなぁ、実際そうなっちゃってるわけだし…。」

 「まぁ、そうだな。実際魔法なんて殆どよくわかってねぇんだよ。使えるから、使う。大体そうなんだがな。」

 「じゃあ、学士って何やってんのかね。なんの成果もないわけじゃん。」

 「そうなんだよ。一昔前の学士は魔法自体を研究して結構訳わかんなくなった人間も多いみたいだぜ。」

 「ふーん?」

 「魔力とはなんぞや。みたいな事を明らかにしたかったらしくてな。まず、魔法で出来ることと出来ないことを明確にして、そこから魔力そのものを見極めようとした学士が居たらしい。」

 「ふん?」

 「その学士は、当然魔法が使えたから、とりあえず、自分が得意な火属性の魔法で研究していたらしいんだ。例えば、火魔法でどこまで温度を上げられるか、とか、どの程度遠くまで魔法を飛ばせるか、とかそういったことを日々研究していたらしいんだ。」

 「ところが、だ。毎日毎日研究を続けていくと、ある日気付いたらしい。前までこんな高い温度まで上げられたっけ?とか、こんな遠くまで魔法を飛ばせたっけ?ってさ。」

 「…」

 「本人は魔法が習熟し始めたんだろうと考えた。能力が鍛えられて上がってきたってことだ。これは、自分の能力が足りなかっただけで魔力、魔法の限界ではないと気付いたんだな。本人としては魔法の限界が知りたくてやってるわけだから、自分の能力が上がる場合は研究できないと考えたんだろう。とにかく、限界まで鍛えなければならない、と。」

 「…すると?」

 「最終的にはその学士は最強の魔道士の一人になっちまった。途中でその研究記録は様相をかえていったが、別の文献によると、その魔法使いの結論として残っているのが、「魔法に限界はない」だった。」

 「ただ魔法をめちゃくちゃ修行した人のように聞こえるけど。」

 「そうだな。その研究記録って途中から魔法の訓練記みたいになっていたらしいぜ。」

 「当初の目的は全然達成できてないな。」

 「まぁな。本人に魔法の才能があったのが仇になっちまったんだろうな…、まぁ、でも、魔法がどんどん強く上手くなってくんだから楽しかったろうな。その訓練記も魔法を育成するための指針として、かなりの流派が取り入れているらしい。もちろん、俺達も参考にしてる。」

 「ふーん…、俺も機会があれば読んでみたいな。」

 「おう。読んだほうがいいぜ。有名な書だから何百年も複書されてるからな。ちょっと大きな都市に行けば見つかるだろうよ。ぶっちゃけ結構読み物としても面白いんだ。最初は真面目な学士風の文体だったんだが、魔法が上達し始めてから調子に乗り始めんだよ。これであたしも彼とともに…とか、恋敵を抹殺する魔法を考え始めたりとかさ。遂に想い人と恋人同士になった時は、私は全てを手に入れた。神、とよんで差し支えないだろう…とかそんな感じの文章ばっかりになるんだよ。」

 「大分痛いな…」

 「まぁ、勇者と一緒に旅してた魔法使いのことなんだがな。確かに最強の魔法使いだし、別の記録では、思慮深く、冷静で、どんなときも仲間を見捨てない仁の魔法使いだ、なんて記録ばっかりでさぁ…。まぁ、その訓練記が見つかってからというものなぁ…。」

 「そりゃ、まともに英雄譚を見れないな。俺だったら笑っちまう。」

 「そうなるよなぁ…。だが、意外と勇者達の中で一番人気があるのがその魔法使いなんだよな。男女ともにさ。」

 「へぇ…。同性の女はともかく、男は勇者に憧れるもんじゃないのかね。」

 「勇者の記録自体が本当に少なくてな。勇者自身が残した文章っていうのが一つもないんだ。正直、存在を疑っている奴すらいるんだ。だが、その魔法使いは大分記録や自著が残っててな。俺達の世代でも本人の人物像が簡単に想像出来るからかな、人気なんだよ。」

 「なるほどね。超然とした人間よりも、ダメなところのある人間のほうが好かれるだろうしな。…となると、勇者はいなかった可能性もあるんじゃないか?そいつの妄想とかさ。訓練記の想い人は、全く別の人間のことを言っていたとかさ。」

 「いや、それはない。勇者はいた。それは確実だ。」

 「…ふーん。まぁ、大昔の人間のことなんてどっちでもいいか。」

 「…そうだな。今の人間にゃぁ関係のねぇことだからな。」

 今日は大分話したほうだ。

 何か気に入らないことがあったのだろうか、スッテンは喋らなくなった。

 いや、違うか。

 「いよ~。今日もやってんな虫ども。サボってねぇだろうな?」

 管理者様がやってきたから話さなくなったんだ。

 最近ここに来る頻度がかなり多くなってきている。なんというか、まるで監視されているようだ。

 正直奴隷の入れ墨がある時点でこんな頻繁に監視しなくても問題はないと思うのだが…。

 「ん?今日は200枚、疲れてるようだな。水分が取れてなさそうだ。」

 「…はい。お気遣いありがとうございます。」

 「なぁに、気にすんな。普段頑張ってるやつにはそれなりの褒美を取らせるぜ、俺ぁよ。」

 「…。」

 「まぁ、こっち来て座れ。水気をやろう。」

 「…はい。」

 飲み物を持ってきてくれたのか?

 何か裏がありそうだが…、まぁ、くれるもんはもらっておくか…。っていうか差し出されたもんを断ったら、それこそとんでもない目に合わされるんだろうしな。

 管理者様は、ふと思い出したように後ろを向き、立ちションをし始めた。

 勘弁してほしいな…、まぁ、俺の魔法があるから、匂いも小水自体も何とかなるが、気分的になぁ…。

 立ちションが終わった後、管理者様は屈んで、足元にあるそれを持ってきた。

 水気のタップリ含んだ、黄色い液体。

 薄い皿のようなものの中にその水気はあった。

 「ほら。飲め。」

 「…。」

 …。

 …こんなこと…。

 …こんなことあるのか…!?

 他の奴隷が管理者様に痛めつけられているところは見たことがいくらでもあるが、ここまでの事をさせられてたやつはいるか?

 いや、殴り殺されたやつだっていた。それに比べれば、まし…なのか?

 「旦那…そりゃ、いくらなんでも…」

 「おう。スッテン。オメェは一度俺に見逃されてるわけだ。二度目はねぇぞ?」

 「…。」

 そりゃそうだ。この前大分ギリギリを生き残ったスッテンだ。ほとぼりが覚めるのはだいぶ先だろう…。

 「飲まねぇのか?200枚。俺の勧めたものが飲めないと。そういうことか?」

 「……。」

 「…なぜ、管理者様は…。」

 「あ?」

 「…なぜ、管理者様はこんなにも私に…。」

 「…あぁ、そういうことか。…そりゃな。勘だよ。奴隷を管理する人間の、勘だ。で、飲むのか?飲まんのか?この前、そこのスッテンに俺が言ったことは覚えてるよな?」

 ああ。覚えているさ。俺達は決して特別じゃないと。殺そうと思えば簡単に殺せるぞと。笑いながら言ってたよな。

 ここで飲まなければ、殺されるんだろう。間違いなく。

 …これを飲んでまで、生きる必要はあるのか?

 こんなことをしてまで、なんの意味がある。

 嫌だって言っちまえばいいじゃないか。クソ野郎って。

 入り口からの光は弱く、松明の光は揺らめいている。だからか、管理者様の表情はよく見えない。きっと、今の俺やスッテンの表情も管理者様にはわからないだろう。

 隠しきれない表情のまま、管理者様に逆らって、俺の人生を終わりにしたっていいかもしれない。

 …。

 …やるか…。

 …やっちまおう。

 管理者様の面に唾吐きかけて、くたばれクソ野郎って。

 出来れば殴ろう。入れ墨があるから無理かもしれないけど、せめて出来るだけビビらせてやろう。

 こうやって、拳を握って、柔らかい土を踏みしめて…。

 ふと、胸元に涼し気なそよ風が吹いた気がした。

 目をやると、服の内側に隠しておいたペンダントが目についた。

 …いつの間にか外に出ていたようだ。ツルハシを奮っているうちに出てきてしまったかな。

 モニから貰った首飾りは、いつもオレの心を癒やしてくれた。

 これを握りしめている間は、モニのことをよく思い出せたからだ。

 どんなに辛くて苦しいときも、諦めずに誇り高く死んでいった彼女。

 大好きな大好きなお母さんのために、命をかけて戦って、苦しんで苦しんで最期は石になった彼女。

 俺は、モニの死を伝えなければいけない。彼女が大好きだった、彼女の母に。

 毎晩毎晩お母さんといって泣きながら夢を見ていた彼女に代わって。

 お母さんと言って息絶えた彼女に代わって。

 もし俺が死んだら…。

 俺が伝えられなかったら…。

 彼女の苦しみはどうなる。魂は。

 彼女の死が、誰よりも気高いものであったと伝えなければ。それだけは、彼女の誇りにかけて、伝えなければいけない。

 ここでの、俺のプライドなど、彼女の気高さに比べたら毛ほどの価値もない。

 そうだ。そのとおりだ。

 こんな事大した屈辱じゃない。
 
 だから言ってやるさ。最高の笑顔を貼り付けてさ。

 「ありがとうございます。頂きます。」

 両手で受け取ってすぐ、皿に口づけそれを飲んだ。

 決してこぼさないよう丁寧に、しかし早く。

 管理者様に欠片でも付け入る隙きを与えないように。

 誇り高い彼女に、少しでも近づけるように。

 彼女のことを考えてる時は、少しだけ誇り高くなれるから。

 俺はそれを飲み干した。

 「ありがとうございます。頂きました。」

 「…おう。……仕事に戻れ。」

 「はい。失礼します。」

 そう言って仕事に戻った。

 管理者様はしばらく俺の姿を見つめた後、去っていった。

 「…大丈夫かい、先生。」

 「問題ねぇ。とっとと仕事を進めようぜ。」

 「…すまねぇな、先生。」

 「?気にすんな。クソッタレなのは管理者様だろ。」

 実際はションベンタレだったわけだが。

 どうやら、助けられなかったことを悔やんでるらしい。だが、助けに入っていたら間違いなくスッテンは殺されていただろう。

 あんな程度で、スッテンが死ぬ必要はない。大したことじゃないのだから。

 俺は魔法で作り出した水で何回も口を濯いだ。

 遭難とかしたときは自分の小便を飲んで乾きを凌ぐってテレビで見たことある。飲尿健康法なんてのもあった気がする。だから、たぶん体に大きな害があるわけじゃないだろう。

 …でも一応戻ったらディック爺さんに解毒してもらおう。万が一があるかもしれないし。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

 この後の仕事は、あっという間に過ぎ去った。お互い無言だったのもあるし、余計なことを考えたくないこともあって集中していたからかもしれない。

 気付いたら、ディック爺に解毒してもらい、ペンダントを握りながら自分の寝床にうずくまっていた。

 奴隷が人間じゃないってのはやっぱマジなんだな。

 殴る蹴る、殺される。

 こんなことは日常茶飯事だったし、自分の身にもよく降り掛かってきた。

 それでも、皆同じようにされているのを解ってるから、奴隷という人間なんだという感覚があった。

 奴隷同士の仲間意識が、別に仲がいいわけでもないのに、自分が人間だという意識を繋いでくれていた。

 でも、今日、初めて踏みにじられるということがわかった。

 いや、踏みにじられていたということを、今日に至って体の隅々で理解できた。

 俺はもう、人間じゃない。

 人間が人間らしく生きる権利なんてのは、人間にしか適用されないんだ。

 人間でなくなったものは、そんな権利なかったんだ。

 「…ちくしょう。ふざけんなよ…。」

 ついつい愚痴が溢れる。

 もちろん、誰も反応しない。

 奴隷の愚痴なんて入りたてしか聞かないし、慰める事もできない。

 なんてったって、愚痴の内容が全部正しいんだ。

 なんのフォローも出来やしない。

 だから、奴隷は愚痴を言わなくなる。その分早く寝たほうが幾分得だからだ。

 それでも、今日の出来事は愚痴を溢させる程のものだった。

 ほんとの愚痴って、絞り出すように出ていくもんなんだな。

 「…ッチ…」

 恥ずかしい。

 奴隷として大分慣れてきたってのによ。

 奴隷になりたてのガキでもねぇのに…。

 はぁ…早く寝るか。
 
 …。

 …。

 …。

 なんだよ、今日は寝付きも悪いな。いつもだったらすぐに眠れるのに…。

 グェェェェェロ!グェェェェェロ!ゥオエッ!オエッ!

 だから何であんな気持ちわりい鳴き声なんだよ、あの鳥はよ。

 いや、気にしたらまた寝れなくなる。とっとと寝付いて、明日の糞不味い飯で口のリセットを。

 「今の、日本語かい…?」

 そいつから出た言葉が何かわからず、ポケッとした顔をしていたと思う。

 「ちくしょう。って日本語ですよね…?」

 もう、2年ほども使っていない、故郷の言葉で喋る彼がそこにいた。
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