君は花のよう

明人

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林檎

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ルルーアは隣町に行く行商の馬車に揺られていた。
セドに頼まれた品は夕方屋敷に届けて貰うように頼んだ。その品に手紙もつけた。もう屋敷についていることだろう。
恩知らずもいいところだが、今はとにかく逃げ出したかった。
見慣れた景色が随分と遠くになっているのを眺めていると、馬車の主人が声をかけてきた。
「お嬢さん隣町に行って何すんだい?」
「今まで街から出たことがなかったので観光です」
「そっか。そっか。あんたがいた街も良かっただろうけど、今向かってるナリストンは美術品なんかを扱うとこが多くて町並みも綺麗なんだ。楽しめるといいな」
「...ありがとうございます」
ただ、逃げたいからなどと言えず咄嗟に嘘をついた。
隣町まで逃げて自分は一体何がしたいのだろう。
何をすればいいのだろう。
元々家を失った時点で生きる意味はなくなった。二人の幸せな姿を見たいがために生きることも叶わなくなった。
なら...今の自分の存在はあっていいものなのだろうか。
今はとりあえず何も考えたくない。
ルルーアは目を閉じそのまま眠りについた。



翌日の朝、ナリストンに到着した。
黒と緑を基調とし、落ち着いた美しさを持つ街だった。
行商とは挨拶をして別れ、次の街へ向かう行商を探す。
なるべく遠くへ、遠くへ行きたい。
行ってどうなる?
自分が何人も居るかのように頭の中で思考が入り乱れる。
全部もう嫌だ。
俯いたまま歩いているとなにかにぶつかった。その拍子に倒れ、目の前には赤いリンゴが転がる。
更に視線を上げれば目の前に倒れた老夫が腰を抑えて唸っていた。
「だ、大丈夫ですか!?すみません!前を見ていなくて!」
「大丈夫。大丈夫。ちょっと腰が...あいたた!」
「お医者様を...っ」
「いらんいらん。ちょっとした打撲だよ。ただちょっと家に帰るのに肩を貸して貰えんか」
「勿論です!落ちた荷物も拾いますので少しお待ち下さい!」
ルルーアは老夫の荷物であろう林檎たちを拾い集めたあと、老父に肩を貸す。
「歩けますか?」
「なんとか...そこの角を曲がったところに家がある」
「分かりました」
言われたとおりに角を曲がればそこには小さな店があった。
飾られたマネキンが着ているのは青の刺繍の施された美しい白のドレス。
「綺麗...」
「わしの自信作だよ。これ以上のもんができたらこいつは売るつもりなんじゃが、中々こいつを超えられん」
「凄いですね!目を奪われました」
「そうじゃろそうじゃろ。わしの仕事は修繕が主じゃが作るのも楽しいんじゃ。悪いが中まで肩を貸してもらっておいてええかの?」
「はい」
店に入れば布やリボン、針に糸、見たことないような機械まであった。
「糸だけでもこんなにあるんですね...」
並べられた糸は虹など霞むほどの種類の色があった。
「趣味が講じて集めとる。基本修繕なんかじゃ糸を見せんように直すことが多いもんじゃからあまり見せる機会がのうてな。それじゃ寂しいじゃろうとあのドレスを作ってみたんじゃ」
「素敵です。とても」
老父を作業机の前に座らせると、相変わらず痛そうに腰を擦っていた。
「あの。私ルルーアと言います。何か他にお手伝いできることがありましたらなんでも言ってください」
「わしはザハスじゃ。すまんがお言葉に甘えてもいいじゃろうか。今から直す服は今日中に終わらせる必要があるんじゃが、取ってきて欲しい糸や布、道具を言うからその都度取ってきて欲しい」
「分かりました!」
ルルーアは言われた通り。ザハスの指示に従い糸や布、ルルーアでは使い方が分からない道具などを運んだ。
ルルーアにとってはただの糸、ただの布が破れ傷んだ布を直すだけではなく、修繕した上で見目の良い作品になっていく様が魔法のようだった。
ルルーアが目を輝かせてザハスの手元を見ていると、気づいたザハスが微笑む。
「簡単な刺繍でもやってみるか?」
「え!?いえ、そんな。ご迷惑おかけした上に商売道具を使わせるわけには」
「人が刺しとる姿を見るのも好きなんじゃ。年寄りの趣味に付き合ってくれ」
ザハスは柔らかな笑みとともにルルーアに針と糸、布を差し出す。
そこまで言われては受け取る他なく、一通りの道具を受け取りルルーアはザハスの隣に座った。
「まずは布をピンと張って、どんなもんを作りたい?」
「可能ならお花を...」
「分かった」
ザハスは鉛筆のようなもので、張った布に簡単な花を描く。
「この花びらの真ん中に一本線を通し、左右の空いているところを埋めるようにひたすら針を通していくんじゃ」 
ザハスに教えてもらいながらルルーアは布に刺繍をほどこしていく。
「おお。うまいもんじゃないか」
「少しだけ裁縫の仕方は教わったんです。裁縫は出来て損はないからって」
ボタンを付ける程度のことは出来て損はないと、指に何度も針を刺しながらヤーハに教わった。
綺麗に出来たときの達成感や、褒めて貰えて嬉しかったことを覚えている。
手紙は勢いのまま殴り書きをしてしまっため、そんな感謝の気持ちすら伝えずに来てしまった。
「そこは長いのと短いのを刺して面を埋めるとええよ」
「あ、はい!」
ザハスはルルーアに刺繍を教えながらも自身の仕事を怠らなかった。
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