君は花のよう

明人

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問い

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翌日ザハスに地図を書いてもらい、修繕した服を届けに向かう。
目的の家に辿り着きドアをノックすると、低い男性の声が返ってきた。
ドアが開くとメガネを掛け、白髭を生やした初老の男性はルルーアを見て目を丸くする。
「初めまして。昨日からザハスさんの所でお世話になっているルルーアと申します。ザハスさんに依頼されてました服の修繕が終わりましたので届けに来ました」
ルルーアが服を差し出すと、ハッとしたように男性は受け取った。
「ありがとう。折角だ。少しお茶でもどうだろう?紅茶一杯を飲む間話し相手になってもらえると嬉しい」
ニコリと微笑む男性の言葉に先日のサバスの言葉を思い出す。
話し相手になるだけで喜んで貰えるならこちらとしても嬉しい。
「是非、お話を聞かせてください」
ルルーアが答えると男性は柔らかな表情を浮かべ、ルルーアを部屋に招いた。
男性の名前はノールド。
気軽にノールと呼んでほしいと言われルルーアはその言葉に従う。
「ノールさんにとってその服は想い入れのあるものなんですね」
「あぁ。これはね。私の妻と初めてデートをした時に着ていたものなんだ」
ノールがザハスに頼んでいたのは一着のジャケット。長く着ているのだろう。良く良く見れば幾つも修繕の箇所がある。だが、良く良く見なければ分からないほどの仕上がりは、ザハスの手腕が流石と言えるだろう。
「今日結婚30年目だから、どうしても今日の朝には受け取りたかったんだ」
「そうだったんですね。間に合って良かったです」
「ザハスさんは昔から腕がいいから間に合わないなんて心配はしてなかったけどね」
自分のせいで間に合わないなんてことになっていたら、ザハスさんの名誉にも傷をつけているところだった。良かった。
内心の気まずさを誤魔化すように紅茶をすすりピクリと反応する。
「この紅茶美味しいです」
「そうかい?それなら良かった」
「紅茶も淹れ方1つで味が変わると教わりました。ノールさんはとてもお上手なんですね」
屋敷で使用人になった時の仕事1つが、ヴァールリックにお茶を淹れることだった。
セドに何度も教えてもらい、満足のいく味になるまで付き合って貰った。
合格を言い渡された時は思わず飛び上がって喜んだことを思い出す。
もっと落ち着いてくださいと少し呆れつつも、優しい笑顔で見守ってくれていたセド。
まるで祖父が出来たような安心感と暖かさを覚えたと伝えたらどんな顔をしただろうか。
「妻が紅茶好きでね。彼女の気を引くために苦労したものさ」
「実を結んだようで何よりです」
ルルーアが微笑むと、ノールも笑ってあぁと頷いた。
「君はどういう経緯でザハスさんのところに?」
「先日よそ見をして、ザハスさんとぶつかって怪我をさせてしまったんです。ザハスさんのご厚意に甘えてお手伝いをさせていただいている形です」
「なるほどねぇ」
意味深な笑みを浮かべるノールが少し気になったが、ルルーアの疑問が形になる前にノールが続けた。
「ザハスさんはね。とても強い人でもあるし、人を見る目がある人なんだ。そして、とても世話焼き。僕もね、君みたいにザハスさんにお世話になったことがあるんだ」
「ノールさんもですか?」
「あぁ。昔私は結構荒れててね。家庭環境のせいにしてはいけないけど、全てを壊してやりたいなんて思想で、人を傷つけ、悪いことも沢山した。そんな僕を止めて叱ってくれたのが、ザハスさんだったんだ」
今の落ち着いた紳士の姿のノールからは全く想像がつかない話だった。
ノールは少し気恥ずかしそうに笑いながら続ける。
「知恵があれば選択肢が増えると、ザハスさんは私に生きるための知恵をいくつも教えてくれた。それから勉強が好きになった私は試験を受けて、今は教える側の教師となった。この道はザハスさんに出会わなければなかった未来だ。だから凄く、感謝してる」
「そうだったんですね...。道を示したのがザハスさんだったとしても、その道を進むと決めて努力したのはノールさんの力ですから、とても凄いことだと思います」
ノールは少しだけ目を丸くしたあと、柔らかく微笑む。
「ザハスさんが君の世話を焼く理由が少しだけ分かったよ。君は素敵な人だ」
「私はそんなことを言っていただけるような人間では...」
ルルーアは俯き、自分の腕を強く握る。
失恋して、お世話になった礼もまともにせず逃げ出して、生きる意味も曖昧なまま存在している。
生きる意味...世の中の人は何を目的に生きているのだろう。
「何か聞きたいことでもある?」
「え!?」
心でも読まれたのかと驚いて声が大きくなった。
慌てて口を抑えればノールは楽しそうに笑う。
「君は分かりやすいよ」
「す、すみません...」
何だか恥ずかしくなって視線を下げれば、ノールは微笑む。
「答えられるかは分からないけど、私は君の人生の先輩だ。答えられることもあると思うよ」
ルルーアは少し迷ったが、強く手を握りして顔を上げる。
「ノールさんの生きる意味とはなんですか?」
予想外の問だったのか、ノールは目を丸くする。
やはりこんな問い困るだろうかとルルーアがやっぱりなしでと言おうとした時、先にノールが口を開いた。
「昔はよく考えたよ。ゴミみたいな自分に生きてる意味なんてあるのかって。でもね、今は考えなくなった。生きていくのは当たり前のことで、考えるのは明日これを子供たちに教えよう。明後日には散歩でもしようと、自然と未来の予定を考えていれば生きていくことになるから。多分昔の私は、生きる意味ではなく、生きて良い理由を探してたんだと思う」
「生きて良い理由...」
「ゴミみたいな自分を生きて良いって、誰かに言ってほしかったんだと思う。そして、そんな自分に何か成せると教えてくれたのがザハスさんだった。新しいことを知るのが楽しくて、自分より歳下の子に勉強を教えて感謝された時、あぁ生きてて良かったなって思ったんだ」
「とても、素敵です」
「結論として私の生きる意味は、これからの未来を豊かに出来るために子供たちに教えていくことかな」
ルルーアにとってはとても新鮮な答えだった。
自分のための生きる理由ではない。でも、巡り巡ってその理由は自分のための生きる意味になっている。
「凄く...考えさせられるお答えでした。ありがとうございます」
「君の迷っている答えのヒントぐらいにはなれたかな?」
「...私には、まだ分かりません。元々誰かに求められなければ生きる意味を見つけられなかったんです。最近ようやく、自分で生きる意味を見つけて自らそれを捨てました。だから...どうするのが正解なのか分からなくなったんです」
「そうか。なら、沢山の人に話を聞いてみるといい。ザハスさんもザハスさんの答えを教えてくれるだろうし、ザハスさんの関わる人達は皆いい方ばかりだ。配達ついでに話を聞くといいよ」
ノールはそう言って、長く引き留めてしまったねとルルーアを見送ってくれた。
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