ラヴェンナ・ヴァラディ ~語れる司書の物語~

ほか

文字の大きさ
33 / 94
第2話 宅配司書と劇作家

11

しおりを挟む
 邸宅に着くと、グリッサンドーニは放心したように私室の中央に座り込んでいた。



 跪き、ラヴェンナは応接間をひっかきまわして探し出してきた錠剤を、差し出す。



「お客様。これを」



 ぱしりと、すげなく振り払われても、ラヴェンナの手はそれを離さなかった。







「飲まないと危険です」



「嫌だ……嫌だ!」



 錠剤を捕らえる作曲家の瞳孔は震えていた。



「そんなものもう飲むものか!」



 一喝の後、グリッサンドーニは幼子のように頭を抱える。



「薬を飲むと書けなくなる。頭がぼうっとして、何も浮かばなくなって」



 恐怖に打ちひしがれ、蚊の鳴くような声を出すかと思えば、ぎろりとした睨みをきかせて、感情を爆発させる。







「わかっている。わかっているぞ! お前もわたしに書かせまいとしているんだな」



「いいえ。その時がきたら、また曲を書いてください。そう切に願っています」



「嘘をつけ! みんなそうだ。記者も評論家も口をそろえて、調子のいいことばかり言って、雑誌には酷評を載せる。少しばかり。少しばかり調子が悪い時を、容赦なく掘り建てて! 悪魔、悪魔の手先め!」



 刹那、ラヴェンナは、グリッサンドーニを抱きしめた。



 幼子をあやすように、言い聞かせる。



「身を削りすぎたんです、お客様」



 息を呑んだ狂人は一瞬、大人しく抱かれるままに身を縮めた。







「貧しい人々に自らの黄金を与えるため、銅となり下がった王子の像を知っていますか」
 オスカー・ワイルドの『幸せの王子』を、教養ある彼が知らないはずない。



「その通りです。どんな偉業を成し遂げた人でも、使い物にならなくなったら表舞台から撤去されます」



 赤子のような慟哭。後にすすり泣きが広すぎる部屋に空しく、響いていく。



 世界という舞台で戦った戦士の背を、ラヴェンナはそっと、撫でた。



「敗北ではありません。戦略的措置です。どうぞ身を喰われないために、一時的にこの世の法則を呑んでください」







 精神医学上、異常者とは正常からかけ離れた距離で測るという。



「あなた自身が、取り壊されないうちに。どうか休んでください」



 溢れんばかりの何かをこの世の枠に少しだけ押し戻すそのツールを今だけ、宅配司書は差し出した。



「そうすればまた、世界と戦える時がきます。必ず」



 そう、今だけ。——束の間だけ。



 その言葉に効力があったのかどうかはわからない。



 だが数分の放心ののち、かつて過去の時代から音楽を発掘した作曲家は、その錠剤を喉に流しこみ、目を閉じたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」

歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。 「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは 泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析 能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り 続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。 婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」

処理中です...