完全少女と不完全少年

柴野日向

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1章 亜希

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 水無瀬みなせ亜希あきは緊張していた。
 先日の入学式といい、四月は気を引き締めるべきイベントが多い。だがこの状況に亜希は満足していた。
 必死に勉強し合格した高校への入学に、自分で情報誌をかき集めて応募したアルバイト。両親や兄は、高校生の間くらい青春を楽しんだらどうかと言ったが、これも社会勉強の一環だと言い返せばあっさりと納得した。
 この緊張も、自分が大人に近づく第一歩だと思えば高揚につながる。
 そんな亜希は強面の店長に連れられ、雑貨屋「オリオン」の店舗内を歩きながら軽く説明を受けていた。こぢんまりした三階建ての店で、一階では弁当や菓子、ジュースといった食品を主に扱う。二階のフロア半分では筆記用具や化粧品等を販売しており、残りのフロア半分には在庫が積まれていた。三階には事務室やロッカールーム、休憩室があるという。
 薄暗く狭い階段を上り、三階へ向かう途中で軽快なメロディーが鳴った。亜希の前を行く店長が足を止め、エプロンのポケットからスマートフォンを取り出す。はいはいと返事をしていたかと思うと、慌ただしく通話を終えた。
 亜希は、自分が最も若い従業員だと信じて疑わなかった。店長から直々に聞いたわけではないが、一階や二階のレジにいた店員はどう見ても自分より年上だったし、高校に入ったばかりのまだ十五歳の自分が最年少だと思っていたのだ。
「おーい、来栖くるす、まだいるか?」
 だから店長の呼びかけに三階の奥から出てきた店員が随分と若いのに驚いた。
「なんすか」
「新しく入ったバイトの子だ。悪いが、ロッカーについて教えてやってくれ」加えて「奥で待ってろ」と言い残し、店長はさっさと階下に下りていった。
 呆気に取られる亜希だったが、「なんだそりゃ」とぼやく声に振り向くと、そう歳の変わらない風貌のまだ少年と思わしき彼が手招きをした。来栖というらしい彼が歩き出したので、慌てて暗い廊下をついて行く。面接を行った事務室のドアを通り過ぎ、二枚の扉が並ぶ手前で立ち止まる。右側に「女子」左側に「男子」のプレートがかかっている。
「ここ、更衣室」左側のドアを開け、手探りで彼はスイッチを入れる。明るくなった室内には両側に三つずつ背の高いロッカーが並んでいる。着替えるスペースは二畳もない。
「店長が名札くれるから、それ入れて使って。鍵は自己管理。制服で出たら駄目だから、ここで着替えて。見たことないけど、女子の方も同じ感じだと思う」
 はい、と亜希が返事をすると電気を消し、彼はドアを閉めると廊下の奥に進んだ。何故だか彼には既視感がある。違和感とも呼べるもやもやしたそれに戸惑いつつも続く彼女に、「ここが休憩室」と彼は突き当たりのドアを開けた。
 雑然とした室内には、壁際にいくつも段ボール箱が積まれている。テーブルが一つに、イスが六つ。煌々と明かりが灯っていて、亜希は久方ぶりの眩しさに眼鏡の奥の目を細めた。イスの一つは引かれていて、テーブルには恐らく彼の物と思われる黒いエナメルの通学鞄が乗っている。
 亜希が部屋に入ると、右手の壁側に置かれたラックに寄り、彼は小さな青色の機器に触れた。
「仕事に出る時と上がった時に押して。後でこういうの貰えるはずだから。タイムカード」
 そばの小物入れに入っているカードの一枚を取り、彼が手渡す。
 鞄の様子から高校生だとは予想していたが、亜希はてっきり彼は上級生だと思っていた。二年目か三年目か知れないが、こなれたアルバイトの少年だと信じ込んでいたのだ。
「……え?」目を落とした彼女は、思わず声を漏らして顔を上げた。「これ、あなたのですか」
 亜希の質問に、彼は「そうだけど」と不審な顔をする。カードの上部にある「来栖くるすこう」という名前は、確かに先ほど店長が呼んでいたものと一致する。
 亜希が驚いたのは、カードに打刻された日付がまだ四日分しかないことだった。四日目は今日の日付。
「いつから、ここでバイトしてるんですか」
「先週。確か四月二日から。そこに書いてるじゃん」何でもない顔でカードを指さす。
「いえ、その、すごく慣れてるみたいだから、もう何年も勤めてるのかなって」
「なにそれ。新人だよ。すげえ新人」
 軽口を叩きながら、彼はカードを受け取って元の場所にしまう。恐らく百七十センチにはまだ届かないだろう、彼を見上げ、もう一度鞄を見て顔を戻す。「あの、失礼ですけど……」ようやく明るい場所でまともに見た彼には、やはり見覚えがある。
「どこの高校ですか」
「俺? 州徳すとく高校」
 やっぱり、と思わず亜希は口にした。
「もしかして、二組ですか」
「あ、やっぱり?」
 入学して三日では、高等部から編入した亜希にクラスメイトの顔を全て覚える時間はなかった。クラスの半数を占める女子だけで必死なのに男子なら尚更だ。ほとんどが中等部からの持ち上がりで顔見知り同士の内部生とは違い、外部性の亜希にとって新しい学校は、初対面だらけの世界なのだ。だから同じクラスの彼に既視感はあっても思い出すには至らなかった。
「なんか見たことある気がすると思ったんだけど。名前なんだっけ」
「水無瀬です。水無瀬亜希」急に緊張感が逆流し、亜希は背筋を伸ばした。「今日から、よろしくお願いします」ぺこりとおじぎをする。
「そういうのいいって。あと敬語とか」
「いえ、一週間でも先輩ですから。けじめです」
「ふーん。まあ、好きにすればいいけど。……あ、俺、来栖な」彼は引いてあったイスに腰掛ける。「そこら座っときなよ。多分そろそろ店長帰ってくるから」
 頷いた亜希はトートバッグを机に置くと、彼と一つ隔てた席に腰を下ろした。
 途端に静寂が押し寄せる。
 真面目な亜希は、これまで男子と関わることなど最低限で、異性と遊び歩く同級生を違う生き物のように眺める少女だった。だから今更、親しくもない男の子と二人きりになっても、気のいい台詞が思いつかない。
 沈黙が気まずく、いっそ彼が早く帰ってくれればとも思ってしまう。航という彼は、鞄から取り出したペットボトルのお茶を飲み、立ち上がる。しかし手にしたスマートフォンをいじりはじめるのに、亜希は所在なくあたりを見渡した。真面目さゆえに、バッグの中のスマートフォンには暇つぶしのゲームアプリすら入っていない。
「なんでバイトすんの」だがそんな彼女と違って微塵も緊張などしていない様子の航が、画面に目を落としたまま口を開いた。
「うちの学校、バイト非推奨じゃんか」
「えっと、社会勉強にって思ったので」亜希は友人たちに繰り返した説明を再度口にした。「学校にも却下されるかもしれないって思ったけど、申請したら意外とすんなり許してくれました」
「まあ、強制じゃないしな」
「少なくとも、三年分の学費は自分で稼ごうと思って」
 付け加えると、彼は上げた顔で友人たちと漏れなく同じ表情をした。「へえ」と言うのは呆れ顔だ。「真面目だな」機器をしまった鞄を肩にかける。
「そちらは、どうなんですか」
「俺?」イスを戻すと、「いろいろだよ」と面倒くさそうに答える。
「いろいろって、学費とかですか」
「生活費とか。……まあ、そんだけじゃないんだけど」
 そんだけって。亜希は更に疑問を抱いたが、声をかける前に、彼はひらひらと手を振って「そんじゃ」と出て行ってしまった。閉まるドアの向こう側で、廊下を行く足音が次第に遠ざかっていく。
 随分と自由な人だ。亜希が来栖航に抱いた最初の感情は、そんな無粋なものだった。
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