君は夜の下に咲く

柴野日向

文字の大きさ
3 / 4

3.月下美人

しおりを挟む
 救急搬送が早かったおかげで、僕は失明を免れてしまった。計算高いくせに、1+1を間違える僕の人生、こんな大勝負でも失敗するらしい。
 メタノール。つまり、メチルアルコール。僕が盗んだのは、飲めば最悪死んでしまうか、失明することで有名な薬品だ。目が散るからメチルって覚えろって、理科の教師が雑談で教えてくれた。笑えないよ。

 見舞いに来た家族には、自殺未遂だと嘘をつき、更に運が良かったんだと嘘を重ねた。ただそこで、救急車を呼んだのが彼らだったと知り、なんだ、僕はまだ「愛されて」いるんだなとぼんやり思った。
 命が助かっても僕は繰り返しげーげー吐いて、何も食べられないまま点滴の針を刺しっぱなしで幾日も過ごした。大人たちにしこたま叱られ、精神科の医者までやってきた。だけど僕の計画は、死ぬことじゃない。ずっと暗闇の世界で――つまりは夜の世界で生き続けることだったんだ。失敗しちゃったけど。

 日が経つごとに、動けない僕の焦りは募っていった。もう、君の姿はちらとも見えなくなっているかもしれない。けれど、病院から抜け出して君を探しに行くには、とても体がついていかなかった。一回だけ点滴を引っこ抜いて試してみたけど、ふらふらして不覚にも蹲っている間に、夜勤の巡回の看護師にあっさり捕まった。外に行かせてくれと必死になって暴れたら、こいつは錯乱してると思われたらしい。鎮静剤まで打たれてしまった。

 もう二度と会えないのか。
 そう思うと、涙が出た。
 僕の選択は、やっぱり間違っていたんだ。僕はただ、君の姿を目にしたいだけだったのに。夜の間だけでいい、二人で真夜中を歩いていたいだけなのに。

 溜め込んできた傷がじくじくと痛んで、それを見せられる相手がどこにもいないことに潰されて、僕は一人、ベッドで声を殺して泣いた。こんなにも自分が弱い人間だなんて、君に出会うまで知らなかった。知られたことは、幸せだった。だから、弱い僕はもう一人ぼっちだ。この世界に。君のいない世界に。

 そう思っていた。

 泣き疲れた僕は、夜中ふと目を覚ました。
 小さな部屋に、知らない匂いが満ちていた。なんだろう。甘くて優しい、心地のいい匂い。
 月光の差し込む中、白い花が見えた。
 月下美人。
 それを抱いた君は、僕を見てにっこり笑ったんだ。

「ずっと、そばにいたんだよ。気付かなかったでしょ」
 いたずらな顔をしてベッドの脇にやってきた君の白い肌が、月明かりに綺麗だった。笑った顔は懐かしく、慣れることなく美しかった。
「助かってよかった」
 そう言う君の頬を涙が伝う。その言葉を聞いて、その姿を見つめて、この目が潰れなくて本当によかったと思った。
「私は君の隣にいる。見えなくたって、変わらないから」
 相変わらず優しく、君は屈んで僕の頬をそっと撫でる。冷たく温かな君の体温。滑り落ちた熱い涙が、僕の顔に触れる。
「この花が咲いたら、また二人で行こうね」

 朝になると、目を覚ました僕の前から、やっぱり君は姿を消していた。病室にはただ、やわらかな匂いが充満していて、ベッド脇の椅子には白い花の小さな鉢が置いてあった。朝を迎えたその花は、すっかり閉じてしまっていたけれど。
 病室に鉢植えなんてと口を尖らせる人たちに頭を下げて、家族に土下座してそれを持って帰ってもらった。もう涙は出なかった。君は隣で、笑っているに違いないから。

 そう、これが君との思い出。
 そして今夜、僕は君と手を繋ぎに行く。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

処理中です...