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3.月下美人
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救急搬送が早かったおかげで、僕は失明を免れてしまった。計算高いくせに、1+1を間違える僕の人生、こんな大勝負でも失敗するらしい。
メタノール。つまり、メチルアルコール。僕が盗んだのは、飲めば最悪死んでしまうか、失明することで有名な薬品だ。目が散るからメチルって覚えろって、理科の教師が雑談で教えてくれた。笑えないよ。
見舞いに来た家族には、自殺未遂だと嘘をつき、更に運が良かったんだと嘘を重ねた。ただそこで、救急車を呼んだのが彼らだったと知り、なんだ、僕はまだ「愛されて」いるんだなとぼんやり思った。
命が助かっても僕は繰り返しげーげー吐いて、何も食べられないまま点滴の針を刺しっぱなしで幾日も過ごした。大人たちにしこたま叱られ、精神科の医者までやってきた。だけど僕の計画は、死ぬことじゃない。ずっと暗闇の世界で――つまりは夜の世界で生き続けることだったんだ。失敗しちゃったけど。
日が経つごとに、動けない僕の焦りは募っていった。もう、君の姿はちらとも見えなくなっているかもしれない。けれど、病院から抜け出して君を探しに行くには、とても体がついていかなかった。一回だけ点滴を引っこ抜いて試してみたけど、ふらふらして不覚にも蹲っている間に、夜勤の巡回の看護師にあっさり捕まった。外に行かせてくれと必死になって暴れたら、こいつは錯乱してると思われたらしい。鎮静剤まで打たれてしまった。
もう二度と会えないのか。
そう思うと、涙が出た。
僕の選択は、やっぱり間違っていたんだ。僕はただ、君の姿を目にしたいだけだったのに。夜の間だけでいい、二人で真夜中を歩いていたいだけなのに。
溜め込んできた傷がじくじくと痛んで、それを見せられる相手がどこにもいないことに潰されて、僕は一人、ベッドで声を殺して泣いた。こんなにも自分が弱い人間だなんて、君に出会うまで知らなかった。知られたことは、幸せだった。だから、弱い僕はもう一人ぼっちだ。この世界に。君のいない世界に。
そう思っていた。
泣き疲れた僕は、夜中ふと目を覚ました。
小さな部屋に、知らない匂いが満ちていた。なんだろう。甘くて優しい、心地のいい匂い。
月光の差し込む中、白い花が見えた。
月下美人。
それを抱いた君は、僕を見てにっこり笑ったんだ。
「ずっと、そばにいたんだよ。気付かなかったでしょ」
いたずらな顔をしてベッドの脇にやってきた君の白い肌が、月明かりに綺麗だった。笑った顔は懐かしく、慣れることなく美しかった。
「助かってよかった」
そう言う君の頬を涙が伝う。その言葉を聞いて、その姿を見つめて、この目が潰れなくて本当によかったと思った。
「私は君の隣にいる。見えなくたって、変わらないから」
相変わらず優しく、君は屈んで僕の頬をそっと撫でる。冷たく温かな君の体温。滑り落ちた熱い涙が、僕の顔に触れる。
「この花が咲いたら、また二人で行こうね」
朝になると、目を覚ました僕の前から、やっぱり君は姿を消していた。病室にはただ、やわらかな匂いが充満していて、ベッド脇の椅子には白い花の小さな鉢が置いてあった。朝を迎えたその花は、すっかり閉じてしまっていたけれど。
病室に鉢植えなんてと口を尖らせる人たちに頭を下げて、家族に土下座してそれを持って帰ってもらった。もう涙は出なかった。君は隣で、笑っているに違いないから。
そう、これが君との思い出。
そして今夜、僕は君と手を繋ぎに行く。
メタノール。つまり、メチルアルコール。僕が盗んだのは、飲めば最悪死んでしまうか、失明することで有名な薬品だ。目が散るからメチルって覚えろって、理科の教師が雑談で教えてくれた。笑えないよ。
見舞いに来た家族には、自殺未遂だと嘘をつき、更に運が良かったんだと嘘を重ねた。ただそこで、救急車を呼んだのが彼らだったと知り、なんだ、僕はまだ「愛されて」いるんだなとぼんやり思った。
命が助かっても僕は繰り返しげーげー吐いて、何も食べられないまま点滴の針を刺しっぱなしで幾日も過ごした。大人たちにしこたま叱られ、精神科の医者までやってきた。だけど僕の計画は、死ぬことじゃない。ずっと暗闇の世界で――つまりは夜の世界で生き続けることだったんだ。失敗しちゃったけど。
日が経つごとに、動けない僕の焦りは募っていった。もう、君の姿はちらとも見えなくなっているかもしれない。けれど、病院から抜け出して君を探しに行くには、とても体がついていかなかった。一回だけ点滴を引っこ抜いて試してみたけど、ふらふらして不覚にも蹲っている間に、夜勤の巡回の看護師にあっさり捕まった。外に行かせてくれと必死になって暴れたら、こいつは錯乱してると思われたらしい。鎮静剤まで打たれてしまった。
もう二度と会えないのか。
そう思うと、涙が出た。
僕の選択は、やっぱり間違っていたんだ。僕はただ、君の姿を目にしたいだけだったのに。夜の間だけでいい、二人で真夜中を歩いていたいだけなのに。
溜め込んできた傷がじくじくと痛んで、それを見せられる相手がどこにもいないことに潰されて、僕は一人、ベッドで声を殺して泣いた。こんなにも自分が弱い人間だなんて、君に出会うまで知らなかった。知られたことは、幸せだった。だから、弱い僕はもう一人ぼっちだ。この世界に。君のいない世界に。
そう思っていた。
泣き疲れた僕は、夜中ふと目を覚ました。
小さな部屋に、知らない匂いが満ちていた。なんだろう。甘くて優しい、心地のいい匂い。
月光の差し込む中、白い花が見えた。
月下美人。
それを抱いた君は、僕を見てにっこり笑ったんだ。
「ずっと、そばにいたんだよ。気付かなかったでしょ」
いたずらな顔をしてベッドの脇にやってきた君の白い肌が、月明かりに綺麗だった。笑った顔は懐かしく、慣れることなく美しかった。
「助かってよかった」
そう言う君の頬を涙が伝う。その言葉を聞いて、その姿を見つめて、この目が潰れなくて本当によかったと思った。
「私は君の隣にいる。見えなくたって、変わらないから」
相変わらず優しく、君は屈んで僕の頬をそっと撫でる。冷たく温かな君の体温。滑り落ちた熱い涙が、僕の顔に触れる。
「この花が咲いたら、また二人で行こうね」
朝になると、目を覚ました僕の前から、やっぱり君は姿を消していた。病室にはただ、やわらかな匂いが充満していて、ベッド脇の椅子には白い花の小さな鉢が置いてあった。朝を迎えたその花は、すっかり閉じてしまっていたけれど。
病室に鉢植えなんてと口を尖らせる人たちに頭を下げて、家族に土下座してそれを持って帰ってもらった。もう涙は出なかった。君は隣で、笑っているに違いないから。
そう、これが君との思い出。
そして今夜、僕は君と手を繋ぎに行く。
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