さよなら×さよなら=また明日

柴野日向

文字の大きさ
3 / 7

しおりを挟む
 虚脱感に包まれながら、僕はスマホを手に取る。
 三月二十五日。
 それは見間違いではなかった。
 慌てて起き上がって、一階のリビングに下りる。出かける準備をしていた両親に、血相を変えて問いかけた。
「今日って、何日?」
 僕の勢いに目を丸くしながらも、冷蔵庫の扉に貼られたカレンダーを見ながら、「二十五だろ」と父が言う。
「あんたなに寝ぼけてんの。今日、葉月ちゃんと出かけるんでしょ」母が呆れ顔をする。
「だって、昨日が二十五日だったのに」
 そう訴えると、両親は顔を見合わせて同時に吹き出した。
「何変なこと言ってるのよ。寝ぐせまで作って。ほら、ちゃんと直さないと嫌われちゃうわよ」
 僕らが別れる予定であることを、両親は知らないからそんなことを言う。
 だけど今の問題は全然違うところにある。
「いやだって、昨日が二十五日で、葉月と一緒に駅から出かけて……」
「パンがあるから、ちゃんと食べていくのよ」
 お父さん、と母が父に呼びかけ、二人は僕に構わずさっさと部屋を出て行ってしまった。
 ぽつんと残された僕は、握りしめていたスマホをもう一度確認する。確かに日付は二十五日だ。リモコンでテレビのスイッチを入れつつソファーにへたり込む。日曜日には放送されない朝のニュース番組が流れている。
「なんだこれ……」
 僕だけが、三月二十五日を繰り返している。そんな思考に辿り着いて、自分の頬を右手でつねった。きっとまだ夢を見ているんだ。いや、昨日までが夢だったのか。
 わからないけど、どんなに指に力を入れても目は覚めなかった。じんじんと痛む頬をさすりながら、とりあえず洗面所に向かって顔を洗って寝ぐせを直す。食パンをキッチンのトースターで焼きながら、葉月に連絡をする。約束、今日だったよね。

 何言ってんの。遅刻しないでよ。

 パンが焼けた頃、当然のように彼女からの返事があった。「どうなってんだ……」ぼやきながら、パンにジャムを塗りたくった。

 これは覚めない夢なのか。それにしてはあまりにも感触がリアルだ。昨日食べたクレープの甘みも、握りしめた葉月の手の柔らかさも、到底夢だとは思えない。別れの苦しさも、頬を伝う涙の熱も、何もかもが現実味に溢れている。
 僕だけが、三月二十五日を繰り返している……。
 恐ろしい想像に身震いする僕は、今日も葉月と駅前で落ち合う。彼女が羽織っているのは当然、薄桃色のダウンジャケット。
「佑二、約束忘れてなかったよね」
 軽く僕を睨む彼女に、まさかと返した。じゃあ、いこ。そう言って僕の手を引く彼女は、まるでこのループを知らないみたいだった。
 今日はCDショップをぶらぶらしてから、昨日とは異なる喫茶店に入る。
「ねえ、何考えてるの」
 ボックス席で向かい合って、注文したシーフードドリアをスプーンですくって食べながら、葉月は怪訝な顔をした。
「なんか今日の佑二、変だよ」
 フォークにナポリタンを絡める手を止めて、僕は目を伏せる。やっぱり葉月は気づいていない。
「あのさ……」
 ごくりと唾を呑みこんで、僕は切り出した。
「今日が繰り返されてたら、どうする」
 僕に合わせて神妙な面持ちをしていた彼女は、沈黙した。
「……どういう意味?」
 やがて至極当たり前の言葉を口にした。「よくわかんないんだけど」付け足して、ドリアの乗ったスプーンを咥える。
「だから、その……今日をさ、僕は昨日も体験してるんだよ。一昨日も」ますます眉根を寄せる葉月に、「信じられないかもだけど」と言って続ける。
「昨日も三月二十五日の土曜日だったんだ。そしてその前の日も。僕は葉月と出かけて、最後のデートをした。さよならって言って、別れたんだよ。それなのに、次の朝になっても二十六日が来ないんだ。また二十五日に戻って……つまり、繰り返し今日がやってくるんだ」
 僕の下手くそな説明に、葉月はドリアを食べるのも忘れて聞き入る。その表情を見て、僕は少し期待をする。この現象を信じてもらえたかもしれない、と。
「……それ、なんかの漫画のネタ?」
 だけど彼女は、小さく笑って首を傾げた。
「佑二がそんなこと言うの、珍しいね」
「違うんだよ、漫画なんかじゃないんだ」
「そうは言っても……私にとって、今日は初めての今日だよ」
 彼女がコップを手にして、釣られるように僕もコップから水を飲む。考える顔つきをして、「それならさ」と彼女は提案する。
「履歴って残ってないの。私とのチャットとか、通話記録とか」
 僕にアプリ内の履歴を操作する技術はない。だからとてもいい案かもしれなかったけど、残念ながら僕はかぶりを振った。
「それが、残ってないんだ。葉月から受信したり、僕から電話したりもしたんだけど、綺麗に消えてるんだ」
 ふーん、と納得しきらない声を漏らして、彼女はすっかり冷めたドリアを口に運ぶ。僕も浮かない気分で、フォークをくるくると回転させた。
 答えをなあなあにしたまま店を出て、僕たちはデートを続けた。葉月も、僕の言ったことをどう受け止めていいかわからないようで、いつもより更に明るい笑顔で僕を励ましてくれた。言わなきゃよかったと僕は後悔しながら、申し訳ない気持ちを抱えて彼女について歩いた。
「じゃあ、佑二にとっては三回目ってこと?」
 午後六時、駅前の広場で突然葉月が言う。
「もう何度も私と別れてるってことだよね」
 僕は返事ができなかった。実際、僕は葉月に二回さよならをした。そして今日で三回目。明日は四回目を迎えるのかもしれない。
「三度目の正直っていうでしょ。もしそんなことがあっても、きっとこれで最後だよ」
 駅から漏れる光で、彼女の瞳がきらきらと輝いている。それを見て、最後まで彼女に気を遣わせる自分が情けなくて堪らなくなる。
「少なくとも、私は初めてだから」
 にっこり笑う彼女の名前を、僕は呼んだ。そうなんだろうか。彼女の言う通り、これが本当の別れなんだろうか。
 既に三度目の別れなのに、僕の胸は苦しさでいっぱいになる。彼女の頬を涙が伝う様子を目にするだけで、息ができないほど辛くなる。
「元気でね」
 僕は言った。
「大好きだよ」
 その言葉に頷いて、彼女も「元気でね」と僕に言う。僕も頷いて、彼女をしっかり抱きしめた。もこもこのダウンジャケットの中には、確かに葉月がいた。
「さよなら」
 二人で同じ言葉を口にする。
 だけど、僕の目から涙は零れなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...