百万回目の大好き

柴野日向

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1章 夏実と麻斗

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 大都市とは距離を置いた中規模都市の一つに含まれる星ヶ丘は、その名の通り美しい星空を臨めることからその名をつけられた。景観を意識し高層ビルの建築が憚られた街は、その見た目を一層純朴に見せていたが、外部から星空を見に来る人々は少なくない。
 街を分断する大きな川――星降ほしふり川の河原には、夏冬問わず、望遠鏡を構え流れ星を求め、天体を観測する人の姿が絶えない。
 そんな街にある星ヶ丘中学校では、三年生の橘夏実が二年生の一条麻斗に猛攻をかけている姿がいつもの風景と化していた。昨年度の三月から僅か一ヶ月足らずだが、生徒のみに留まらず教師陣の間にも知れ渡るようになっていた。
 最もベターな体育館裏での告白はおろか、夏実の猛攻は廊下、教室、運動場と場所を問わない。
 だからこの数日は麻斗にとって随分平和な日々であった。
「よっすー、麻斗」
 六列に並んだ机のうち、窓際から二列目、前から二番目の席で荷物をまとめていた彼に声をかけたのが、赤石あかいし五樹いつきだ。平均値の麻斗より僅かに背が高く、短い髪は薄く茶色がかっている。だがそれは自毛の色なので、校則違反というわけではないのは周知の事実だ
 五樹は麻斗の前の席で椅子を傾けながら、なにやら楽しそうに、にやにやとしている。放課後を迎えた教室は騒々しく、残ってお喋りをする者や部活動の準備をする者等々、それぞれの賑やかさを見せていた。
「なんだよ、五樹」
「そろそろ寂しくなったんじゃないかと思ってさ。夏実さんいなくって、調子狂ってんじゃないかって」
「五樹までそういうこと言うのか」
 散々周りにいじられてきた麻斗は、苦々しく表情を歪める。クラスメイトは勿論のこと、すれ違う教師やこうして仲の良い友人まで自分を見ると彼女の存在を口にするのだ。幾分辟易してしまうのも仕方ない。
「まあまあ。いいじゃんか、女子からの猛アタック。みんな羨ましいんだよ」
「ほんとにそう思ってんのかよ」
「当たり前だろ」
 腕を組んでわざとらしく頷く五樹に、麻斗は鞄に突っ込んだ腕の方に視線をやった。何事かと身を乗り出して彼がその中を覗くのに、すいすいと指を動かして画面をスライドさせる。本来、携帯機器は電源を切った状態のみ持ち込みが許可されているため、教師に見つかれば没収されてしまう。だから音も振動も受け付けないように設定したスマートフォンを、鞄の底でこっそりと麻斗は動かした。

「おはよー。今日もいいお天気の朝だよー」

 リアルタイムでメッセージを送ることにできるアプリケーションの画面だ。差出人は勿論、橘夏実。伸びをするネコのイラストがそれに続く。送信時刻は朝の六時十五分。

「未読ー? 麻斗くん、まだ寝てるんですかー?」

 それが送られたのが、三分後の六時十八分。次のメッセージは五分後。
「頻度がえぐいな」 
 思わずぼやいた五樹の前で、画面が下へとスライドしていく。夏実からのメッセージは、写真や絵文字を含んでずらずらと蛇の尾のように続いていく。

「バスなう、トランプ! ババ抜き圧勝!」「眠くなってきた」「坂道しんどいんですけどー」「暑い。許さん」「返事しろよー」「ほれほれ、金閣寺! ヤバい!」「靴に砂入った」「そろそろ昼ごはんですかね。残念! この食いしん坊め!」「猫ちゃんちょーかわいい」

 麻斗の返事があまりに少ないことに抗議しようとした五樹も、流石に口を噤んだ。平均すれば五分に一通は送られてくるメッセージにいちいち反応など出来はしない。しかし、それが送られているのが、スマートフォンの解禁された修学旅行中の彼女の所業なのだ。
「この三日間、これが寝るまでなんだよ」
 恐らく意味などないのだろう、お手をする犬の画像が乱打されている画面を流しながら麻斗はぐったりと首を垂れる。彼女がようやく静かになったのは、夜の十時を過ぎてからだ。それが消灯時間だったのだろう。
 成る程。姿さえなくとも夏実の存在感は微塵も薄れてはいない。
「……羨ましくは、ないな」
 可哀想にとは口にこそしないが、心の底からそう思いながらふと顔を上げた五樹は、「あっ」と小さく声を上げた。まさしくその元凶――といえば聞こえが悪いが、話題の本人がそこに姿を現したのが見えたのだ。
 勢いよく駆ける彼女は廊下で急ブレーキをかけ、口の両側にメガホンのように手を当てる。
「あーさとー! おひさー!」
 聞き慣れた声に麻斗はぎょっと顔を上げる。
「帰ってきたよー。私がいなくてしょんぼりしてたんじゃないかね。お土産買ってきたげたから元気出せよー」
 周囲の視線を一身に集めていることなどまったく気に留める様子もなく、ずかずかと教室へ入ってくる夏実に、麻斗は慌てて腰を上げた。
「来るな来るな来るな教室まで入ってくんな!」
「なんでよ、ケチ!」
「うるさい!」
「うるさいって言ったほうがうるさいんですー」
 麻斗に押し戻されながら、その肩越しに見える五樹に夏実は手を振った。
「いっくんも、お土産あるからねー。あとで部室でね!」
 左手に鞄を下げたままぶんぶんと右手を振り回す彼女に、乾いた笑いとともに小さく手を振り返しながら、五樹は麻斗の苦労を思った。しかし。
「ブロックしてないんなら、悪くないんじゃんか」
 本気で拒絶したいなら、夏実からのメッセージが目に触れないように設定することもできる。それをせずに一応であれど全て目を通しているのなら、そういうことじゃないかと、麻斗が夏実をどこかへ引きずっていくのを五樹は見送った。


「昨日まで京都にいたのになんでそんなに元気なんですか……」
「えー、私はいつだって元気だよ!」
「声がでかいなあ」
 夏実は旅行の疲れどころか、子犬のように瞳をキラキラさせてさえいる。三日間の旅行を終えた直後だとは思えない溌剌さを見せる彼女を、麻斗はようやく人気のない廊下の端まで引っ張った。既に廊下を行き交う数十人の視線を浴びた後で、彼らの「相変わらずだ」という心の声が痛いほど聞こえる。
「すっかり油断してた」
「油断ってなによ。ほらこれ」
「なに?」
「さっき言ったじゃんかあ。お土産。可愛い君にぴったりだよ」
「可愛いとか言うな」
 嬉しくない褒め言葉にぼやきながら、麻斗は彼女が鞄から出した小さな紙の箱を受け取る。片手に軽く乗る程度の紙箱はシンプルで、仄かな品があった。訝しみながら麻斗は蓋を開けてみる。
 入っていたのは、四つに折り畳まれた、水色のちりめん生地のハンカチ。生地をそっと指先でなぞった彼は、ふと目を見張った。
「これって……」
「そう。麻斗にぴったりでしょ。あーでもないこーでもないって、探すの大変だったんだから」
 涼しげなハンカチの隅には、ピアノの鍵盤が刺繍されていた。ドレミにかけての白鍵が三つ並び、その間に重なるようにして黒鍵が二つ。上部には、尾を伸ばした小さな黒い八分音符が一つ。
「あとこれね、お父さんにも渡して」
「父さんにも?」
「うん。流石にさ、全くのお揃いじゃ恥ずかしいかなと思って。でも何なら喜んでくれるかわかんないからさあ」
 彼女がもう一つ差し出した、同じく白い小箱を開けてみる。丁寧に折りたたまれた色違いの白いハンカチ。同じように隅に刺繍があるが、それは鍵盤ではなく、四葉のクローバーとそこに留まる可愛らしいてんとう虫だ。
「ほんとに、いいんですか」
「いいよ。今更駄目だなんてケチなこと言わないよ」
 けらけらと笑ってみせる彼女に対し、彼はもごもごと口を動かし視線を僅かに伏せさせた。下唇を軽く噛んで躊躇いながら小さく口を開く。
「あ……ありがとう、ございます……」
 彼は決して礼を欠く人間ではないが、常に夏実に振り回されている日常において、礼を言う状況など滅多にないことだった。
 そんな言い慣れない台詞を口ごもる彼を夏実は凝視する。変な音がすると彼が思ったのは、そんな彼女が「くぅー」と喉の奥で薬缶が沸騰するような奇妙な甲高い声を出していたからだった。
「麻斗めっちゃかわいい! もーめちゃめちゃ好き!」
「迫るな、抱きつくな!」
 両手を伸ばして迫ってくる夏実を回避しながら、麻斗が逃げ惑う。五月の陽光に包まれる、星ヶ丘中学校には、三日ぶりにいつもの光景が戻ってきていた。
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