百万回目の大好き

柴野日向

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3章 百万回目の大好き

19-1

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「雪が、降ってるね」
 電話の向こうで、麻斗が「うん」と呻くのが聞こえた。
「息も白いよ」
 そう、と消え入りそうな声が聞こえた。

 もう三日も麻斗が学校に来ていないと知ったとき、夏実はいてもたってもいられなくなった。だが、彼を裏切った自分がのらくらと会いに行けるわけがない。学校に行けだなんて、上から目線の口を効けるはずがない。二度と会話をしてくれなくたって、仕方のないことをしたのだ。
 だから、出てくれるとは正直思わなかった。朝の、ほんのちょっとの時間。星降川の川原を歩きながら電話をかけると、彼は返事をした。
 もう、夏実は無作法に彼に触れる真似はしなかった。そっと、そうっと、手のひらを添えるように言葉を選び、抱きつくのをやめて指先で触れた。少しでも力を入れれば壊れてしまいそうに、今の彼には力がなかった。
「お父さんとは、大丈夫」
 少し時間をおいて、彼はうんと頷いた。一応、と小声で付け足した。よかったとは、夏実は口に出さなかった。そんな偉そうな台詞は吐けなかった。

 本当は学校なんか放り出して、今すぐに、冷え切った彼の心ごと抱きしめたい。

「早く、春になってほしいね」
「そうだね」

 声を聞くたび、泣きそうになる。胸が詰まって、窒息しそうになってしまう。

「冬の空気は、綺麗だね」
「うん」

 幾日も、朝のちょっとした時間だけ、夏実は麻斗に電話をかけた。夏実の脳裏には、あの部屋でひとりっきり、膝を抱えて蹲る冷たい彼の姿があった。想像するだけで苦しくなって、だから話を続けた。彼はもはや相槌しか打たなかったが、声を聞かせてくれるだけで良かった。


 ある日の放課後、曇り空の下を歩いて帰っていると、夏実は声をかけられた。
「寒いっすね」
 そう言って笑う五樹を見ていると、自然と笑顔がこぼれてくる。彼と茜には、全てを話していた。あの手紙のことも、未だに好きでたまらないことも、毎朝の電話のことも。
「あれ、いっくん今日こっち?」
「ああ、あいつんとこにプリント届けに行くんっすよ。迷惑っすよね、こんな寒い日に人のことパシリにするんだから」
 鞄からプリントの入ったファイルを覗かせて、彼は苦笑する。どうやら五樹は、学校に行かなくなってしまった彼の元を、既に何度か訪れているようだった。
「別に普通……ってわけには流石にいかないっすけど。なんかしょぼんってして。学校サボって、何してるんすかね。夏実さんは、家にはいかないんすか」
「行けないよ。だって、私のせいなんだから」
「ふうん。そうなんっすかねえ」
 五樹はそう、麻斗のことを説明する。
 雪は止んでいるが、いつ降り出してもおかしくはない。冷えた手を互いにこすり、マフラーに顔をうずめ、星降川を横断する大きな橋を渡る。
「でも、電話はしてるんでしょ」
「うん……。だけど、殆ど返事してくれない」
「薄情なやつ」
「声が聞けるだけ、私は嬉しいんだけどね」
「へえ」
 感心を口にする五樹は、呆れたふうに笑う。
「本当に、夏実さんはあいつのこと好きなんすね」
 幸せもんだなあ。そうも付け足す。
「ま、大丈夫っすよ」
「大丈夫って、何が?」
「心配なんでしょ、またあいつが自殺しようとしないか。一人でそんなこと考えてるんじゃないかって」
 単刀直入な言葉に、夏実は思わず言葉をなくす。そしてその通りだと思い知る。何が一番不安なのかと問われれば、そうだ、彼が再度悪いことを考えて、実行してしまわないかということだ。
「夏実さん、麻斗は強い奴じゃないけど、多分俺らが思ってるよりも弱くはないっすよ。あの時も、滅茶苦茶反省してたじゃないっすか。もう絶対、二度としないって」
「でも、万が一ってことがあるかもしれないよ」
「そりゃ、百パーセントとはいえないっすけど。でも、現にこうして、俺が会いに行ったり夏実さんが電話したりしてるじゃないっすか。そんなら、あとはあいつの戦いっすよ。俺らは麻斗を信じるしかない」
 五樹の台詞は、言葉だけ見て取れば随分と投げやりだ。だが、その声には相手を決して見限らない芯があった。
「信じるって、それなら私も信じてるよ。また、学校に来て、みんなと笑ってくれるって。元気になってくれるって」
「じゃあ、もし麻斗が学校を辞めたら……まあ、中学辞めるなんておかしいっすけど。そしたら夏実さんは、期待はずれだって言うんすか」
 言ってから、五樹は軽く手を振った。
「あ、責めてるつもりじゃないっすよ。ただそれは、あいつを信じるってのとはちょっと違うなと思って」
「違うって、どういうこと」
「俺は別に、あいつがこのまま引きこもりになっても、二度と笑わなくなっても、それが結果なら仕方ないと思うんすよ。多分どこかで後悔はするだろうけど、頑張った結果がそれなら、受け入れるしかない。だから俺は、あいつの友達は辞めないっすよ」
 何があっても友達でいるという、五樹の力強い言葉だった。
「元通りになってほしいっていうのは、俺たちの勝手な望みじゃないっすか。それを信じるなんてのは、都合が良すぎると思うんすよね。最後にはなるようにしかならないんだから、麻斗自身を信じてやって、傍にいるしかないんすよ。いつか助けてって言われた時に、いつでも助けられるように。……まああいつ、中々いわないっすけどね」
 そう言って彼は笑った。
 余計な口を挟まず、それでもすぐに助けられる距離でただ見守っている。それが彼のやり方であり、だからこそ仲の良い友達でいられるに違いない。

 団地で少し立ち話をして、それぞれ手を振って別れた。いつの間にか降り出した雪のせいか、身体はすっかり冷え切り、息を吸えば肺が凍るようだった。夏実は三階へ、五樹は隣の棟の五階へ向かっていく。
「……本当に、幸せ者だなあ」
 白い息と共に小さな声を吐き出し、夏実は振り返り彼の背中を見送った。
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