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1章 邂逅
それぞれの物語2
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「あんたは、こうしてていいの? 今日帰らなくて、怒られたりしないの」
二人で潜る毛布の中、少女は少年に問いかけた。
「友だちの家に行くって言ったら、何も聞かれなかった」彼は少し困ったような、苦笑いを浮かべる。「友だちなんて、いないのに」そう付け足す不器用な彼は、普段隠している目元で、上手に笑えていなかった。そこには既に一つ諦めきった鬱屈した暗さがあった。
「そんなんで、いいの」
「弟が生まれて、まだ三歳で。両親はつきっきりだから。ぼくはもう十五になるし、気にしてなんて言えないよ」
「まだ十五でしょ」
「もうだよ」
「まだ」
そうして彼は少しだけ、自分のことを彼女に教えた。
自分が生まれた後に母が出合い、四つの年に結婚した相手が、今現在ともに暮らしている父親。その後十一の時に生まれた両親の唯一の息子が、今の幼い弟。
彼が可愛がっている弟は、父親の異なる兄弟だった。
短く伝える少年の口調に、悲しみや孤独といったマイナスの空気はなく、事実だけを淡々と述べていた。
「これから、卒業したらどうするの。高校は?」
「行かないよ。行きたくない。学校が、好きじゃないんだ」
卒業後は好きにしろと、両親は彼に言った。まだ幼い弟には今後もさらに金がかかるから、以降の学費は出せないということだった。それなら行きたくもない高校に苦労して働きながら通うよりも、家を離れてどこか遠くへ行ってしまいたい。それが彼の望みであり、そのためにも新聞配達をして少しでも金を貯めているのだと説明した。
裕福ではないという以前の彼の台詞に納得し、少女はくすりと笑った。
「あんたも恵まれないね。一ノ瀬広樹くん」
少女が初めて口にする名前がさらりと流れたことに、少年は驚いて目を見開く。
「どうして……。ぼく、名前教えましたっけ」
「さあ、なんでだろね」
「まさか、学校の誰かとか……」
「違うよ。あんたの同級生なんて一人も知らない」
いたずらっぽい彼女の顔に、少年はどこかほっとした表情を見せた。
「それなら……専売所で聞いたんですか」
「そこまでするわけないじゃん。ストーカーかよ」
自分と彼女の繋がり、名前を知る可能性を片っ端から探っている少年に、少女は少し意地悪く笑った。
「律儀よね、いちいち手帳にまで名前書いてるなんて」
その言葉に、少年は、あっと小さく声を上げた。勝手に彼から手帳を取り上げた際、裏表紙に書かれていた彼の名前を、彼女は目にしていた。表紙の右下には極めて小さく丁寧な文字で、持ち主の名前が記載されていた。
「だって、もし落としたときに名前があれば、戻ってくるかもしれないから」
「そんなに大切なの、あの手帳」
その通りだと彼は頷いた。二年以上使い続けている手帳は、彼にとって決して失くしたくない大事なものだった。
「それに、あなたが勝手に見たんじゃないですか」
「名前まで書いてるなんて思わないもん」
珍しく口を尖らせる少年に、少女はふふんと笑ってみせると、どこか不満げな彼を宥めるように言った。「いい名前じゃん。親の愛があって」
突然の誉め言葉に、少年はシーツを頬でこすって小さく首をひねった。
「そうですか」
「うん。私はそう思う」
深いくせに、単純なやつ。たちまち文句を引っ込め、むしろ嬉しそうな気配さえ見せる彼の様子が、少女にとっては微笑ましい。
「桜庭さん」やがて、彼はほんの一歩だけ彼女の領域に踏み込んだ。「あなたの名前は、何ですか」
「苗字は知ってるんだ」
「毎朝表札見てますから」
「桜庭菜々。菜っ葉の菜が二つね。簡単でしょ」
おどけた彼女の口調に、ようやく彼女の名前を知った彼は、優しく笑う。
「いい名前ですね。言いやすくて、可愛らしくて」
そんな率直な言葉に、彼女の方が照れくさくなってしまう。だが不思議と、彼の口にする「可愛らしい」という言葉には嫌気どころか嬉しささえ感じてしまう。
「言いやすいなら、覚えた? 二文字しかないよ」
「覚えました。忘れません」
今になってやっと知ることになった名前を、彼ははっきり忘れないと言った。
「ぼくの名前は、広樹です。広いの広に、樹木の樹です」
「見たから知ってるよ」
「よかったら、覚えていてください」
「珍しくもないし。覚えといてあげる」
クラスの連中の名前など、どれだけ聞いても目にしても記憶にとどめる必要性さえ感じずに忘れてしまう。だがこの名前だけは、決して消さないで覚えていよう。
わざと恩着せがましい台詞を被せた少女が可笑しくなって笑うと、随分と表情を見せるようになった彼も、静かな声とともに笑った。
結局目を閉じてしまうことはなく、しばらく取り留めのない言葉を行き交わし、夜の明けないうちに二人は帰ることにした。
しかし、いざ部屋を出ようと鞄を肩にかけた少女が顔を向けると、元の制服姿に着替えた少年はドアの前で足を止めてどこか顔を俯かせていた。気まずく逸らしかける目線を何とか彼女に移し、言いにくそうに小さく口を開いた。
「あの、本当に、今更なんだけど……。あなたは、大丈夫って、言ってくれたけど……もしも……」
年上の少女が泣いてしまうような台詞を口にするくせに、年齢の割にどこか子どもじみていて恥ずかしがりやな彼は、先を続けられない。もしもに繋がる言葉を口に出せない。
しかし、彼の言いたいことを理解した彼女は、何をいまさらと笑った。
「万が一ってことでしょ」
ばつが悪く、俯いてしまった少年はこくりと頷いた。事の重大さを今になって思い返し、叱られる子どものようにすっかり項垂れてしまっている。
「終わってから言うこと? 馬鹿じゃない」
大丈夫じゃなければ、すでに手遅れだ。今まで気づかなかった自身を責めるように、肩を落とす彼は何も言えなくなってしまった。
先ほどまで幾度も自分を慰めて笑ってくれた表情がまるで嘘のようで、少女は少し言い過ぎたかなと、彼の様子が次第に可哀想に思えてくる。
「大丈夫よ。言ったじゃん、私。ほら、これ」
彼女は肩に下げている鞄のチャックを開いた。水色のポーチを取り出すと、底板の裏に新品のナイフを隠しているそれを床に置く。
「なにかわかる?」
「……くすり?」
少女がポーチから取り出し指の間に挟んでいる銀色のシートを見て、彼は眉をひそめた。シートからは既に二錠分が姿を消している。
「ピルってさ、あんたでも聞いたことぐらいあるでしょ。その叔父さんが飲めってくれんのよ。生理周期遅らせる薬なんだけど、便利だよね、保険になるなんて」
だから平気なのだと、少女はけらけらと笑った。あの勇気のない非道徳野郎はいつだってこれを渡して念押ししてくる。この錠剤のおかげで最悪の事態を免れられるのだが、これがなければ最初からこの屈辱は存在しなかったのかもしれない。そんな堂々巡りな思考すら今では馬鹿馬鹿しく感じられ、それも踏まえて彼女は軽い笑い声をあげた。
なのに、彼は彼女の声に露とも誘われず、眉根を寄せて難しい表情を見せた。
「ずっと、使ってるんですか」
「そうよ。じゃないと、大変じゃない」
少女の肯定に、少年は安堵や同意といったプラスの感情を見せない。彼女を見据える真剣な眼差しは、少女には理解しがたい、どこか怒りに似た空気を秘めていた。
「それは、その叔父さんのために」
「別にあの人の為なんかじゃないし。でも、しょーがないでしょ」
「そんなの、よくない。薬まで使って、こんなこと」
「違法ドラッグだとか言ってるわけじゃないじゃんか」
「そうじゃなくって」
これしか方法がないというのに、彼は一体何を嫌がり、初めての反抗を見せるのか。真意をくみ取れない少女は、次第に募る彼への苛立ちに声を荒げた。
「なに、あんた、飲むなってこと? 私が妊娠でもすればいいって言ってんの。誰の子どもよ、叔父さん、それともあんた? わかんないの、私の人生壊したいつもり?」
身を乗り出す少女に、少年も強く首を横に振り、これまで聞かせたことのない大声を上げた。
「違う! そういう意味じゃない!」
「どういう意味よ! 飲まないと大変なことになるってのに、何が嫌なのよ!」
「だって……!」
「めんどくさいな、はっきり言いなよ!」
春の訪れのように穏やかだった空気は、一変して音を立てて固まってしまった。その中で響く少女の悲鳴のような言葉に、少年は否定の声を詰まらせる。情けなく口角を下げ、辛そうに顔をゆがませ、伸びた前髪の内側で目を伏せる。
「だって、それを飲んでる間は、あなたはずっと、こんなことを、させられる……。自分の体まで傷つけて、好きでもない人と、こんなことを……。それを飲むっていうのは、そういうことだから」
悲しげな視線で、少年は少女の手の中にある錠剤を見つめた。
彼には、彼女の境遇が辛かった。自らの身体とたった一つの心を犠牲にし、指先ほどの錠剤で救われたと感じてしまうほどに傷つけられた彼女のこれまでが。そしてこれからも傷つき続ける場所に置かれている現実が、悲しかったのだ。
「それは、あなたがずっと、傷ついて……望まないことを、させられるってことだから……」
だが彼にも彼女の言い分は十二分にわかっていた。残酷な現状で、その薬が辛うじて彼女自身を守る手段であることぐらい、承知している。だからこそ、彼は反対しながらも言葉尻をすぼめ、無力な不甲斐なさに潰れるように下を向いてしまった。
そんな少年の想いを知り、少女の胸の奥に苦しさが生まれる。さっき散々涙を流したはずなのに、また同じように心が熱くなる。
「後付けで文句なんか言わないでよ。それならどうすりゃいいのよ、馬鹿」
潰れる喉で振り絞ると、彼は「ごめんなさい」とこれまで幾度も彼女に聞かせた台詞を呟いた。
咄嗟の小さな痛みに、彼が思わず瞑った瞼を再び開いたころ、顔を見せる前に少女は伸ばした両腕で少年を抱きしめた。
「ありがと」
そう言って肩に頭を乗せると、未だに彼女に触れていいのかと戸惑っていた少年も、やがて腕を回して抱き返した。
少年は、少女に初めての言葉をたくさん与える。想像など微塵もせず、期待さえしなった台詞を幾度もかける。
今だって、嬉しくてたまらない。少女は彼の頬に頬を当て、幸福を噛み締めた。こうして怒ってくれる誰かがいるなんて。いつも大人しく穏やかで、からかわれても反発さえしない少年が、やっとみせた怒りの表情が、今この時だなんて。
二人で潜る毛布の中、少女は少年に問いかけた。
「友だちの家に行くって言ったら、何も聞かれなかった」彼は少し困ったような、苦笑いを浮かべる。「友だちなんて、いないのに」そう付け足す不器用な彼は、普段隠している目元で、上手に笑えていなかった。そこには既に一つ諦めきった鬱屈した暗さがあった。
「そんなんで、いいの」
「弟が生まれて、まだ三歳で。両親はつきっきりだから。ぼくはもう十五になるし、気にしてなんて言えないよ」
「まだ十五でしょ」
「もうだよ」
「まだ」
そうして彼は少しだけ、自分のことを彼女に教えた。
自分が生まれた後に母が出合い、四つの年に結婚した相手が、今現在ともに暮らしている父親。その後十一の時に生まれた両親の唯一の息子が、今の幼い弟。
彼が可愛がっている弟は、父親の異なる兄弟だった。
短く伝える少年の口調に、悲しみや孤独といったマイナスの空気はなく、事実だけを淡々と述べていた。
「これから、卒業したらどうするの。高校は?」
「行かないよ。行きたくない。学校が、好きじゃないんだ」
卒業後は好きにしろと、両親は彼に言った。まだ幼い弟には今後もさらに金がかかるから、以降の学費は出せないということだった。それなら行きたくもない高校に苦労して働きながら通うよりも、家を離れてどこか遠くへ行ってしまいたい。それが彼の望みであり、そのためにも新聞配達をして少しでも金を貯めているのだと説明した。
裕福ではないという以前の彼の台詞に納得し、少女はくすりと笑った。
「あんたも恵まれないね。一ノ瀬広樹くん」
少女が初めて口にする名前がさらりと流れたことに、少年は驚いて目を見開く。
「どうして……。ぼく、名前教えましたっけ」
「さあ、なんでだろね」
「まさか、学校の誰かとか……」
「違うよ。あんたの同級生なんて一人も知らない」
いたずらっぽい彼女の顔に、少年はどこかほっとした表情を見せた。
「それなら……専売所で聞いたんですか」
「そこまでするわけないじゃん。ストーカーかよ」
自分と彼女の繋がり、名前を知る可能性を片っ端から探っている少年に、少女は少し意地悪く笑った。
「律儀よね、いちいち手帳にまで名前書いてるなんて」
その言葉に、少年は、あっと小さく声を上げた。勝手に彼から手帳を取り上げた際、裏表紙に書かれていた彼の名前を、彼女は目にしていた。表紙の右下には極めて小さく丁寧な文字で、持ち主の名前が記載されていた。
「だって、もし落としたときに名前があれば、戻ってくるかもしれないから」
「そんなに大切なの、あの手帳」
その通りだと彼は頷いた。二年以上使い続けている手帳は、彼にとって決して失くしたくない大事なものだった。
「それに、あなたが勝手に見たんじゃないですか」
「名前まで書いてるなんて思わないもん」
珍しく口を尖らせる少年に、少女はふふんと笑ってみせると、どこか不満げな彼を宥めるように言った。「いい名前じゃん。親の愛があって」
突然の誉め言葉に、少年はシーツを頬でこすって小さく首をひねった。
「そうですか」
「うん。私はそう思う」
深いくせに、単純なやつ。たちまち文句を引っ込め、むしろ嬉しそうな気配さえ見せる彼の様子が、少女にとっては微笑ましい。
「桜庭さん」やがて、彼はほんの一歩だけ彼女の領域に踏み込んだ。「あなたの名前は、何ですか」
「苗字は知ってるんだ」
「毎朝表札見てますから」
「桜庭菜々。菜っ葉の菜が二つね。簡単でしょ」
おどけた彼女の口調に、ようやく彼女の名前を知った彼は、優しく笑う。
「いい名前ですね。言いやすくて、可愛らしくて」
そんな率直な言葉に、彼女の方が照れくさくなってしまう。だが不思議と、彼の口にする「可愛らしい」という言葉には嫌気どころか嬉しささえ感じてしまう。
「言いやすいなら、覚えた? 二文字しかないよ」
「覚えました。忘れません」
今になってやっと知ることになった名前を、彼ははっきり忘れないと言った。
「ぼくの名前は、広樹です。広いの広に、樹木の樹です」
「見たから知ってるよ」
「よかったら、覚えていてください」
「珍しくもないし。覚えといてあげる」
クラスの連中の名前など、どれだけ聞いても目にしても記憶にとどめる必要性さえ感じずに忘れてしまう。だがこの名前だけは、決して消さないで覚えていよう。
わざと恩着せがましい台詞を被せた少女が可笑しくなって笑うと、随分と表情を見せるようになった彼も、静かな声とともに笑った。
結局目を閉じてしまうことはなく、しばらく取り留めのない言葉を行き交わし、夜の明けないうちに二人は帰ることにした。
しかし、いざ部屋を出ようと鞄を肩にかけた少女が顔を向けると、元の制服姿に着替えた少年はドアの前で足を止めてどこか顔を俯かせていた。気まずく逸らしかける目線を何とか彼女に移し、言いにくそうに小さく口を開いた。
「あの、本当に、今更なんだけど……。あなたは、大丈夫って、言ってくれたけど……もしも……」
年上の少女が泣いてしまうような台詞を口にするくせに、年齢の割にどこか子どもじみていて恥ずかしがりやな彼は、先を続けられない。もしもに繋がる言葉を口に出せない。
しかし、彼の言いたいことを理解した彼女は、何をいまさらと笑った。
「万が一ってことでしょ」
ばつが悪く、俯いてしまった少年はこくりと頷いた。事の重大さを今になって思い返し、叱られる子どものようにすっかり項垂れてしまっている。
「終わってから言うこと? 馬鹿じゃない」
大丈夫じゃなければ、すでに手遅れだ。今まで気づかなかった自身を責めるように、肩を落とす彼は何も言えなくなってしまった。
先ほどまで幾度も自分を慰めて笑ってくれた表情がまるで嘘のようで、少女は少し言い過ぎたかなと、彼の様子が次第に可哀想に思えてくる。
「大丈夫よ。言ったじゃん、私。ほら、これ」
彼女は肩に下げている鞄のチャックを開いた。水色のポーチを取り出すと、底板の裏に新品のナイフを隠しているそれを床に置く。
「なにかわかる?」
「……くすり?」
少女がポーチから取り出し指の間に挟んでいる銀色のシートを見て、彼は眉をひそめた。シートからは既に二錠分が姿を消している。
「ピルってさ、あんたでも聞いたことぐらいあるでしょ。その叔父さんが飲めってくれんのよ。生理周期遅らせる薬なんだけど、便利だよね、保険になるなんて」
だから平気なのだと、少女はけらけらと笑った。あの勇気のない非道徳野郎はいつだってこれを渡して念押ししてくる。この錠剤のおかげで最悪の事態を免れられるのだが、これがなければ最初からこの屈辱は存在しなかったのかもしれない。そんな堂々巡りな思考すら今では馬鹿馬鹿しく感じられ、それも踏まえて彼女は軽い笑い声をあげた。
なのに、彼は彼女の声に露とも誘われず、眉根を寄せて難しい表情を見せた。
「ずっと、使ってるんですか」
「そうよ。じゃないと、大変じゃない」
少女の肯定に、少年は安堵や同意といったプラスの感情を見せない。彼女を見据える真剣な眼差しは、少女には理解しがたい、どこか怒りに似た空気を秘めていた。
「それは、その叔父さんのために」
「別にあの人の為なんかじゃないし。でも、しょーがないでしょ」
「そんなの、よくない。薬まで使って、こんなこと」
「違法ドラッグだとか言ってるわけじゃないじゃんか」
「そうじゃなくって」
これしか方法がないというのに、彼は一体何を嫌がり、初めての反抗を見せるのか。真意をくみ取れない少女は、次第に募る彼への苛立ちに声を荒げた。
「なに、あんた、飲むなってこと? 私が妊娠でもすればいいって言ってんの。誰の子どもよ、叔父さん、それともあんた? わかんないの、私の人生壊したいつもり?」
身を乗り出す少女に、少年も強く首を横に振り、これまで聞かせたことのない大声を上げた。
「違う! そういう意味じゃない!」
「どういう意味よ! 飲まないと大変なことになるってのに、何が嫌なのよ!」
「だって……!」
「めんどくさいな、はっきり言いなよ!」
春の訪れのように穏やかだった空気は、一変して音を立てて固まってしまった。その中で響く少女の悲鳴のような言葉に、少年は否定の声を詰まらせる。情けなく口角を下げ、辛そうに顔をゆがませ、伸びた前髪の内側で目を伏せる。
「だって、それを飲んでる間は、あなたはずっと、こんなことを、させられる……。自分の体まで傷つけて、好きでもない人と、こんなことを……。それを飲むっていうのは、そういうことだから」
悲しげな視線で、少年は少女の手の中にある錠剤を見つめた。
彼には、彼女の境遇が辛かった。自らの身体とたった一つの心を犠牲にし、指先ほどの錠剤で救われたと感じてしまうほどに傷つけられた彼女のこれまでが。そしてこれからも傷つき続ける場所に置かれている現実が、悲しかったのだ。
「それは、あなたがずっと、傷ついて……望まないことを、させられるってことだから……」
だが彼にも彼女の言い分は十二分にわかっていた。残酷な現状で、その薬が辛うじて彼女自身を守る手段であることぐらい、承知している。だからこそ、彼は反対しながらも言葉尻をすぼめ、無力な不甲斐なさに潰れるように下を向いてしまった。
そんな少年の想いを知り、少女の胸の奥に苦しさが生まれる。さっき散々涙を流したはずなのに、また同じように心が熱くなる。
「後付けで文句なんか言わないでよ。それならどうすりゃいいのよ、馬鹿」
潰れる喉で振り絞ると、彼は「ごめんなさい」とこれまで幾度も彼女に聞かせた台詞を呟いた。
咄嗟の小さな痛みに、彼が思わず瞑った瞼を再び開いたころ、顔を見せる前に少女は伸ばした両腕で少年を抱きしめた。
「ありがと」
そう言って肩に頭を乗せると、未だに彼女に触れていいのかと戸惑っていた少年も、やがて腕を回して抱き返した。
少年は、少女に初めての言葉をたくさん与える。想像など微塵もせず、期待さえしなった台詞を幾度もかける。
今だって、嬉しくてたまらない。少女は彼の頬に頬を当て、幸福を噛み締めた。こうして怒ってくれる誰かがいるなんて。いつも大人しく穏やかで、からかわれても反発さえしない少年が、やっとみせた怒りの表情が、今この時だなんて。
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