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5章 苦境
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「翔太、呼んでるぞ」
昼休み、席にやって来た五十川が出入口の方を指した。席替えで中央列の後方になった翔太が見やると、教室前方のドアの脇に凛がいた。
「ほんとに仲良いのな」
「変な言い方するなよ」
意味ありげに笑う彼に返して、翔太は廊下に出る。校舎内には昼休みの若々しい喧騒が溢れているが、彼女は笑うのではなく至って真剣な表情をしていた。
「ニュース、見た?」
彼女の第一声はそれだったが、翔太にもその意味は理解できた。「見たよ」と答える。
今朝のニュースは、二人の住む小さな若葉町にとっての大事件だった。疑心暗鬼の町でまたも窃盗が起きた。いや、今回は強盗事件だった。
真夜中、一軒家に住む老婦人が刃物で刺され重傷を負った。物音に気付いて階下に下り、犯人と鉢合わせたのでは。妻の悲鳴で目を覚まし、救急車を呼んだ夫はそう証言する。犯人はすぐさま逃亡し、刺された妻は意識不明の重体。
家の一階には物色された形跡があり、実際にネックレスや指輪といった高価なものが盗まれていた。このことから警察は、一連の窃盗事件と関わりがあるとみて捜査しているらしい。
「犯人、まだ捕まってないんだって」
凛は心細そうに言う。若葉町から通っているのは学年に二人だけだったが、その外部に住んでいる生徒たちも興味深げにその事件を語り合っている。凛が恐怖をあおられるのも無理はない。あの小さな町に、人を刺すことも厭わない犯人が潜んでいるのだ。
「家族に、駅まで迎えに来てもらったら」
「でも、叔父さんも叔母さんも仕事中なのに、そんなの頼めないよ」
そんな問題じゃないと言いかけて、翔太は口をつぐむ。凛は家族に強く出ることが出来ないのだ。彼女の家族間の問題に、自分が下手に口出ししてもいいとは思えない。
「私はいいよ、駅ついたらすぐだから」不安げに彼女が見上げる。「それより、翔太はどうするの」
「俺は平気だよ。自転車だから、歩くことないし」
その言葉に凛は顔をしかめた。
「平気じゃないよ。先生も言ってたでしょ、出来るだけ一人では帰るなって。誰か、途中まででも一緒に帰る人いないの」
そう言われても、自転車で通うクラスメイトを翔太はほとんど知らない。入学してひと月も経たない時点では、クラス外の誰かと仲良くなる時間もない。自分より短い距離の生徒も、電車通学が当然なのだ。
「いないけど……。大丈夫だって」
「大丈夫じゃない、何かあってからじゃ遅いんだよ」
「何かあっても、すぐ逃げるから」
「逃げ足の問題じゃないよ」
凛のしつこさに少し苛立ち、ほっといてくれと言いかけた。
だがその台詞は出てこなかっただけか、そう思った罪悪感が湧いてきた。じっと自分を見つめる凛の瞳が、泣き出しそうに濡れていたからだ。
「私だって、心配してるの。ここで翔太を説得できなくて、もしも何かがあったら、私は一生後悔する」
「そこまで心配しなくても……」頭をかきながら、彼女の言った台詞はかつて自分が彼女にかけた台詞だと思い出す。あの時彼女は素直に言うことを聞いてくれた。今はそれが逆なだけだ。
「若葉町の駅まで、一緒に電車で帰ろう」
「……けど俺、金ないから」
「それぐらい、私が出す」
「そんなの、悪いって」
「悪くない。これで翔太の無事が買えるなら安いもんだよ。ね、お願い」
自分はなんて野郎なんだと翔太は呆れてしまった。女の子に自分の無事を祈らせて、懇願させて、あげくに泣き出しそうな顔までさせて。今わがままを言っているのは、明らかにこちらの方だ。
「……わかった」呻くと、凛はぱっと顔をほころばせる。「ひとつだけ、条件つけてもいい」そう付け足すと、彼女は途端に不審な顔をする。
「条件って」
「凛の家まで送っていく。俺だって心配なんだ」
「でも、それじゃあ翔太が遠回りになるよ」
「せいぜい十分か十五分とか、そんなんだろ。金出してもらうんだし、これぐらいさせてよ。嫌だって言うなら、今日も自転車で帰る」
翔太の卑怯な台詞に、凛は咄嗟に反論しようと口をもごもごさせた。だが上手い言葉が思いつかなかったらしい。やがて頷くと、「いじわる」とだけ呟いた。
「いいよ、いじわるで。……それより、部活はどうするの」
「犯人が捕まるか、せめてゴールデンウィークになるまでお休みすることにしたよ」
「入ったばっかりなのに、いいの」
「部長さんから連絡あったの。この近くの人だけでしばらく活動するから、遠い人は早めに帰っていいって。だから、心配しないで」
凛はそう言うが、翔太は実に不快な気分になった。彼女は入学前から入りたがっていた手芸部にようやく入部できたのに、ひと月も経たないうちに活動休止に追い込まれている。この現状を作った犯人が憎らしい。
「そんな顔しないで」あまりに憮然とする翔太に彼女は笑ってみせる。
「だけどさ」
「やろうと思ったら、家でもできるんだし。この間に上達して、みんなをびっくりさせるんだ」いさむ彼女はどこまでも前向きだ。
それでも早く犯人が捕まって、彼女が安心できるようになればいい。帰りの約束をしながら、翔太はそう祈った。
昼休み、席にやって来た五十川が出入口の方を指した。席替えで中央列の後方になった翔太が見やると、教室前方のドアの脇に凛がいた。
「ほんとに仲良いのな」
「変な言い方するなよ」
意味ありげに笑う彼に返して、翔太は廊下に出る。校舎内には昼休みの若々しい喧騒が溢れているが、彼女は笑うのではなく至って真剣な表情をしていた。
「ニュース、見た?」
彼女の第一声はそれだったが、翔太にもその意味は理解できた。「見たよ」と答える。
今朝のニュースは、二人の住む小さな若葉町にとっての大事件だった。疑心暗鬼の町でまたも窃盗が起きた。いや、今回は強盗事件だった。
真夜中、一軒家に住む老婦人が刃物で刺され重傷を負った。物音に気付いて階下に下り、犯人と鉢合わせたのでは。妻の悲鳴で目を覚まし、救急車を呼んだ夫はそう証言する。犯人はすぐさま逃亡し、刺された妻は意識不明の重体。
家の一階には物色された形跡があり、実際にネックレスや指輪といった高価なものが盗まれていた。このことから警察は、一連の窃盗事件と関わりがあるとみて捜査しているらしい。
「犯人、まだ捕まってないんだって」
凛は心細そうに言う。若葉町から通っているのは学年に二人だけだったが、その外部に住んでいる生徒たちも興味深げにその事件を語り合っている。凛が恐怖をあおられるのも無理はない。あの小さな町に、人を刺すことも厭わない犯人が潜んでいるのだ。
「家族に、駅まで迎えに来てもらったら」
「でも、叔父さんも叔母さんも仕事中なのに、そんなの頼めないよ」
そんな問題じゃないと言いかけて、翔太は口をつぐむ。凛は家族に強く出ることが出来ないのだ。彼女の家族間の問題に、自分が下手に口出ししてもいいとは思えない。
「私はいいよ、駅ついたらすぐだから」不安げに彼女が見上げる。「それより、翔太はどうするの」
「俺は平気だよ。自転車だから、歩くことないし」
その言葉に凛は顔をしかめた。
「平気じゃないよ。先生も言ってたでしょ、出来るだけ一人では帰るなって。誰か、途中まででも一緒に帰る人いないの」
そう言われても、自転車で通うクラスメイトを翔太はほとんど知らない。入学してひと月も経たない時点では、クラス外の誰かと仲良くなる時間もない。自分より短い距離の生徒も、電車通学が当然なのだ。
「いないけど……。大丈夫だって」
「大丈夫じゃない、何かあってからじゃ遅いんだよ」
「何かあっても、すぐ逃げるから」
「逃げ足の問題じゃないよ」
凛のしつこさに少し苛立ち、ほっといてくれと言いかけた。
だがその台詞は出てこなかっただけか、そう思った罪悪感が湧いてきた。じっと自分を見つめる凛の瞳が、泣き出しそうに濡れていたからだ。
「私だって、心配してるの。ここで翔太を説得できなくて、もしも何かがあったら、私は一生後悔する」
「そこまで心配しなくても……」頭をかきながら、彼女の言った台詞はかつて自分が彼女にかけた台詞だと思い出す。あの時彼女は素直に言うことを聞いてくれた。今はそれが逆なだけだ。
「若葉町の駅まで、一緒に電車で帰ろう」
「……けど俺、金ないから」
「それぐらい、私が出す」
「そんなの、悪いって」
「悪くない。これで翔太の無事が買えるなら安いもんだよ。ね、お願い」
自分はなんて野郎なんだと翔太は呆れてしまった。女の子に自分の無事を祈らせて、懇願させて、あげくに泣き出しそうな顔までさせて。今わがままを言っているのは、明らかにこちらの方だ。
「……わかった」呻くと、凛はぱっと顔をほころばせる。「ひとつだけ、条件つけてもいい」そう付け足すと、彼女は途端に不審な顔をする。
「条件って」
「凛の家まで送っていく。俺だって心配なんだ」
「でも、それじゃあ翔太が遠回りになるよ」
「せいぜい十分か十五分とか、そんなんだろ。金出してもらうんだし、これぐらいさせてよ。嫌だって言うなら、今日も自転車で帰る」
翔太の卑怯な台詞に、凛は咄嗟に反論しようと口をもごもごさせた。だが上手い言葉が思いつかなかったらしい。やがて頷くと、「いじわる」とだけ呟いた。
「いいよ、いじわるで。……それより、部活はどうするの」
「犯人が捕まるか、せめてゴールデンウィークになるまでお休みすることにしたよ」
「入ったばっかりなのに、いいの」
「部長さんから連絡あったの。この近くの人だけでしばらく活動するから、遠い人は早めに帰っていいって。だから、心配しないで」
凛はそう言うが、翔太は実に不快な気分になった。彼女は入学前から入りたがっていた手芸部にようやく入部できたのに、ひと月も経たないうちに活動休止に追い込まれている。この現状を作った犯人が憎らしい。
「そんな顔しないで」あまりに憮然とする翔太に彼女は笑ってみせる。
「だけどさ」
「やろうと思ったら、家でもできるんだし。この間に上達して、みんなをびっくりさせるんだ」いさむ彼女はどこまでも前向きだ。
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