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第3話 みのり

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第3話 みのり
 
洋館の一階にカウンターだけのバーがある。夏の午後、オープン前の店の中で、比呂乃は先ほど活けたアンセリウムを眺めながら、子どものころの自分をぼんやり思い出していた。
私は、赤い花を見て考えている。小学校高学年の授業中だった気がする。
この花はなぜ赤いのか、赤く見えるのは私だけだろうか、あるいは同じ赤でも、人それぞれ見え方は違うのか。人間にだけ赤く見えるのだろうか。だとしたら、人間にだけ赤く見える理由は何だろうか、人に美しいと思わせるため?あるいは人に美しいという感情を与えるため?多分そうだ。
人は赤い花を見て美しいと思う。順番は赤い花が先にあって、後からヒトが生まれた。だから、表現としては、人から見て赤い花が赤く見える理由は、人が「美しい」という感情に出逢うためだろう。
授業も聞かずにそういうことを考えるのが好きだった。
人はさまざまで、花に興味がない人や、花を美しいと思わない人がいる。赤い色から波長を考えたり、人体の機能を考察する人もいるだろう。そう、いろんな人がいるから、この世の中はとっても具合が良くて、快適で、結局、自分は自分の価値がある。
さて、大人になると、木蓮が好きになった。こぶしの花も好きだった。マグノリアである。
これには少し理由がある。ある歌をボランティアをしている学生時代に知って、ずっと心に置いておく歌になった。

生きている鳥たちが
生きて飛び回る空を
あなたに残しておいてやれるだろうか
父さんは
眼を閉じてごらんなさい
山が見えるでしょう
近づいてごらんなさい
こぶしの花があるでしょう♪
という歌だ(「私の子どもたちへ」という歌らしいのだが)。
このこぶしの花という歌詞が気になり続けたのである。
今は木に咲く花が好きなのかもしれない。というか木が好きなのか。
木蓮、こぶし、タイサンボク、朴の木、百日紅、梅、桃、えんじゅ、
こぶしの花も好きだが、その実はとても不思議な形をしている。今日も、弁天様から店に出勤する途中、実がなっているこぶしを見てきたが、あれはどういう形で実っていくのか現状では想像がつかない。子供のこぶしに似た実がなるからこぶしなのだというが。
何かをつかもうとする子供のこぶし
あるいは
これをするために生まれてきたんだと
握りしめたこぶし
ああそうかもね。
このところ、いつも自分に問いかけてきた。「子供の頃、何をしていてワクワクした?お絵かきはどんな絵を描いてた?」
どんな歌を歌ってる?誰とどんな遊びしてる?一人の時はどうしてる?
いろいろ思い巡ったところ、私はおしゃべりで(もちろん笑)、そのくせ本音を打ち明ける気質でもなく、今はその相手や機会も少ないということに気づいた。
うちの母親はとても前向きな元気印だ。ただ、聞き上手ではなかったし、私は私で子供の頃は極端に内気で、赤面症だったくらい(本当よ。)。だから、日々の小学校でのワクワク体験を家族に伝えることをしないまま過ごしてきて、そんな癖がついたのかしら。自分で自分にブレーキをかけて呪文をかけていたようなもので、私はそれを解くことにした。
とにかく私は伝えることにした。ドキドキなんかを表現することにした。SNSなんかしたことなかったけど、やり始めた。
始めたばかりだけど、とてもすっきりして、ハマっている。PCの前に座ると、文章が次々浮かんでくる。話したいことがいっぱいあるみたい^^
魂が喜ぶようなことや、生かされてる幸せを分かち合えたらいいな。ゆくゆくは、障害がある仲間たちと、わいわい一緒に作業して、発信できたらいいな。人を癒したり、元気づけたりするものが発信できたらいいな。そんな風なことを純粋に思うようになった。私、実はすごーく情熱家なのよ。
このことがどんなふうに芽を出し花開き、どんな形に実るのか、今はまるで分らないけれど、それは完全にお任せだ。なるようになる。
強烈な蝉しぐれ、つくつくぼうしの鳴き声が響いている。比呂乃は我に返って、時計を見た。いい時間だ。
みのりを唱えながら、比呂乃はノートBOOKをパタンと閉じた。
「木蓮、オープン!!」
 
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