スペ先輩と帰りたい

寿々喜節句

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第十七話 今日は一人で帰りたい

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 朝目覚めても気持ちが晴れやかにならないまま、休むわけにはいかないので、いつも通り登校する。
 こうやって社会の歯車になるのだろうと実感する朝だった。
 まあなんにしても、今日と明日で一学期が終わる。そうすれば開放的な夏休みだ。
 とか思っても、そんなに明るい気にもなれない。
「おっはよー小花ちゃん」
 小平駅に着いたら、いつもより早く登校してきた新が後ろから飛びながら肩を組んできた。
 新はいつでもエネルギッシュだ。
「おはよう、新」
「あれ? なんか元気ないね?」
 私の雰囲気に気が付いたようだ。
「うん。まあね」
「昨日は楽しい下校だったんじゃないの?」
 新は、私と立家君が帰っているところを、テニスコートのどこかから見ていたのだろう。
「いや、全然」
「えー面白い話が聞けると思ったのにー」
「ないよ、そんなの」
「まあ一回でどうこうって話じゃないでしょ」
「何回でもないって」
「そうかな? 立家君って結構人気あるけどね」
 新は私と立家君がどうにかなるのを期待しているのだろうか。だとしたらその期待には答えられそうにない。
 でもこれは私の問題だ。昨日のことを新に話したり、立家君の評価を下げるようなことはしたくない。
 テキトーに相づちを打って、話をはぐらかしながら学校に向かった。


  □◇■◆


 みーちゃんがのんびりと登校してきた。そして先に登校して席についている私を見つけるなり、にやにやしてこっちに来た。
「小花、なんか昨日の話ないの?」
 そう言って、ちらりと立家君に目をやった。
「何にもないよ」
「なんかつまんないなー」
「だって急にバイトが入っちゃったんだもん」
「えーそうなんだ」
 そうだとわかると、みーちゃんは「なんか大変な店長だよね」と言いながら、自分の席に戻っていった。
 そんなことより補習は終わったのだろうか。まあのらりくらりやっちゃうのが、みーちゃんだ。たぶん大丈夫だったのだろう。
 立家君も私と同じように、仲の良い男子に絡まれている。
 昨日の夜、一応立家君に、急に一人で帰ってごめんとラインをしておいた。立家君の態度は嫌だったけれど、だからといって、私が立家君に嫌なことをしていい理由にはならない。そう思ってフォローはしておいた。
 立家君は、急に誘ったわけだし気にしていないと言ってくれたので、とりあえず、一件落着と言ったところだろう。まあ許してないけど。
 私と普段話さない女子もたぶん私と立家君とのうわさをしているような気がする。視線を感じるのだ。
 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが鳴った。
 今日は短縮授業で、四時間で終わる。
 面倒だなと思うけれど、すぐに終わると思うと、気が楽になった。


  □◇■◆


 短縮授業はあっという間に帰りの時間になる。毎日短縮してくれたらいいのに。
 帰りのホームルームの最中、スマホが揺れた。確認すると立家君からだった。
――ねえ、小花さん、今日は一緒に帰れる?
――ごめん、今日もバイト。時間ぎりぎりだから急がないといけないんだ。
 無視しようとも思ったけれど、同じクラスメイトだし角が立つといけないから、それなりに丁寧に返しておく。それに今日のバイトは本当だ。
――そっか。じゃあ夏休みにどこか出かけよう。
 すごいぐいぐい来るじゃん。私、苦手かもな立家君のこと。
――予定が合えばね。
 これは行く気がない誘いに対する「行けたら行く」的な答えだ。察してくれ、立家君。
 すぐに返信がきた。
――うん。ありがとう。合わせるよ。
 はい、苦手。確定しました。こういう人、苦手です。
 どっちにしろこれでメッセージは終わりにしていいだろう。スマホをしまう。
 ホームルームが終わる。
 新とみーちゃんがカラオケに行こうと誘ってくれたけれど、バイトがあるので断った。
 でも今日のバイトは十五時から二十時までだから、本当はのんびり帰っても構わない。だけどなんだか、今日は一人で帰りたかった。
 新とみーちゃんに「じゃあまた明日」と伝えると、二人は一曲でも多く歌いたいと言って足早に教室を出て行った。
 私も立家君に一人で帰ると言った手前、いつもより急いで帰り支度をする。
 鞄を肩にかけて逃げるように教室を出た。
 階段を下りて、ロッカーでローファーに履き替える。もしかしたら私史上一番最速で帰宅しているかもしれない。
 そんな歴史的瞬間に立ち会った人がいた。
「小花さん、帰りか?」
 砂川先輩だった。
「え、あ、はい」
 会いたくない人だった。なんとなく会いたくなかった。
 だから早く帰りたいと思っていたところもあった。
「僕もだ。一緒に帰るか?」
「あ、いや、あの、今日はバイトがあるので、急いで帰ります。すみません」
「そうか。それじゃあ気を付けて」
「は、はい」
 ぎごちなかっただろうか。ちゃんと話が出来ていただろうか。
 私はさらに逃げるように学校を後にした。


  □◇■◆


 バイトは何とかこなせた。でも気持ちは入らなかった。まあお客さんからクレームが入らない程度にはできただろう。
 いつもはバイト先のコンビニまでは自転車で来ている。だけど今日は時間があったので、一度家に帰ってから歩いてここまできた。
 夜から雨が降ると天気予報で言っていたからだ。
 今のところは何とか空が耐えているようで、雨は降っていない。このまま傘を差さずに帰れそうだ。
 と思ったところで気が付く。傘がない。
 うわ、忘れたわ。もやもやした気持ちのまま、色々考えながらだったから、傘持ってくるの忘れたわ。ただ歩いてきただけじゃん。
 最近ついてないな。でも急いで帰れば間に合うかも。雨が降る前に家につけるかも。
 バイトで疲れているけれど、少し走って帰れば大丈夫かもしれない。
 そう覚悟を決めて小走りで帰路についた。
 とはいっても体力があるわけではない。それに空も何とか持ちこたえているので歩いていた。
 家まで半分くらいのところに来たあたりだろうか。急に空がごろごろと機嫌が悪くなってきた。
 ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
 今急げば小雨のうちに帰れるかもしれない。しょうがないから走ることにした。
 だんだんと強くなる雨。本当についていない。泣きたいくらいだ。
 家まではもうちょっとある。あといくつか交差点をこえたらたどり着く。
 一生懸命走っていると、交差点の角から人が飛び出してきた。
「きゃ!」
「うわぁ」
 止まることはできず、ぶつかってしまった。
 お互いしりもちをつく。
 相手の人は傘をさしていたようだから、たぶんこの場合飛び出してきたのは私だ。
「ご、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ申し訳ない。ってあれ? 小花さんか?」
「あ、砂川先輩……」
 さらについていない。よりにもよって相手が砂川先輩だった。
「ここじゃ濡れてしまうから、一度雨宿りしよう」
 先輩は立ち上がりながら言った。
「は、はい」
 私はそう答えると、手を差し伸べてくれた先輩の手を、少し俯きながらも握って立ち上がった。
「先輩、ごめんなさい。それ……」
「大丈夫だ」
 私とぶつかったときに、先輩の荷物が飛んで水たまりに落っこちてしまったようだった。
 なんかほんとついていない。
「寒くないか?」
 先輩が言った。
「少し寒いです」
 雨に濡れたからというのもあるけれど、なんだか気持ち的にもそうだった。
「それじゃあちょっと温かいものでも飲もう」
 そう言って先輩が少し先にあるマクドナルドを指さした。
 私は何も言わず頷くと、先輩が傘をさして、入れてくれた。とぼとぼと歩く。
 店内に人は少なかった。
「僕はホットコーヒーのSをください。砂糖とミルクはいらないです。小花さんは?」
「あの、じゃあ私はキャラメルラテのSサイズで」
 私がお財布を出そうとしたら、先輩が「僕が誘ったからここは僕が出す」と言って制した。Мサイズにすればよかったと思った。
 そんなことを思える自分が少し笑えた。ちょっとだけ元気が出た。
 それぞれカップを受け取って、席に着く。
「ごちそうさまです」
 スマホをいじる先輩に言う。
「いや、気にするな」
 先輩がそう言ってくれたので、私は温かいキャラメルラテを飲んだ。身も心も温まる。
 先輩もスマホを置いて、コーヒーを啜った。
「あの、先輩……昨日何してたんですか?」
 思い切って聞いてみた。
 今の私はついていない。どうにでもなれの精神だ。
「昨日か? 昨日は家庭教師のバイトだ」
「そ、その後は?」
「家で勉強をして本を読んでいた」
 どういうことだ? デートをしていたことを隠しているのか?
「くりくりまるの散歩とかはしなかったのですか?」
「ああ、したよ。でもそれは家庭教師のバイトの途中でした」
「え? そうなんですか?」
 家庭教師のバイトの途中?
「ああ。小花さんと勉強をしている時もしただろう? 別に珍しいことじゃない」
「あ、いや、そうですけど……」
「どうした? 何かあったか?」
 先輩がしどろもどろしている私に聞く。
「えっと、あのですね。実は昨日、線路沿いの公園で先輩を見たんです。あ、いや、あの、別に覗き見ていたとかそういうわけではないんですけど、あの、その時、女の人がいて……」
 勇気を振り絞っていってみた。
「ああ、桜(さくら)のことか」
「さ、桜?」
 先輩の口からきいたことのない名前だった。
「そうだ。僕が教えている子だ。中学三年生だから小花さんの一つ下になるな」
「え、中学生なんですか?」
 そうは見えなかった。私より年上、先輩と同い年くらいに見えた。
「そうだ。そろそろ来るじゃないか?」
「え? そろそろ来る?」
 図ったように入り口のドアが開いた。
 そして昨日見た中学生には見えない女が現れた。
「あ、いたぁ。むーちゃん、急に場所の変更しないでよぉ……って誰ぇ? この人ぉ」
「悪い。ちょっといろいろあってね。この人は小花さんで、僕の高校の後輩だ」
「ふぅん。なんか貧相ぉ」
 はあ? すごいむかつくんだけど? え? 何? 
「おい、桜、先輩に向かって失礼だぞ。ちゃんとあいさつしなさい」
 おお、言ってやれ! そうだ私は先輩だぞ!
「そうですねぇ。どうもだい桜でぇす」
 台桜とあいさつした
「ど、どうも。金井小花です」
 私も冷静に自己紹介をする。
「よろしくお願いしいまぁす。桜って呼んでくださぁい。おばさぁん」
「いや、一つしか違わねーわッ!」
 何こいつ? めっちゃむかつくんだけど。
 私より背が高いし、胸もあるし、なんかそれもむかつく。
「うるさぁい。ってむーちゃん、あれは?」
 私のことを無視して桜ちゃんは砂川先輩に話をする。なんかいちいち癪に障ってくる。
 でも私も大人にならないと。さっきのは大人げなかったかもしれない。
「ああ、これだ」
 砂川先輩は一冊の本をわたす。
「ありがとぉ……ってびしょびしょじゃぁん」
 桜ちゃんに渡したのは私とぶつかったときに落としてしまったものだった。
「悪い。僕の不注意で濡らしてしまった。でも大丈夫だ。濡れたとしても中身は変わらない」
 私の不注意だったのに、それは言わないでくれた。
「そうだけどぉ、きれいな方がいいのぉ」
「そうか。それならまた買っておくから、それまでこれで我慢していてくれ」
「うん、わかったぁ」
 そう言って桜ちゃんは砂川先輩の隣に座ろうとする。
「桜? 帰らないのか?」
 先輩が桜ちゃんに言う。
「え? ひどくなぁい?」
 驚いたような顔をする桜ちゃん。
 砂川先輩いいぞ! そうだ、もう帰せ!
「中学生は帰ったがいい」
「子ども扱いしないでよぉ」
「いや、子どもだろう」
 先輩は表情を変えずに言う。
「たしかに。中学生は子どもだから帰ったほうがいいかもね」
 私も加勢しておく。
「えーひどぉい」
「それに高校受験があるんだから帰って勉強しなさい。お母さんに連絡しておこう」
「あ、ああ、わかったぁ、わかったぁ。帰るからぁ」
 先輩がスマホを出したのを見るや否や、桜ちゃんが焦るように言った。
「そうか。それじゃあな」
「そ、それじゃぁ、ばいばぁい。むーちゃんと、小春さぁん」
「小花じゃいッ!」
 私の言葉は届いたのかわからなかったけれど、桜ちゃんは急いで帰っていった。
「少し変わった子だろう?」
 先輩がそれを言うかと思ったけれど、否定はできなかった。
「そ、そうですね。面白い子ですね」
「ああ、いろいろと言っていたが、悪気はないから許してやってくれ」
 たぶん悪気があるような気がしたけれど、まあ先輩が言うなら許してもいいか。
「わかりました。ところで二人は今日、待ち合わせをしていたのですか?」
 別に私には関係ないけれど、一応聞いておいた。
「ああ、スぺメソッドの自習で使う問題集をわたすのに会う約束をしていた」
「ふーん。そうなんですね。なんだか仲がいいですね」
 別に私には二人の仲なんて関係ないけれど、一応聞いておいた。
「そうだな。桜は人との距離の取り方を知らないらしい」
 いや、それ、先輩が言うの? まあいいけど。
「嫌じゃないですか?」
「良くはないけれど、桜は子どもだし、無下にするのも悪いかなって思ってる」
「ふーん。そうなんですね」
 桜ちゃんのことを砂川先輩は子どもと思っているようだ。まあ実際に子どもだし、間違っていない。
「ところで、小花さん。小花さんは昨日何をしていたんだ?」
「え? 昨日ですか?」
「僕と桜を見かける前だ。実は今日、ケレンから聞いてね。小花さんが男の人と帰っていたってね。まあ二人のことは僕には関係ないんだけれど、いろいろ聞かれたし、小花さんの話も聞かせてもらおうと思ってね」
 砂川先輩にしては文字数の多い発言だ。どうしたのだろうか?
「あ、あの、クラスメイトの子と下校が重なったので、一緒に帰るって話になったんです」
「ふーん。そうか」
「えっと、でも、話しが全然つまらなかったし、全然楽しくなかったので、途中で置いて一人で帰っちゃいました」
 なぜか早口に言ってしまった。なんでかわからないけれど、私は焦っているようだ。
「そうか。そうなんだな」
 先輩が「ふう」と息を吐いて、少し笑ったように見えた。
 私はキャラメルラテを飲む。少しぬるくなっていた。
 でもなんだか私の心はあったまっていた。
 先輩もコーヒーを飲んでいる。しばらく会話はなかった。
「そ、そうだ、先輩」
「なんだ?」
「明日、久しぶりに一緒に帰りましょう」
「ああ、もちろんだ」
「よかったあ」
「別によくあることだろう。そんな大げさなリアクションしなくていい」
「そうですけど、いいんです。明日で一学期が終わっちゃうし」
「たしかにそうだな」
 二人ともドリンクを飲み干したようだった。
 先輩が「そろそろ帰るか」と言って席を立った。
 ゴミ箱にカップを捨てて、ドアの前に立つ。
 外は雨が一段と激しくなっていた。
「傘はないのか?」
「ええ、忘れてきちゃって……」
「ちゃんと天気予報を見なくちゃな。たしか気象予報士を目指してたんじゃなかったか?」
「いや、目指してないです。それに天気予報は見てました。でも忘れちゃったんです」
「まったく、しょうがないな」
 そう言って先輩は傘を広げると片側を空けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「気にするな」
 雨の中、先輩と二人、一つの傘で家に帰った。
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