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第二部 ~アルポート王国独立編~

覇王を倒す戦略

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 六畳間の畳の部屋で、タイイケンは古ぼけた大きな地図を広げていた。

 その地図はアーシュマハ大陸全土を書き記した地図であり、その北西にはアルポート王国が内在するテレパイジ地方がある。

 タイイケンはそのテレパイジ地方を指差しており、ユーグリッドに覇王デンガダイとの戦況について説明している。

「まず、このテレパイジ地方には3つの国がある。

 初めにこの地方の中央に位置する覇王デンガダイが治める軍事大国ボヘミティリア王国。
次にちょうどその覇王の国からまっすぐ西に進んだ所にある海の国アルポート王国。
そして覇王の国からちょうどまっすぐ北に進んだ所にある、山守王ケングが治める山の国モンテニ王国。

 アルポート王国から見ればモンテニ王国はちょうど北東の位置にあり、即ちこの三国間同士を直線で結べばちょうど直角三角形の形となる」

 タイイケンは三国を指でなぞり直角三角形を空で描く。

「そしてこの三国間の互いの距離はどれもそう遠くはない。

 ボヘミティリア・アルポート間の軍の東西の遠征には5日間。
ボヘミティリア・モンテニ間の軍の北南の遠征には8日間。
そしてアルポート・モンテニ間の軍の北東・南西の遠征には9日間ほどかかる。

 早馬を一人送るだけだとすれば、どの国も1日で着くことが可能な距離だ」

 タイイケンは各国の間を指でなぞりながら説明を続ける。

 ユーグリッドはその地図に記載されている三国を真剣な表情で眺めている。

「次に各国の現在の勢力の特徴についてだ。

 まず中央の覇王のボヘミティリア王国は広大な平原の上に建てられた大国であり、
兵力は11万程度。

 次に最西端にあるアルポート王国は水堀が海に囲まれた小規模な国であり、
兵力は3万程度。

 そして最北端にあるモンテニ王国は山の奥の大きな岬の上に建てられた国であり、
兵力は5万程度。

 ボヘミティリアは圧倒的な軍事力を誇っており、
アルポートとモンテニは自然の地の利によって城を守っている特色があるということだ」

 タイイケンの手慣れた指さばきをユーグリッドは見つめ続けている。それは大将軍が常日頃各国の情勢について詳しく調べていることがうかがえる。

「それからこの三国の現在の国際関係についてだ。

 まずボヘミティリア・アルポートの両国は、
アルポートがボヘミティリアの属国になっており、
アルポートは財政破綻寸前になるほどの上納金をボヘミティリアに納めている。
今の所は戦争状態ではない。

 次にボヘミティリア・モンテニの両国は、
ボヘミティリアがモンテニに侵攻を何度も繰り返しており、
ボヘミティリアはその度にモンテニの攻略に失敗している。
両国は現在戦争状態であり、戦争が再び起こる可能性は一触即発の状況にある。

 そして最後にアルポート・モンテニの両国については、
特に何も関係がない。
戦争状態でもなければ同盟関係でもないということだ。
歴史的に見てもこの2つの国は特に大きな交流をした経歴がない」

 タイイケンは三国についての説明を終え、地図から顔を上げる。

「以上がテレパイジ地方三国の基本的な軍事情勢についての概略だ。
覇王との戦争に勝つためにはまずこの三国の情勢をしっかりと理解しておく必要がある。

 何か質問はあるか、ユーグリッド?」

 タイイケンはユーグリッドに尋ねる。

 ユーグリッドは少し考えてから質問した。

「......そうだな。アルポート王国とボヘミティリア王国については俺もよく知っている。

 ひとまずモンテニ王国のことについてもう少し詳しく教えてくれ。山守王ケングはどうやって覇王の軍から国を守っているのだ?」

 ユーグリッドの質問にタイイケンは短く頷く。大将軍は説明を始めた。

「仮にモンテニ王国を攻略するとなると3つの関門が立ち塞がることになる。


 まず第一関門、

 それはモンテニ王国の前面を取り囲むようにしてそびえ立った山脈地帯だ。
この山脈は森林が密集した険しい山道でできており、
この山脈を乗り越えるには人の通らない獣道を切り開いて進まなければならない。
狭い道が続くその山脈は軍の行進にも難航し、大きな兵器の運搬も困難である。

 これによって覇王の攻城兵器はモンテニ王国まで運ぶことがほぼ不可能となっている。


 次に第二関門、

 その山脈の先には海とつながった大きな湖があり、
モンテニ王国まで行くとしたら必ず船での移動が必要となる。
その湖には海の潮流によって回流が発生しており、
船の漕艇そうていにもかなり技術を要する。

 覇王の軍はあまり水上での戦いを得意としておらず、
この湖での戦闘には苦戦を強いられるということだ。


 最後に第三関門、

 モンテニ王国は急峻きゅうしゅんな坂道の上にある岬に建立された国であり、
この国に辿り着くためにはこの南側にある傾斜道を通る以外に道はない。

 もしこの道に覇王軍が通るとしたら、忽ち城からの大量の岩攻めを食らうことになり、
一兵も城に辿り付けぬまま全滅を迎えることになるだろう。


 以上がモンテニ王国の3つの関門のあらましだ。

 この自然の地の利によって、モンテニ王国は何度も覇王の侵攻を食い止めている」

 タイイケンがそこで一拍置き、モンテニ王国のその圧倒的な守備力について語り終える。

 ユーグリッドは顎に手を添えたまま、それについて感想を述べる。

「なるほど、話を聞くだけでも攻めるのが嫌になるような国だな。覇王はよくそんな国を攻略しようと思ったものだ。

 だが、そんな所にある国だとモンテニ王国の者自体、国の行き来に難航するのではないか? 諸外国との貿易や交渉はどうしている?」

 ユーグリッドはモンテニ王国の諸事情について問い質す。

 タイイケンはその質問に首を振った。

「いや、そもそもモンテニ王国はほとんど他国と交流する必要性がない国だ。
モンテニ王国は農業大国であり、国の自給自足が成り立っている。
戦争で持久戦に持ち込めれば必ず山守王が勝てるということだ。

 覇王に攻められるまでの50年間、特にこれといった国を揺るがすような事件も起きてなかった」

「なるほど、今の所しがらみがあるのは覇王だけということか。ごたごたの多いアルポート王国から見れば羨ましいものだな」

 ユーグリッドは気楽そうな外国への羨望を口にする。それは王の心労がこのたった4ヶ月に脳から溢れ出るほど溜まっている証だった。だが王はその疲労にめげず質問を続けた。

「ずばり聞こう。覇王はモンテニ王国を攻略できると思うか?」

 タイイケンは即答する。

「それはかなり難しい。モンテニ王国は兵力や兵器の数だけではどうすることもできない関門が3つも待ち構えているのだからな。それでも覇王は、今モンテニ王国との戦争に熱中しているが」

「なるほど、戦争が恋人の覇王にとって、今の意中の相手は山守王だということか。奴は戦い以外のことに興味があるのかどうかわからなんなぁ」

 ユーグリッドは覇王に皮肉を述べる。

 タイイケンはクスリとも笑わず話を続ける。

「だが、その敵の恋患いもいつ終わるのかわからん。覇王がモンテニ王国を落とすのか、それとも攻略を諦めるのか。

 いずれにしても、覇王はアーシュマハ大陸の天下統一を目指している。

 モンテニ王国との戦争が終結しても、テレパイジ地方を出て別の王国を攻めるだけだ」

「......覇王は決して戦争を止めない。そして莫大な軍資金を必要とする。つまり覇王は永遠にアルポート王国から金を毟り取るということか。

 そうなればアルポート王国は経済的に滅びを迎える。俺はそれを防ぐために、覇王を倒そうとしている......」

 ユーグリッドは言い聞かせるように己の決意を再確認する。それは言葉に出すのも恐ろしいほどの至難の道であった。

 だが、ユーグリッドは王として乗り越えねばならない。アルポート王国の繁栄の存続、亡き海城王への親殺しの罪の贖罪。その2つは覇王デンガダイを討ち滅ぼすことによってのみ初めて達成できるのである。

「単刀直入に聞こう。タイイケン、お主はどうやったら覇王を倒せると思う?」

「............」

 王の難問にタイイケンは苦渋の表情を作る。そのアルポート王国最強の軍人の険しい顔は、その覇業がいかに成功の可能性が低いものであるかを物語っている。

 だがタイイケンには絶対に何か秘策があるはずだ。王はそう確信している。その綱渡りのような命綱にユーグリッドは全てを賭けていた。

「......考えは2つほどある。だがどちらも相当な覚悟が必要だ。成功する可能性も極めて低い」

 タイイケンは目を閉じ、まるでこれから腹を切るかのような厳かさでそう言った。

「教えてくれタイイケン! 俺はこのアルポート王国を守るためならどんなことだってやってみせる!」

 若き王は熱い血潮を滾らせてタイイケンに乞う。

 しかし当のタイイケンは嵐の中で耐える岩のように口を閉ざしていた。それを提言しようかどうか迷っていたのである。畳の部屋の中にはアブラゼミの声だけが響く。だがしばらくすると意を決し、物々しく、重々しく、タイイケンの口が開かれた。

「......まず一つ、モンテニ王国と同盟を組むという方法だ」

 タイイケンはその厳しい目を開き、その策について語り始めた。

「モンテニ王国の山守王ケングは今覇王と戦っている。

 だが、奴らは守ることはできても攻めることはできない。覇王の軍を追い払うことはできても覇王を滅ぼすことはできないということだ。

 山守王がいくら長期戦の備えがあると言っても、ずっと自分の国が戦争状態にあることは好ましく思わないだろう。覇王との終戦、あるいは覇王の滅亡、そのどちらかの道を望んでいることは確実だ。

 そのために覇王の軍に対抗できる勢力を奴も必要としている」

 タイイケンは物腰をどっしりと構えて話を続ける。

「そこで、我々のアルポート王国と同盟を組むという戦略だ。

 奴らの5万の兵力と我々の3万の兵力を合わせれば8万の兵力となる。覇王は11万の大軍を持っているが、この2つの勢力が合わされば、おいそれと覇王の軍とて国の侵攻をすることができなくなるだろう。8万という大軍は覇王にとっても脅威となる」

 タイイケンは更にこの同盟の策の論を展開する。

「作戦はこうだ。

 まずアルポート・モンテニ間で同盟を結ぶ。そしてもし覇王が片方の国を攻めたとしたら、もう片方の国が軍を出して救援に向かう。モンテニ王国が攻められたとしたら、アルポート王国が覇王軍の背後を突いて挟撃するのだ。

 戦は基本防衛する側が有利となる。例え覇王が11万の軍で攻めたとしても、モンテニ王国が防衛しつつ、アルポート王国が覇王の背後で睨みを効かせれば、覇王とて城を落とすことはかなり難しくなる。

 ただでさえモンテニ王国の攻略に難航しているのに、そこに背後から3万の敵軍が攻めてくるとなれば、流石の覇王とてモンテニ王国に戦争を仕掛けるわけにはいかなくなるということだ」

「なるほど、好戦的な覇王とて負けるとわかっている戦はできないということか」

 ユーグリッドはタイイケンの冷静な戦局の見極めに納得する。

 だがタイイケンはすぐに表情を曇らせた。

「しかし、問題はこれが逆だった場合だ。ユーグリッド、貴様ももう気づいているだろう? それはつまり、もしアルポート王国が覇王に攻められた時、モンテニ王国が5万の救援を本当に出すかどうかということだ」

 タイイケンは顔を俯け畳を見つめる。先程までの可能性に満ちた弁舌が急に雲行きを怪しくさせる。

「アルポート王国は西側の城壁以外は平坦な陸と繋がっている。いくら周りに海に満たされた水堀が掘られているとは言え、モンテニ王国のような鉄壁の守りとは言えない。

 覇王がもし11万の大軍を率いてきたとすれば、3万のアルポート王国では防衛することがかなり難しい。そんな敗色濃厚な弱小国を、自分の兵力を削ってまで山守王が救援を出すかどうかだ」

 タイイケンは畳から顔を上げ、その同盟の脆さを更に説明する。

「仮に山守王が5万の兵力を出したとしよう。モンテニ王国が覇王の11万の軍を首尾よく挟撃できたとすれば、勝負はそれでも四分六分といったところだ。

 だが、国に今まで引きこもっていたモンテニの兵が、覇王軍と正面衝突してどれだけ戦えるのかはわからん。モンテニ王国側に甚大な被害が出ることも確実であり、下手をすればモンテニ軍が全滅する可能性すらある。

 果たしてそんな大博打のような戦いに、国の命を賭けてまで山守王が援軍を出すのかどうか。それに我々が期待することは、かなりの下策だと言えるだろう」

 タイイケンは無下に結論を下す。作戦を話していた当の本人が同盟に信頼を置いていない。

 ユーグリッドもその作戦にだんだんと自信が持てなくなってきていた。

 更にタイイケンはその同盟策に追い打ちをかける。

「......そして、アルポート・モンテニ間は9日間の遠征が必要となる。対してアルポート・ボヘミティリア間の遠征には5日間、しめて4日間の時間差がある。

 覇王は短期決戦を得意としている戦の天才だ。覇王軍が大量の投石機を持ち出してくれば、1日でアルポート王国が落城することだって有り得る。モンテニの援軍が到着する前に戦が終わってしまうということだ。

 そして何と言っても、モンテニ王国と同盟を組むということは、完全に覇王を敵に回すということになる。もし山守王と同盟を組んだとしたら、まず最初に狙われるのは間違いなく我々アルポート王国だ。

 アルポート王国の守りは手薄で兵力も少ない。覇王は後顧の憂いを断つために、まず先に簡単に落とせるアルポート王国を攻めてくるだろう。そして確実にそのままアルポート王国は、覇王によって滅ぼされてしまうことになる」

 タイイケンの戦局の結論ににユーグリッドは落胆する。

 覇王を敵に回す。やはりその抵抗の決意には恐怖があった。かつて覇王軍が襲来した時に見た大量の投石機。嫌が応でもその恐ろしい光景が頭の中に浮かんでくる。

 ユーグリッドはもはやモンテニ王国との同盟作戦を諦めていた。

 その王の意気地のない様子を見て、タイイケンは煽り立てる。

「可能性が低いと言っただろう。

 どうした? 貴様は俺の口先だけで覇王と戦う覚悟を諦めるのか? 所詮貴様など威勢だけの若造だと言うことだ」

「いや、俺はまだ諦めていない!」

 タイイケンの挑発に、王がさっと顔を上げる。そして決意の炎を再び宿す。

「俺は、何が何でもこのアルポート王国を守らねばならないのだ! 家族がいる、臣下がいる、そして俺には海城王の遺志がある! 覇王の属国として滅ぶぐらいなら、戦って死んだほうがマシだ!」

 ユーグリッドは大声で吠える。

 そのとどろきにアブラゼミの声が止まる。

 若き王は変わっていた。臆病で、保身的で、そして何も知らなかった青年の面影が跡形もなく消えている。アルポート王国という、生まれ変わったばかりの国の栄光を背負っていたのだ。

 血潮の汗を飛ばす若き王の凛々しい面立ちを、タイイケンはじっと見ている。そしてその剛将の険しい面立ちから、フッと笑みが零れた。

「......やはり、貴様は海城王様の血を引いているのだな。貴様のさっきの啖呵たんか、前王様にもお聞かせしたかったぞ」

 海城王の人格を受け継いだかのように、タイイケンは父親のような優しい眼差しをユーグリッドに向ける。だがそれはすぐに険しいものに引っ込められ、タイイケンは作戦の話を続けた。

「......ユーグリッド、さっき俺が話したモンテニ王国との同盟の策、あれは飽くまで覇王を牽制するためのものだ。8万の大軍という数字をチラつかせて、覇王が攻めてくるのをためらわせる。いわば二国と一国を冷戦状態に持ち込むための苦肉の策だ。

 だが、それでは貴様が誓った『覇王を倒す』という大望は果たされまい」

 タイイケンはそこで居住まいを正す。再び重々しい眼差しをユーグリッドに向けた。

「これから話す2つ目の策、それこそ俺の本命だ。

 ユーグリッド、よく聞け。この作戦は屈辱であり、決行する好機は一度しか訪れない。失敗すれば、そのままアルポート王国が滅亡する大博打の作戦だ」

 ユーグリッドは生唾を飲む。夏の暑さだけとは思えない大量の汗が全身に流れる。

 タイイケンの目はまるで剣を宿したかのように真剣そのものだった。

「2つ目の策、それは覇王がモンテニ王国に遠征した所を狙って、覇王の居城ボヘミティリア王国を攻め落とすという戦略だ」
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