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第1章 ポーター編
001.持たざる者
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※
その少年は突如現れた。
スラム街の道の端、うす暗く影になった場所に。
スラム街は当然のごとくうす汚く不潔で、色々不要な物が道の端に置かれ、整理等されてはいない。
だからであろうか、それらに紛れ影に隠れ、少年が何もなかった場所に忽然と現れた、という異常事態に誰も気づく事はなかった。
その少年は何も所持していなかった。
かろうじてその身をまとっていたボロ布が、それ以外何も持たない全裸に近い少年の非常識さを隠せていた。
もっとも、他のスラムの孤児達もまともな服など着ている者はほとんどいない。それでもクツやズボンなどの履物をしているだけ少年より幾分かマシな状態であっただろうか。
その少年は、ただ漫然として、周囲の状況をうかがっていた。
『本当に』少年は何も持っていなかったが為に。
5~6歳ぐらいであろう少年には、それまで過ごしてきた生活の記憶が、一切合財何も存在しなかった。
いつ産まれて、それから誰に、どのようにして世話され生きてきたか、そういった記憶がカケラも存在していなかった。……生まれ落ちた時の記憶を持つ者などそうそういはしないが。
そうした理不尽な状況にありながらも、当然喉が渇けば腹も減る。
生きる、という本能に従って少年は行動を開始するしかない。それがどれ程苦難に満ちたものであったとしても……。
※
それから数か月、少年は常に飢えて渇いていた。
我慢出来ずに水たまりの泥水をすすってみた事があったが、腹を下し逆に余計水分を失うという嫌な教訓を得た事もあった。
雨が降ってくれればそれを飲み、何か器になる物があればそれに雨水を溜め、しばらくの間はそれでしのげるが、当然いつも雨が降る訳もなく、喉の渇きは致命的だ。
今が暑い夏期ではなく、ある程度気温の安定した春の中頃であったのが幸いであった。
なので、ゴミ置き場のガラクタあさりで偶然見つけた古い水筒。それを持って市民街の中央広場にある噴水に行き、綺麗な水をくんでくる必要がある。
噴水の水は、精霊石を使った魔道の仕掛けで、常に清潔で綺麗な水が湧き出しているのだが、少年はそんな事は知らない。そこにただで飲める清潔な水がある。それだけが真理だ。
だが、同じような考えで他のスラム街の住人も多数、何度となく飲み水目当てで訪れる為に、街の役人は広場の美観を損なうと考え、警備兵を巡回させ、スラムの住人を極力排除するようにしていた。
その監視の目をかいくぐり、少年は水を確保する。噴水に素早く走り寄り、水筒が一杯になるまでくんでからその場を走って逃走する。
いつも上手くいく訳ではない。警備兵に見つかる事もあるし、暇な市民に妨害される事もある。それでも少年はただただ走り、逃げ、自分の生命線となる飲み水を死守した。
生きる事において、食べ物よりも基本的に水分の方が優先される事を、本能的に気づいていたのかもしれない。
その食べ物の方だが、スラム街にいるネズミ等の小動物や鳥を捕まえたり、汚い下水道まで潜り込んで、同じくネズミ等の他、正体不明の小動物をも捕まえ、食糧源とした。
もっとも、素早く警戒心の強い小動物や鳥を捕まえるのは、幼く体力のない少年には中々難しく、ゴミ置き場から拾った刃先の欠けたナイフに、知恵を絞り考えた仕掛け等を駆使して捕まえられるようになるまでそれなりの時間がかかった。
それに、下水道の小動物は、入念に焼くか煮るかして消毒して食わなければ雑菌だらけの危険物であり、捕まえられるようになった当初何度か腹をくだし、数日苦しむ事になったりもした。
そしてゴミあさり。市民街に出張して行く食堂、酒場等の裏手のゴミ置き場には、十分まだ食べられる残飯が結構残っており、上手くいけば旨い物をそれなりの量確保出来る重要なスポットだ。
それだけに、他のスラムの住人、大人も子供もそれらを狙っており、取り合い等の争奪戦になる事もある。
食堂や酒場は街にそれぞれ数件あるが、スラムから行ける場所には限りがある。
そんな時も、幼い少年には争う力等なく、ただただその足で走り、逃げの一手で争いをやり過ごしていた。
時々行われる教会の炊き出しには、これまたゴミ置き場から確保した、多少はまともに見える服を着ておとなしく目立たないようにして食べ物を受け取った。
その後はすぐに走って逃げる。教会は親のない孤児を保護して孤児院にいれようとするからだ。
衣食住の事を考えればむしろ孤児院に入れた方がいいのだが、少年にはそういった事はわからない。ただ大人に捕まり連れていかれる、それが最悪の状況、という認識だった。
何故なら、スラム街には時々、孤児を保護しようとする教会関連の者と、奴隷商人の人買い(正確には人攫い)の者と、両方現れるからだ。
この両者を見分ける事は子供には難しい。というよりも、奴隷商の人買いの方が教会の者だ、といつわって子供達を積極的に騙そうとするからだ。
神官服を着た偽神官すらいたのだ。他にも奴隷商に協力する、街の裏社会の組織に与するゴロツキ、チンピラの類い等もいた。
だから、スラムの子供達の共通認識はただ一つ、『大人に捕まるな』だ。
もし奴隷商に捕まり、奴隷の刻印をうたれたら、何の身分登録もないスラムの住人は一生奴隷の身分となってしまう。
犯罪奴隷や破産してその借金分奴隷となる者などであれば、ある一定期間の奴隷身分となるが、スラムの住人は違う。
中には何かの事情があってスラムに逃げてきた一般市民だった者等もいるが、スラムで産まれ育った者には当然身分保障等何もない。
捕まり、刻印をうたれたらもう全てがおしまいだ。
運が良ければいいご主人様に買われ、普通の肉体労働に従事する事になるだろう。だが、そんな話はほとんどないと言っていい。
特に幼い子供の買われる先等、口にするのもおぞましい運命が待っているのはほぼ確実だ。
そして、世に迷宮都市と呼ばれ、周囲に多数の様々なダンジョンが存在し、それ目当てに大勢の冒険者が訪れるこの街では、奴隷に他の、最悪に近い役目が待っている。
それはいわゆる『肉の壁』という役割だ。
ダンジョンに潜る冒険者達は買った奴隷を、襲い来る魔物に対して一時的な足止め、おとり役として魔物の攻撃を受ける生きた盾として利用するのだ。それがこの街の奴隷の、最悪の行きつく先だ。
もっともこれは、幼い子供にこなせる役割ではないので、とりあえず少年には無関係の話だったが。
※
少年はそうしたギリギリの底辺生活を続け。いつのまにか4年程の月日が流れた。
種々様々な悲惨な苦労、聞くに耐えない狂気に近い話はとりあえず割愛しよう。
少年は成長していた。
といっても、栄養の足りていない生活での成長だ。十歳前後である筈の少年は、普通の常識に照らし合わせてみれば7,8歳ぐらいの背丈しかなく、体格も痩せていて針のような外見だった。
それでも少年は、この過酷な状況下で立派に生き延びていた。
揉め事や危険な事件に巻き込まれかけても、それだけが取り柄とでも言わんばかりに成長した逃げ足で常に厄介ごとを機敏に回避してきた。
少年は、スリや置き引き、盗みのたぐい等の、スラムの住人なら当たり前のように手を染めてしまう犯罪行為には一切手を出していなかった。
だがそれは、決して正義感が強く道徳心があったから、とか、悪事をすると神からの天罰がうんぬん、というの信仰心の強さ、等でもなかった。
少年はただ冷静に周囲の状況を見続け、そうした行為により官憲に捕まったり、犯罪者を捕まえる依頼を受けた冒険者達が彼らを無慈悲に、圧倒的なまでの力で血祭にあげたりする場面等を見て、実入りが良くても最終的に割に合わない行為だ、と合理的に判断したからに過ぎなかった。
少年はまるで子供らしくなく、どこか冷めた大人のような視点で物事を考えていた。
知識を得る機会が少ない事から、その判断は絶対に正しい、というものでもなかったが、それでも今のところ大きな問題はなく、極貧生活を続けていたのだが……
転機が訪れたのは、少年が一人の商人に目をつけられた事からだった。
商人の名はゴウセル。この、ラーゼン王国の東の端、辺境部に位置する『迷宮都市フェルズ』で何でも屋のゴウセル商会という、小規模ながらも堅実な商売を営むやり手の商人だった。他の街や王都に支店もある。
ゴウセルは労働力としてスラムの子供達を何人か自分の商会に雇い入れていた。
それは、スラムの子供にまともな生活をさせてやりたい、との義侠心も多少なりとあったが、主な理由は通常よりかなり安い賃金ですみ、多少の失敗やヘマをやらかした場合、一度目は許しても二度目からは許さず、簡単にクビに出来る利便性の高さからだった。
それでもゴウセルは、そこいらの悪徳商人よりも余程善良で、たとえスラムの子供相手でも決して給金の不払いなどしない男気あふれる人物だった。
そのゴウセルが、スラム街、平民街を問わず、常に全力で走り抜けるコマネズミの様に小柄な少年に目をつけたのは、必然のようなものだった。
………信用され、話が出来るようにまでの過程で多少のゴタゴタ、小活劇があったものの、結果、少年は無事、ゴウセル商会に雇われる事になった。
「ところでお前さん、名前は?」
「……ない」
記憶のなかった彼に名乗る名前等当然存在しなかった。
スラムの住人にも大して親しい者は存在せず、何か呼ばれる事があっても、おいお前、とか、チビスケ、とか適当に呼ばれていた。
名前がない、との非常識さにゴウセルは一瞬驚いたものの、スラム育ちともなればそんな事もあるのか、と一人勝手に納得した。
「……だが呼ぶ名前がないのは不便だな。俺が適当につけてやろうか?」
との申し出に、名に何のこだわりも持たない少年は簡単に頷く。
「それじゃあな……。お前の名は『ゼン』だ。お前さんは何も持ってない、みたいな事を自慢みたいに言っていたが、この名前は、異世界の言葉で、『全て』を意味する言葉だ。
どうよ。何も持たざる者が、全てを意味する名前を持つ。皮肉が効いてていいと思わんか?」
自分でも上手い事言った、とドヤ顔するゴウセルに、少年は首をかしげる。
「異世界、ってなんだ?」
「……なんだ、そんな一般常識も知らんのか。あれだよあれ。『魔王が復活せし時、異世界より召還されし勇者現れ、魔王を討ち果たすもの也』、って……」
まるでチンプンカンプンだ、という顔をする少年にゴウセルは顔をしかめる。
「……まあいい。ともかくお前の名は『ゼン』だ。これ決定。いいな?」
そうして少年は『ゼン』となった。
それが全ての始まりとなる事に、名付け親であるゴウセルも、当の本人であるゼンも、知る由もなかった……。
*******
オマケ
一言コメント
ゼ「……何もないよ」
ゴ「捕まえるのにえらく苦労したぞ、まったく!」
その少年は突如現れた。
スラム街の道の端、うす暗く影になった場所に。
スラム街は当然のごとくうす汚く不潔で、色々不要な物が道の端に置かれ、整理等されてはいない。
だからであろうか、それらに紛れ影に隠れ、少年が何もなかった場所に忽然と現れた、という異常事態に誰も気づく事はなかった。
その少年は何も所持していなかった。
かろうじてその身をまとっていたボロ布が、それ以外何も持たない全裸に近い少年の非常識さを隠せていた。
もっとも、他のスラムの孤児達もまともな服など着ている者はほとんどいない。それでもクツやズボンなどの履物をしているだけ少年より幾分かマシな状態であっただろうか。
その少年は、ただ漫然として、周囲の状況をうかがっていた。
『本当に』少年は何も持っていなかったが為に。
5~6歳ぐらいであろう少年には、それまで過ごしてきた生活の記憶が、一切合財何も存在しなかった。
いつ産まれて、それから誰に、どのようにして世話され生きてきたか、そういった記憶がカケラも存在していなかった。……生まれ落ちた時の記憶を持つ者などそうそういはしないが。
そうした理不尽な状況にありながらも、当然喉が渇けば腹も減る。
生きる、という本能に従って少年は行動を開始するしかない。それがどれ程苦難に満ちたものであったとしても……。
※
それから数か月、少年は常に飢えて渇いていた。
我慢出来ずに水たまりの泥水をすすってみた事があったが、腹を下し逆に余計水分を失うという嫌な教訓を得た事もあった。
雨が降ってくれればそれを飲み、何か器になる物があればそれに雨水を溜め、しばらくの間はそれでしのげるが、当然いつも雨が降る訳もなく、喉の渇きは致命的だ。
今が暑い夏期ではなく、ある程度気温の安定した春の中頃であったのが幸いであった。
なので、ゴミ置き場のガラクタあさりで偶然見つけた古い水筒。それを持って市民街の中央広場にある噴水に行き、綺麗な水をくんでくる必要がある。
噴水の水は、精霊石を使った魔道の仕掛けで、常に清潔で綺麗な水が湧き出しているのだが、少年はそんな事は知らない。そこにただで飲める清潔な水がある。それだけが真理だ。
だが、同じような考えで他のスラム街の住人も多数、何度となく飲み水目当てで訪れる為に、街の役人は広場の美観を損なうと考え、警備兵を巡回させ、スラムの住人を極力排除するようにしていた。
その監視の目をかいくぐり、少年は水を確保する。噴水に素早く走り寄り、水筒が一杯になるまでくんでからその場を走って逃走する。
いつも上手くいく訳ではない。警備兵に見つかる事もあるし、暇な市民に妨害される事もある。それでも少年はただただ走り、逃げ、自分の生命線となる飲み水を死守した。
生きる事において、食べ物よりも基本的に水分の方が優先される事を、本能的に気づいていたのかもしれない。
その食べ物の方だが、スラム街にいるネズミ等の小動物や鳥を捕まえたり、汚い下水道まで潜り込んで、同じくネズミ等の他、正体不明の小動物をも捕まえ、食糧源とした。
もっとも、素早く警戒心の強い小動物や鳥を捕まえるのは、幼く体力のない少年には中々難しく、ゴミ置き場から拾った刃先の欠けたナイフに、知恵を絞り考えた仕掛け等を駆使して捕まえられるようになるまでそれなりの時間がかかった。
それに、下水道の小動物は、入念に焼くか煮るかして消毒して食わなければ雑菌だらけの危険物であり、捕まえられるようになった当初何度か腹をくだし、数日苦しむ事になったりもした。
そしてゴミあさり。市民街に出張して行く食堂、酒場等の裏手のゴミ置き場には、十分まだ食べられる残飯が結構残っており、上手くいけば旨い物をそれなりの量確保出来る重要なスポットだ。
それだけに、他のスラムの住人、大人も子供もそれらを狙っており、取り合い等の争奪戦になる事もある。
食堂や酒場は街にそれぞれ数件あるが、スラムから行ける場所には限りがある。
そんな時も、幼い少年には争う力等なく、ただただその足で走り、逃げの一手で争いをやり過ごしていた。
時々行われる教会の炊き出しには、これまたゴミ置き場から確保した、多少はまともに見える服を着ておとなしく目立たないようにして食べ物を受け取った。
その後はすぐに走って逃げる。教会は親のない孤児を保護して孤児院にいれようとするからだ。
衣食住の事を考えればむしろ孤児院に入れた方がいいのだが、少年にはそういった事はわからない。ただ大人に捕まり連れていかれる、それが最悪の状況、という認識だった。
何故なら、スラム街には時々、孤児を保護しようとする教会関連の者と、奴隷商人の人買い(正確には人攫い)の者と、両方現れるからだ。
この両者を見分ける事は子供には難しい。というよりも、奴隷商の人買いの方が教会の者だ、といつわって子供達を積極的に騙そうとするからだ。
神官服を着た偽神官すらいたのだ。他にも奴隷商に協力する、街の裏社会の組織に与するゴロツキ、チンピラの類い等もいた。
だから、スラムの子供達の共通認識はただ一つ、『大人に捕まるな』だ。
もし奴隷商に捕まり、奴隷の刻印をうたれたら、何の身分登録もないスラムの住人は一生奴隷の身分となってしまう。
犯罪奴隷や破産してその借金分奴隷となる者などであれば、ある一定期間の奴隷身分となるが、スラムの住人は違う。
中には何かの事情があってスラムに逃げてきた一般市民だった者等もいるが、スラムで産まれ育った者には当然身分保障等何もない。
捕まり、刻印をうたれたらもう全てがおしまいだ。
運が良ければいいご主人様に買われ、普通の肉体労働に従事する事になるだろう。だが、そんな話はほとんどないと言っていい。
特に幼い子供の買われる先等、口にするのもおぞましい運命が待っているのはほぼ確実だ。
そして、世に迷宮都市と呼ばれ、周囲に多数の様々なダンジョンが存在し、それ目当てに大勢の冒険者が訪れるこの街では、奴隷に他の、最悪に近い役目が待っている。
それはいわゆる『肉の壁』という役割だ。
ダンジョンに潜る冒険者達は買った奴隷を、襲い来る魔物に対して一時的な足止め、おとり役として魔物の攻撃を受ける生きた盾として利用するのだ。それがこの街の奴隷の、最悪の行きつく先だ。
もっともこれは、幼い子供にこなせる役割ではないので、とりあえず少年には無関係の話だったが。
※
少年はそうしたギリギリの底辺生活を続け。いつのまにか4年程の月日が流れた。
種々様々な悲惨な苦労、聞くに耐えない狂気に近い話はとりあえず割愛しよう。
少年は成長していた。
といっても、栄養の足りていない生活での成長だ。十歳前後である筈の少年は、普通の常識に照らし合わせてみれば7,8歳ぐらいの背丈しかなく、体格も痩せていて針のような外見だった。
それでも少年は、この過酷な状況下で立派に生き延びていた。
揉め事や危険な事件に巻き込まれかけても、それだけが取り柄とでも言わんばかりに成長した逃げ足で常に厄介ごとを機敏に回避してきた。
少年は、スリや置き引き、盗みのたぐい等の、スラムの住人なら当たり前のように手を染めてしまう犯罪行為には一切手を出していなかった。
だがそれは、決して正義感が強く道徳心があったから、とか、悪事をすると神からの天罰がうんぬん、というの信仰心の強さ、等でもなかった。
少年はただ冷静に周囲の状況を見続け、そうした行為により官憲に捕まったり、犯罪者を捕まえる依頼を受けた冒険者達が彼らを無慈悲に、圧倒的なまでの力で血祭にあげたりする場面等を見て、実入りが良くても最終的に割に合わない行為だ、と合理的に判断したからに過ぎなかった。
少年はまるで子供らしくなく、どこか冷めた大人のような視点で物事を考えていた。
知識を得る機会が少ない事から、その判断は絶対に正しい、というものでもなかったが、それでも今のところ大きな問題はなく、極貧生活を続けていたのだが……
転機が訪れたのは、少年が一人の商人に目をつけられた事からだった。
商人の名はゴウセル。この、ラーゼン王国の東の端、辺境部に位置する『迷宮都市フェルズ』で何でも屋のゴウセル商会という、小規模ながらも堅実な商売を営むやり手の商人だった。他の街や王都に支店もある。
ゴウセルは労働力としてスラムの子供達を何人か自分の商会に雇い入れていた。
それは、スラムの子供にまともな生活をさせてやりたい、との義侠心も多少なりとあったが、主な理由は通常よりかなり安い賃金ですみ、多少の失敗やヘマをやらかした場合、一度目は許しても二度目からは許さず、簡単にクビに出来る利便性の高さからだった。
それでもゴウセルは、そこいらの悪徳商人よりも余程善良で、たとえスラムの子供相手でも決して給金の不払いなどしない男気あふれる人物だった。
そのゴウセルが、スラム街、平民街を問わず、常に全力で走り抜けるコマネズミの様に小柄な少年に目をつけたのは、必然のようなものだった。
………信用され、話が出来るようにまでの過程で多少のゴタゴタ、小活劇があったものの、結果、少年は無事、ゴウセル商会に雇われる事になった。
「ところでお前さん、名前は?」
「……ない」
記憶のなかった彼に名乗る名前等当然存在しなかった。
スラムの住人にも大して親しい者は存在せず、何か呼ばれる事があっても、おいお前、とか、チビスケ、とか適当に呼ばれていた。
名前がない、との非常識さにゴウセルは一瞬驚いたものの、スラム育ちともなればそんな事もあるのか、と一人勝手に納得した。
「……だが呼ぶ名前がないのは不便だな。俺が適当につけてやろうか?」
との申し出に、名に何のこだわりも持たない少年は簡単に頷く。
「それじゃあな……。お前の名は『ゼン』だ。お前さんは何も持ってない、みたいな事を自慢みたいに言っていたが、この名前は、異世界の言葉で、『全て』を意味する言葉だ。
どうよ。何も持たざる者が、全てを意味する名前を持つ。皮肉が効いてていいと思わんか?」
自分でも上手い事言った、とドヤ顔するゴウセルに、少年は首をかしげる。
「異世界、ってなんだ?」
「……なんだ、そんな一般常識も知らんのか。あれだよあれ。『魔王が復活せし時、異世界より召還されし勇者現れ、魔王を討ち果たすもの也』、って……」
まるでチンプンカンプンだ、という顔をする少年にゴウセルは顔をしかめる。
「……まあいい。ともかくお前の名は『ゼン』だ。これ決定。いいな?」
そうして少年は『ゼン』となった。
それが全ての始まりとなる事に、名付け親であるゴウセルも、当の本人であるゼンも、知る由もなかった……。
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ゼ「……何もないよ」
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