デュラン夫人の髪飾り

秋田こまち

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髪飾りを盗んだのはお前か!

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 色とりどりのドレスを身に纏うご令嬢達を飾り立てるのに欠かせないのは煌びやかな宝石である。
 真っ赤なルビーを嵌め込んだ指輪やダイヤモンドのネックレスにアメジストの髪飾り、挙げ出すとキリがない。

 そんな宝石を用いて貴族相手に商売をするのが宝石職人である。親方の元で見習いとして働くエマも、笑顔の下に一物も二物も抱えた貴族達を相手に東奔西走だ。
 煌びやかな光り物が大好きなエマにとっては天職である。お気に入りはデュラン夫人の髪飾り。世にも珍しいブルーダイヤモンドが使用された至高の一品だ。
 エマは手に持って恍惚と眺めいっている。

(曰く付きの髪飾りなんだけどね。)


「エマ、そろそろ時間だよ。」

 空想の世界へと旅立っていたエマに初老の男性が話しかける。
 
「はぁい。今日の取引先は?」
「カートレット公爵夫人だよ。」
「それはまた荒れそうだね。」

 微妙な顔をして呟いたエマに親方も頷いてみせる。
 カートレット公爵夫人もといリリィ・カートレットは御年18歳になるご令嬢だ。
 なにを隠そう、彼女はこの国の国王陛下の愛妾なのだ。国王の溺愛っぷりは凄まじく、王妃がいる身にも関わらず、リリィが男児を産んだらその御子を世継ぎとするのでは、ともっぱらの噂である。
 エマは会ったことは無いのだが。


「それは国王陛下からのご依頼で?」 
「その通り。彼女にとびきりの品を見繕ってやってくれとのことだ。もしかしたら陛下自身がいらっしゃるかもしれないから、エマもそのつもりでいるんだよ。」

 あからさまに嫌そうな顔をしたエマの頭を軽く小突くと、親方は商品を持って足早に馬車の方へと向かっていった。エマも慌ててついていく。


 うっかり曰く付きの髪飾りを鞄に投げ込んで。









 王宮に到着すると、これまた目に眩しい応接室へと案内される。

(あっちにはサファイア、こっちにはルビー。ーーあんな大粒の真珠まで!)

 数える程しか足を運んだことは無いが、いつ見ても壮大な内装だ。
 好奇心の赴くままに部屋の中を舐め回すように見ていると、控えめなノックの音と共に1人の男性が入室してくる。

 艶のある黒髪を頭の後ろで1つに束ねた、非常に整った中性的な顔立ちの男性だ。服装からして誰かの侍従だろうかとエマは推測した。翡翠の瞳がエマの方に向けられたため、慌てて居住まいをただす。

「リリィ様は間も無くおいでになります。」

 声まで中世的なお方だ。と、いうよりも

「女性!?」
「こらエマ。失礼だろう。」
「日常茶飯事です。お気になさらず。」

 そんじょそこらの野郎よりもよっぽどいい。これはご令嬢方が放っておかないだろうなぁと他人事ながらエマは感心する。





 机の上にアレコレ商品を並べていると、部屋の中へと誰かが脚を踏み入れる。
 輝くような白銀の髪に、透き通った水色の瞳を持った大変に美しい貴婦人だ。品の良い水色のドレスに身を包んだ優雅なその姿は、国王が放っておかないのも納得である。
 


「お忙しい中ありがとう。」

 そう言って微笑みエマたちを労る様子もなんとも美しい。まさに百合の花のように清純でたおやかだ。

(名は体を表すとはまさにこのことだな。)



 うっかりみとれるエマを他所に、侍従に促されたリリィが宝石を見繕う。

「リリィ様、この際お好きに選ばれたらよろしいかと。」
「ありがとうレイ。けれど、、。」

 好きな物を選んで良い、とこれだけの宝石を目の前に放り出されたら、エマならば喜びの舞を踊っているところである。
 しかしながら、リリィの顔は何処か浮かない。

「これなどお好きでしょう。」

 そう言って侍従ーーレイと呼ばれた彼女がリリィに差し出したのは翡翠色の宝石が嵌め込まれた指輪である。どちらかというと華やかなデザインのそれは、リリィのイメージとは少し種類が異なる。
 しかしながら、リリィ自身の視線も何度かその指輪へと向けられていた為、お眼鏡にはかなったのだろう。

「しかし、陛下はきっとこれを選ばないわ。」

 浮かない顔で目を伏せたリリィに侍従も何とも言えない顔になる。

(何か事情があるっぽいな。まぁ私には関係ないけど。)






 その後も問答を続けるリリィ達を眺めていると、扉の開く音と共に明らかに一級品だと見て取れる衣服に身を包んだ男性が部屋に踏み込んできた。

 室内の人間が礼をするのに倣い、エマも慌てて礼をする。

「私の愛しいリリィ。今日も花のように清純で美しいな。」
 ひと目も憚らずリリィの腰を抱き寄せ愛の言葉を囁く国王に若干引かないでもないが、表情筋を活躍させて無表情を保つ。隣の親方も似たり寄ったりだ。

「聞きしに勝る溺愛っぷり。これは未来の王太子の誕生が楽しみだね。」
「エマ、商談が終わるまで黙っていなさい。話なら帰ったら聞いてあげるから。」

(失礼な。流石の私も聞こえていないと分かった上じゃないとこんな会話はできないよ。)


 国王には聞こえていなかったようで、失礼極まりないエマたちの会話を他所に他所に机の上に並べられた宝石を眺めた国王は青い瞳を細め、破顔して笑い声をあげた。

「リリィ、お前は本当に物欲のないやつだ。どれ、余がかわりに選んでやろう。」

 流石というべきか、国王は高価な品も澱みなく手に取っていく。
 青い宝石の嵌め込まれた銀細工や高価ながら控えめなデザインの指輪など、まさにリリィ・カートレットといった品々だ。侍従であるレイが勧めていた品とは風貌が異なる。

(国王陛下の選ぶ品の方がリリィ様っぽい。)

 
「これは何だ?」

 そう言って国王が手に取ったのはブルーダイヤモンドのあしらわれた髪飾りーーデュラン夫人の髪飾りである。

(やべっ。)

 それを見た瞬間にエマの頭に浮かんだのはそれだ。机の下で親方がエマの脚を蹴り飛ばす。
 親方が青い顔で何とか誤魔化すと、納得したのか興味を失ったのか、他の商品へと目を向ける。ほっと一息ついて顔をあげると、感情の読めない表情をしたレイがその髪飾りを見つめていた。










「エマ!あれ程気をつけろと!」
「ごめんって。でも陛下は興味なかったみたいだし、何とか許して、、くれない?」 

 首を傾げて見せるが、帰ってきたのは愛のこもった鉄拳であった。頭を摩りながら工房のソファに腰掛ける。

「国王陛下は興味がなかったから助かったものの、わかる人にはわかるよ。」
「みんな曰く付きのアレコレがすきだもんねぇ。」


 エマがうっかり持ち込んだデュラン夫人の髪飾り。持ち主を呪い、周囲の人間に呪いを撒き散らす体質へと変えてしまう気合の入った呪物である。

 デュラン夫人が夫の浮気相手への嫉妬に狂い、ありったけの呪いを込めて送り付けたのだ。浮気相手の周りの人間は悉く不幸になり、贈り主の夫人も命を落とした。

 まぁこの話には背ビレ尾ビレどころか胸ビレまでついているだろうが。


「リリィ様、ものすごい美人だったね。」
「国王陛下が愛妾にと切望するくらいだからな。しかしながら、あのお方も中々に大変そうだよ。」

 そう溜息をはく親方の様子に疑問を覚える。お若いリリィ・カートレットは別として、後継を儲けるという義務を話した貴族の方々が愛妾を作るというのは何も珍しい話ではない。

「カートレット公爵のことは知っているかい?」
「名前くらいは。」
「今年で76歳になられるそうだ。」
「犯罪じゃん!!」

 思わずエマは叫んでしまった。それも当然。ジジイと孫の年齢差である。

 愛妾は既婚者でなければならないという、エマには何が何だか訳のわからんルールに則った結果だそうだ。

「リリィ様をみそめた国王陛下が何とかモノにしたいと。」
「でも王妃様って隣国のお姫様じゃなかった?」
「その通り。だから正妃として迎えることは不可能だった。だから愛妾にと望んだ国王がカートレット公爵の後妻として嫁がせた。」

 なぜそんなじじ孫年齢差でくっつけたのかと疑問に思うが、すぐに真相に辿り着く。

「色々枯れ果ててるから心配要らないね。」
「エマ、もう少し慎みを持ちなさい。」

 親方が額を抑えて溜息をつく。

「じゃあついでにコレも。何で従者は男装してるの?」
「愛しのリリィ様に悪い虫がつかないように護衛は欲しい、しかし本物の野郎は近づかせたくない、とのことだ。まぁレイ様は元からあんな感じらしいが。」


 エマがついていったのは今回が初めてであるが、親方は何度か経験しているそうだ。毎度毎度リリィ様にとんでもない額を貢いでいくそうだ。

「本当に男児が産まれでもしたら大変なことになるよ。」
「でもまだ子供はいないんだよね。」
「その通り。愛妾になってからかなりの期間が経ってはいるが、そう言った噂は聞かないな。」

 何ともドロドロとした話である。ほぼ毎晩お盛んであろうにも関わらず、子供はいないらしい。さぞかし王宮の重鎮もホッとしていることだろう。

 実際に、リリィ自身の元の身分はそこまで高くない。国の端っこの方の自然豊かな領地の出で、珍しく王宮のパーティへと脚を踏み入れた際に国王の目に留まったのだ。

(隣国王家の王妃との子と田舎令嬢の子かぁ。)



「一度王妃が商談の場に乗り込んできたことがあってな。」
「親方も大変だね。」
「本当だよ。これでいいカモ、、、今の無し。太客じゃなきゃやってられないよ。」
「親方?」


 こほんと親方が一度咳払いをした。

「ところで、デュラン夫人の髪飾りは?」
「あれっ。」
「エマ!!!」







 デュラン夫人の髪飾り紛失から数日後。エマと親方は当てのない捜索に精魂尽き果てていた。机の上に残された宝石は全て回収した。それは親方も共に確認したはずだ。
 
「ここまできたら盗まれたとしか考えられない!」

 親方は今日も朝から王宮だ。別のお客に呼ばれたらしい。そろそろ帰ってくるはずだとソファに身を投げ出しながら待っていると、ドタバタと音を立てて親方が駆け込んできた。


「そんなにあわててどうしたの?」
「王妃がリリィ様にデュラン夫人の髪飾りを送り付けた。」
「、、、なんて?」









デュラン夫人の髪飾りは呪物だの何だの言われているが、非常に非現実な話である。歴史と曰くのある煌びやかな宝石に心は踊るが、エマとて本気でそんな呪いの効力を信じてはいない。



 しかし、暇を持て余したご婦人方は別だ。ご婦人方の間では占いが流行し、運気の上がる品物や曰くのある品物を好んで集めるコレクターも多く存在する。デュラン夫人の髪飾りとて非常に有名だ。



 「リリィ様にプレゼントよ。」
 そう言って王妃に渡されてしまえば、リリィの立場ではそれを受け取るしかない。曰くを知らない国王は愛しいリリィへの貢物であるのだから笑顔で見守る。

 リリィの白銀の髪にその髪飾りが載せられた時点で、リリィは「呪われた」のだ。



 曰くを伝えられた国王は勿論馬鹿馬鹿しいと一蹴するが、周りの貴族たちはそうもいかない。周りに呪いを振り撒くリリィを王宮に置いておくなどとんでもない、と大ブーイングだったそうだ。

 隣国の王族を蔑ろにして田舎令嬢の子供を世継ぎにしようと画策する国王に反対する重鎮たちは、この流れに乗っかった。
 誰が何処まで信じているのかは謎だが、色んな方面から悉くリリィの王宮退去が嘆願された。

 国王は王妃に大激怒だそうだ。

 議会で不信任決議を出すと言われて仕舞えば、国王も従うしかない。
「絶対にいつか迎えにいくからな。」とリリィに告げる国王を尻目に、リリィは従者であるレイを伴い領地へと帰ることを決めたそうだ。




「で、何で私たちがまた王宮に呼ばれたの?」
「件の特級呪物を引き取ってくれと。」
「あらま。、、でもいつの間に夫人の髪飾りが?」

 盗まれたの、と尋ねようとしたエマに親方は首を振る。
 これ以上踏み込むなということだろう。つまり、誰かが何らかの目的を持って髪飾りを盗み、リリィに送った。

「王宮の、、闇。」
「こらエマ。」









「お手数をおかけしました。」

 そう言って王宮の応接室で申し訳なさそうに微笑むのはリリィ・カートレットだ。しかしながら、その顔に悲壮感は無い。何処か清々しい雰囲気まで感じる。


「とんでもございません、こちらの管理不足です。、、国王陛下は何と?」
「王妃様に大層お怒りの様です。貴方型がしまい忘れた髪飾りを呪物と知ってリリィに送った、れっきとした殺人だと。」
 横に控えていたレイが答える。

 これまでの信頼もあったのか、我々の不手際にはならなかったようだ。まぁ勝手に呪物を使われた挙句クビをすっ飛ばされたらたまったもんではないが。
 寧ろ迷惑をかけたと申し訳なく思われているらしい。リリィのお得意様であったのがよっぽど効いたらしい。
 

「でも、御子が出来る前でよかったわ。田舎に引っ込めば全てが丸く収まるんですもの。」
「リリィ様はこれで良かったので、、?」
「ええ。田舎令嬢にこんな場所は似合わないわ。」
 
 控えめに尋ねる親方にリリィが微笑む。

「お役人さんたちから充分な年金も支給されるし、悠々自適な生活が送れるほどの蓄えはあるわ。」

 それにね、とリリィは微笑む。

「それに、もうレイの不味い紅茶を飲まなくて済むからね。」
 リリィがレイに向かってそう微笑むと、レイは黙って頷いた。
「その、国王陛下のお渡があった後にね、レイがいつも紅茶を入れてくれるの。茶葉から絞り出しすぎたのか、いっつも苦いのよ。普段はとっても美味しいのよ。」

 先日とは打って変わり、リリィは弾む様に言葉を紡ぐ。

「万が一にでも引き返してきたら、国王陛下に飲ませてやろうと思いまして。、、あなた様も飲まなくて良かったんですよ。」
「私を思ってレイが入れてくれたんでしょう?」

 そう言ってリリィはレイの頬に手を当てて微笑む。その手を握ったレイも小さく微笑んだ。
 男装の麗人と純真なご令嬢。


「一定の層に人気が出そう。」
「こらエマ。何でもかんでも口に出すな。」








 しかしながら、エマには一つだけ引っかかることがある。髪飾りを見つめるレイの瞳だ。感情の読めない表情で、それでいて不穏な雰囲気を感じさせる空気。まるで嫉妬に狂ったデュラン夫人と同じ様な狂気を。


(考えすぎか。)



 手を取り合って故郷へと帰っていく2人。お得意様を失ったのは辛いが、親方の名もある意味社交界に売れた。ーー被害者側ではあるが。


 リリィが退出し、後に続いたレイ。ふと、彼女は振り返る。美しいかんばせに笑を浮かべ、口元に人差し指を当てて見せる。


「本当はもう少し派手な飾りが好きなんだ。」
「えっ?」
「あの野郎の好みに合わせたものばかり。愛しいリリィなどとほざくならもう少し彼女の好みを優先するべきだ。」
「そう、、ですね?」
「それに、リリィが好きなのは青じゃ無い。翡翠だ。」

 会話の内容は聞こえなかったのだろう、首を傾げるリリィに翡翠色の瞳を細め、王宮の令嬢たちの黄色い悲鳴待ったなしの笑みを浮かべると、彼女の腰に手を回して仲睦まじく部屋を出ていった。





 
 レイの狂気、リリィとの親しげな雰囲気、円満な放逐。ーーそれから、お渡りがあった後の不味いお茶。

(あぁ、そうか。)

 呪われた髪飾りが不幸をばら撒くのではない。いつだって幸せも呪いも人の手で生み出される。歴史を背負った宝石は人間たちの協奏曲に対するスパイスだ。

 デュラン夫人の髪飾りは仲睦まじい2人のダシにされたのだろう。夫人もまさか男から愛しい女を奪い取るために使われるとは思わなかっただろう。


 それにしても、それにしても、、

 
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