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第二章
09 メルたん
個室がずらりと左右に並んでいる店内は、何だか迷路のように入り組んでいた。
こういうときに限って店員と擦れ違うこともなく、保はお手洗いの場所を探しながら、狭い廊下をのろのろと歩いて行った。障子一枚で遮られた個室からは、酔い客の笑い声が盛大に聞こえてくる。
先ほどの藍人との会話が外に漏れていなかっただろうか、とヒヤヒヤしながら廊下をさまよっていると、不意に左側の障子がスパーンと音を立てて開かれた。その勢いにギョッとして顔を横に向けた瞬間、舌ったらずな声が聞こえてくる。
「あれぇ~、奇跡のカメラマンくんだぁ~」
舌ったらずな声をかけてきたのは、アイドル・道川ミリことミミリンだった。ミミリンを見るのは、藍人と初めて会った生放送以来だ。
ミミリンはテレビに映るときと同じように、ショッキングピンク色の髪をツインテールに結っていた。すでに酔いが回っているのか、その頬は淡い桃色に染まっている。
それを見て『そういえば、この人、顔は童顔だけど歳は二十代後半だったな』と思い出す。何かの番組でミミリンが『他メンバーはピチピチなのに、一人だけ下積み十年の遅咲きアイドル・ミミリンでぇーす!』と元気よく叫んでいた気がする。
「あ、どうも。お疲れ様です」
まさか局以外で、タレントと偶然会うとは思ってもいなかった。この店は全席個室だから、業界人の利用が多いのかもしれない。
そんなことを考えながら軽く会釈をすると、ミミリンは、にま~っ、と緩んだ笑みを向けてきた。その笑みに、なぜだか嫌な予感が走る。とっさに「それじゃあ失礼します」と早口で告げて歩き出そうとすると、ミミリンがガシッと保の腕を掴んできた。
「え~、ちょうどよかったぁ。今、奇跡くんのお話ししてたんだよね~。一緒に飲もうよ~」
正直『奇跡くん』呼びはやめて欲しかったが、役職もついていないカメラマンの名前など覚えていないだろうから仕方ない。それに、ここで『芦名です』と名乗ったところで、酔っ払っているミミリンが覚えてくれるだろうとも思えなかった。
「すいません、人と来てるんで、ちょっとそれは」
濁し気味に断るが、ミミリンが保の腕を離す気配はない。そのとき、個室の中からミミリンよりも幼く甘い声が聞こえてきた。
「あのぅ……芦名さん、ですよね?」
声の方を見やると、ミルクティー色のゆるパーマを背中まで伸ばした少女が座っていた。大きな瞳はゆったりと目尻が垂れていて、小さな唇は艶やかなピンク色をしている。庇護欲をそそるような小動物めいた少女は、確かミミリンと同じアイドルグループの一員だ。
彼女とは会ったことがないのに、こちらの名字を知っていることに驚く。保が目を丸くしていると、ミミリンが少女を指さして言った。
「あっ、この子、メルたんね。うちのグループの『甘えん坊キャラ担当』なの~。メンカラ(メンバーカラー)は黄色ね」
ついでに言うと、私はピンク~。と聞かずとも一目瞭然なことをミミリンが言う。というか、ミミリンが『無邪気キャラ』なのに、メルたんが『甘えん坊キャラ』って、結構キャラ被りしてないか? その辺りは、グループとして大丈夫なのか?
保がそんなことを考えていると、メルたんが自身の胸元に両手を当てながら、おずおずとした声をあげた。
「突然ごめんなさい。あたし、どうしても芦名さんにご相談したいことがあって……少しだけでいいので、お話できませんか?」
そう言いながら、メルたんが不安げに自身の胸を両手でぎゅっと押し潰す。甘い顔立ちに反して、その胸はメロンみたいにデカい。
たぶんそんな姿を見たら、普通の男だったらコロッとほだされて、一時間でも二時間でも相談事に乗るんだろう。だが、保は片手をあげてキッパリと答えた。
「申し訳ないんですが、女性タレントさんとスタッフが局外で一緒にいるのはよくないので、相談事でしたら仕事中にお願いしてもいいですか?」
はっきりと拒否を返した途端、メルたんが驚いたように目を見開いた。保の腕を掴んでいるミミリンまで、唖然とした様子でこちらを眺めている。
「それじゃあ、すいません。失礼します」
さっさと挨拶をして立ち去ろうとするが、その直前に、うぅっ、と小さな嗚咽が聞こえてきた。
「や、やっぱり、あたしなんかダメなんだぁ……カメラマンからも無視されちゃうような底辺ゴミクズアイドルなんだぁ……」
メルたんが両手で顔を覆って、小刻みに肩を震わせている。うっ、ううっ、と聞こえてくる泣き声に、保はサーッと血の気が引いていくのを感じた。
これ見よがしにしゃくり上げるメルたんを見て、ミミリンが呆れた声をあげる。
「あーあ、奇跡くんがメルたん泣かしちゃったー」
「おっ、俺が泣かせたんですか?」
「そうだよぉ~。ちゃんと慰めてあげてぇ~」
茶化すような声で言うと、ミミリンは半ば強引に保を個室へと押し込んできた。それと入れ替わりで、自分は廊下に出て行く。
「じゃあ、私はちょっと煙草吸ってくるから~」
それまでに泣き止ませておいてね~。と無責任なことを言って、ミミリンが個室の扉をピシャーンと勢いよく閉めてしまう。
中に取り残された保は、呆然とメルたんを見やった。
「あの……なんか、すいません」
少し距離を取った位置に膝を落としながら、メルたんに恐る恐る声をかける。すると、メルたんは、くすんくすん、と漫画でしか見たことのないような擬音を漏らしながら、ゆっくりと顔を上げた。だが、これ見よがしな嗚咽まで漏らしていたというのに、その目はまったく潤んでいない。
メルたんのカラッカラな瞳を見て、保は思わずガックリと肩を落としそうになった。泣き真似をするなら、せめて嘘泣きだとバレないようにして欲しい。
げんなりする保に気付く様子もなく、メルたんが悲しげな声で喋り始める。
「あたし……あたし、グループの中で、人気順位が最下位、なんです……」
「はぁ、そうなんですか」
「ネットでも『ボディタッチが激しくて、男ファンに媚び売ってる感じがキモい』とか『デビュー当時から胸の大きさが変わりすぎ。豊胸だってバレバレ』とか悪口もたくさん書かれてて……」
「それは、大変ですね」
役にも立たない相づちを打ちながら、保はチラチラと個室の障子を眺めた。どこで話を切り上げて逃げ出せばいいのか、と考える。
だが、逃走の糸口を探し出す前に、メルたんが畳をにじるようにして保に近付いてきた。
「だからっ、芦名さんにあたしを撮って欲しいんですっ!」
威勢良く言いながら、メルたんが保の手を掴もうと両腕を伸ばしてくる。蛇のように素早く近付いてくるメルたんの手を見て、保はとっさに尻餅をついて後ずさった。
「ちょっ、お、落ち着いてっ」
「芦名さんに撮ってもらえればバズれるんですよね? あたし、清水藍人みたいにバズりまくって、グループで人気ナンバーワンになりたいんですっ! もう開票のときに、一番端っこにひっそり立つのイヤなんですっ! 絶対絶対絶対にセンターに立ちたいんですぅ!」
畳み掛けるように喋るメルたんには、もう保の声は届いていないようだった。後ずさる保を、四つん這いになったメルたんがじりじりと追ってくる。まるでホラー映画の幽霊に追い詰められているような気分だ。
とうとう背中が壁に当たって下がれなくなった保を、膝立ちになったメルたんが見下ろしてくる。少し乱れた髪が顔にかかっていて、正直ちょっと怖い。
「ご、誤解があるようなんだけど、俺が撮っても別にバズったりしないから意味はな――」
「芦名さんが撮ってくれるなら、あたし、何でもしますから」
意味はない、と言いかけた言葉に、メルたんの据わった声が被ってくる。
そのまま、メルたんは保に見せつけるようにワンピースのボタンを外し始めた。メルたんが上ボタンが外されたワンピースを左右に開くと、真っ白なブラに覆われた乳房が見えて、保は目を見開いた。硬直する保を見下ろしたまま、メルたんが誘い込むように笑みを浮かべる。
「あたし、オメガなんです。オメガの身体は、ずぶずぶ沈むみたいに柔らかくて、蜂蜜みたいに甘いんですよ。一度味わったらやめられないって、みんな言ってくれるんです」
「みんなって……」
メルたんの言葉に絶句する。それはつまり、これまでメルたんが何度もこういうことをしてきたということだ。自分と同じオメガが仕事のために身体を差し出しているという事実に、保は脳天を殴られたような衝撃を受けた。
保は唇を半開きにして呆然としていたが、すぐに首を左右に振った。
「……あなたが、あなたの身体をどう使おうが自由だけど、俺があなたにして欲しいことは何もないです」
「あたしのこと撮ってくれないんですか?」
「そういう要望は、会社やプロデューサーを通して言って欲しい。俺に直接言っても、どうしようもないよ」
あえて冷淡な口調で返す。すると、メルたんは、ふぅん、とつまらなさそうな声を漏らした。
「じゃあ、作戦変更」
そう呟きが聞こえた直後、突然メルたんの身体が勢いよく押し付けられてきた。大きな胸に顔を押し潰されて、ぐえっ、とうめき声を漏らす。
同時に、キャアアッとメルたんがこれ見よがしな悲鳴をあげた。
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