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第五章
32 雨に濡れた犬みたい
【『聖者の告解』が異例の大ヒット! 公開一週間にして観客動員五十万人、興行収入八億円突破の偉業達成!】
通勤途中に聞こえてきたアナウンサーの声に、保は横断歩道の前で立ち止まったまま頭上を仰ぎ見た。
商業ビルに設置された巨大な液晶ディスプレイに、でかでかと『聖者の告解』の予告が流されている。それを見て、すぐ近くにいた女子高生たちがワッと声をあげた。
「ヤバいヤバい、藍人出てる!」
「めっちゃラッキーじゃん! ヤバい、写真撮ろ!」
忙しなく喋りながら、女子高生二人が巨大ディスプレイが映るように自撮りを始める。チラッと横目で見やると、一月の寒い時期だというのに二人ともブレザーを着崩しており、スカートは膝上丈まで短くされていた。
――というか学生は冬休みなんじゃないのか? 休みの日まで制服を着て出掛けているのか? それとも、あれはただのコスプレなのか?
そんなことを考えていると、甲高い女子高生の声がまた鼓膜に突き刺さった。
「てか、もう観たっ?」
「観たに決まってんじゃん! マジで目から摂取する美って感じだったし! つか、もう三回も『巡礼』してるし!」
「あたしも五回『巡礼』してる! てか、藍人、殺人鬼役が似合いすぎて、いっそ本物かと思ったもん!」
いや、それは逆にヤバくね? と横から若者言葉でツッコミたくなる。だが、いきなり話し掛けたら女子高生に『なんだ、このオッサン』という目で見られそうなので、必死に口を引き結んで我慢する。
「でも、ラストはちょー泣いた。号泣しすぎてツケマ取れたし」
「あたしもめちゃ泣いたぁ。だって、主人公がまさか――」
続きの言葉を聞きたくなくて、保はとっさに両手で両耳を塞いだ。観るかどうかはまだ決めかねているが、流石にネタバレは踏みたくない。
直後、目の前の信号機が青信号を点した。一斉に動き出す人々に遅れないように、慌てて足を踏み出す。
横断歩道を渡りながら、保はもう一度巨大ディスプレイを見上げた。画面には『日本アカデミー賞最有力候補』という文字が出ている。
十二月末に公開された藍人主演の映画は、すでに大ヒットを飛ばしているようだった。映画評論家からも相当良い評価を貰っており、年末公開にも関わらず日本アカデミー賞を席巻するのでは、と言われている。
更に『聖者の告解』を複数回鑑賞する行動が、若者の中でブームメントにもなっているらしい。その行動がファンの中では『巡礼』と呼ばれているのだと、ニュースで流れていた。
すごいなぁ、と思いながら、はぁ、と短く息を吐き出す。吐き出した息が白くなって、目の前にふわりと浮かび上がった。
巨大ディスプレイは、最後に顔を血で汚した藍人を映した。群衆に問い掛けるように、アナウンサーのナレーションが流れる。
『彼は怪物か?』
――怪物なんかじゃないよ。
そう頭の中でひとりごちたとき、灰がかった空から小雪が降ってくるのが見えた。空中をふわふわとただよう雪が見えるのと同時に、背後から先ほどの女子高生の声が聞こえた。
「えっ、初雪じゃん! サイコー!」
あれくらい若いと初雪を最高って思えるんだな、と爺むさいことを考えながら、保は首につけたネックウォーマーを口元までズリ上げた。
***
結局、藍人の映画を観に行くか悩んでいるうちに、一月以上の月日が経過していた。カレンダーも、いつのまにやら二月のページに変わっている。
久々の休みに部屋の片付けをしていると、玄関のドアホンが鳴る音が聞こえた。掛け時計を見上げると、午前十時を五分過ぎた時間だった。
小走りに玄関に向かって、ドアを開く。すると、そこにはムスッとした表情をした咲希が立っていた。
「おお、久しぶり」
年末年始は帰省しなかったので、咲希に会うのは去年の夏ぶりだ。
「久しぶり。てか、東京めっちゃ暑いんだけど」
咲希が、顔を片手でパタパタと扇ぐ。真冬だというのに、咲希は白いダウンコートを脱いで水色のワンピース姿になっていた。肩を少し超える辺りまで伸びた黒髪は、側頭部で可愛く編み込みされている。
「そりゃ新潟に比べたら、こっちはまだ暖かいよ」
「人がバカみたいに多いから、二酸化炭素のせいなんじゃない?」
「バカみたいとか言わない」
教師みたいに保がたしなめると、咲希は分かりやすく唇をへし曲げた。子供のときから変わらない妹の不貞腐れた表情に笑いつつ、部屋の方へ視線を向ける。
「中で冷たいお茶でも飲むか?」
「いらない。部屋の内見(ないけん)終わったら、スタバのフラペチーノ飲みたいし」
「スタバは地元にだってあるだろうが」
「うちから一時間半、自転車を漕がないといけない場所にね」
素っ気なく言い返すと、咲希は階段の方へさっさと歩き出した。その姿を見て、慌てて部屋からボディバッグとコートを掴んで後を追う。
「おい、一人で行くなって」
「だって、お兄ちゃん、トロいんだもん」
妹の容赦ない台詞が、心臓にグサッと突き刺さる。
「母さんから『ちゃんとお兄ちゃんと一緒に行動しなさい』って言われてただろうが」
保がそう指摘すると、咲希はこれ見よがしにため息を吐いた。
「お母さんが過保護すぎるだけだし。四月からは東京で一人暮らしするのに、部屋探しはお兄ちゃんに付き添ってもらいなさいって意味分かんないし」
呆れたように咲希が首を左右に振る。
来月には咲希はめでたく大学を卒業をし、四月からは東京のアパレル企業で働くことが決まっている。そうして、一人暮らしする部屋を探すために、今日は地元から上京して来たのだ。そして、都会をやたらと危険だと思い込んでいる母によって、保は咲希の部屋探しのお供をするように言いつけられた。
「ちゃんと家賃の上限とか立地の希望とかまとめてきてるのか?」
「当たり前じゃん」
アパートの階段を下りながら、咲希がポケットから四つ折りにした紙を取り出してくる。保はその紙を受け取ると、紙を開いて文字に目を走らせた。
そこには、まさかの『渋谷近辺・駅近・バストイレ別・オートロック有り・家賃五万円まで』などと書かれている。とっさに『そいやっ!』と叫んで紙を真っ二つに引き裂きたくなる衝動に襲われつつ、保は深く息を吐き出した。
「とりあえず、東京の洗礼(せんれい)を受けろ」
「はぁ? 何それ」
つっけんどんに言い返してくる咲希に向かって、保はにっこりと貼り付いたような笑みを浮かべた。
それから二時間後、賃貸仲介業者のカウンターで、咲希は雨に濡れた犬みたいにションボリとうなだれていた。
「こちらならユニットバスですが渋谷まで乗り換えなしで行けますし、家賃も共益費込みで八万円以内に抑えられますよ。駅から十五分ほど歩きますが、人通りの多い道ですし、入居者も女性のみに限定されてますから安心できるかと思います」
落ち込む咲希を慰めるように、賃貸仲介業者の女性職員が優しく声をかける。咲希の隣の椅子に座ったまま、保はため息混じりに問い掛けた。
「色々見させてもらったけど、ここが一番条件が良いと思うぞ。入居者が女性だけなら、父さんと母さんも安心するだろうし。ここにするか?」
顔を覗き込みながら訊ねると、咲希はうつむいたまま弱々しい声を漏らした。
「……うん、ここにするぅ……」
「すいません、こちらの物件で契約をお願いします」
そうお願いすると、女性職員は笑顔を浮かべたまま立ち上がった。次々と差し出される契約書に、咲希がショボくれたまま次々と印鑑を押していく。
物件契約が終わって店舗から出ても、咲希はなかなか回復しなかった。背中を丸めたまま、トボトボと道を歩いている。
「百点満点じゃないかもしれないけど、結構いいところだと思うぞ。水回りだってリフォームされて綺麗だったし」
保がフォローするように言うと、咲希は地面を眺めたままぽつりと呟いた。
「東京って、家賃高いんだね……」
「まぁ、最近は特に値上がりしてるからなぁ」
「真っ白な壁紙がよかったよぅ……」
「剥がせる壁紙みたいなのも売ってるから、引っ越した後に貼ればいいだろ」
「自分で綺麗に貼れる気しないもん……」
「……貼りに行ってやるから」
保が渋々そう言うと、咲希はコクンと子供みたいにうなずいた。生意気すぎてたまに頭を引っ叩きたくなる妹だが、想定外の事態には滅法弱くて落ち込みやすいところがあるから、なんだかんだで甘やかしてしまう。
「ほら、スタバ行くんだろ? 奢ってやるから、フラペチーノでもホワイトモカでも好きなの頼め」
「スコーンも食べたい……抹茶とホワイトチョコのやつ……」
「スコーンも頼んでいいから」
「新作のケーキも……」
「……ケーキもいいよ」
もしかして、こいつ、落ち込んでるフリして集(たか)ってるだけなんじゃないか?
保がそう疑い始めたとき、顔をあげた咲希が、あっ、と声をあげた。
「藍人さんだ」
咲希の口から出た名前に、一瞬ギクリと肩が強張りそうになる。咲希の視線の先を見やると、ビルの壁面に【絶賛上映中】という文字とともに『聖者の告解』のポスターが飾られていた。
咲希がくるりと振り返って、保を見つめてくる。その眼差しに、嫌な予感が走った。
「私まだ観てないんだよね。ね、藍人さんの映画観ようよ」
「え、いや、俺は」
「映画観た後にスタバ行こ」
動揺する保を気にもとめず、咲希がぐいぐいと肘を掴んで引っ張ってくる。拒否するだけの理由も見つからず、保は引き摺られるようにして映画館に連れて行かれた。
そして、気が付いたら二人分の映画チケットを買って、座席に腰を下ろしていた。シアター内を見渡した咲希が、驚いたように声をあげる。
「うわぁ、すごいね。ほとんど満員じゃん」
咲希の言う通り、公開から一ヶ月以上経つというのに座席はほぼ埋まっていた。
「少し前に日本アカデミー賞の優秀賞にノミネートしまくってたから、それでまた観客が増えたみたいだな」
一月後半に日本アカデミー賞の優秀賞が一斉に発表された。『聖者の告解』は確か作品賞や脚本賞といった十部門以上で優秀賞の受賞が決まっており、藍人も優秀主演男優賞にノミネートされていたはずだ。
保の言葉を聞いて、咲希が、ふぅん、と相づちを打つ。
「藍人さんも優秀賞にノミネートされてたよね? 最優秀賞が決まるのはいつなの?」
「来月に開かれる授賞式のときに発表されるはずだな」
そう口に出すと、何だか保の方まで緊張するような心地を覚えた。
一月後半に優秀賞を取った俳優陣が発表され、三月の授賞式の際にその中から一人だけ最優秀賞が選ばれるのだ。藍人が受賞するのではないかという噂もあるが、対抗馬として芸歴四十年のベテラン俳優の名前もあがっていた。どちらが最優秀賞に選ばれるのかは、誰にも予想がつかない。
「藍人さんが取るといいね」
ポソッと咲希が呟く。その言葉に、保は一瞬言葉に詰まった後、そうだな、と小さな声で返した。
去年の夏に帰省したときに、藍人と話した内容をふと思い出す。結婚しようよ、と言ってきた藍人に対して、確か保は冗談混じりにこう返したのだ。
『それは、藍人さんがアカデミー賞みたいな凄い賞を取ったらですかね』
本当に藍人が日本アカデミー賞の最優秀賞を取ったら、あの約束はどうなるのだろう。
そんなことをぼんやりと考えて、保は馬鹿馬鹿しいなと自分自身を罵った。
藍人から贈られた指輪を返して、はっきりと拒絶したのだ。今更藍人が、あんな戯言を覚えているとは思えなかった。むしろ保のことなんかサッパリ忘れて、もっと相応しい人を見つけてくれている方がいい。
頭ではそう思うのに、心は万力(まんりき)で捻(ねじ)られたように痛んだ。震える息を吐き出した直後、シアター内がゆっくりと暗くなっていった。
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