【書籍化決定/完結】カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子

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第六章

35 プロポーズ

 
 ホテルに到着すると、保は猿渡の案内の元、ホテルのバックヤードから鬼村の元へ向かった。どうやら授賞式会場の最後方を暗幕で仕切って、そこを裏方たちの作業場所としているようだった。

 暗幕の向こうから、司会の声と無数の拍手の音が聞こえてくる。

 モニターを目まぐるしく見渡しながら、インカムから素早くカメラチームに指示を飛ばす鬼村に近付いていく。


「鬼村さん、芦名到着しました」


 保が小声で話し掛けると、鬼村は一瞬だけチラッとこちらを見やってから、またすぐにモニターを見据えた。


「お前は八カメだ。会場の左側後方を担当。細かい位置取りは今覚えろ」


 こちらを見ずに、鬼村が手元にあったタブレットを差し出してくる。タブレットを受け取ると、画面に映し出されたカメラ割りを脳味噌に叩き込んでいく。会場の全体図を見て、どの位置にどの映画チームがいるのかも把握していく。

 藍人がいるテーブルは会場の右端前方にあるので、保の担当エリアからは一番遠い。そこはきっと鬼村が配慮してくれたのだろう。


「覚えたか」
「覚えました」


 端的に答えて、タブレットを鬼村に返す。保にインカムを渡しながら、鬼村が口早に続ける。


「担当エリアに行ったら、遠阪(とおさか)から交代でカメラを受け取れ。基本、演者や観客の視界を遮らないように、カメラマンは膝立ち姿勢だ。言わなくても分かってるだろうが、もちろん演者を追うときは立てよ。最高の表情を撮り逃すな」
「承知しました」


 そこまで話すと、鬼村はようやくまっすぐ保を見つめた。保の背中をバシッと一度叩いて、力強い声で言う。


「任せたぞ」


 その言葉に大きくうなずきを返して、保はインカムを左耳に突っ込むと小走りで暗幕を出た。会場後方には、何百人もの観客が見える。みなドレスコードを守って、品の良いドレスを身に纏っていた。

 そして、観客席の前方には、いくつもの円卓についた映画チームが並んでいた。そして前には、ライトに照らされた壇上が見える。会場全体の光量が抑えられている分、壇上は目が眩(くら)むくらいに明るく見えた。

 担当エリアに向かうと、床に膝立ちになった先輩カメラマンである遠阪の姿が見えた。近付くと、遠阪はかすかに青白い表情でこちらを見やった。

 カメラを指さして『交代します』と声を出さずに口だけ動かすと、遠阪も『悪いな』と口パクで答えた。カメラを保に渡すと、よろよろとした動きで中腰で立ち上がる。よほどひどく足を捻ったのか、片足を引き摺りながら暗幕の方へと歩いて行く。よろめく姿を心配に思うが、今は撮影に集中する方が先だった。

 保がカメラを担ぎ直したとき、プレゼンターが壇上で大きな声をあげた。


「続いて、最優秀助演男優賞の発表を行います!」


 その言葉を聞いて、保は候補に選ばれている俳優の元へと素早く向かった。膝立ちのまま、俳優の表情をカメラで映し出す。途端、カメラの上部にある赤いタリー(そのカメラの映像が放送されていると示すランプ)が点灯して、じわりと掌に汗が滲んだ。


「最優秀助演男優賞に選ばれたのは――『風走る』の田坂亮さんです!」


 一瞬、背筋が緊張が走る。それは、ちょうど保が撮影している俳優の名前だ。

 俳優が驚いた表情をした後に、泣き出しそうな笑みを浮かべる。その表情をアップで抜き出した後に、少しだけ画角を引いて、同じテーブルの監督や俳優陣と硬く握手をする姿を映す。

 そのまま、ホテルスタッフに椅子を引かれた俳優が立ち上がって、壇上へと向かっていく姿を中腰姿勢のまま追いかける。その堂々とした足取りや、感極まったように潤んだ瞳や引き結ばれた唇もしっかりと撮影した。

 俳優が壇上を上がっていくと別カメラに切り替わったのか、ようやくタリーが消えてほっと息が漏れた。即座に定位置に戻って、床に膝立ちになる。慣れないスーツが、すでに汗でじっとりと湿っているのを感じた。

 俳優が、壇上で受賞のお礼を述べている。それが終わると、次は撮影賞の発表だ。

 息を吸うことすら躊躇うような緊張感の中で、次々と受賞者が発表されていく。保はひたすらその表情を撮り逃がさないように、目の前の撮影に集中した。

 そうして、発表も残り二つになったときにプレゼンターの声が響いた。


「それでは、最優秀主演男優賞の発表です!」


 とっさに全身が強張って、咽喉が大きく上下した。候補者の名前を、次々と司会が読み上げていく。ちょうど保の担当エリアには候補者がおらず、映す相手がいないのが有り難かった。動揺のせいで手がブレでもしたら申し訳なさすぎる。


「最優秀主演男優賞に選ばれたのは――」


 プレゼンターのその声が聞こえた瞬間、保は息を止めて心の底から祈った。


 ――藍人さんだ。選ばれるのは、絶対に藍人さんだ。どうか藍人さんが選ばれますように。お願いだから、藍人さんの名前を言ってくれ。


 カメラを持つ手にギュッと力を込めながら、何度も祈りを繰り返す。


「――『聖者の告解』の清水藍人さんです!」


 その言葉が聞こえたとき、一瞬それが自分の妄想なのか現実なのか区別がつかなかった。周囲から拍手の音が耳に届いて、ようやくそれが現実だと分かって、全身から力が抜けそうになる。保は崩れそうになる膝を必死に奮い立たせて、カメラを担ぐ腕に力を込めた。

 視線を右側前方へと向けると、立ち上がった藍人がにこやかに笑いながら、同じ円卓に座る沖永監督と握手しているのが見えた。

 藍人は、スタイルの良さを強調するような細身でシックな黒スーツを着ている。ジャケット内側のシャツも黒のノーカラーで、首元には銀色のリングが通されたループタイをつけていた。

 壇上に上がった藍人がプレゼンターからブロンズ像を受け取って、マイクの前に立つ。煌びやかなライトに照らされた藍人を、保は星でも見上げるように一心に見つめた。


「まずは、ありがとうございます。まさか自分がこのような栄誉ある賞をいただけるとは、仕事を始めた七年前には想像もしていないことでした。これは私一人の力ではなく、すべては私を支え、励ましてくださった関係者の皆様、私と共に走り続けてくれた仲間たちのおかげです。皆様にお礼を申し上げたいと思います。心からありがとうございます」


 藍人がお礼を述べると、また大きな拍手が鳴り響いた。笑顔を浮かべた藍人が、会場の皆を見渡しながら緩やかに頭を下げている。だが、その動きが突然ピタリと止まった。

 笑顔を消した藍人が、会場の左後方を凝視したまま、目を見開いている。その視線がまっすぐ自身へと向けられているのを感じて、保は全身を硬直させた。息を大きく吸い込んだまま、吐き出せなくなる。

 藍人の異変に気付いたのか、会場は一瞬で静まり返った。物音一つ立てられない、ゆっくりと喉元を締め付けるような沈黙が流れる。

 プレゼンターが様子をうかがうように、藍人へと近付いていく。その瞬間、藍人が薄く唇を開いた。


「皆様、誠に申し訳ございません。このような公(おおやけ)の場で、自己中心的な行動だと重々承知しています。責任は、すべて私にあります。ですが、どうか数分だけ勝手をお許しください。私の人生すべてがかかっているんです」


 許しを乞うようにそう述べると、藍人はプレゼンターにブロンズ像を預けて、足早に壇上から降りてきた。その行動を見て、会場がざわめく。

 藍人が迷いない足取りで、保の方へ向かってくる。その姿を見て、保はとっさに立ち上がった。同時に、自身が持つカメラのタリーが赤いランプを点すのが視界に映って、頬が引き攣りそうになる。


 ――嘘だろ。生放送中なんだぞ。


 藍人にそう言いたくても、声なんか出せるわけがなかった。ただ、息を詰めたまま、近付いてくる藍人を眺めることしかできない。

 会場をまっすぐ突っ切って、藍人が保の前に立つ。アップで映った藍人を見て、保は無意識に後方へと一歩右足を下げた。途端、藍人がくしゃりと顔を歪める。


「逃げないで」


 懇願する声に、ひくりと唇が戦慄く。下がった右足を前方へと戻すと、藍人は少しだけ安心したように泣き笑いの表情を浮かべた。


「君が、僕の運命であることに苦しんでいることは知っている。もし君のことを本気で思うのなら、僕はここで君に何も伝えず立ち去るべきだとも理解してる。そう分かっているのに、こんなことを言う僕を、君は一生許してくれないかもしれないかもしれない」


 まるで懺悔するように言うと、藍人はその場に片膝をついた。慌ててカメラを下げて、斜め上から藍人を映す。

 藍人はゆっくりと顔を上げると、カメラ越しに保をじっと見つめてきた。


「でも、どうか聞いて欲しい。僕を永遠に許さなくてもいいから、君に知っていて欲しい。僕は――どうしようもないくらい、君を愛している。君がいないと生きていけない」


 切なげに細められた藍人の瞳から、一筋の涙が流れ出す。ライトに照らされて、頬を伝う涙が星の欠片みたいに輝く。その涙の煌めきが、鋭い矢尻(やじり)のように保の心臓に突き刺さった。

 どうして、誰もから讃(たた)えられる賞を取ったときですら、この人はこんな名もなきカメラマンに愚直に愛を乞うことができるのだろう。貴方なら、きっと誰だって選ぶことができる。きっと、もっと相応(ふさわ)しい人がいる。そんな卑屈な考えすら吹き飛ばすように、藍人はただまっすぐ保を見上げていた。まるで藍人の世界には、保しか存在していないかのように。

 眼球が潤んで、涙が零れそうになる。ぼやける視界に、保は下唇を噛んで涙を堪えた。今は、一瞬たりとも藍人の表情を逃したくなかった。

 何百人もの人間がいるのに、会場は静寂に満ちていた。誰もが固唾を呑んで、藍人の続く言葉を待っている。きっと、それはこの映像が流されているテレビの前でも同じだろう。

 藍人は首にかけていたループタイを抜き取ると、通されていたシルバーリングを取り外した。そのリングには見覚えがある。保が藍人に返した指輪だ。

 指輪をそっと差し出すと、藍人は震える声で囁いた。


「どうか、僕と一緒に生きてください」


 告げられたプロポーズに、とっさに嗚咽が漏れそうになった。顔がくしゃくしゃに歪んで、カメラを持つ腕が震えそうになる。それを必死に堪える。

 今は仕事中で、絶対に公私混合してはいけない。そう分かっている。だけど、今この瞬間の正解は何なのかが分からなかった。ただ呆然と、この映像を映すだけが良いのか。後にしてくださいと伝えて、この場から立ち去るべきなのか。

 だが、きっとそれは人生をかけて愛を告白してくれた相手にするべきことではない。それなら、自分だって人生のすべてを返すべきだ。

 そう思った瞬間、身体が勝手に動いていた。右腕でしっかりとカメラを支えたまま、ゆっくりと左手を前方へと突き出す。差し出された自分の左手の甲が、カメラの画面にはっきりと映っているのが見えた。その指先が、情けないくらい震えている。

 藍人は差し出された手を見ると、一度真意をうかがうように保を見上げた。琥珀色の瞳を見つめて、保は静かにうなずいた。声も出さず、唇を動かす。


『はい』


 藍人が大きく目を見開いた後、くしゃりと顔を崩す。壊れそうなくらい幸福な笑みを浮かべて、藍人はそっと保の左手を掴んだ。その左薬指に、ゆっくりとリングが通されていく。

 指輪が完全に左薬指に収まると、突然周囲からワァッという歓声とともに凄まじい拍手が鳴り響いた。驚いて顔を上げると、周りにいた俳優陣やスタッフ、それから後方にいる観客まで全員が立ち上がって両手を打ち鳴らしていた。中には感動した様子で、目元をハンカチで押さえて泣いている人までいる。

 周囲の反応に、夢から覚めたように一気に顔面に熱がのぼっていく。まるで遊園地で公開プロポーズされたような気分だ。いや、遊園地よりもずっとまずい。この放送は、全国に流れているのだから。

 覚悟の上だったとはいえ取り返しのつかない事態に、保は顔面を真っ赤にして固まった。硬直する保の左手を握ったまま、藍人がふわりと嬉しそうに微笑む。


「必ず、誰よりも大切にするって誓うから」


 そう囁いて、藍人が保の左手に優しく頬を擦り寄せる。愛おしさを隠そうともしていない微笑みを見て、ああ、もうどうしようもないな、と諦めにも似た幸福感が込み上げてきた。


 ーーもうどうしようもなくても仕方がない。だって、俺はこの人が好きなんだ。この人と一緒に生きたいんだ。


 くしゃくしゃな笑みを浮かべたまま、藍人の手を強く握り返す。途端、左薬指の指輪が照明を反射して、チカッと星のように煌めいた。
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