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第六章
37 苦しんでくれて、ありがとう
「ぼわぁ!? あ、藍人さん!?」
保が奇声をあげると、藍人が目を細めて小さく笑い声を漏らした。
「ぼわぁ、って、保さんは相変わらず面白い声をあげるなぁ」
笑いながら、また藍人がキスの雨を降らしてくる。目蓋や頬、鼻頭に押し付けられる柔らかい感触に戸惑いつつ、保は上擦った声をあげた。
「ちょ、ちょっと、藍人さん」
「ちゃんと保さんに言われた通りに仕事を頑張ったし、凄い賞も取ったよ。これで僕と結婚してくれる? 僕と家族になってくれる?」
キスの合間に、藍人が甘えるような声で訊ねてくる。
「けっ、結婚はするんですが、と、とりあえず話を――」
「本当!? 結婚式の服装は白のタキシードがいい? それとも和装の方がいいかな? どっちとも着るのでもいいね。保さんのご家族みんなに来てほしいから、東京じゃなくて新潟で開いた方がいいかな?」
完全に先走りすぎなことを言う藍人の姿に、妙な危機感を覚える。これはハイになって、子供にキラキラネームを付けちゃう親と同じ現象な気がする。
保はガシッと藍人の両腕を掴むと、その耳元で大きな声を張り上げた。
「落ち着けぇい!」
突然の大声に、藍人がぱちくりと目を丸くしている。保は上半身をソファから起こすと、藍人を隣に座らせた。その両手を掴んで、まっすぐ目を見つめる。
「あの、もちろん藍人さんと結婚というか、お付き合いはしたいんですが、まず俺に謝らせてください」
「謝る?」
なぜ謝るのか、とばかりに藍人が不思議そうに首を傾げる。無自覚そうな仕草に余計に罪悪感を覚えつつ、保はたどたどしい声を漏らした。
「俺が弱いせいで、貴方を突き放してしまって本当にすいません。貴方が置いていかれることを怖がっているのは知っていたのに、俺は貴方の手を離してしまった。貴方を傷付けてしまって、貴方の気持ちを裏切ってしまって、ごめんなさい」
口に出せば出すほど自己嫌悪が込み上げてきて、藍人の顔を見ていられなくなった。耐え切れずうつむくと、重苦しい沈黙が流れた。防音がよくきいた室内は、外音も聞こえず、しんとした静寂が肩にのし掛かってくる。
「保さん」
ぽつりと名前を呼ぶ声が聞こえた。ゆっくりと顔をあげると、藍人の緩んだ表情が見えた。どうしてだかひどく嬉しそうな、とろけるような笑みを浮かべている。
「謝らなくていいよ」
「でも」
「保さんが、僕のことでたくさん苦しんでくれたことを知ってる。だから、もういいんだ」
気遣うような藍人の言葉に、くしゃりと顔が歪んだ。藍人が柔らかな声で続ける。
「僕のせいで、苦しませてごめん。僕のために苦しんでくれて、ありがとう」
そうして、藍人は保の手の甲にそっと額を押し付けると、吐息混じりにこう囁いた。
「苦しみながら、僕の手を掴んでくれて、本当にありがとう」
祈りを捧げるような声に、目からまた涙が溢れてきそうになる。目尻に滲む涙を拭いながら、保は掠れた声を漏らした。
「それに……俺、藍人さんに嘘をついてたことがあって……」
「嘘?」
問い掛けに、弱々しくうなずく。
「俺、運動会のときの父が撮ってくれた自分を見て、カメラマンを目指したって言ったけど、それはテレビカメラマンじゃなくて――」
「写真家の方だったんでしょう?」
続く言葉を先に言われて、口が半開きになったまま動かなくなる。唖然とする保を見て、藍人が肩を揺らして笑う。
「知ってるよ。保さんが元々はテレビカメラマンじゃなくて写真家を目指してたことは」
「な、なんで……」
「だって、一緒に帰省したときに、お義父さんは僕に家族写真はたくさん見せてくれたけど、『ビデオを観る?』とは一言も言わなかったから。写真を見せてくれるような人なら、先にビデオの方を言い出しそうな気がしたから、なんとなくおかしいなと思ってたんだ。それで念のため咲希ちゃんに『ビデオを見せてほしい』ってメッセージを送ったら、『ビデオは撮ってませんよ』って返ってきて、それで保さんはきっとテレビカメラマンになりたかったわけじゃないって思ったんだ」
藍人の口から語られる説明を聞けば聞くほど、顔面が熱くなっていくのを感じた。バレていないと思い込んでいたトリックが、呆気なく見破られていたような感覚だ。
保が真っ赤になった顔を両手で覆うと、藍人は穏やかな声で続けた。
「それに、保さんが都内の局に転職してきた理由も知ってるよ」
保はとっさにバッと顔をあげた。どうして知ってるんだ、とばかりに目を見開いていると、藍人は目を細めて言った。
「鬼村さんと食事に行ったときに教えてもらったんだ。鬼村さんが保さんにわざわざ上京してきた理由を聞いたときに『一目だけでも会いたい人がいて、どうしても諦め切れなくて』って言ってたって。会いたい人って僕のことだよね?」
藍人の口元に、ふにゃりと嬉しそうな笑みが滲む。だが、喜んでいる藍人に反して、保は頭を抱えてしまった。
――い、生き恥だ……。
今すぐ額を床に叩き付けて、ここ十年間の記憶を失いたい。藍人に、何もかもバレていたのが恥ずかしすぎる。口では一丁前に拒絶しながらも、保の本心はずっと藍人に筒抜けだったということだ。
「す、いません……」
「どうして謝るのさ」
「だって……俺、ストーカーみたいで……」
みたい、というか完全にストーカーだ。藍人のことを散々ストーカーみたいだと思っていたくせに、そう言っている張本人の方がストーカーだったなんて気味が悪すぎる。まるで世にも奇妙な物語みたいだ。
保が悶えていると、藍人がそっと左肩に手を乗せてきた。
「僕は、嬉しかったよ」
その言葉に恐る恐る視線をあげると、泣き笑うような藍人の表情が見えた。
「保さんが自分の夢を諦めてまで、僕を選んでくれたって知って、胸が震えるぐらい嬉しかった。大切な夢を諦めさせたのに、そんなことを思うなんてひどいよね。だけど、どうしても、嬉しくて仕方なかったんだ」
肩に乗せられていた藍人の手が、ゆっくりと二の腕を辿るように滑り落ちて、保の左手を掴む。藍人は保の左手をぎゅっと握り締めると、ひどく幸せそうに微笑んだ。
「僕を見つけてくれて、会いにきてくれてありがとう。保さんに出会えてよかった。保さんが、僕の運命でよかった」
心臓にまっすぐ届けるような言葉に、また眼底が湿り気を帯びるのを感じた。
「俺の方こそ……貴方が運命でよかった」
そう口に出した直後、ぽたぽたと春雨のような涙が零れ落ちた。藍人の手を強く握り返しながら、涙声で続ける。
「俺は、藍人さんのことが好きです。どうか、俺と一緒に生きてください」
先ほど授賞式の会場で言われた言葉を、そのまま口にする。
涙で揺らめく視界に、微笑む藍人が映っていた。水面に光が射し込んだみたいに、藍人の姿がキラキラと眩しく輝いている。その姿を星のようだと思う。だけど、もうそれは手の届かない星じゃなかった。この人の手は、保が今しっかりと握り締めている。二度と離すつもりはなかった。
「やっと保さんの口から好きって言ってもらえた」
ふふ、と藍人が息を吐くような笑い声を漏らす。そのまま、藍人が頬に唇を押し付けてくる。また顔中にキスの雨が降ってくるのかと思いきや、唇は滑るように首筋へと下りてきた。首筋に柔らかく唇が当たった後、ねっとりと舌が這わされる。まるで蛇が這うような感触に、ぞわりと背筋が震えた。
「あの、藍人さん」
「今すぐ保さんを僕の番にしたい」
譫言(うわごと)のように言いながら、藍人が保を間近で見据えてくる。その眼差しに燻(くすぶ)るような情欲が滲んでいるのが見えて、皮膚がそそけ立った。だが、恐怖だけではなく、確かな高揚も感じる。
藍人の首筋から、サンダルウッドのような甘い匂いが漂ってくる。最上級のアルファが放つ、蠱惑(こわく)的な香りだ。
藍人の掌が、保の腰骨を掴む。グッと腰骨に食い込む指先の感触に、無意識に吐き出す息が震えた。
「つ、番にはなりたいんですけど、その前に、風呂に入りたい、です」
保が途切れ途切れに訴えると、藍人はあからさまにムッとした表情を浮かべた。
「保さんの匂いが薄くなるのは嫌なんだけど」
「おっ、俺は汗臭い匂いを嗅がれたくないです!」
大きな声で言い返すと、藍人はパチリと目を大きく瞬かせた。しばらく考え込むように視線を伏せた後、渋々といった様子で保の身体を離してくる。
「分かった。でも、なるべく早めに出てきて。保さんの後に、僕も入るから」
「……努力します」
上擦った声で答えると、保は跳ねるようにしてソファから立ち上がった。ぎくしゃくとした動作でバスルームの扉を開くのと同時に、藍人の声が聞こえてくる。
「一緒に入る?」
「一人で入ります!」
茶化すような声にそう叫び返しながら、保は勢いよくバスルームの扉を閉じた。
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