少年勇者と廃雄塔の亡霊

佐座 浪

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第六話 とある『勇者』

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 聖女の居たところが、もう遠い。何度も振り返りながら塔を降ると、焦げた扉の前に探偵が憔悴した顔で立っているのが見えた。

「何か、あったんです?」

 声をかけてみると、いつにも増して光の無い目で探偵が顔を上げる。

「……ああ、勇者君か。また、例の奴が現れたんだよ。私としては、生捕にして徹底的に調べてやりたいところだったのだが……に猛反対された」
「……おばあ様?」
「あぁ……すまない。おばあ様というのは司書のことなんだが、そう呼ぶのは約束事に反している。今のは忘れてくれ」

 そう言って、探偵が大きく息を吐く。どうやら、余程疲れているらしい。

「大丈夫ですか? 疲れてるみたいですけど……」
「ただの四徹だよ。の仕事が完了したら、花屋はなやのハーブティーでも飲んで寝るから大丈夫さ。おそらく、もう幾分もかからないと思うんだが——」
「——良い勘してらっしゃるねぇ。流石は探偵様だよ」

 扉を豪快に蹴破り、部屋から出てきたのは、大量の画材と一枚の紙を持った男の人——『画家がか』。

 ボサボサの茶髪に、顔に生やした濃い髭。煤けた黒のスーツを着た風変わりな人で、まるで何年も穴倉で過ごしたかのような、近寄り難い雰囲気を全開にしている。

 出不精らしく、あまり外に姿を表さない為、一、二回くらいしか話した事は無いが、その姿だけは強烈に印象に残っていた。

「思ったより、早かったな」
「共感出来たからね。ほれ、こんなもんでよろしいかい?」

 探偵が渡された紙を盗み見ると、そこに描かれていたのは、この前に見た黒い何か。

 まるで、それをそのまま封じ込めたかのような——いや、紙の上で生きているようなの迫力と精巧さのある絵に、思わず息を呑んでしまった。

「……完璧な仕事だ、ありがとう。相変わらず、君の絵には驚かされるよ」
「普通でしょ。を描かされるのは、慣れてるしね」
「こき使われてる、とでも言いたいのかな? さて、ではさらばだ諸君。次は非番の時に会おう」
「またご贔屓に。代金は昔のよしみだから、三割引きにしておくよん」
「全く君は……今の私に、何を払えと言うのか」

 気丈に笑って、手をヒラヒラと振りながら探偵が階段を降っていく。

「——あ、お前さ」

 突然、画家に声をかけられた。あまり話した事が無いだけに、少し緊張する。

「……なんです?」
「俺っちの絵、見たっしょ? 代金と言っちゃ安いけど、画材運ぶの手伝ってくれない? 久々に部屋から出て疲れちゃってさぁ……」
「構いませんけど……どこまで運べば良いんです?」
「上だよ上。俺っちの仕事部屋。案内するから、早速宜しく!」

 親しそうに俺の肩を叩くと、画家はズシっと大分重さのある画材を投げ渡してきた。やはり随分と、変わった人のように思える。

 そのまま彼に連れられて、 塔を登る。気づけばずっと上の方、よく見慣れている所まで登ってきた。

 道理であまり画家の姿を見ない筈だ。屋上に近いこの辺りにはいつも、人影がほとんどない。出不精の彼をひっぱり出すような人間が少ないのも頷ける。

「ここだよ。今開けるから、ちょっと待ってね……」

 ガチャガチャと音のなる鍵の束を取り出し、あれでもない、これでもないと画家が唸る。一体何が、この先にはあるというのだろうか。

「おっ、開いたね」
「これは……」

 扉の先に広がっていたのは、画家の印象とはかけ離れた、驚くほど整然としている居間。一点の汚れもなく、絵の具の微かな匂いもしない。森のように澄んでさえいる。

「ほら、ボーっと突っ立ってないで、さっさと入った入った。これはもらうから、その辺にでも座っててよ」

 画材を渡して、画家が指差した部屋の真ん中にあるふかふかのソファーに腰を下ろす。

 すると、鼻を撫でるような優しい香りが、部屋中にふわりと舞い上がった。

「……花の匂い?」
「なんだよ、意外って顔してんね。これでも俺っち、綺麗なもん好きなんだよ?」

 澄んだ翡翠を堪えた飲み物の入ったティーカップとバターの香るお茶菓子を持って、画家は戻ってきた。

「いえ。別にそういう訳では……」
「でもこの身なりだもんねぇ。そう思ってても仕方なしよ。ほい、花屋特製の……なんだったかな? なんとかっていうティー……まあつまり茶だよ茶。結構苦めの渋いや——熱っ!」

 画家がお茶を吹き出す。続けて口にしてみたが、そこまで熱くはない。どうやら彼は猫舌らしい。

「美味しいですね。なんか……苦味がすぅっと染み渡って来ると言うか……」
「探偵も中毒気味の花屋の茶だしね。あいつ、茶を作るのは天下一品だから。絵は教えてもダメダメだったけど」
「絵を——」
「お前には教えないよ」

 画家の瞳が、鋭く光った。脈絡の無い言葉よりも先に、彼のその妙に殺気だった雰囲気の方に意識を持っていかれる。

「ああ、誤解しないでね。一応言っといただけ。世の中、描くより描かれる方が似合うやつってのも居るんよ。お前とか、とか」
「……一つ、伺っても良いですか?」
「ええよ。何?」
「——画家さんは、悲しくなったりしないんですか?」

 気づけば、聞いていた。いつもならそういう話はしないけれど、今日くらいはそうしようと思った。

 驚いたように、画家が目を見開く。ティーカップを持ち上げ、茶を静かに飲み干すと、再びその口を開いた。

「……まあ、答えてもいい。でもその前に、見せたいものがある」

 画家が席を立つ。やがて戻ってきた彼の手にあったのは、それぞれ違う人物の描かれた何枚かの肖像画。一見すると性別以外に共通点の見当たらない男性の絵。

 だが一つ、共通点がある。あるようにしか

 画家の絵はそれこそ、被写体が紙の上で新しい命を得たかのような、迫力と精巧さのある芸術。

 だからこそ、描かれた人物の抱いていた喜び、怒り、哀しみ、楽しさ——それだけでなく、人生そのものが伝わってくる。

 そして、何故画家がこれを見て欲しいと言ったのかも、すぐに分かった。

「どうかな? お前はこの絵に、何を思う?」
「……悲しい、です。俺は、これを知ってる……! とてもよく……知っている……!」

 呼吸が荒くなっていくのが分かる。

 ここに描かれているのはきっと、やり切れない後悔。そして、亡霊から感じるような切なさ。

 胸を奥の奥を潰されたような感情の、混じり気のない正体がここにあった。

「ま、これが描けるって事は、俺っちは悲しいとは微塵も思わないのさ。むしろ、心地良くさえ感じるね」
「……どうしてです?」
「どうしてだと思うね? これはある種、人生の命題にも近しいものがある。俺っちからその答えを聞く前に、一度じっくり考えてごらんな」

 そうは言われても、分からないものは分からない。そもそも、ここで考えたくらいで分かるなら、苦労はしていない。

「そんな事言われても、って顔してんね。まあ分かんねぇだろうよ。多分の問題だからね」
「ルーツ……?」
「そう、ルーツ。俺っちはどうして絵を描いてる? 亡霊はなんでここにいる? お前はどうして強くなりたい? そういうものの根源にあるやつだよ。どんなに訳の分からないものでも、衝動それは自分の内、つまりルーツから生まれてくるものよな」
「どうしてって、そんなの魔王を倒す為に決まってるじゃないですか」

 気づいたらそう答えていた。そういう話ではないと分かっていたのに。

「違うよ」

 画家はキッパリと否定した。まるで、そう答えるのが分かっていたかのように。

「何が……です?」
「そりゃあ、結果の話だろ。お前は何を思っているから、魔王を倒すのかって話さね」
「世界を魔王の居ない平和な世界にする為に。それ以外に、ある訳ないじゃないですか」
「……まあいい良くあることだ。取り敢えず、それを亡霊の姿を思い浮かべながら、もう一度言ってごらんな?」
「だから、世界を魔王の居ない平和な——」

 息が詰まる。文字が頭の中に浮かぶのに、言葉として出す事が出来ない。答えなんて、それしか無いと頭は言っているけれど、亡霊の姿のようにボヤけて何も言えなくなってしまう。

「それが答え。それだけの事よ。ここに来て、色んな奴と話したよね? もっと話すのも良し。ここらで自分と話すのも良し。日進月歩の勇者君も、そろそろ立ち止まって考えてみる時なんじゃないかね?」

 それだけ言って、画家は美味しそうにお茶菓子を食べ始める。

 俺は、どうしたらいいか分からなかった。
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