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1巻
1-3
(お、推しと手を繋いでいる。こんなことあっていいのか。やばい今日が命日では。ていうかもう一生右手洗えない)
嬉しくて思考回路が爆発しそうになる。俺は推しの少しだけ冷たい手をぎゅっと握り返す。
アシュリーは再び黙り込んでしまい、俺たちは一言も交わさず離れに戻った。
けれど俺の心の中は表現できないほどの幸福感で満ちていたのだった。
アシュリーが食事を改善しはじめて半年が経過する頃には、過度な脂質を抑えた食生活と適度な運動と日光浴の甲斐あって、アシュリーの症状はかなり改善していた。
新しくできる湿疹はほとんどなく、痕もどんどん薄くなっている。
服装にも変化があり、今日はゆったりした青と白のストライプのシャツの袖を両肘まで捲っている。
少し前まで、真っ黒の長袖ばかり着ていたのが嘘みたいだ。
「アシュリー兄様。今日は涼しくて風も気持ちいいですよ。お散歩に行きましょう」
周りをぴょんぴょん飛び跳ねて騒ぐと、アシュリーは困ったように笑って本を閉じた。
その目は以前とは比較にならないほど、優しい光を湛えている。
「わかったから、少し落ち着いて。ちょうど僕もゼラニウムとラベンダーの様子を見にいきたかったんだ」
俺たちは今、両親の許可を得て庭の一角でハーブを育てており、それらを使って入浴剤や化粧水を作ってみようと話しているのだ。
「やったあ!! アシュリー兄様大好き!!」
「はいはい。ほら、いい子にしていないと転んでしまうよ」
「はあい」
立ち上がったアシュリーが差し伸べた手を、俺は迷うことなく握る。
以前よりもずっと温かい推しの手を握るのにも、やっと慣れてきた気がする。
しかも柔らかいしいい匂いがする。
アシュリーに言ったら香水の匂いだよと笑っていたが、それだけじゃないと思う。
アシュリー自身から漂う、いい匂いがあるのだ。
(うわ……思考が変態だな)
自分で自分をキモく感じてしまうことも多々あるが、推しとの幸せライフを満喫している。
とはいえ悩みや心配がまったくないわけではない。
アシュリーの病気はどんどん改善されてはいるが、完治というのは難しい。
いったんは湿疹が消失しても、食生活がもとに戻ったり、心に大きな負担がかかるような出来事があったりすると、再発や悪化する可能性が高いのだ。
(なんとかして完治のための薬を作りたい……薬ができれば、同じ病気の人たちのためにもなるし、推しが幸せしかない人生を送れるはず!!)
そんなある日、俺はいつものように離れまで遊びにきていた。
「あれ?」
玄関ホールには父上の従者が立っている。
(父上が来ているのかな)
俺はすぐには階段を上らず、一階の客間のほうへと進んだ。少しだけドアが開いている部屋の中から、父上と誰かもう一人の人間の話し声が聞こえてくる。
「ルイス坊ちゃま、立ち聞きはお行儀が悪いですよ」
困った顔をするメイドを笑顔で制し、気配を消してドアに近づいてみる。
「アシュリー様のご病気ですが、その後も改善が続いております」
「それはよかった……! ありがとう、クラウス医師」
「いえいえ。ルイス様のご提案があってこその成果です。アシュリー様もルイス様には心を許していらっしゃるようで、雰囲気や表情もずいぶん変わられましたね」
「ああ。子どもたちがあんなに仲よくなってくれるなんて思わなかった。ルイスは母親に似て心の綺麗ないい子だし、アシュリーも昔のような笑顔を見せてくれるようになってね」
「素晴らしいことです。あとはあの病気が完治さえできればなんの心配もなくなりますね」
「ああ。だがあの子の病気が完治する方法はないのだろう?」
「ずっとそう言われていたのですが……最近、隣国の親しい医師から不思議な話を聞いたのです。彼の患者にもアシュリー様と同じものと思われる病気の方がいたらしいのですが、ある花を煎じたお茶をひと月ほど飲み続けたところ、症状がすべて消えたと。それから一年が経った今でも、まったく再発する気配がないらしいのです。もう完治と言って差し支えない状態だと聞いています」
「そ、その花の名前は!?」
ガタッと音が聞こえ、父上の興奮した声が扉の外に漏れた。
父上と同じか、それ以上に俺の心臓も高鳴っている。
(待て待て……これはすごいことじゃねーか! もしかするとアシュリーの病気が完治するかもしれないなんて)
俺は主治医の言葉を聞き逃さないよう、息を詰めて全神経を耳に集中させた。
その日の夜中、俺は本邸にある図書室へ忍び込み、『魔法薬草百科事典』を持ち出した。
部屋に戻るとベッドの上で早速ページを捲る。
主治医の話によると、隣国で病気を治したのはシャーベットリリーという花らしい。
花の名前を聞いた途端に父上の声から元気がなくなったのを思い出す。
『シャーベットリリーだって!? 幻の花じゃないか。隣国ではどのようにして手に入れたんだろうか』
『それが、患者の家族が命がけで手に入れたとか……入手はできたものの、大変なケガを負ったと聞いています』
『やはりどの国でも、あの花を採取するのは難しいのだな』
『ええ、そのようです。我が国でも、アンブルサイドの森に生息すると聞いたことがありますが』
『あそこは、魔獣だらけの国内で最も危険な場所だぞ。いくら金を積んでも請け負ってくれる者がいるかどうか……』
二人の会話を思い出しながら、シャーベットリリーのページを読み進めていく。
『魔法薬草百科事典』は魔力のこもった特別なインクで書かれているため、挿絵の草花がまるでアニメーションのように動く。花が咲いたり再びつぼみに戻ったりして、挿絵を眺めているだけでもとてもおもしろい。
シャーベットリリーはこの大陸のわずか数か国でしか確認されていない希少な花だ。
険しい山奥や大きな森の中にひっそりと生息しており、満月の夜にだけ花を咲かせるという。
また花が咲いてから一時間以内に摘まないと、花の持つ効能は失われてしまうとも書いてある。
さらに花を摘むことができるのは十五歳以下の純潔の少年少女のみ。
その上、雨が降ったり、条件に合わない人間が採取する前に触れたりすると、あっという間に枯れてしまうという。
(そりゃ入手困難になるわけだ)
俺は本を閉じてベッドに寝転んだ。
シャーベットリリーが咲く場所に魔力を持たない人間がたどり着くのは不可能に近いだろう。
この世界では魔力を持つのは貴族のみ。
だが身分のある者たちが自分の子どもを危険に晒すわけがない。
よほど金に困っている家なら別だろうが、魔力の種類や強さによってはたどり着けない可能性が高いし、おそらく下級貴族では難しいだろう。
それに山奥や森の中は魔獣がうようよしている。
しかも満月の夜というのは魔獣たちの力がもっとも高まると言われているのだ。
(そんなヤバいときにアンブルサイドの森に行くなんて、普通に考えたら自殺行為だよなあ)
そうは思うが父上と主治医の話を聞いた時点で、シャーベットリリーを採取しに行くことは俺の中で決定事項になっていた。
魔力の扱い方はかなりうまくなったと自負しているし、こっそり自主練習も行っている。
次の満月は一週間後だ。あまり時間はないが来月まで待っていられない。
明日から誰にもバレないように早急に準備を進めなければ。
(……ま、なんとかなるだろ。ていうか、なんとかする!)
もしかしたら推しの病気が完治するかもしれないという興奮で、俺はその夜なかなか眠りにつくことができなかった。
そうして一週間後の満月の夜。
俺は予定通り皆が寝静まった頃を見計らって屋敷を抜け出した。
風の魔力があれば空を飛ぶことができる。きちんと練習すれば、体一つで少年マンガの主人公のように飛ぶことができるらしいが、まだそんなことはできない。
いろいろと悩んだ挙句、前世の魔法使いのように、掃除用具入れから拝借したほうきにまたがるスタイルで飛ぶことにした。
密かに猛練習をしたおかげで、部屋の窓から難なく飛び立つことができた。
今夜の月はいつもより大きくて眩しい。
だが少し雲が多いのが気になる。
もしかすると明日は雨になるのかもしれない。
(天気は今夜だけ保ってくれれば問題ないから、大丈夫だろ)
月と星の光に照らされながら、アンブルサイドの森を目指して空を翔けた。
自分に出せる最速のスピードで飛んだこともあり、あっという間にアンブルサイドの森へたどり着く。
うっそうとした広大な夜の森は真っ黒で、今にも魔獣が飛び出してきそうだ。
(花を摘んだらさっさと退散したほうがよさそうだな)
まずは上空からシャーベットリリーを探索することにした。一時間が過ぎた頃、それらしきものを見つけた。
「ん? あれじゃないか!?」
興奮のあまり声が大きくなる。
よく見えるところまで降りていくと、『魔法薬草百科事典』に描かれていたイラストとそっくりな、水色の砂糖菓子のような百合が月の光を浴びて美しい花を咲かせていた。
「わあ……思っていたよりずっと綺麗」
こんなに綺麗な花を摘み取ってしまうことに心が痛んだ。
だが、これも推しの病を治すため。
(花の命をムダにしないように、絶対に病気を治そう)
気持ちを込めてシャーベットリリーを手折り、魔力の込められた特別製の麻袋に詰めていく。
袋がいっぱいになる頃、ふと周囲に異変を感じた。
見上げると月に雲がかかりはじめている。
月の周囲をうろついていた濃い灰色の雲がみるみる増殖して、美しい夜空はあっという間に曇天に様変わりした。
残っていたシャーベットリリーに目をやると、すでに萎んでしまっていた。
(咲いているうちに採取できてよかった……!)
だがホッと胸を撫でおろしたのも束の間、すぐにポツポツと雨粒が落ちてくる。
あっという間に雨足はどんどん強くなり、俺は慌てて大きな木の下に入った。
木の魔力で小さな木製のテントを作り、その中に座る。
(早く帰らないとまずいよな)
だがこの豪雨の中を飛ぶのは難しい。
もし飛ぶのであれば雨除けが必要だ。
魔力で傘を作ることはできるだろうが、その後に家へ戻るまで飛び続ける魔力が残っているかは正直、微妙だ。
ただでさえ激しい雨の中を飛ぶのは大変だし、魔力の消費量も半端じゃないはず。
いくら魔力が強くても、一日に体内に貯めておくことができる魔力の量は年齢や体格によって異なる。
まだ九歳の俺は、魔力貯蓄量がそう多くない。
万が一、途中で魔力切れを起こしたら、飛んでいる高さによっては死んでしまう可能性もある。
(そういえば俺の魔力、あとどれくらい残ってるんだろう)
右手を伸ばして空中にかざし、呪文を唱えると、空中にハート型のメーターのようなものが現れた。
「えーと、今の魔力残量は……五!?」
予想以上に少ない表示で大声が出る。
今のままでは帰るどころか、飛ぶことができるかどうかも怪しい。
(こりゃ朝になっても帰れそうにないな。俺がいないことがわかったら、大騒ぎになるだろうなあ。クソ、失敗した……)
収まるどころかどんどん激しくなる真っ黒な雨空を見上げて、俺は重いため息を吐いた。
◇◇◇
ルイスが来てから僕――アシュリー・クロフォードの生活は一変した。夜、ベッドに入ってからもかゆみであまり眠れない日々が続いていたのに、病状がよくなると熟睡できるようになった。
だがその日は一度眠りについた後、すぐに目が覚めてしまった。
(ずいぶん騒がしいな……こんな時間に、何かあったんだろうか)
常夜灯がわりの魔法花が優しく光る静かな部屋の中、僕はゆっくりと上体を起こした。
扉の外では複数の足音や人の声が聞こえる。この離れに越してきてから、こんなに騒がしいのは初めてだ。
ベッドサイドに置いてあるガウンを羽織って廊下に出ると、たくさんの使用人が焦った様子であちこち走り回っていた。
「ねえ、何かあったの?」
その中の一人に声をかけてみる。振り返ったのはルイス付きのメイドだ。
「アシュリー様!? なぜここに……そうだわ、アシュリー様のお部屋はすぐ側ですね。大変失礼いたしました」
「なんだか外が騒がしくて目が覚めたんだ。一体どうしたの? それにルイス付きのきみがなぜこんな夜中に――」
嫌な予感がする。
「……もしかしてルイスに何かあったの」
メイドは青褪めて唇を噛み、視線を彷徨わせた。
「何か、あったんだね……僕に話して」
目線をしっかり合わせて伝えると、メイドは決心したように大きく息を吸い込んだ。
「ルイス様が、お部屋にいらっしゃらないのです」
「……は?」
動揺で声が掠れる。
「どういうこと? もっと詳しく説明してもらえるかな」
「昨晩、確かにベッドでお休みになられたはずなのですが……当番のメイドが水差しのお水を取り替えるのを忘れていたので、お部屋に入りましたらベッドにお姿がなく……」
「……誰かに攫われたということ?」
自分の言葉の恐ろしさに声が震えそうになった。
「いえ。寝具に乱れた様子はございませんでしたので、おそらくはご自身でどこかへ行かれたのかと」
「こんな夜中に?」
「はい。ルイス様は以前にも、真夜中にお部屋を抜け出して、お屋敷を探検なさっていたことがあるのです。あのときはダンスホールの隅でお休みになってしまったのを、朝になって私たちが見つけたのですが」
「でも今夜はどこを捜しても見つからずに、離れまで捜しに来たんだね」
「……左様でございます」
「この様子だとこっちでも見つからないんだね」
メイドはがっくりと肩を落とした。
「父上たちも来ているの?」
「はい。旦那様と奥様は一階を捜しておられます。ジェシー様は本邸のほうを」
「僕も捜す」
「ア、アシュリー様はお休みくださいませ! お体に障ります。外はひどい雨が降っておりますし、気温もかなり下がっておりますから」
「でもルイスはそんな中で一人、助けを待っているかもしれない。これだけの人数で邸内を捜して見つからないとなると、外にいる可能性が高いと思う」
「まさか、そんな……!!」
「あの子は僕と同じで自然が好きだ。もしかしたら庭園にいるのかもしれない。温室には夜にしか咲かない花もあるし、見に行く可能性がないとはいえないよ」
メイドが口元を両手で覆う。
雨は窓に叩きつけるように降り続け、ヒューヒューと唸るような風の音も聞こえる。
(こんな中に長時間いたら、小さい子どもは命に関わる)
「僕はこれからジェシー兄上のところに行くよ。これから先の行動は、僕が勝手にやることだ。きみは僕と会って話したことを忘れるんだ。いいね?」
「ですが、もしアシュリー様にまで何かあったら……」
「大丈夫。以前よりも今の僕はずっと健康だ。それに――」
最初の頃はただ煩わしいだけの存在だったけれど、ルイスがきっかけで病気が快方に向かったのだと、僕はもう認めている。
「兄が弟を守るのは当然のことだろう」
安心させるようにできるだけ明るい声で告げると、僕はすぐに転移魔法で本邸へ飛んだ。
本邸では離れ以上にたくさんの使用人たちがルイスを捜索していた。
「ルイス様! いらっしゃいますか!?」
「ルイス坊ちゃま! どうかお返事してください!」
ランプを手にしたメイドたちが、泣きそうな顔であちこち捜し回っている。
玄関ホールから正面に伸びる階段の大きな踊り場では、兄上が皆に指示をしていた。
僕は急いで兄上に駆け寄る。
「何か手がかりは見つかったのですか?」
僕に気づいた兄上は目を見開いて叫んだ。
「ア、アシュリー! なぜここにいるんだ! 早く戻れ、体調が悪くなったらどうする!」
「もうこのぐらいは大丈夫ですから落ち着いてください。それよりルイスは?」
「う……それが何も。あの子はまだ小さいし、きっと屋敷のどこかにいるはずだと思うんだが」
「兄上、ルイスの部屋の鍵はお持ちですか?」
「ああ。ここにある」
兄上はポケットから金色の大きな鍵を取り出した。
「貸していただいてもよろしいですか? 自分の目でルイスの部屋を確かめたいのです」
「わかった。だが俺も一緒に行くぞ」
「一人で大丈夫です」
兄上は厳しい顔で首を左右に振る。
「ダメだ。おまえにまで何かあったらどうする。ルイスだけじゃない、おまえだって俺の大切な弟なんだぞ」
今度は僕が目を見開く番だった。
最近はルイスのおかげでだいぶ話をするようになったが、肉体派の兄上と読書や植物を好む僕とでは、共通点がほとんどない。
だから、あまり好かれていないと思っていた。
それなのに面と向かって「大切だ」なんて言われると照れくさいし、どんな顔をしていいかわからなくなる。
「……わかりました。一緒に行きましょう」
なるべく平静を装って、足早にルイスの部屋へ向かった。
すでに捜索しつくしたからなのだろう、ルイスの部屋の周囲は人気がなく静まり返っている。
薄暗い部屋の中、兄上と二人、それぞれ魔法で炎を出して部屋の中を照らす。
炎といってもそのまま出すと飛び火してしまうことがあるので、ごく小さな空気の球体を作り、その中に炎を閉じ込めるのだ。
それらがいくつも空中を浮遊する様子はまるで蛍が飛んでいるように見える。
ルイスが見たら喜ぶだろうと、いつか見せてやりたいと思っていたのに。
いつの間にかそんな風に考えていてハッとする。
(大丈夫だ、ルイスはきっとすぐに見つかる。僕が、見つけるんだ)
明かりを頼りに各自、部屋の隅々まで調べていく。
ふいにベッドのヘッドボードの隙間に押し込まれているものが目に入る。
「『魔法薬草百科事典』……?」
挟まっていたのは、一冊の本だった。
確かこれは図書室の蔵書で、基本的には持ち出し禁止だったはず。
なぜこんなところにあるのだろうか。
小さな子ども向けの内容でもないし、こんなものを読んでも楽しいとは思えない。
不審に思いながらしおりが挟まっているページを開くと、風にそよぐシャーベットリリーの絵が目に飛び込んできた。
(まさか、ルイスはあの話を知っていたのか!?)
心音が一気にスピードを上げ、全身からどっと汗が噴き出す。
呆然と立ちすくんでいる僕に兄上が近寄ってくる。
「何か手がかりは見つかったか」
「……兄上。今夜は確か、満月でしたよね」
「ん? ああ。雨が降り出すまでは綺麗な月が見えていたな」
「ルイスが姿を消したのがわかったのは、雨が降り出す前ですか?」
どうか僕の予想が外れていてほしい。そう思うのに嫌な予感はどんどん大きくなっていく。
「ああ。メイドが気づいたときには、まだ空は晴れていたそうだ」
再び鼓動が速くなり、一瞬、兄上の声が遠くなる。
声が震えないよう、何度か深呼吸を繰り返した後、僕は腹に力を込めた。
「兄上、ルイスの居場所がわかったかもしれません」
◇◇◇
「うう……やばい。寒すぎる」
降りやまない雨の中、小刻みに震える体を自分で抱きしめる。
魔力残量がほぼない状態で魔力を使い続けると、最悪の場合は命を落としてしまうこともある。
しかも俺の持つ魔力は風・水・木ときている。火の魔力があれば焚火をして暖を取ることもできたが、残念ながらそういうわけにもいかない。
そんなわけで今できることは雨が止み、魔力量が回復するのを大人しく待つことだけなのだ。
(雨はまだいいとして、これで魔獣でも出てきたらマジで詰む)
魔獣なのかただの獣なのか、どこからか遠吠えのようなものが聞こえる。
魔力が使えない限り、今の俺はただの無力な子どもにすぎない。
けれどせっかくシャーベットリリーを採取することができたのだから、こんなところで野垂れ死ぬわけにはいかないのだ。
少しでも温まろうと、かじかむ両手に息を吹きかけてみるが、吐く息すら冷たい。
(雨が止んだとしても、魔力が回復するまであと半日はかかりそうだな)
朝になれば屋敷を抜け出したことがバレてしまうだろう。
いや、下手をしたらもう気づかれているかもしれない。
一刻も早く採取したくて焦りすぎた。次の満月に照準を合わせて、もっと計画を練ればよかった。
だが後悔してももう遅い。
目を閉じて木の幹に背中をもたせかけたそのとき。
鋭い視線と禍々しい気配を感じた。
(なんだろう……)
目を開けて注意深く辺りを見回すと、数メートル先の暗闇からいくつもの緑色の不気味な瞳がこちらを見ている。
(あれは……まさかフォレストグリム!?)
フォレストグリムとは深い森林の中に棲む魔獣で、好物は人間の魂だ。弱点は光と炎なのだが、あいにく今はそのどちらもない。
フォレストグリムたちはこっちの様子を窺いながら少しずつ近づいてくる。同時に獣らしい唸り声のようなものも聞こえてきて、背筋に寒気が走った。
(まずいぞ。このままじゃ食われちまう)
確かコイツらは高い所には登れない。
木に登ればなんとなるかもしれないが、もはやそんな体力すら残っていない。
(諦めるな。本気で考えればきっと何か策はあるはずだ。考えろ、考えろ……)
集中しようと努力しても、少しずつ漂ってくるフォレストグリムの息遣いや獣の臭いに動揺して考えがまとまらない。
(どうしよう、このままじゃ殺られる……!)
反射的にぎゅっと目を閉じた瞬間、ものすごい轟音が響いた。
驚いて目を開けると視界に二つの背中が広がっている。
振り向かなくても誰のものなのか俺にはわかった。
(アシュリー!? ……それにジェシーも)
二人はグリムたちの前に炎で壁を作りだす。
魔力によって作られた炎は雨で消えることはない。
辺りは一気に明るくなり、光と炎が苦手なグリムたちは少しずつ後退を始めている。
「ルイスがいたぞ!! 皆こっちへ集合してくれ! フォレストグリムが集団で現れた!!」
ジェシーが雨に負けない大声で叫び、右手を上空に向けて伸ばした。
指先から出るいくつもの細い光は上空でドォンと音を立て、さまざまな色の光となって四方八方に飛び散る。
それはまるで花火のようだった。
「ジェシー様! アシュリー様!!」
すぐにたくさんの公爵家の私設騎士たちが姿を見せる。
「ここはわたくしどもにお任せください。お二人はルイス様を!」
剣が何かとぶつかる音やグリムの咆哮が響く中、アシュリーとジェシーが駆け寄ってきた。
「ルイス!! 大丈夫!?」
大声はジェシーではなく、アシュリーのものだ。
(推しのこんなにでかい声、初めて聞いた……)
そんなことを思いながら、俺は頷く。声を出して返事をしたかったのだが、寒さのあまり声が出ない。
「ケガは? 転んだり魔獣に襲われたりはしていない?」
「……て、ない。だい、じょぶ……で、す」
なんとか絞りだした声は掠れてほとんど音になっていない。
アシュリーは両眉を下げ、ほとんど泣きそうな顔で呟いた。
「よかった……っ!」
嬉しくて思考回路が爆発しそうになる。俺は推しの少しだけ冷たい手をぎゅっと握り返す。
アシュリーは再び黙り込んでしまい、俺たちは一言も交わさず離れに戻った。
けれど俺の心の中は表現できないほどの幸福感で満ちていたのだった。
アシュリーが食事を改善しはじめて半年が経過する頃には、過度な脂質を抑えた食生活と適度な運動と日光浴の甲斐あって、アシュリーの症状はかなり改善していた。
新しくできる湿疹はほとんどなく、痕もどんどん薄くなっている。
服装にも変化があり、今日はゆったりした青と白のストライプのシャツの袖を両肘まで捲っている。
少し前まで、真っ黒の長袖ばかり着ていたのが嘘みたいだ。
「アシュリー兄様。今日は涼しくて風も気持ちいいですよ。お散歩に行きましょう」
周りをぴょんぴょん飛び跳ねて騒ぐと、アシュリーは困ったように笑って本を閉じた。
その目は以前とは比較にならないほど、優しい光を湛えている。
「わかったから、少し落ち着いて。ちょうど僕もゼラニウムとラベンダーの様子を見にいきたかったんだ」
俺たちは今、両親の許可を得て庭の一角でハーブを育てており、それらを使って入浴剤や化粧水を作ってみようと話しているのだ。
「やったあ!! アシュリー兄様大好き!!」
「はいはい。ほら、いい子にしていないと転んでしまうよ」
「はあい」
立ち上がったアシュリーが差し伸べた手を、俺は迷うことなく握る。
以前よりもずっと温かい推しの手を握るのにも、やっと慣れてきた気がする。
しかも柔らかいしいい匂いがする。
アシュリーに言ったら香水の匂いだよと笑っていたが、それだけじゃないと思う。
アシュリー自身から漂う、いい匂いがあるのだ。
(うわ……思考が変態だな)
自分で自分をキモく感じてしまうことも多々あるが、推しとの幸せライフを満喫している。
とはいえ悩みや心配がまったくないわけではない。
アシュリーの病気はどんどん改善されてはいるが、完治というのは難しい。
いったんは湿疹が消失しても、食生活がもとに戻ったり、心に大きな負担がかかるような出来事があったりすると、再発や悪化する可能性が高いのだ。
(なんとかして完治のための薬を作りたい……薬ができれば、同じ病気の人たちのためにもなるし、推しが幸せしかない人生を送れるはず!!)
そんなある日、俺はいつものように離れまで遊びにきていた。
「あれ?」
玄関ホールには父上の従者が立っている。
(父上が来ているのかな)
俺はすぐには階段を上らず、一階の客間のほうへと進んだ。少しだけドアが開いている部屋の中から、父上と誰かもう一人の人間の話し声が聞こえてくる。
「ルイス坊ちゃま、立ち聞きはお行儀が悪いですよ」
困った顔をするメイドを笑顔で制し、気配を消してドアに近づいてみる。
「アシュリー様のご病気ですが、その後も改善が続いております」
「それはよかった……! ありがとう、クラウス医師」
「いえいえ。ルイス様のご提案があってこその成果です。アシュリー様もルイス様には心を許していらっしゃるようで、雰囲気や表情もずいぶん変わられましたね」
「ああ。子どもたちがあんなに仲よくなってくれるなんて思わなかった。ルイスは母親に似て心の綺麗ないい子だし、アシュリーも昔のような笑顔を見せてくれるようになってね」
「素晴らしいことです。あとはあの病気が完治さえできればなんの心配もなくなりますね」
「ああ。だがあの子の病気が完治する方法はないのだろう?」
「ずっとそう言われていたのですが……最近、隣国の親しい医師から不思議な話を聞いたのです。彼の患者にもアシュリー様と同じものと思われる病気の方がいたらしいのですが、ある花を煎じたお茶をひと月ほど飲み続けたところ、症状がすべて消えたと。それから一年が経った今でも、まったく再発する気配がないらしいのです。もう完治と言って差し支えない状態だと聞いています」
「そ、その花の名前は!?」
ガタッと音が聞こえ、父上の興奮した声が扉の外に漏れた。
父上と同じか、それ以上に俺の心臓も高鳴っている。
(待て待て……これはすごいことじゃねーか! もしかするとアシュリーの病気が完治するかもしれないなんて)
俺は主治医の言葉を聞き逃さないよう、息を詰めて全神経を耳に集中させた。
その日の夜中、俺は本邸にある図書室へ忍び込み、『魔法薬草百科事典』を持ち出した。
部屋に戻るとベッドの上で早速ページを捲る。
主治医の話によると、隣国で病気を治したのはシャーベットリリーという花らしい。
花の名前を聞いた途端に父上の声から元気がなくなったのを思い出す。
『シャーベットリリーだって!? 幻の花じゃないか。隣国ではどのようにして手に入れたんだろうか』
『それが、患者の家族が命がけで手に入れたとか……入手はできたものの、大変なケガを負ったと聞いています』
『やはりどの国でも、あの花を採取するのは難しいのだな』
『ええ、そのようです。我が国でも、アンブルサイドの森に生息すると聞いたことがありますが』
『あそこは、魔獣だらけの国内で最も危険な場所だぞ。いくら金を積んでも請け負ってくれる者がいるかどうか……』
二人の会話を思い出しながら、シャーベットリリーのページを読み進めていく。
『魔法薬草百科事典』は魔力のこもった特別なインクで書かれているため、挿絵の草花がまるでアニメーションのように動く。花が咲いたり再びつぼみに戻ったりして、挿絵を眺めているだけでもとてもおもしろい。
シャーベットリリーはこの大陸のわずか数か国でしか確認されていない希少な花だ。
険しい山奥や大きな森の中にひっそりと生息しており、満月の夜にだけ花を咲かせるという。
また花が咲いてから一時間以内に摘まないと、花の持つ効能は失われてしまうとも書いてある。
さらに花を摘むことができるのは十五歳以下の純潔の少年少女のみ。
その上、雨が降ったり、条件に合わない人間が採取する前に触れたりすると、あっという間に枯れてしまうという。
(そりゃ入手困難になるわけだ)
俺は本を閉じてベッドに寝転んだ。
シャーベットリリーが咲く場所に魔力を持たない人間がたどり着くのは不可能に近いだろう。
この世界では魔力を持つのは貴族のみ。
だが身分のある者たちが自分の子どもを危険に晒すわけがない。
よほど金に困っている家なら別だろうが、魔力の種類や強さによってはたどり着けない可能性が高いし、おそらく下級貴族では難しいだろう。
それに山奥や森の中は魔獣がうようよしている。
しかも満月の夜というのは魔獣たちの力がもっとも高まると言われているのだ。
(そんなヤバいときにアンブルサイドの森に行くなんて、普通に考えたら自殺行為だよなあ)
そうは思うが父上と主治医の話を聞いた時点で、シャーベットリリーを採取しに行くことは俺の中で決定事項になっていた。
魔力の扱い方はかなりうまくなったと自負しているし、こっそり自主練習も行っている。
次の満月は一週間後だ。あまり時間はないが来月まで待っていられない。
明日から誰にもバレないように早急に準備を進めなければ。
(……ま、なんとかなるだろ。ていうか、なんとかする!)
もしかしたら推しの病気が完治するかもしれないという興奮で、俺はその夜なかなか眠りにつくことができなかった。
そうして一週間後の満月の夜。
俺は予定通り皆が寝静まった頃を見計らって屋敷を抜け出した。
風の魔力があれば空を飛ぶことができる。きちんと練習すれば、体一つで少年マンガの主人公のように飛ぶことができるらしいが、まだそんなことはできない。
いろいろと悩んだ挙句、前世の魔法使いのように、掃除用具入れから拝借したほうきにまたがるスタイルで飛ぶことにした。
密かに猛練習をしたおかげで、部屋の窓から難なく飛び立つことができた。
今夜の月はいつもより大きくて眩しい。
だが少し雲が多いのが気になる。
もしかすると明日は雨になるのかもしれない。
(天気は今夜だけ保ってくれれば問題ないから、大丈夫だろ)
月と星の光に照らされながら、アンブルサイドの森を目指して空を翔けた。
自分に出せる最速のスピードで飛んだこともあり、あっという間にアンブルサイドの森へたどり着く。
うっそうとした広大な夜の森は真っ黒で、今にも魔獣が飛び出してきそうだ。
(花を摘んだらさっさと退散したほうがよさそうだな)
まずは上空からシャーベットリリーを探索することにした。一時間が過ぎた頃、それらしきものを見つけた。
「ん? あれじゃないか!?」
興奮のあまり声が大きくなる。
よく見えるところまで降りていくと、『魔法薬草百科事典』に描かれていたイラストとそっくりな、水色の砂糖菓子のような百合が月の光を浴びて美しい花を咲かせていた。
「わあ……思っていたよりずっと綺麗」
こんなに綺麗な花を摘み取ってしまうことに心が痛んだ。
だが、これも推しの病を治すため。
(花の命をムダにしないように、絶対に病気を治そう)
気持ちを込めてシャーベットリリーを手折り、魔力の込められた特別製の麻袋に詰めていく。
袋がいっぱいになる頃、ふと周囲に異変を感じた。
見上げると月に雲がかかりはじめている。
月の周囲をうろついていた濃い灰色の雲がみるみる増殖して、美しい夜空はあっという間に曇天に様変わりした。
残っていたシャーベットリリーに目をやると、すでに萎んでしまっていた。
(咲いているうちに採取できてよかった……!)
だがホッと胸を撫でおろしたのも束の間、すぐにポツポツと雨粒が落ちてくる。
あっという間に雨足はどんどん強くなり、俺は慌てて大きな木の下に入った。
木の魔力で小さな木製のテントを作り、その中に座る。
(早く帰らないとまずいよな)
だがこの豪雨の中を飛ぶのは難しい。
もし飛ぶのであれば雨除けが必要だ。
魔力で傘を作ることはできるだろうが、その後に家へ戻るまで飛び続ける魔力が残っているかは正直、微妙だ。
ただでさえ激しい雨の中を飛ぶのは大変だし、魔力の消費量も半端じゃないはず。
いくら魔力が強くても、一日に体内に貯めておくことができる魔力の量は年齢や体格によって異なる。
まだ九歳の俺は、魔力貯蓄量がそう多くない。
万が一、途中で魔力切れを起こしたら、飛んでいる高さによっては死んでしまう可能性もある。
(そういえば俺の魔力、あとどれくらい残ってるんだろう)
右手を伸ばして空中にかざし、呪文を唱えると、空中にハート型のメーターのようなものが現れた。
「えーと、今の魔力残量は……五!?」
予想以上に少ない表示で大声が出る。
今のままでは帰るどころか、飛ぶことができるかどうかも怪しい。
(こりゃ朝になっても帰れそうにないな。俺がいないことがわかったら、大騒ぎになるだろうなあ。クソ、失敗した……)
収まるどころかどんどん激しくなる真っ黒な雨空を見上げて、俺は重いため息を吐いた。
◇◇◇
ルイスが来てから僕――アシュリー・クロフォードの生活は一変した。夜、ベッドに入ってからもかゆみであまり眠れない日々が続いていたのに、病状がよくなると熟睡できるようになった。
だがその日は一度眠りについた後、すぐに目が覚めてしまった。
(ずいぶん騒がしいな……こんな時間に、何かあったんだろうか)
常夜灯がわりの魔法花が優しく光る静かな部屋の中、僕はゆっくりと上体を起こした。
扉の外では複数の足音や人の声が聞こえる。この離れに越してきてから、こんなに騒がしいのは初めてだ。
ベッドサイドに置いてあるガウンを羽織って廊下に出ると、たくさんの使用人が焦った様子であちこち走り回っていた。
「ねえ、何かあったの?」
その中の一人に声をかけてみる。振り返ったのはルイス付きのメイドだ。
「アシュリー様!? なぜここに……そうだわ、アシュリー様のお部屋はすぐ側ですね。大変失礼いたしました」
「なんだか外が騒がしくて目が覚めたんだ。一体どうしたの? それにルイス付きのきみがなぜこんな夜中に――」
嫌な予感がする。
「……もしかしてルイスに何かあったの」
メイドは青褪めて唇を噛み、視線を彷徨わせた。
「何か、あったんだね……僕に話して」
目線をしっかり合わせて伝えると、メイドは決心したように大きく息を吸い込んだ。
「ルイス様が、お部屋にいらっしゃらないのです」
「……は?」
動揺で声が掠れる。
「どういうこと? もっと詳しく説明してもらえるかな」
「昨晩、確かにベッドでお休みになられたはずなのですが……当番のメイドが水差しのお水を取り替えるのを忘れていたので、お部屋に入りましたらベッドにお姿がなく……」
「……誰かに攫われたということ?」
自分の言葉の恐ろしさに声が震えそうになった。
「いえ。寝具に乱れた様子はございませんでしたので、おそらくはご自身でどこかへ行かれたのかと」
「こんな夜中に?」
「はい。ルイス様は以前にも、真夜中にお部屋を抜け出して、お屋敷を探検なさっていたことがあるのです。あのときはダンスホールの隅でお休みになってしまったのを、朝になって私たちが見つけたのですが」
「でも今夜はどこを捜しても見つからずに、離れまで捜しに来たんだね」
「……左様でございます」
「この様子だとこっちでも見つからないんだね」
メイドはがっくりと肩を落とした。
「父上たちも来ているの?」
「はい。旦那様と奥様は一階を捜しておられます。ジェシー様は本邸のほうを」
「僕も捜す」
「ア、アシュリー様はお休みくださいませ! お体に障ります。外はひどい雨が降っておりますし、気温もかなり下がっておりますから」
「でもルイスはそんな中で一人、助けを待っているかもしれない。これだけの人数で邸内を捜して見つからないとなると、外にいる可能性が高いと思う」
「まさか、そんな……!!」
「あの子は僕と同じで自然が好きだ。もしかしたら庭園にいるのかもしれない。温室には夜にしか咲かない花もあるし、見に行く可能性がないとはいえないよ」
メイドが口元を両手で覆う。
雨は窓に叩きつけるように降り続け、ヒューヒューと唸るような風の音も聞こえる。
(こんな中に長時間いたら、小さい子どもは命に関わる)
「僕はこれからジェシー兄上のところに行くよ。これから先の行動は、僕が勝手にやることだ。きみは僕と会って話したことを忘れるんだ。いいね?」
「ですが、もしアシュリー様にまで何かあったら……」
「大丈夫。以前よりも今の僕はずっと健康だ。それに――」
最初の頃はただ煩わしいだけの存在だったけれど、ルイスがきっかけで病気が快方に向かったのだと、僕はもう認めている。
「兄が弟を守るのは当然のことだろう」
安心させるようにできるだけ明るい声で告げると、僕はすぐに転移魔法で本邸へ飛んだ。
本邸では離れ以上にたくさんの使用人たちがルイスを捜索していた。
「ルイス様! いらっしゃいますか!?」
「ルイス坊ちゃま! どうかお返事してください!」
ランプを手にしたメイドたちが、泣きそうな顔であちこち捜し回っている。
玄関ホールから正面に伸びる階段の大きな踊り場では、兄上が皆に指示をしていた。
僕は急いで兄上に駆け寄る。
「何か手がかりは見つかったのですか?」
僕に気づいた兄上は目を見開いて叫んだ。
「ア、アシュリー! なぜここにいるんだ! 早く戻れ、体調が悪くなったらどうする!」
「もうこのぐらいは大丈夫ですから落ち着いてください。それよりルイスは?」
「う……それが何も。あの子はまだ小さいし、きっと屋敷のどこかにいるはずだと思うんだが」
「兄上、ルイスの部屋の鍵はお持ちですか?」
「ああ。ここにある」
兄上はポケットから金色の大きな鍵を取り出した。
「貸していただいてもよろしいですか? 自分の目でルイスの部屋を確かめたいのです」
「わかった。だが俺も一緒に行くぞ」
「一人で大丈夫です」
兄上は厳しい顔で首を左右に振る。
「ダメだ。おまえにまで何かあったらどうする。ルイスだけじゃない、おまえだって俺の大切な弟なんだぞ」
今度は僕が目を見開く番だった。
最近はルイスのおかげでだいぶ話をするようになったが、肉体派の兄上と読書や植物を好む僕とでは、共通点がほとんどない。
だから、あまり好かれていないと思っていた。
それなのに面と向かって「大切だ」なんて言われると照れくさいし、どんな顔をしていいかわからなくなる。
「……わかりました。一緒に行きましょう」
なるべく平静を装って、足早にルイスの部屋へ向かった。
すでに捜索しつくしたからなのだろう、ルイスの部屋の周囲は人気がなく静まり返っている。
薄暗い部屋の中、兄上と二人、それぞれ魔法で炎を出して部屋の中を照らす。
炎といってもそのまま出すと飛び火してしまうことがあるので、ごく小さな空気の球体を作り、その中に炎を閉じ込めるのだ。
それらがいくつも空中を浮遊する様子はまるで蛍が飛んでいるように見える。
ルイスが見たら喜ぶだろうと、いつか見せてやりたいと思っていたのに。
いつの間にかそんな風に考えていてハッとする。
(大丈夫だ、ルイスはきっとすぐに見つかる。僕が、見つけるんだ)
明かりを頼りに各自、部屋の隅々まで調べていく。
ふいにベッドのヘッドボードの隙間に押し込まれているものが目に入る。
「『魔法薬草百科事典』……?」
挟まっていたのは、一冊の本だった。
確かこれは図書室の蔵書で、基本的には持ち出し禁止だったはず。
なぜこんなところにあるのだろうか。
小さな子ども向けの内容でもないし、こんなものを読んでも楽しいとは思えない。
不審に思いながらしおりが挟まっているページを開くと、風にそよぐシャーベットリリーの絵が目に飛び込んできた。
(まさか、ルイスはあの話を知っていたのか!?)
心音が一気にスピードを上げ、全身からどっと汗が噴き出す。
呆然と立ちすくんでいる僕に兄上が近寄ってくる。
「何か手がかりは見つかったか」
「……兄上。今夜は確か、満月でしたよね」
「ん? ああ。雨が降り出すまでは綺麗な月が見えていたな」
「ルイスが姿を消したのがわかったのは、雨が降り出す前ですか?」
どうか僕の予想が外れていてほしい。そう思うのに嫌な予感はどんどん大きくなっていく。
「ああ。メイドが気づいたときには、まだ空は晴れていたそうだ」
再び鼓動が速くなり、一瞬、兄上の声が遠くなる。
声が震えないよう、何度か深呼吸を繰り返した後、僕は腹に力を込めた。
「兄上、ルイスの居場所がわかったかもしれません」
◇◇◇
「うう……やばい。寒すぎる」
降りやまない雨の中、小刻みに震える体を自分で抱きしめる。
魔力残量がほぼない状態で魔力を使い続けると、最悪の場合は命を落としてしまうこともある。
しかも俺の持つ魔力は風・水・木ときている。火の魔力があれば焚火をして暖を取ることもできたが、残念ながらそういうわけにもいかない。
そんなわけで今できることは雨が止み、魔力量が回復するのを大人しく待つことだけなのだ。
(雨はまだいいとして、これで魔獣でも出てきたらマジで詰む)
魔獣なのかただの獣なのか、どこからか遠吠えのようなものが聞こえる。
魔力が使えない限り、今の俺はただの無力な子どもにすぎない。
けれどせっかくシャーベットリリーを採取することができたのだから、こんなところで野垂れ死ぬわけにはいかないのだ。
少しでも温まろうと、かじかむ両手に息を吹きかけてみるが、吐く息すら冷たい。
(雨が止んだとしても、魔力が回復するまであと半日はかかりそうだな)
朝になれば屋敷を抜け出したことがバレてしまうだろう。
いや、下手をしたらもう気づかれているかもしれない。
一刻も早く採取したくて焦りすぎた。次の満月に照準を合わせて、もっと計画を練ればよかった。
だが後悔してももう遅い。
目を閉じて木の幹に背中をもたせかけたそのとき。
鋭い視線と禍々しい気配を感じた。
(なんだろう……)
目を開けて注意深く辺りを見回すと、数メートル先の暗闇からいくつもの緑色の不気味な瞳がこちらを見ている。
(あれは……まさかフォレストグリム!?)
フォレストグリムとは深い森林の中に棲む魔獣で、好物は人間の魂だ。弱点は光と炎なのだが、あいにく今はそのどちらもない。
フォレストグリムたちはこっちの様子を窺いながら少しずつ近づいてくる。同時に獣らしい唸り声のようなものも聞こえてきて、背筋に寒気が走った。
(まずいぞ。このままじゃ食われちまう)
確かコイツらは高い所には登れない。
木に登ればなんとなるかもしれないが、もはやそんな体力すら残っていない。
(諦めるな。本気で考えればきっと何か策はあるはずだ。考えろ、考えろ……)
集中しようと努力しても、少しずつ漂ってくるフォレストグリムの息遣いや獣の臭いに動揺して考えがまとまらない。
(どうしよう、このままじゃ殺られる……!)
反射的にぎゅっと目を閉じた瞬間、ものすごい轟音が響いた。
驚いて目を開けると視界に二つの背中が広がっている。
振り向かなくても誰のものなのか俺にはわかった。
(アシュリー!? ……それにジェシーも)
二人はグリムたちの前に炎で壁を作りだす。
魔力によって作られた炎は雨で消えることはない。
辺りは一気に明るくなり、光と炎が苦手なグリムたちは少しずつ後退を始めている。
「ルイスがいたぞ!! 皆こっちへ集合してくれ! フォレストグリムが集団で現れた!!」
ジェシーが雨に負けない大声で叫び、右手を上空に向けて伸ばした。
指先から出るいくつもの細い光は上空でドォンと音を立て、さまざまな色の光となって四方八方に飛び散る。
それはまるで花火のようだった。
「ジェシー様! アシュリー様!!」
すぐにたくさんの公爵家の私設騎士たちが姿を見せる。
「ここはわたくしどもにお任せください。お二人はルイス様を!」
剣が何かとぶつかる音やグリムの咆哮が響く中、アシュリーとジェシーが駆け寄ってきた。
「ルイス!! 大丈夫!?」
大声はジェシーではなく、アシュリーのものだ。
(推しのこんなにでかい声、初めて聞いた……)
そんなことを思いながら、俺は頷く。声を出して返事をしたかったのだが、寒さのあまり声が出ない。
「ケガは? 転んだり魔獣に襲われたりはしていない?」
「……て、ない。だい、じょぶ……で、す」
なんとか絞りだした声は掠れてほとんど音になっていない。
アシュリーは両眉を下げ、ほとんど泣きそうな顔で呟いた。
「よかった……っ!」
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