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浴室の雨
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目が覚めた瞬間、体がぐったりと重いのを感じる。まだ眠っていたいというように瞼が落ちてくる。ん、と呻きながらなんとか腕を上げて目元を擦った。ずいぶん深く眠り込んでしまったようだ。サアサアと聞こえ続けているのは雨の音だろうか。ここはどこだったか、と涼はぼうっとした気分で辺りを眺める。何か夢を見ていたようで、眠る前の記憶が曖昧だった。すぐに自分の部屋ではないことに気がつく。どこかホテルの一室のようだ。パリッとしたシーツにあまり柔らかくない掛け布団。衣服を纏っていないことから昨夜は誰かと寝たのだろうと思い当たる。しかし隣には誰の気配もなかった。
ザアザアとずっと一定に鳴り続ける水音が雨音ではないとようやく気がついた。外から聞こえてくるにしてはあまりに鮮明で、絶え間がない。ごろりと寝転がると黒髪がシーツに散らばる。まだ働きの鈍い頭でシャワールームを見やった。磨りガラスの向こう側で水音が聞こえているようだ。
ガシガシと頭を掻いてだるい体を起こした。こんな職業でありながら誰の前でもぐっすりと眠ってしまうのは危険すぎるらしい。寝込みを襲われたらどうするんだと叱られることもあるが、深い眠りに落ちてしまうのだから致し方ない。時計を見るとまだ深夜だった。それなりの時間は眠ったはずだが温かい布団の中にいるとまだ惰眠を貪りたくなってくる。
甘えるように布団に縋り付いて再びうつらうつらとする。どれくらい経っただろう。蕩けた思考でも微かな違和感があって涼は目を押し開いた。それなりの時間が経っているはずだがシャワーの音が止む気配がない。ノイズのようにずっと変わることのない水音からして体を洗っているような気配もなかった。億劫ではあるが体を起こし、裸足で床に降りる。
空調が効いているため寒くはなかった。涼は一糸纏わぬ姿のまま無遠慮に扉を開ける。むわっと広がってきた湯気に、ずいぶん長いこと熱気が閉じ込められていたのだと知る。霧が晴れるとそこにはどこか予想していた光景が広がっていた。排水口に流れていく湯に混ざる赤色。無感情に湯を吐き出すシャワーヘッド。顔も覚えていない男が壁に寄りかかって絶命していた。流れ続けていた湯によって死体はふやけ、グロテスクな様相に変わっている。煮込みすぎた鶏肉のようだと思いながら涼はようやくシャワーを止める。
そういえば殺してしまったのだったか、とようやく昨夜のことを思い出すことができた。酒に酔っていたため記憶が浮ついているが手を出してきたのは向こうが先だったように思う。一般人でないのは気配で分かっていたがまさか自分を殺そうとしてくるなんて、と不意を打たれたような気がする。しかしそういったことには慣れているので返り討ちにしたはずだ。現に男は涼を刺すはずだったナイフで深々と刺されている。
シャワールームの床を汚してはいけないと血を流そうとして、いつまでも流れ続ける血に飽き飽きしたのだろう。もういいやとベッドに横になったらぐっすり寝込んでしまったというわけだ。刺された時にはしばらく息があったのかもしれないが、水流を当て続けられていた傷口は血が止まることなく失血死したのだろう。隣室に瀕死の男がいる状態で眠れる涼の図太さを友弥やヨウなら信じられないと言うはずだ。
扉に寄りかかって涼は死体を見下ろした。この処理をどうしようかと考える。幸介や友弥に連絡したら怒られるかな、ヨウは論外だな、と頭を巡らせる。だったら内緒で掃除屋に依頼してしまおうと涼は電話一本で事後処理を頼んでしまった。
脱いだ服を拾い集めて身につけながら、昨夜は結局そういった雰囲気になる前に終わってしまったなあと思う。一緒にシャワーを浴びようと言われてそこでおしまいだ。なんだか消化不良だった。
ところでどうして命を狙われたのか心当たりがないので男の服を見ながら首を捻った。分かりやすくチンピラというわけではなかったがどことなく同業者の雰囲気はあった。依頼されたなら雇い主くらい聞いておいてもよかったかもしれないと思う。そういうところが幸介に怒られるんだなあ、と苦笑した。せめて証拠でもと男の上着からスマートフォンを抜き出して尻ポケットに押し込んだ。パスワードが突破できれば何か分かることもあるだろう。
涼は掃除屋を待たずにホテルの部屋を出る。扉は開けたまま出てきたので困ることもないだろう。得意先の掃除屋にちゃんと振り込んでおかなければと思いながら階段で下まで降りる。今夜ははずれだったなあ、と思い返すと面白くない気持ちになってきて拗ねた顔つきのままホテルから出た。
外に出ると本当に小雨が降っていて更にげんなりとしてしまう。雨は嫌いだ。湿気で髪がまとまらないし何より濡れてしまう。だがそう遠くはない家路を思うとわざわざ傘を買いに行くのも面倒で、濡れながら帰ってしまおうと踏み出した。早速髪を濡らしていく雨粒に機嫌が急降下していく。
気持ちのいい酔いもすっかり醒めてしまった。帰ってすぐにシャワーを浴びたら今夜はとことん付き合ってもらおうと仲間の顔を思い浮かべる。誰かはまだ起きているであろうし、全員巻き込んでしまってもいい。ああイライラする、と濡れた髪をかきあげて足を早めるのだった。
ザアザアとずっと一定に鳴り続ける水音が雨音ではないとようやく気がついた。外から聞こえてくるにしてはあまりに鮮明で、絶え間がない。ごろりと寝転がると黒髪がシーツに散らばる。まだ働きの鈍い頭でシャワールームを見やった。磨りガラスの向こう側で水音が聞こえているようだ。
ガシガシと頭を掻いてだるい体を起こした。こんな職業でありながら誰の前でもぐっすりと眠ってしまうのは危険すぎるらしい。寝込みを襲われたらどうするんだと叱られることもあるが、深い眠りに落ちてしまうのだから致し方ない。時計を見るとまだ深夜だった。それなりの時間は眠ったはずだが温かい布団の中にいるとまだ惰眠を貪りたくなってくる。
甘えるように布団に縋り付いて再びうつらうつらとする。どれくらい経っただろう。蕩けた思考でも微かな違和感があって涼は目を押し開いた。それなりの時間が経っているはずだがシャワーの音が止む気配がない。ノイズのようにずっと変わることのない水音からして体を洗っているような気配もなかった。億劫ではあるが体を起こし、裸足で床に降りる。
空調が効いているため寒くはなかった。涼は一糸纏わぬ姿のまま無遠慮に扉を開ける。むわっと広がってきた湯気に、ずいぶん長いこと熱気が閉じ込められていたのだと知る。霧が晴れるとそこにはどこか予想していた光景が広がっていた。排水口に流れていく湯に混ざる赤色。無感情に湯を吐き出すシャワーヘッド。顔も覚えていない男が壁に寄りかかって絶命していた。流れ続けていた湯によって死体はふやけ、グロテスクな様相に変わっている。煮込みすぎた鶏肉のようだと思いながら涼はようやくシャワーを止める。
そういえば殺してしまったのだったか、とようやく昨夜のことを思い出すことができた。酒に酔っていたため記憶が浮ついているが手を出してきたのは向こうが先だったように思う。一般人でないのは気配で分かっていたがまさか自分を殺そうとしてくるなんて、と不意を打たれたような気がする。しかしそういったことには慣れているので返り討ちにしたはずだ。現に男は涼を刺すはずだったナイフで深々と刺されている。
シャワールームの床を汚してはいけないと血を流そうとして、いつまでも流れ続ける血に飽き飽きしたのだろう。もういいやとベッドに横になったらぐっすり寝込んでしまったというわけだ。刺された時にはしばらく息があったのかもしれないが、水流を当て続けられていた傷口は血が止まることなく失血死したのだろう。隣室に瀕死の男がいる状態で眠れる涼の図太さを友弥やヨウなら信じられないと言うはずだ。
扉に寄りかかって涼は死体を見下ろした。この処理をどうしようかと考える。幸介や友弥に連絡したら怒られるかな、ヨウは論外だな、と頭を巡らせる。だったら内緒で掃除屋に依頼してしまおうと涼は電話一本で事後処理を頼んでしまった。
脱いだ服を拾い集めて身につけながら、昨夜は結局そういった雰囲気になる前に終わってしまったなあと思う。一緒にシャワーを浴びようと言われてそこでおしまいだ。なんだか消化不良だった。
ところでどうして命を狙われたのか心当たりがないので男の服を見ながら首を捻った。分かりやすくチンピラというわけではなかったがどことなく同業者の雰囲気はあった。依頼されたなら雇い主くらい聞いておいてもよかったかもしれないと思う。そういうところが幸介に怒られるんだなあ、と苦笑した。せめて証拠でもと男の上着からスマートフォンを抜き出して尻ポケットに押し込んだ。パスワードが突破できれば何か分かることもあるだろう。
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外に出ると本当に小雨が降っていて更にげんなりとしてしまう。雨は嫌いだ。湿気で髪がまとまらないし何より濡れてしまう。だがそう遠くはない家路を思うとわざわざ傘を買いに行くのも面倒で、濡れながら帰ってしまおうと踏み出した。早速髪を濡らしていく雨粒に機嫌が急降下していく。
気持ちのいい酔いもすっかり醒めてしまった。帰ってすぐにシャワーを浴びたら今夜はとことん付き合ってもらおうと仲間の顔を思い浮かべる。誰かはまだ起きているであろうし、全員巻き込んでしまってもいい。ああイライラする、と濡れた髪をかきあげて足を早めるのだった。
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