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背中の記憶
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リビングで夕飯を食べた後、例のごとくダラダラと時間を過ごしていた。幸介は事務所でやることがあるからと二階にいるし、友弥は地下の射撃場に籠っている。ヨウはソファーに座ってテレビを見ていたのだが、隣でスマートフォンをいじっていた涼がおもむろに立ち上がった。
見ていたバラエティ番組がちょうどCMになってしまったのでヨウは涼の背中を目で追う。涼は姿見で軽く髪を直したかと思うと香水をつけ直していた。シャツをめくりあげて左胸の辺りに吹きかけているのをぼんやりと眺める。これから外出するのだろう。涼が夜に遊び歩くのは日常茶飯事なのでヨウもいつものことかと見ていた。
「どっか行くの」
声をかけると涼は上着を羽織りながら返事をする。ソファーの近くまで戻ってきて机に置かれたスマートフォンを取ると尻ポケットに入れた。
「うん。遊び行ってくる」
ふーん、とヨウは聞いておいて別段興味もなさそうに返した。どこに行くだの誰に会うだの言わないということはヨウの知り合いではないのだろう。きっと涼とも知り合い以下の相手なのではないかとなんとなく思った。涼は楽しそうに支度をするわけでもなければ浮かれて出て行くわけでもない。淡々と身支度をして出て行く様はまるで毎日の出勤のようにも見えた。
「いってきまーす」
ゆるく言ってリビングから出て行く背中にいってらっしゃいを言いかけて、ふと口を噤む。テレビ画面ではCMが終わり楽しげなスタジオの様子が映し出されていたがヨウの視線は涼から離れなかった。
いつも見ているはずの光景なのに、何かざらりとした物を感じる。落ち着いていた鼓動が何かに気づけと言うようにとくとくと暴れ出す。違和感を探ろうとして注視するが涼に変わったところは見られない。なんだ、と自問しながら見つめるほどに背中に瞳が吸い寄せられて、チリチリと炙られるように焦る頭が一秒を何分にも感じさせた。
いってきます、と声が聞こえた気がした。あ、と見開かれたヨウの瞳の中で部屋は過去に戻る。もっと薄汚れた、物のほとんどない狭い部屋だ。隙間風のひどい、歪んだ扉の前。同じように背中を送り出したことを思い出した。ヨウにはやけに大きく、頼もしく見えた背中。いってらっしゃいを言いながら漠然とした不安に襲われたことを覚えていた。
にいちゃん、と呼びかけた自分の声は幼い。振り返った兄が困ったように笑う。泣き出しそうな顔をする弟を安心させるように、明るい笑顔で不安を笑い飛ばす。すぐに帰ってくるからと頭を撫で、兄の姿は遠ざかってしまう。いつもはヨウを元気付けてくれる兄の言葉が、なぜかつっかえて体に染みていかない。引き止めることもできず扉が閉まった。一人残される。何も言えないまま、何もできないまま、ただ待ち続ける。時間が経つほどに胸を埋めていく暗い感情に溺れながら。
「ま、って」
掠れて零れた声に涼は不思議そうに振り返った。何か言ったかと聞き返そうとした涼が驚いたようにヨウを見つめ返す。
どくん、どくん、と耳元で自分の心臓の音が聞こえていた。小さな違和感は今や大きな不安になってヨウの全身に広がっていた。
「行かないで」
あの日言えずに後悔した言葉が勝手に飛び出していた。子供っぽい自分の声がやけに遠く聞こえた。立ち上がって小走りに涼の元へ行く。まるでそうしなければ逃げてしまうとでも言いたげにヨウは強く涼の手を掴んだ。
見ていたバラエティ番組がちょうどCMになってしまったのでヨウは涼の背中を目で追う。涼は姿見で軽く髪を直したかと思うと香水をつけ直していた。シャツをめくりあげて左胸の辺りに吹きかけているのをぼんやりと眺める。これから外出するのだろう。涼が夜に遊び歩くのは日常茶飯事なのでヨウもいつものことかと見ていた。
「どっか行くの」
声をかけると涼は上着を羽織りながら返事をする。ソファーの近くまで戻ってきて机に置かれたスマートフォンを取ると尻ポケットに入れた。
「うん。遊び行ってくる」
ふーん、とヨウは聞いておいて別段興味もなさそうに返した。どこに行くだの誰に会うだの言わないということはヨウの知り合いではないのだろう。きっと涼とも知り合い以下の相手なのではないかとなんとなく思った。涼は楽しそうに支度をするわけでもなければ浮かれて出て行くわけでもない。淡々と身支度をして出て行く様はまるで毎日の出勤のようにも見えた。
「いってきまーす」
ゆるく言ってリビングから出て行く背中にいってらっしゃいを言いかけて、ふと口を噤む。テレビ画面ではCMが終わり楽しげなスタジオの様子が映し出されていたがヨウの視線は涼から離れなかった。
いつも見ているはずの光景なのに、何かざらりとした物を感じる。落ち着いていた鼓動が何かに気づけと言うようにとくとくと暴れ出す。違和感を探ろうとして注視するが涼に変わったところは見られない。なんだ、と自問しながら見つめるほどに背中に瞳が吸い寄せられて、チリチリと炙られるように焦る頭が一秒を何分にも感じさせた。
いってきます、と声が聞こえた気がした。あ、と見開かれたヨウの瞳の中で部屋は過去に戻る。もっと薄汚れた、物のほとんどない狭い部屋だ。隙間風のひどい、歪んだ扉の前。同じように背中を送り出したことを思い出した。ヨウにはやけに大きく、頼もしく見えた背中。いってらっしゃいを言いながら漠然とした不安に襲われたことを覚えていた。
にいちゃん、と呼びかけた自分の声は幼い。振り返った兄が困ったように笑う。泣き出しそうな顔をする弟を安心させるように、明るい笑顔で不安を笑い飛ばす。すぐに帰ってくるからと頭を撫で、兄の姿は遠ざかってしまう。いつもはヨウを元気付けてくれる兄の言葉が、なぜかつっかえて体に染みていかない。引き止めることもできず扉が閉まった。一人残される。何も言えないまま、何もできないまま、ただ待ち続ける。時間が経つほどに胸を埋めていく暗い感情に溺れながら。
「ま、って」
掠れて零れた声に涼は不思議そうに振り返った。何か言ったかと聞き返そうとした涼が驚いたようにヨウを見つめ返す。
どくん、どくん、と耳元で自分の心臓の音が聞こえていた。小さな違和感は今や大きな不安になってヨウの全身に広がっていた。
「行かないで」
あの日言えずに後悔した言葉が勝手に飛び出していた。子供っぽい自分の声がやけに遠く聞こえた。立ち上がって小走りに涼の元へ行く。まるでそうしなければ逃げてしまうとでも言いたげにヨウは強く涼の手を掴んだ。
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