裏社会の何でも屋『友幸商事』に御用命を

水ノ灯(ともしび)

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絶対零度の共振

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 通話を終えると、乾の冷静さは少しだけ戻っていた。喉に引っかかってなかなか声が出ず、働かない頭ではうまく言葉も紡げなかったのだがゆっくりと諭されるうちに呼吸ができるようになった。根気強く宥められ、乾はなんとか知る限りを伝えることができた。
 安居はトイレに駆け込み、一度嘔吐したらしい。今は自分のデスクでぐったりとしている。玄関横に放置された段ボール箱には絶対に近づきたくなく、もう覗き込むことすらできなかった。
 乾は少しだけ回転を取り戻した頭で自分は何をすべきか考える。佐々木に何かがあったからといって乗り込んでいけるような力は持ち合わせていない。無事を確かめる手段もなければ、助けを送ることもできない。切れるカードは何も持っていないように思えた。
 また浅くなる呼吸を整えながら、遠目に忌々しい段ボール箱を見やる。そもそもなぜあんなものが送られてきたのだと疑問が浮かび、ようやくまともに思考できるようになった。相手の意図を探ろうとすらしていなかったことに気がつく。真偽はともかく、衝撃的な荷物に動揺して考えることができなくなっていた。
 もし乾が相手の立場なら、わざわざこんな真似はしないだろう。佐々木が潜入していることに気づき、どの組織からやってきたスパイなのかまで分かっているのならばまずは泳がせる。そして最低限の労力で捕まえて依頼主を吐かせたいところだ。誰が自分達の情報を買おうとしているのか知らなければ、本当の敵など見えてこない。
 それなのにこの赤い箱を送るということは、お前達が探っていることに気がついたと宣言するようなものだ。賢明な選択をするならば安居金融はこの仕事から手を引くだろう。だがそれでは依頼主に辿り着くことはできず、向こうの利にはならない。ならば、佐々木から既に依頼主の情報を搾り出したということだろうか。用済みになったスパイを殺し、二度と踏み込むなという脅しをかけてきたとも考えられる。
 脅しで済むだろうか、と事務所で働いてきた経験が囁いた。佐々木が潜入しているのは暴力団だ。こんな小さな事務所、その気になればすぐに潰せるに違いない。実力行使に出ずわざわざこんな手段を使うことに違和感を覚える。
 相手を欺き、翻弄することに長けた乾であるからこそまるで術中にいるかのような不快感を察知していた。自分がまんまと踊らされている気分になる。立っている床すら大きな手の平の一部に見えた。まるで誰かが描いた絵の中に閉じ込められているようだ。急ぎ考えなければと必死になって顔の見えない誰かの裏をかこうとする。
 あんな物を送りつけられれば、当然動揺する。慌てふためき、軽率な行動に出るに違いない。立ち向かうにしろ逃げ出すにしろ何かしらの対応を迫られる。動かなければならないということに相手の意図がある気がした。
 乾の頬に嫌な汗が垂れ落ちてくる。相手は自分達より圧倒的な武力を持っている上に、確実に狙おうとしてきているのではないか。ただでさえ優っているだろうに用心深いことに無防備になった腹を打ち据えようとしている。ならば本当に危ういのは佐々木の方ではない。

「やっすん、あかん」

 ようやく辿り着いた先で最悪のシナリオを読んでしまった。乾は真っ青になって安居に視線を送った。ぐったりとしていた安居が緩慢に顔を上げる。追い詰められたような乾の表情を見て力無い顔が張り詰めた。

「狙われてるのは…………俺らの方や」

 相手はたった二人残されたこの事務所をさらに突き崩そうとしている。掠れた乾の言葉を聞いて安居も危機を察知したようだ。重たい垂れ目が見開かれた。
 慌てて窓に向き直り、ブラインドの隙間から外を見下ろす。いつの間にか事務所の前に黒塗りの車が停まっていた。周囲を監視しているのか、怪しい人影がちらほらと見える。気づけば袋の鼠だった。
 振り返った安居の焦燥を見て乾は事態を把握する。たった二人で何ができると言うのだろう。状況は絶望的だった。籠城した事務所に唯一入り込んだ異物が、自分達の成れの果てだと見せつけられているようで心を蝕んでくる。
 乾はデスクの引き出しを開け、奥の仕切りを押した。行き止まりかに見えた引き出しは新たな空間が露わになり、乾は隠されていた銃を引きずり出す。恐る恐る手の上に乗せ、慣れぬ重みに息を飲んだ。金属の冷たさに指先が凍える。引き結んだ唇は震えていたが、その目から強さは消えていなかった。今持てる最大の武力を手に、乾は覚悟を決めようと深呼吸を重ねていた。
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