隣の席の宇宙人

水ノ灯(ともしび)

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帰りのホームルームを終えると、宙は学校を後にする。部活動には入っておらず、だらだらと話す友人もいない。用事を終えるとすぐに校舎を出た。宙が足早に向かっているのは家ではない。いつも寄り道をして帰るのが日課だった。
高校から坂道を下って細い道に入ると、年季の入った建物がある。長く風雨に晒された濃い木の色が周囲から浮いていた。ガラスの引き戸は開いていて、建物の前には置物が並べられている。ここは祖父が営む骨董品屋だった。
中に入ると薄暗く、埃とカビの匂いが漂ってくる。所狭しと並べられた物で通路が狭い。宙は肩にかけていた鞄を前で抱えてぶつからないように気をつけた。
「おじいちゃん?」
声をかけたが返事はなかった。鍵をかけるのを忘れてどこかに出かけてしまったのだろうか。店とは言っても、客が入っているのを見たことはない。母はガラクタを溜め込んでいるだけだと悪く言う。
それでも宙はこの場所が好きだった。静かで落ち着く。何より、子供の時からずっと好きなものがここにあった。
奥まで体を滑り込ませると、壁に埋め込まれた棚を見る。その一角はぬいぐるみや人形が集められ、ティディーベアから日本人形まで雑多に並べられている。
その中で、ガラスケースに入れられたフランス人形が宙の目当てだった。金色の巻毛と青色の瞳。お姫様のような服を着て座っている。御伽話や少女漫画に憧れるように、初めて見た時になんて綺麗な女の子なのだろうと虜になってしまったのだ。それからこうして通っては眺めている。
ガラスケースを見つめていると、金色の髪の毛がふわりと揺れる光景が思い出された。きららが教室に入ってきた時、この人形が飛び出してきたのかと思った。あれほどの衝撃を受けたのはフランス人形に目を奪われた時以来だった。こんなに強く心を動かされることは二度とないと思っていたのに。
「いらっしゃい」
後ろから声がかけられて体が飛び上がる。振り返れば、祖父がこちらを見上げていた。腰が曲がってしまって会うたびに小さくなっているような気がする。
「それはフランスで買ってきたものでね。もうどこでも作られてないんだよ」
しゃがれた声がフランス人形の説明を始める。宙は思わず溜息を吐いた。この話を聞かされるのは、もう何十回目か分からない。
「おじいちゃん。お客さんじゃなくて孫だよ。宙が来たよ」
なるべく大きな声ではっきりと伝えたが、祖父は不思議そうに見上げるだけだった。その目があまりに純粋なので胸が痛くなる。祖父はいつかこのフランス人形を宙にくれると言ったことも忘れてしまったのだろうか。
「うちの孫はまだこーんな小さくって……おい、ばあさん。お客さんに茶くらい出したらどうだ」
祖父が危うい足取りでよたよたと後ろを振り返る。転ばないように慌てて腕を支えた。
「おじいちゃん、おばあちゃんはもういないでしょ」
祖父が祖母を探して店の奥に入ろうとするので、腕を取ったまま足取りを合わせてついていった。祖父は足腰が悪くペンギンのような速度で歩くので、宙も合わせて小さく足を踏み出す。
「今日の薬飲んだ?」
宙が聞くが、祖父はあちこちを歩き回って祖母を呼ぶ。止めても無駄なので祖父について行きながら、ヘルパーからの書き置きを探した。机の上にノートが置いてある。今日の日付が書かれたページにはもう早い夕飯を終え、薬を飲んだ旨が記されていた。
祖父は歩いて疲れてしまったのか、座ろうとしていた。机に手をついて腰を下ろすのだが、踏ん張る力が足りずに尻餅をついてしまう。宙が支えていても勢いよく座り込み、荒い息を繰り返していた。
祖父は祖母が亡くなってから話が通じなくなってしまった。調子が良ければ宙のことが分かるが、大抵は客や母と間違われる。何か聞いても全く違う答えが返ってくるし、突然感情の起伏が激しくなることもある。祖父の方がよっぽど宇宙人だ。宙がここに通っているのは、祖父を心配しているからでもあった。
「もうお布団敷く?」
祖父は座ったまま目を閉じていた。祖父は船を漕いでいるのか頷いているのかよく分からなかった。このまま眠ってしまいそうだったので、部屋の片隅に畳まれていた布団を広げる。布団が敷かれたのを見ると、祖父は這うように上って横たわった。すぐに寝息が聞こえ始める。
宙は畳の上を摺り足で歩き、店に戻った。開いたままのガラス戸から冷たい風が入ってきていた。預かっている合鍵で施錠する。外はもうすっかり暗くなっていた。細い道には街灯がなく、大通りから漏れる光が余計に暗さを際立たせていた。
「ウチュウジンさん?」
突然声をかけられて体が跳ねる。薄闇の中に立っていたのは、フランス人形のような転校生だった。宙はダッフルコートを着ていても寒さに身を竦めているのに、きららは制服だけで立っている。
「綺羅星さん……今帰りなの?」
まだ心臓がうるさく鳴っている。きららは学校指定のリュックサックを背負っていた。相手が不審者ではなくきららだと分かり、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「一緒に帰ろ」
きららは屈託なく笑う。
「うちがどこか知らないでしょ」
呆れて言うと、きららは初めて気がついたというように慌てていた。それは教室で見ていた様子そのままだった。
転校初日、きららはすぐに囲まれて質問攻めに合っていた。本人は真面目な顔で答えているのだが、突飛な回答が面白がられてすっかり人気者になっていた。みんなの言う不思議ちゃんという言葉にはかわいいという意味合いが大いに込められている。隣の女は宇宙人と呼ぶくせに。更にこのあだ名が嫌になる。
休み時間の度に隣の席に人が集まってくるのは宙にとって迷惑なことだった。聞きたくなくてもどこか外れた会話が聞こえてくる。盛り上がるにつれて宙の席が押し出されていく。どこか違う場所でやってくれと、今日一日で疲れてしまった。きららが悪いわけではないのだが、あまり良い印象を持っていなかった。
「ウチュウジンさんと同じ方向」
きららは宙の帰り道を聞いて嬉しそうに言う。どうやら着いてくるようだ。宙は内心勘弁してほしいと呟いた。既に一日分の苛立ちが溜まっている。これ以上邪魔をされたくない。ささくれ立った気分で、ずっと口にしなかったことがつい溢れ出した。
「私の名前、ウチュウジンじゃないから」
思ったよりも強い声が出た。クラスメイトに今まで言えなかった分までぶつけてしまった。きららはあだ名だと聞いて真似をしていただけなのに。
「なんて呼べばいいの?」
嫌な言い方をしたのに、きららは変わらぬ調子で聞いてきた。気分を害した様子もない。
「名前、宙」
「ソラちゃん」
投げやりな気持ちで答えると、きららはそう言ってにっこりと笑った。家族以外に名前で呼ばれたのは久しぶりのことだった。
「ソラちゃん。今日は教科書見せてくれてありがとう」
きららが真っ直ぐに礼を言うのがくすぐったい。正面から受け止められなくて歩き出す。教科書が揃っていなかったきららに隣の席だから頼まれて見せてあげていただけだ。
「別にいいよ」
綺麗な青色の瞳に見つめられるとどうしたらいいか分からなくなる。フランス人形はガラスケースの中から出てこないが、きららは無機質な人形と違って血を通わせて笑う。誰かと並んで帰ることに慣れておらず、話す事も浮かばなかった。きららに対しての質問はもう大抵クラスメイトがしており、宙の耳に届いていた。
「どこから来たの?」
「遠いところ」
「ハーフって何人?」
「聞いても分からないと思う」
きららは何を聞かれてもにこやかに答えていたが、その中身はそんな調子だった。結局きららのことは少しも知らないままだ。
「ソラちゃんの名前って、これと一緒なんだね」
横を歩いていたきららが指を高く上げた。一本立てられた指が天を指し示している。
「空じゃなくて、宇宙の宙っていう字」
だから宇宙人というあだ名になったのだとは言わなかった。
「そっか、宇宙なんだ」
きららは何が嬉しいのか、声を弾ませる。きららという名前について宙も何か言おうか迷ったが、結局口にすることはなかった。最初に抱いた印象の通り、彼女の名前はきらら以外見つからないと思うほどぴったりだった。
道のりの半分以上を黙って歩き、ようやく自宅へと辿り着いた。一人で帰るよりもずっと疲れた。
「じゃあ、家ここだから」
やっと解放されるという思いで力が抜ける。振り返ると、きららは「また明日ね」と手を振った。
偶然帰りが一緒になることなんて二度とないと思っていた。なぜか次の日も、またその次の日も、宙が祖父の家を出て家に帰る道中できららに会った。待ち伏せされているのかと思ったが、時間を潰している様子はない。いつもきららは自然と横を歩き始める。教室では席を並べているから、きららが隣にいることに慣れてしまった。
「ソラちゃんいつもどこか行ってるの?」
「おじいちゃんのとこ。具合良くないから」
誰にも話したことがなかったのに、きららには祖父のことを伝えていた。クラスメイトには聞かれたこともないので、話す機会が来なかったこともあったがきららでなければ言わなかったかもしれない。きららは何を言っても大袈裟な反応をしない。
「そうなんだ」
そう言ってただ聞いているのが心地よかった。いつしかきららと帰るのは当たり前になり、帰り道で会っても驚くことなく並んで歩くようになっていた。
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