上 下
3 / 10

2)

しおりを挟む
「あぁーあ子涵ズハン兄さんが婚約者だったらよかったのに」
「……はい?!」
 思わぬ言葉に子涵ズハンは茶器を落としそうになってしまった。

子涵ズハン兄さん、女性にモテモテじゃない。優しくて、威張り散らさないし、若いうちに師範の地位まで手に入れられて、優良物件だって街のお姉さん達が言っていたわ」
 陽に当たらないので肌が白いが、それでも優美な仕草と落ち着いた声は町の女性達をとろけさせるほどに魅力的だ。しかも春蕾チュンレイ達の側仕えもしていたので子供の扱いもお手の物。
 野菜屋のおばさんなんてあと10年若かったらアタックしていたのに、と旦那さんの前で悔しがっていたほどだ。

「はははは……ご冗談を。私には毛筆しかないだけですよ」
 そう謙遜する子涵ズハン春蕾チュンレイはため息をついた。本音半分でもあるのだ。ただ、子涵ズハンはもともと朱家に代々使える家僕、婚姻なんて絶対にありえない身分差だ。

「私も妖魔退治に行きたいわ。そうそう、皓轩ハオ・シュエンに弟子ができたらしいわ。なんだっけしゅ……んーなんか口がうまい男の子」
「ほう……弟子ですか? まだつけられないはずですが」
「じゃー自分が勝手に言ってるだけね。最近そいつも一緒に来るのよね。最初の頃は後ろで静かにしてたのに、最近は話しかけてきてなんか嫌な感じなんだけど。皓轩ハオ・シュエンはこいつは良い奴なんだっていうの」

「なるほど」
皓轩ハオ・シュエンに友達が増えるのは良いけど、何故かしら私はその少年とは仲良くしたくないのよねー。私って性格悪くなったみたい。昔みたいに三人で遊びたいのに……」
 春蕾チュンレイはパクリと甘いまんじゅうを口にした。この数年で自分だけ置いてかれているような気もするのだ。跡取りから外れてから二人の態度は変わった。妖魔退治に参加させてもらえないから余計かもしれない。気を遣って妖魔退治の話を一切しない浩然ハオランと逆に皓轩ハオ・シュエンは妖魔退治の自慢ばかりしてくる。
 自分だって参加させてもらえば活躍できるはずだ、そしたらみんなも認めてくれるのでは?っと春蕾チュンレイが思っていると。

「妖魔退治はダメですよ。お嬢様は剣を持っていないのですから」
「……何も言っていないわ」
「顔に出ています。それに迎えがきたようですよ」
「え?」
 ドタドタと激しい足音とともに扉を開けたのは今さっき噂していた皓轩ハオ・シュエンと弟子と名乗る少年だ。

「ここにいたのか春蕾チュンレイ探したぞ!」
 大きな声で溌剌とした姿はまさに武将といっていい雰囲気だ。シュエ家は武術に重きを置いている仙師でもあるので皓轩ハオ・シュエンも、同世代の若者よりも筋肉質だ。
「いやー見つかってよかったですね~。お嬢さんはジャジャ馬とは聞いてましたが男性と一緒とは」
 そしてその後ろに付き従っているのが小太りな少年なせいで余計皓轩ハオ・シュエンが筋肉質に見えてしまう。
「「……」」


「あぁ、子涵ズハン兄さん紹介しとくよ、こいつ俺の弟子の翔杨ショウヤン だ」
ヤン こいつは毛筆の師範である徐子涵シューズハン俺たちがガキの頃は側仕えしてたんだ。怒らせると怖いからな」
「あいやー!師範さんでしたかこれは失礼いたしました。翔杨ショウヤンと申しますわー」
 先ほどのふてぶてしい態度とは変わってニコニコ顔で子涵ズハンに話しかけるヤン春蕾チュンレイ重一気し顔をしかめた。

「怒らせることをしていたのは皓轩ハオ・シュエン様だけですけどねぇ。それよりお嬢様に何かご用で?」
 子涵ズハンは笑顔のまま皓轩ハオ・シュエンに問いかけた。

「あぁ、春蕾チュンレイを借りてくぞ」
「いやよ。私は今子涵ズハン兄さんとお茶をしているのよ」
「あぁ? 俺が誘ってるんだぞ。良いから来いよ」
「そうですよ。お嬢さん兄さんが誘ってるのに行かないなんて損してますよ。他の女性達は素直にいくっていうのに」
「はぁ?!」
 横槍してきたヤンの言葉に春蕾チュンレイは腹を立てて立ち上がってしまった。

「おや、どうしました。嫉妬ですか~いやー女性の嫉妬は怖いですわ~」
 見当違いな言葉を言われ、春蕾チュンレイは開いた口が塞がらなかった。どこに対して嫉妬しているというのか。全く意味がわからなかった。横にいる皓轩ハオ・シュエンは何故か満足そうな顔をしているし、思わず横にいる子涵ズハンを見れば驚いてる表情。どうやら自分の感覚は正常のようだと安心するも、勝手に盛り上がる二人に大きなため息しか出なかった。

子涵ズハン兄さん、そうそう、明明メイメイがお礼を言っていたわ」
「それはよかった」
「何を書いたの?」
「婚約のお祝いに守りの符を」
「それは素晴らしいわね」
 二人で会話していると皓轩ハオ・シュエンが怒ってしまった。

「こら!! 俺を無視するなよ!」
「無視していないわ、お話に興味なかったんだもん」
「そうですね。皓轩ハオ・シュエン様はお嬢様をデートに誘いたかったわけではなさそうなので」
「な、な、デートなんかじゃない!」
 子涵ズハンの言葉に皓轩ハオ・シュエンは顔を真っ赤にさせて否定した。

「そうですよねぇ。デートに弟子を連れてくなんて事ありえませんからねぇ」
「お、おうよ!」
「では、お嬢様。この後はまっすぐお帰りになってくださいね」
「えぇ、そうね」
 春蕾チュンレイ子涵ズハンの言葉でやっと皓轩ハオ・シュエンがここにきた理由がわかったが、同時に本当にデートなのか? という思いもあった。
 子涵ズハンの弟子達が廊下の先で不安そうにこちらを伺っているのも見え、これは自分がいなくならないと仕事の邪魔になってしまうことにも気づいた。
「じゃーまた遊びに来るわね。子涵ズハン兄さん。少しはお外に散歩に出てちょうだいね」
「えぇ、なるべく出るようにします」

 お別れの挨拶をして皓轩ハオ・シュエンの横を通り過ぎれば慌てて、彼が追いかけてきた。
「ま、まてよ! 俺が送ってってやるよ」
「結構よ。弟子に修練でも教えてあげたら? それにこの街は朱家が守っているのよ? 一人で帰れるわ。あなたと違って」
「ぁ、ヤン先に帰ってろ」
「ぇ! いいんですか?」
「いいから帰ってろ!」
 慌てて皓轩ハオ・シュエンヤンを送り返すと、春蕾チュンレイの横に並んで歩き始めた。

「なんで怒ってるんだよ」
「怒るに決まっているわ。なんでそんなに態度が悪いのよ」
「はぁ?春蕾チュンレイだって悪いだろ」
「そっちが先に悪いからね」
「なんだよ。それより、なんで家に居なかったんだよ。今日は家にいる日だろ?」
「どうして私の日程をあなたが知っているの?」
「それは……まぁ、あれだよ。で、ほら行くぞ」
「はぁ? 会話になってないんだけど?」
 乱暴に春蕾チュンレイの腕を掴むと帰り道とは逆の方向に歩き始めてしまった。
「ちょっと!」
「いいから来い」
しおりを挟む

処理中です...