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Scene4 勤勉なる悪党見習い
scene4-4 迫る思惑 後編
しおりを挟む白一色の空間。
「ハァ……ハァ……」
床も壁も天井も、触れればひんやりとした一m四方のパネルがズラリと並んだ殺風景なそこは、照明らしき機器は何一つ無いのに一定の照度が保たれていた。
「ハァ……ハァ……ゲホッ! ゴホッ!?」
〝ルーラーズ・ビル〟 F38。
多目的用に作られたその空間は、司に〝D・E〟の慣熟訓練をさせるために提供された。
事の発端は〝Answers,Twelve〟の談話室で〝D・E〟の説明を受けた後、結局司は「実際にやってみないと分からない」という結論に達し、紗々羅に仮想敵をお願いして実践訓練をすることにしたのだが……。
――タンッ……タンッ……タッ! タッ! ダンッ!!
「くッ!?」
部屋の真ん中に立っていた司は振り向きざまに右腕を立て、左手で手首を掴んだ体勢で両足を踏ん張る。そこに彼の背後へ回り込んだ目を見開く紗々羅の振り抜かれた太刀が叩き込まれ、刃と腕がぶつかる衝撃波と火花が周囲に散る。
確かに仮想敵は依頼した。
だが、それでも始めてから約半日、司はもう自分が本当なら何度死んでいたかも分からないほどに、紗々羅からの容赦無い猛攻に晒され続けていた。
「うぐぅぅッッ!!」
血色の瞳で紗々羅を睨む司の手足が衝撃を押し潰される様に曲がり、それでも堪え踏ん張っていると先に足裏で床のパネルがバキバキと割れ砕け始めてさらに踏ん張りが利かなくなって来る。
そんな限界ギリギリで持ち堪える司に対し、攻め側の紗々羅は汗の雫一つ無い涼しい顔のままで身体を宙に留めつつさらに剣圧を掛けてゆく。
「ぐあッ!?」
その圧の追加でいよいよ許容量をオーバーした司の片膝が床に付き、食い縛る歯が不快な音を立て鼻や目尻から血の筋が垂れ落ち始めた。
紗々羅の圧に対抗しようと踏ん張る自分の力に身体が付いて来ていないのだろう。
そんな様子を見て、ようやく紗々羅は軽く鼻から息を吐き、大きくバク転して床に着地。
しかしすぐさま左へ飛んだ様に見えたあとは、もう着物の茜色すら認識出来ない高速域に入ってしまう。
「ハァッ! ハァッ! ――くそッ!」
汗だくで張り付く前髪よりも視界の邪魔になる血涙や息がしにくくて仕方ない鼻血を適当に拭い、司は休む間もなく両拳を構え直して次の紗々羅の攻撃に備えて全方位を警戒する。
――タンッ! タタンッ! タッ! タンッ!!
怖気すらする。
床や壁……天井からさえも、蹴り付ける音がする。
「ホ、ホント……化け物染みて……――るッッ!?」
また背後から全身が竦み上がる様な殺気を感じ取り、司は床を蹴ってその場で飛び上がった。
すると紙一重で躱せたその足下で、回避されて駆け抜けて行く紗々羅のしっかりと自分を見上げて捉えている何の動揺も無い冷静な眼差しが、司の全身を震え上がらせて直後に遅れてやって来た衝撃波の備えが遅れ、司の身体が意図せずさらに上へと押し上げられた。
「あッ!? ――しまッ!?」
完全に空中に投げ出された体勢になってしまった司。
手足が虚しく宙を掻き、崩れた体勢を戻すことが出来ない。
そしてそこに、さらに上から影が落ちて来て……。
「とうッ!!」
「ぐはぁッッ!?」
正座をする様に揃えた膝を突き出し、一気に急降下して来た紗々羅が司の腹部に深々と突き刺さる。
そのまま床へ叩き付けられた司は血を吐き散らしながら穿たれたクレーターに沈んで大の字に動けなくなってしまい勝敗が決した。
「いやぁ……びっくり。まさかこの短時間でこの私が三割程度の力では斬り飛ばせないくらいに皮膚の硬化を習得するなんて……おまけに目の動きと直感もいい線してる。君、ホント才能あるよ?」
揃えていた足を開いて司の上に跨る体勢になった紗々羅が、ゼエゼエと血混じりの荒い息を吐く司の顔を覗き込みニッコリと笑う。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……クソロリ、ゴリラがよ……な、なんで、そんな……体型で、あんな……重い剣撃と蹴りが……――ぐぇッ!?」
「先輩がッ! 褒めてッ! あげてんのにッ! どうしてッ! いちいちッ! そういうッ! 失礼ッ! かますッ! かなッ! 君はッ!?」
胸を手で抑え付けドンドンと司の上で跳ねる紗々羅。
腹の中がグチャグチャになっていそうな膝落としからの容赦ない追い打ちは、流石に強化された身体にも堪ったものではなかった。
「ぐぇッ!? ちょ、やめッ! ――おぇッ!? ご、ごめんなさいッ! 勘弁ッ! 勘弁して下さいッ! ぼぇッ!? な、内臓が口から出るッッ!!」
傍目には休日に惰眠を貪る父親に「遊んで!」とせがむ娘の様な構図だが、父親役の方が一撃毎吐血して藻掻き苦しんでいる様は、実に恐ろしい光景だった。
「やぁ、青く汗臭い鍛錬の調子はいかが……って、おいおい……やりすぎだぞ紗々羅嬢、少しは加減をしたらどうだ?」
丁度良く部屋へと様子を見に来た良善が紗々羅を諫めて助けられる司。
折角見繕った贔屓のブランドスーツも至る所が無残に破れていて少々苦々しげな顔になる良善だったが、評価する所はきちんと評価する紗々羅の報告を受けると掌を返して満足げな顔になる。
「なるほど、思った通りだ。司……君は元から頭の回転が悪かった訳ではない。〝ロータス〟によって施された脳制限により、君は意図せず〝思考のウエイトトレーニング〟を十何年も一秒も休むことなく続けていたのと同じ効果を得ていた。だからその制限が無くなった今の君の脳は、これまでのデータに無いスピードで〝D・E〟との親和性を高めているのだろう。フフッ! これはとてもいい……実に痛快だ」
「ふぅ、相変わらず良善さんは相手の墓穴が好きですよね? 本当、いい性格をして…………あうぅッ! もう! これなんなの!? 司君開けてぇ!」
部屋の端にレジャーシートを広げて休憩していた三人。
〝ロータス〟の浅はかな考えがことごとく裏目に出ている事態に肩を揺らして笑う良善。
その横で紗々羅は、良善が差し入れに持って来たコンビニのおにぎりの包装に悪戦苦闘して、さらにその横で仰向けに倒れる司の顔にゲシゲシとおにぎりをぶつけ来る。
「うぶッ!? ぐふッ!! だぁ、もう! 分かりましたよ!」
お腹の中でグチュグチュと内臓が修復されていく感触に青褪めていた司は、紗々羅からそれを受け取り包装を剥がしてやる。
ようやく食事にあり付けると無邪気にそれを受け取り豪快にかぶり付く紗々羅だったが、具が刻みわさびだったので食べた瞬間に盛大にむせて悶絶していた。
もちろん司は気付いていたが黙って手渡した。
「司も食べるかい? 〝D・E〟は宿主の体内で増殖と代謝を繰り返す生命的側面もある。今はまだ数も少なく大丈夫だろうが、安定稼働に乗れば一日の摂取カロリーは九千キロ以上を目安にしたまえ。それ以下だとまたガス欠を起こす可能性が出て来るぞ?」
「り、力士でも育てるノリですね? あ、でも今はいいです。なんか腹の中がまだせわしなく動いてる感じがするので……。でも、なんか意外です。良善さん達がこんなコンビニの飯を食ってるなんて……っていうか、かなりシュールですよね。悪の副首領がコンビニ行くの」
勝手なイメージだが、下界を見下ろす展望台の様な所で優雅にステーキでも食べている想像をしていて、そこからの目の前でツナマヨおにぎりを頬張っている悪の副首領だ。ちょっと笑ってしまいそうで修復中の腹部が地味に痛かった。
「あぁ、まぁ普段はもう少しテーブルマナーを順守した食事をしているがね。でも、ここでの食事は全て白服達に作らせている。別に隠す必要は無いから言うが、曉燕がそうだった様にこのビル内にいる白服は全員が元デーヴァだ。私や紗々羅嬢が返り討ちにして屈服させた。彼女達の手料理……嫌だろ?」
「…………」
そういうことかと司の顔が険しくなる。
確かに復讐対象の作った料理などご免被るが、その話になった途端何やら急に良善が「あ~ぁ、面倒臭い」といった感じの白々しいジェスチャーをして来る。
だったら一番下っ端の自分が買い出しくらい行ってきますよと言おうとしたが、なんだかそれも単なる子どもの意地っ張りの様に思えて来てしまう。
(くそッ、なんか落ち着いたからか? 冷静になってる自分がいるんだよな……)
分かっている。
あの時ですら頭の片隅には浮かんでいた。
曉燕は直接的に自分に何かをした訳ではない。
それでも、苦しむ自分を見て笑っていたことは白状したので、やっぱり許せないと思ったのだが、正直突っぱね続ける理由としては弱いと思ってしまっている自分もいる。
(それにあいつ確か「ナノマシンの操作には自信がある」って言ってたよな? 今の俺にとってはまさに一番必要なことだし、あいつを上手く使った方が俺の今後を考えても効率が…………あッ)
そこで思い出すファーストキス。
否定しようの無い柔らかくトロける様な感触が蘇り、司が思わず首を振って雑念を追い出そうとしていると……。
「……フッ」
(あぁぁぁ~~!! クソウゼぇッッ!!)
多分思わず顔が赤くなってしまっていたのだろう。
その理由も目の前で見て知っている良善は「お子様だなぁ」といった感じの失笑を向けて来た。
悔しくて睨みを向けるが、当然威圧で勝てる相手ではない。
「はぁ……気付いているんだろう、司? 折角使える駒が手元にあるのに意地を張って使わないのは勿体ない。少しは大人になったらどうだい? 今のままではデーヴァ共と同レベルの思考基準だぞ?」
絶妙にこちらの自尊心に訴えかけて来る言葉。
するとそこでタイミングを見計ったかの様に部屋の扉が開け放たれる。
「良善様ッ! 大変です! 良善様の起源体が〝ロータス〟に捕捉されました!」
扉を開けて入って来たのは曉燕だった。
そして、一瞬気不味げな視線が司の方を向いた所を見るに、司の前に自分が現れるのは避けた方がいいとは思ってはいたのだろうが、報告すべき内容が内容だけに先送りには出来なかったのだろう。
「り、良善さんの起源体!?」
「あら……それは流石にヤバいわね?」
司だけでなく、お茶で口の中を潤していた紗々羅までもが声音の雰囲気を変える事態。
しかし、この中でもっとも焦るべきであるはずの良善だけは、まるで取り乱す様子も無く微笑を浮かべて肩を竦めていた…………。
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