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事件の前触れ

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 もう冬と言ってもいいくらい、風が冷たくなってきた。
 そんな中でも、子供たちは汗だくで走り回っている。
 
 ……実は私もなんだけど。
 
「ううー……。もう限界」
 
 ドサッと部屋のソファーに倒れこむ。
 
「ねえ、お姉ちゃん。この本読んでー」
 
 倒れこんだ私の横で絵本を持ってきたのは、穂波ほなみちゃんだ。
 来年から小学校らしい。
 
 穂波ちゃんは私がここに最初に来た時から、懐いて来てくれた子だ。
 こうまで懐かれると可愛くなってくる。
 ときどき、連れて帰りたいと思ってしまう。
 
「うーん。後でねー」
「えー。この前も後でーって言って、読んでくれなかったー」
「……ごめんごめん」
 
 よっこいしょと起き上がって、穂波ちゃんを膝に乗せる。
 そして、持っていた絵本を開いて読み始めた。
 
 が、数分もすると穂波ちゃんは寝てしまった。
 さっきまで外で全力で遊んでたのだから仕方ないだろう。
 
 私に寄りかかって寝ている穂波ちゃん。
 思わず、頭を撫でてしまう。
 
「お疲れ様」
 
 望亜のあくんがいつも通り、麦茶が入ったコップを渡してくれる。

「ありがとうございます」
 
 受け取って一気に飲み干す。
 渇いた喉に染み入る。

「だいぶ、慣れてきた?」
「どうなんだろ? 今でも帰ったら爆睡ですけど」
「……僕も同じだよ」
 
 望亜くんが隣に座る。
 
 ここに来るようになって、早2ヶ月。
 すっかり、ここの子供たちとは仲良くなった。
 
 だけど、望亜くんとは仲良くなったかというと、首を傾げてしまう。
 でも、麗香れいかさんからは焦る必要はないと言われている。
 望亜くんは一気に踏み込もうとすると離れていくタイプらしい。
 だから、ゆっくりと少しずつだ。
 
「あ、そろそろ帰りますね」
 
 穂波ちゃんを起こさないように、ソファーに寝かせ、立ち上がった。
 
 
 いつも玄関までお見送りをしてくれる望亜くんだったが、今日は私と一緒に靴を履き始めた。
 
「……望亜くん?」
「駅まで送る」
「そんな、悪いですよ」
「面倒を見てくれたお礼。させて」
 
 ジッと見つめられて、私は思わず息を飲む。
 圭吾や盛良くんはイケメンって感じだけど、望亜くんはなんていうか綺麗って感じだ。
 中性的な魅力というんだろうか。
 時々、女の私もドキッとしてしまう。
 
「行こう」
 
 私が返事する前に、望亜くんがドアを開けて外に出てしまう。
 慌て私が追おうとすると、既に望亜くんはスタスタと歩き始めていた。
 
 あれ?
 送るって言ってたよね?
 そんなに先に行っちゃう?

 小走りで望亜くんの横に並ぶ。
 
 外はまだ17時くらいなのに暗くなって来ている。
 風も冷たく、息も白くなりそうな感じだ。
 
 チラリと横を見ると、望亜くんは平然と歩いている。
 
 ……望亜くんってアンドロイドとかじゃないよね?
 そのくらい、なんて言うか人間離れしてるというか不思議な雰囲気を持っている。
 
 なんとなく話すことがなく、無言で駅まで着いてしまった。
 立ち止まってお礼を言おうと思ったが、望亜くんは止まらず駅の中へと歩いていく。
 どうやら、改札まで送ってくれるみたいだ。
 
 改札まで向かう途中、駅の中の本屋を横切る。
 そのとき、ふと、望亜くんが口を開いた。

「エクス。廃刊だって」
「え?」
 
 エクスとはケモメンを潰そうとした記者が記事を書いていた雑誌だ。
 以前は男性アイドル誌と言えばエクスと言われたほどだったが、あの一件以来、苦情が酷く休刊していたと聞いていた。
 
 ……そっか。廃刊か。
 
 あれほど人気があったのに、落ちるときは一気に落ちる。
 それはアイドルも一緒だ。
 あの一件以来、ケモメンに追い風が吹いていて、着実に露出が増えてきているが、いつまたその状況が変わるかわからない。
 好調な時ほど気を引き締めて。麗香さんが徹底して教え込んでくれたことだ。
 
 改札まで来て立ち止まり、今度こそぺこりと頭を下げる。
 
「送ってくれて、ありがとうございました」
「また来て」
「はい」
 
 望亜くんはそう言うと、踵を返してスタスタと歩き出してしまった。
 
 うーん。淡白だなぁ。
 送ってくれると言ってくれたときは、少しは距離が縮まったかと思ったんだけど。
 
 そう思いながら私は改札を通り、ホームへと向かっていく。
 
 実はこのときにはもう、ある事件の前触れが起こっていることも知らずに。
 
 
 
 それから2週間後の日曜日。
 その日は朝からケモメンのレコーディングが入っていた。
 
 当然、マネージャーの私もスタジオに入ってレコーディングを見守る。
 マネージャーをやってなかったら、スタジオなんて入る機会なんて一生なかったんだろうな。
 なんて考えていると、麗香さんに腕を掴まれ、各関係者のところへ連れて行かれた。
 ケモメンの営業と、私の紹介だ。
 私はとりあえず、昨日、麗香さんに叩きこまれた名刺交換を必死にこなしていく。
 
 実はケモメンの歌ってるところを近くで見れる―なんて気軽に考えていたけど、結局はほとんど歌ってるところを見ることはできなかった。
 収録の間、ずっと関係者の名前とどんな人かを麗香さんにレックチャーされていたからだ。
 
「……疲れた」
 
 ケモメンの3人が出てきたとき、私は思わずそう言ってしまった。
 
「……なんで、お前が疲れてるんだよ。お疲れ様、だろ?」
「ああ、そうですね。お疲れ様です」
「見てたよ。麗香さんに色々教わってたんでしょ? お疲れ様」
 
 盛良もりよしくんとは違い、圭吾けいごはちゃんと私をねぎらってくれる。
 本当はマネージャーとしてダメなことなんだけど、純粋に嬉しい。
 
「よし、赤井あかい。帰るぞー」
 
 当然かのように、今やすっかり私は盛良くんの送り迎え係になってしまっている。
 それを見て、圭吾が「俺も寝坊しようかな……」って口を尖らせて言っているのを見た時はつい、可愛いと思ってしまった。
 
「ちょっと待って。盛良はこれからダンスのレッスン」
「ええー! なんで、俺だけ?」
「この前のイベント。あんただけミスったからよ」
「うっ!」
「じゃあ、今日は俺が送ってもらおうかな」
 
 嬉しそうに圭吾が私の隣にやってくる。
 
「いや、赤井ちゃんは、今日は望亜をお願い」
「ええー! なんでー」
 
 麗香さんだけが私の状況を知っている。
 なので、極力、圭吾の送り迎えは避けさせているんだろう。
 
 こっちとしては助かるんだよね。
 
「行こう」
 
 気づくと望亜くんが隣にいた。
 いつもなら、自分一人でササッと帰っていたのに、今では声を掛けて貰えるようになった。
 
 努力の結果かな?
 
 圭吾が不満そうな声を上げる中、心の中でごめんなさいと思いながら、望亜くんと一緒にスタジオを後にした。
 
 
 望亜くんと一緒に電車に乗り、最寄りの駅まで着いた。
 
「ここでいい」
「え? でも……」
「家まで来たら3時間は帰れないよ」
 
 そう言って、望亜くんが微笑した。
 その言葉を聞いて、思わず私も噴き出してしまう。
 確かに、家の前まで送って、それじゃ、とはならない。
 
「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらって、ここで失礼します」
「うん」
「気を付けて帰ってくださいね」
 
 望亜くんが頷いて改札から出る。
 私は少しだけ望亜くんの背中を見送った後、私の家の方の路線へと向かった。
 
 
 そして、次の日。
 私は望亜くんとここで別れたことに、後悔することになったのだった。
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