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私の推し

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「お姉ちゃん、凄かったね!」
 
 楽屋に現れた望亜くんが私に抱き着いてきた。
 そして、私も思わず、望亜くんを抱きしめ返す。
 
 あの土壇場。
 望亜くんの声が聞こえなかったら、きっと私はあの場で立ち尽くし、舞台は失敗に終わってしまっただろう。
 あのとき、望亜くんの声が聞こえたことで、大切な感情を思い出すことができた。
 
「望亜くんのおかげだよ。ありがとね」
「……」
 
 望亜くんはなにか呆けたような顔をして私を見る。
 そしてまた、ギュッと抱き着いてくる。
 
「……おい。なんで望亜だけ特別なんだよ」
 
 盛良くんが私の頭に手を置き、口を尖らせている。
 
「あー、いや、もちろん盛良くんのおかげでもあるけど」
「……なんかついでみたいな言い方だな」
「あはは……」
 
 確かにあのとき、望亜くんの顔を思い出し、感情が溢れた。
 でも、きっとその中には盛良くんとの、あの事件のことも混じっていたと思う。
 戦場という危機的状況。
 それは殺されるかもしれないという、あのときの恐怖感がなければ、きっと成立しなかっただろう。
 
「俺には何もなし?」
 
 今度は圭吾がすねたような顔をしたあと、ニコリと笑った。
 
 素敵な笑顔。
 私がケモメンを好きになった切っ掛けの笑顔だ。
 言ってしまえば、この笑顔がスタートになっている。
 あのとき、圭吾に出会わなければ、そもそも私はここに立ってさえいなかっただろう。
 
「ううん。圭吾は、私の大切な人だから」
「なっ!?」
 
 圭吾、盛良くん、望亜くんが一斉に声を上げた。
 
「ちょ、お前! どういうことだよ!?」
「お姉ちゃん、僕は? 僕は特別じゃないの?」
「……赤井さん、それって告白ってことでいいのかな?」
 
 ケモメンに囲まれ問い詰められる。
 
「あー、いや、えっと……」
 
 私は戸惑っていると――。
 
「私もいれてー!」
 
 突然、後ろからひめめちゃんが抱き着いてくる。
 
「うわっ! びっくりした!」
「あはははは。今日の赤井ちゃん凄かったねー! 私、赤井ちゃんのこと大大大大好きになっちゃったー!」
「待って、ひめめさん。ここは俺たち、男同士の話だから!」
 
 圭吾の言葉にひめめちゃんがぷくーと頬を膨らませる。
 
「なんでさー! 私だって、赤井ちゃんにラブだよー!」
 
 こうして私は4人に揉みくちゃにされたのだった。
 
 
 
 そして、あっという間の千秋楽。
 成功をあまり期待されていなかった舞台は、大成功と言っていい内容となった。
 回を重ねるごとに観客が増えていくという、なんとも珍しい舞台だった。
 
 最初はソフィア役がミーナさんじゃなくなったことに、ミーナさんファンや、一部のゲームファンが騒いだようだが、数日もすれば、その声は消えてしまった。
 
 そうそう。
ドタキャンをしたミーナさんは、事務所が結構、多額の違約金を払うことで自体は収まったらしい。
 噂によれば、違約金の分、事務所から馬車馬のように働かされているのと、あの一件から結構、ファン離れが起こったみたいだ。
 
 そして、私は舞台が終わった今でも、舞台のメンバーとはレッセプを通じて繋がっている。
 あのとき、ミーナさんがドタキャンしてくれて、ホントに良かった、なんて言葉も出るくらいだ。
 
 さらに驚いたことに、なんと鏑木監督があのときの舞台を切っ掛けに復帰した。
 監督が立ち上げていた団体は解散しているから、また一からメンバーを集めているらしい。
 
 
 舞台が終わってから1ヶ月が経ったある日のこと。
 私はいつものマネージャー業に戻り、慌ただしい毎日を送っていた。
 
「おはようございまーす」
 
 学校が終わり、すぐに事務所へ向かうというのがいつもの流れだ。
 
 私がドアを開けると、いつもは「おはよう」と返してくれる麗香さんが顔をしかめたままの状態で、机の上の紙を見つめていた。
 
「……麗香さん? どうかしたんですか?」
「ん? ああ……赤井ちゃん、来たのね。……ちょっといいかしら?」
 
 麗香さんが立ち上がり、来客用のソファーへと促される。
 
「は、はい……」
 
 あれ? 私、なんかミスしたかな?
 ここ1週間のことを色々と思い出す。
 
 ……心当たりがあり過ぎる。
 どれだろ?
 
 麗香さんと私はテーブルを挟んで向かい合わせに座る。
 
「ねえ、赤井ちゃん。鏑木監督のこと覚えてる?」
「え? 忘れることなんてできませんよ」
 
 監督のおかげで、私はあのとき、最高の舞台に立ち、最高の演技ができた。
 
「あなたを貸して欲しいって打診があったの」
「……へ?」
「鏑木監督が新しい団体を立ち上げたことは知ってるでしょ?」
「はい。噂程度ですけど……」
「そのメンバーとして、是非とも参加してほしいって」
「……ええええええ!?」
 
 驚く私の後ろには、いつの間にかケモメンの3人が立っていた。
 
「凄いよ! 鏑木監督がスカウトするなんて、初めてなんじゃないかな?」
「俺は反対だ。赤井は俺たちのマネージャーだぞ」
「そうだよ。お姉ちゃんは僕のなんだから、絶対に渡さないよ」
「おい、望亜! なにさらっと言ってやがる! 赤井は俺んだよ!」
「待てって。俺は別に……」
 
 3人が後ろで揉め始める。
 私が焦って止めようとするが、麗香さんの大きなため息が聞こえて、思わず振り返ってしまう。
 
「……ったく。あれだけ、目立つなって言ってたのに」
「す、すみません……」
 
 そう言えば、あの舞台の一件でソフィア役の謎の役者は誰なのかという問い合わせがメチャクチャたくさん来たらしい。
 代役の新人です、と言ってなんとか私の情報は隠したみたいだけど、今でも時々、問い合わせがくるみたいだ。
 
「……赤井ちゃんはどう? 興味はある?」
 
 麗香さんに言われて、私は首を横に振る。
 
「興味がないといえば嘘になります。……でも、私はケモメンのマネージャーですから」
「そう。じゃあ、断りの連絡を入れるわね」
「お願いしま……」
「おい、待てよ!」
 
 突如、そう言ったのは盛良くんだった。
 
「興味あるならやってみろよ」
「……盛良くん?」
「簡単に諦めんなって話」
「でも、私、ケモメンのマネージャーだから……」
「どっちもやればいいじゃん」
「……え?」
「お前さ、前に俺に言っただろ? これくらいのこと隠せないで、トップアイドルになれないって」
「……あ」
 
 盛良くんがアイドルをやるために、由依香さんのことを諦めると言ったとき、私は盛良くんに諦めないでと言った。
 由依香さんの恋愛を隠せるくらいじゃないと、トップアイドルなんかにはなれないって偉そうなことを言ったんだった。
 
「役者やりながら、マネージャーやればいいじゃん。トップアイドルのマネージャーならそれくらいやって見せろよ」
「……盛良くん」
「僕も協力するよ。お姉ちゃんには好きなことをしてもらい宝」
「うん。ファン1号として全力で応援する」
「おい、圭吾、ズルいぞ! ファン1号は俺!」
「えー! 僕だよ!」
 
 今度は誰がファン1号かで喧嘩を始める3人。
 
「……赤井ちゃん。かなりハードスケジュールになるわよ?」
「やらせてください! お願いします!」
 
 ぺこりと私は麗香さんに頭を下げた。
 
「うん。わかった。その覚悟、ちゃんと受け取ったわ」
 
 ニコリと麗香さんが笑う。
 
「じゃあ、一番の推しってことで」
「しゃーねー。それで今は我慢してやる」
「僕も」
 
 なんだか、3人は3人で話が付いたみたいだ。
 
「これから赤井さんは俺たちのマネージャーで、俺たちの推しだね」
 
 私の推しはお兄ちゃんだ。
 そして、今ではそのお兄ちゃんの推しが私という複雑なものになってしまった。
 
 でも、それは凄く嬉しいことで、そんな私は自分で自分を誇りたくなる。
 これからも、推しでいて貰えるように、失望させないように自分を磨いていこう。
 
 そして、これからも私の推しのケモノメンズも輝き続けることになるだろう。
 
 それを一番近くで見られるなんて、とても幸せなことだ。
 
 終わり。
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