上 下
24 / 34

狩られる側

しおりを挟む
 俺は朝霧さんを抱きかかえて屋上から出て階段を走り降りる。

「あ、あの……一体……?」

 困惑と恥ずかしさが入り混じったような表情で見上げてくる朝霧さん。

「静かに。舌を噛む」
「は、はい」

 コクンとうなづいて胸に顔を埋めてくる。

 ……っと。喜んでる場合じゃないな。

 三階の廊下に出て辺りを見渡す。昼休みが終わる間近でほとんど人は歩いていなかった。
 それでも楽観視はできない。協会の奴らは任務のためなら平気で授業もサボる。
 それは俺が一番わかっていることだった。

 学校内の階段ではなく屋外の非常階段を使うことにする。
 人目につきづらいという利点はあるが、狭く一本道ということで囲まれやすいという欠点もある。
 最悪の場合は奴らを蹴り倒すか飛び降りて逃走するしかない。それでも校内で追い詰められるよりは少しはマシだろう。

 が、その心配も杞憂に終わった。
 非常階段へのドアを蹴って開き、ざっと見下ろしてみたがどこにも人が潜んでいる様子はない。

「よし」

 朝霧さんを抱えたまま鉄の非常階段を降りる。

「朝霧さん」
「あ、は、はい」

 埋めていた顔を上げた朝霧さんの頬は真っ赤に染まっている。
 可愛い……が、今はそんなことを考えている暇はない。

「申し訳ないが五時限目は……いや、午後の授業は休んでもらうことになるかもしれない」
「だ、大丈夫です。私、元々授業休みがちですから」

 ……それはかえって危険な気がする。出席日数は平気なんだろうか。
 俺のせいで留年になってしまったなんてことになったら洒落にならない。
 いざとなったら校長を脅すしかないな。

「一旦学校の敷地内から出る。荷物は後から俺が回収するから心配しないでくれ」
「あ、あの……」

 モジモジと両手の人差し指を絡ませて恥ずかしそうに上目遣いをしている。

「ん? どうした?」
「お兄ちゃんって、力持ちなんですね」
「朝霧さんが軽いだけだ」

 さすがにほとんど重さを感じないというほどではないにしても、平均の高校生男子の半分位の体重しかないのではないかというほど軽い。
 しかしその言葉はかえって悲しそうな表情にしてしまった。

「そうですよね。……私、軽いですよね」

 ……ん?
 一応は褒めたつもりだったんだが。なにかマズイかったか?

 朝霧さんはいきなり自分の制服の襟をつかんで引っ張り、胸を見始めた。

「うおっ!」

 慌てて俺は視線を逸らした。
 角度的に下着がモロに目に入ってきたからだ。
 それにしてもピンクって……朝霧さんらしい可愛い色だな。

「私、胸も小さいですし、お尻だって……」

 しょんぼりとため息混じりに言う。

「やっぱりお兄ちゃんは胸が大きい女の子の方が好きなんですか?」
「言ったはずだ。俺は少女が好きだって」
「え?」
「胸が大きい少女なんてアンバランスだ。まあ、そんなギャップが好きなんて奴もいるが俺は少女らしい体型が好きだな」
「……」
「俺は朝霧さんの今の体型が好きだよ」

 本当にボッと音が聞こえてきそうなほど顔を赤くしている。
 煙が上がってきそうなほど火照って熱そうな感じだ。

「わ、私もお兄ちゃんが……」

 その時、ザザっとノイズが混じった声が響き渡る。
 協会隊員専用のインカムからだ。

「緊急配備を発令します。ターゲットは支部長代理、新藤ナツです」

 カオルの声だった。

 ……緊急配備。
 カオルが屋上で押したのは緊急用のボタンだった。
 それは全ての協会の隊員が持っているもので誰でも緊急時には階級に関係なく最優先で全隊員を動かせる権限を持つ。

 ただし、強大な拘束力を持つそのボタンは本当に緊急時にしか押すことは許されず、間違いや私情で使った場合は粛清が待っている。
 滅多なことで押されることはなく、ここ数年間緊急配備が発令されたことはないということだった(学校内にある火災ベルが押されるくらいの頻度ではないだろうか)。
 押すにしても支部長の指示を仰いでからというのが慣例だ。

 ……あいつ、粛清を覚悟の上か。

 確かに現時点の俺の状況は協会規定違反だ。
 しかし、俺は支部長代理で、朝霧さんはまだ保護対象に認定されているわけではない。

 間違いなんてことになれば、カオルは粛清だけではなく協会を追放になる恐れだってある。
 それなのにあいつは躊躇なくボタンを押した。
 この後はどうなっても良いという決意と、ある意味全てを投げ出したような絶望感すらあった。

 そこまでのことか?

 カオルがあそこまで感情的になるのを見るのは初めてだった。
 あの時は慌てていて逃げることしか咄嗟に考えられず、朝霧さんを抱きかかえて屋上から出ることしかできなかった。
 今思えば気絶させておけば良かったと後悔が残る。

 尚もカオルは情報伝達を続けていた。

「現在、少女を拉致しています。少女の名前は朝霧ホノカ。一年生です」
「拉致だと! くそっ、あいつ」
「……お兄ちゃん。大丈夫ですか?」

 胸の中の朝霧さんが心配そうな顔で覗き込んできた。
 あまりの衝撃的な発言に対して思わず怪訝な表情をしてしまったようだ。

 ……情けない。
 朝霧さんは何も状況がわかっていないのに俺に質問することなく言う通りにしてくれている。
 なのに俺は今の自分の状況しか考えていない。
 なにが『君は俺が守る』だ。

 しっかりしろ!

 一度立ち止まり、大きく深呼吸をする。

「朝霧さん。学校を出たら説明するからもう少し我慢してくれるか?」
「私は平気です。……もし私が邪魔なら降ろしてください。ひとりでも大丈夫ですから」

 ジッと俺を見てくる。
 その表情は不安に満ちていた。教室でひとりぼっちのときにしていた表情。
 まったく大丈夫そうに見えない。
 それでも俺の為に降ろしても良いと言ってくれた。

 絶対に離さない。
 力強く抱きしめる。なにがあっても朝霧さんを守る決心がついた。
 再び階段を下り始める。
 ようやく一階(地面)に到達した。
 辺りを見渡す。

 誰もいない。
 よし!

 校門に向かって走る。

「恐らくターゲットは一旦学校を出るはずです。校門を固めてください」

 またもインカムからカオルの声が聞こえてくる。

 ちっ!
 読まれたか。

 一瞬立ち止まろうか迷ったが、逆にスピードを上げた。
 今の指示からするとまだ隊員たちは校門に集まっていないはずだ。

 学校内からの距離を考えると断然俺の方が校門に近い。
 それならば例え校門に人がいたとしても数人のはずだ。
 二、三人であれば余裕で朝霧さんを抱えたまま突破できる。

 カオルの指揮能力の高さは確かに認めざるを得ない。
 が、まだまだ甘い。

 今のはハッタリでも「第三部隊はそのまま校門に待機。
 他の隊員はすぐに応援に向かってください」というべきだった。
 そうすれば俺もハッタリだと分かっていても校門には向かえなくなる。

 恐らく俺がインカムを持ったままだということを忘れているのもあるんだろうが、その一瞬のミスが致命的になったな。

 三分ほど走ると校門が見えてくる。
 案の定、門のところには三人しかいない。
 これなら十分突破できる。
 俺は一気に間合いを詰めた。

「あ、新藤支部長代理!」
「説明してください。これは一体……ふげっ!」

 まず正面の隊員の顔面に飛び蹴りを食らわせて気絶させる。

 何が起こったかわからないでいる残り二人を回し蹴りで一気に片付けて、そのままの勢いで校門を抜けた。
 悪いな。だが、敵とされている人間を前に油断などは言語道断だ。
 嫌疑がかかっているなら取り敢えず拘束してそれから審議を確かめればいい。

 まあ、普段は命令で動いているやつならそんな咄嗟な判断は難しいだろうが。
 とにかくできるだけここから離れた方がいいだろうな。

 朝霧さんを抱えたまま、俺は走り続けた。
しおりを挟む

処理中です...