上 下
28 / 34

カオルへの疑念

しおりを挟む
 床に雫が落ちる小さい音が耳の奥に響いて意識が戻る。

 重い瞼を開く。
 しかし、広がる視界はない。目を開ける前とほぼ同じ闇が見えるだけだった。

 ――どこだ、ここは?

 動こうとした瞬間、強い圧迫感と痛みが走る。

 ……ああ。そうだったな。

 痛覚で意識と記憶がはっきりと覚醒した。
 ここがどこかわからないが、俺は今まさに粛清中だった。
 パイプ椅子に縛り付けられ、ありとあらゆる苦痛を与えられる。
 奴らはまず身体的な責めに集中していた。殴る、蹴るといった稚拙で温い粛清方法を取っていた。

 再び、ポタリと口元から血が滴り、床にできているであろう血だまりに落ちて音を立てる。

 馬鹿どもが。
 顔を痛めつけるなどまるで基本がなっていない。
 こんな目立つところを傷つければ明らかに問題として取り上げられるだろうが。
 大体、身体的苦痛に関しては警告という意味を込めて、最小限かつ効果的に行わなければならない。
 あくまで粛清であり、リンチではないのだからな。

 だからといって、俺に対して生半可な肉体的苦痛など意味を成さない。
 エスカレートするのもわからんでもない。
 では、精神的苦痛を与えるといったところで、その方法が思いつかなかったのだろう。
 と、そこまで思考した瞬間、電撃が走ったようにある人物の顔が思い浮かぶ。

 ――朝霧さん。

 そう。
 あの豚野郎は、朝霧さんが俺にとって大事な人だと感づいていた。
 それなら、なぜ手に入れた最大の手札を使わない?
 さすがに朝霧さんを何かに利用するなんてことは、あの小心者じゃ無理だったのか……。

 いや――待て。
 病室で、あいつはなんて言った?
 確か、朝霧さんにも話を聞くと言ってなかったか? 

 くそ! こんなに悠長にしてる場合じゃない。なんとかここから脱出しないと。

「おい! 誰かいないか!」

 そう叫んでから数秒後、一気に明かりが俺に対して当てられる。
 闇からの急な強い光で、目に刺すような痛みが走る。

「ようやくお目覚めですか」
「では粛清再開といきますか」

 警棒で手のひらを叩きながら、下卑た笑みを浮かべた男が二人目の前に現れる。
 病室で見た奴らだ。特務部隊とは言え、豚野郎に飼育されている腐れ野郎ども。

「ロープを外せ」

 俺の言葉に二人はきょとんとした顔でお互い顔を見合わせる。
 そして、腹を抱えて笑い始めた。

「馬鹿か、テメエは。立場を考えろよ。外すわけねーだろうが」
「支部長代理の権限を発動する。確かに嫌疑はかかっているが査問委員会による弁論の機会を要求できるはずだ」

 だが、その言葉も取り合おうとせず、肩をすくめるだけだった。
 これだから下っ端どもは使えん。

 そこにバンと扉が開け放たれる。
 外の光が部屋の中に差し込んできた。
 その明るさから見て、今は大体午後三時といったところか。
 一瞬見えた外の風景により、屋外だとわかる。
 土と林があるということは、学校の敷地内ではない?
 もしくはかなり端にある建物内か。だとしたら……。
 必死に頭の中で学校の敷地内にある建物をピックアップする。

「おお! 新藤くん。こりゃまた、ひどい顔だね」

 ぶひぶひと下品な鳴き声をあげながら、部屋に入ってきたのは手塚だった。
 考えを邪魔され、イラついたがこいつが来たというなら、少しは話が進むだろう。

 豚とは言え、地位があるからな。
 この下っ端よりは人間の言葉がわかるだろう。

「手塚。すぐに査問委員会の準備をしろ。そこで白黒付けてやる」
「君に勝ちはないぞ」
「どうだろうな。確かに言い逃れできない状況ではあるが、今の俺の姿を見れば少しは情状酌量が望めるんじゃないか? 何しろ嫌疑を晴らされないまま粛清されたんだからな」
「いつになく口数が多いじゃないか、新藤くん。もしかして、何か心配ごとでもあるのかな?」
「……手塚ぁ。朝霧さんに手を出してみろ。どんな手を使ってでも消すぞ」
「おお怖っ! 大丈夫。まだ、何もしてないよ」
「……まだ、だと?」
「ぐぶぶぶぶ」
「まあいい。とにかく、さっさとこれを外せ」
「ダメだ。まだ粛清は終わっていない」
「豚の脳みそは鳥以下か? 支部長代理の権利を使うって言っている」
「ああ、うん。支部長代理なら、確かに粛清を受ける前に査問委員会を受ける権利がある」
「だったら!」
「支部長代理ならな」
「なに?」
「君はもう違うって言ってるんだよ。新藤『元』支部長代理」
「馬鹿な。それこそ議会が必要だろ。大体……」
「緊急動議。君ならわかるよね。支部の隊員の過半数と支部長代理補佐が緊急動議を上げた際は、議会の承認がなくても代理の権利を剥奪できるって」
「代理補佐が緊急動議をあげた……だと?」
「ぐぶぶぶ。そう! 如月カオルくんだよ。彼が動議をあげくれたんだ。まさに飼い犬に手を噛まれるってやつだな」
「……カオル」

 なぜだ。
 どうして、そこまで俺に対して敵視する?
 あいつは裏切りと言っていた。
 確かに、俺は協会のルールを良いように解釈させて朝霧さんと会っていた。
 だが、違反までとは言わないはずだ。

 なにがカオルにとっての裏切りになったのだろうか。
しおりを挟む

処理中です...