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ねえちゃんごみ屋

姉ちゃんごみ屋

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 大衆娯楽人情小説「ねえーちゃん,ごみ屋」 献残屋藤吉郎書房

〇大衆娯楽人情小説「ねえーちゃん、ごみ屋」
資産家の一人娘が清掃業の仕事を引き継ぎ、父親の後を切り回す、、、人情サスペンス

(1)父,篤すぐ帰れ、、、という
電報を小百合は受け取った、、、アメリアメイン州でのことであった。
金剛泰造の娘は一人娘であったので、電報を受け取り連絡を入れて日本に戻った。
小百合は産業廃棄物の処理に関して、勉強に渡っていた、、、、メイン州のごみ処理の施設に
興味を持って、処理修行に行っていたのであった。
メイン州は日本の軽井沢のような避暑地というか観光地でもあり、ロブスターの旨いところである。
自動車のナンバープレートに「ロブスター」の絵をかいたりしています。
そんな観光明媚なところにごみ処理施設があり、、、それは活気的な施設があり、、、 
さらに、近くデトロイトがあり、広大な鉄くず処理、再生工場があり、、参考になった。
そして、ゴミを燃料にして、、、発電をしている。
いろいろ学んで帰ってきた。
小百合は父、危篤で戻ったが、、、自宅に帰る前に、父が経営している施設を見ておくことに
した、、、
そして、父のもとに帰り、、危篤の様子を見たのであった。

(2)小百合が帰国してから、間もなく父は亡くなり、事業を継いだ。
帰国してから、30年、小百合は結婚もして、夫忠直とともに、父の残した事業を盛り立て、拡大していった。
そして、娘も出来て、同じように娘もアメリカに留学をした。
娘はさゆりとつけて、そん成長を楽しみにしていた、、、、娘、さゆりが帰国してから、まもなく、
父忠直が事故でなくなった。
それで、母小百合を手伝って、事業を継ぐ形になった、、、、
娘、さゆりは気性も強く、男勝りであり、、、いつも「ジーンズ姿」でジープに乗り、現場を見て回っていた。
仕事も出来て、トラックなどの配車もこなしていた、、、現場では雲助相手の元気な娘であったので、、、
姉御肌だったので「ごみや仲間からは、、、「ねえーちゃん」と、呼ばれていた。

(3)さゆりが継いだ会社は一部だった
さゆりは母から事業形態を聞いていたが、、、帰国してから受け継いだ会社は少し違っていた。
会社の規模が小さくなっていたのである、、、、
父が経営していた頃は事業内容が大きく、広範囲な処理をしていたような、、、
しかし、母から受け継いだときにはコンクリート破砕と、リサイクルだけだった。それでもリサイクル施設としては
規模が大きかったのである、、、
受け継いださゆりは現場にたち、、、雲助交じりの運転手を施設を動かしていた。
受け継いだコンクリート破砕移設とリサイクル施設に隣接したところに、総合廃棄物処理施設があった、、、
さゆりの記憶では、それらの総合施設も「金剛処理株式会社」ではなかった
のか、、、、
帰国した当時、不思議に思い、、、母に訪ねたことがあったが資金状態で、施設を分離したとのことであった。
さゆりはそうなんだと思い、、、深くは聞かなかった。
しかし、、、父との死がかかわっているようだった、、、、
さゆりも帰国した当時は仕事も忙しく、、、仕事をおぼえるのに精いっぱいだった


(4)騙された父
帰国したさゆりは夢中で仕事をこなしていった。
仕事に余裕が出てきたさゆりは、金剛処理株式会社の営業を担当してる、彼女とは従妹に当たる近藤武から
話を聞いた、、、、金剛処理株式会社で依然は専務取締役をしていた花房浩一郎が、総合処理会社部門を
二つに分けて、産廃処理会社を作り上げて、実務を担当するようになったのであった。早お話が「乗っ取り」であった。
当時の専務取締役花房浩一郎が経理面を担当し、銀行関係の融資等も扱っていたので、、、自然に力をつけていき、、、金銭面での能力があったのか、、、さゆりの父は実権争いから負けたのであった。
会社内部の勢力争いから脱落して、現在のコンクリート処理に身を置くようになった。
この話を聞いて、、、さゆりは覚悟を決めた。
、、、必ず、会社を大きくして、、、資金目でも規模でも力を付けようと、、、、
いとこの近藤武にも力を貸してくれるように頼んだ。
この日からさゆりは営業にも力を入れた、、、、
現在の日本のコンクリートビルはほとんどが60年を超えている、、、耐用年数を超過しているのである。
経済的な理由もあるが、、、法律的な規制もあるのだから、、、
工夫して、考えて、営業方法をシステムを構築していけば、、、営業を伸ばすことが出来ると考えた。


(5)猛勉強のさゆり
産業廃棄物処理業の中の「破砕処理」は中間処理でも技術管理者が必要であったので、さゆりは
まずは技術管理者の資格を取得した。
そして、全国にあるコンクリート破砕処理、リサイクル工場を視察し始めた、、、さらに市場調査も始めた、、、、現在の日本の建設廃材の中のコンクリート処理を合法的に適正処理している所は少なかった、、、、どこかで、悪く言えば「がまかし」「違法処理」をしているのであった。
さゆりは調べれば調べるほど、違反をしていた。
それは建設廃材は建設現場からでるときは、選別して排出していることが建前だが、、、なかなか、純粋にコンクリートガラだけでは出ていないのであった。
純粋にビル解体だけなら、、、現場で鉄筋を取り除けば、コンクリートガラとして排出してくるのであったが、それでも不純物が混合してくるのであった。
純粋なコンクリートガラとして、再生利用処理は不可能であったのである。
現在も処理はしているが、ごまかし処理が多い。
ましてや、建設現場には土がある、、、それらの土との分離処理が残る、、、そこで
大事な処理が「選別処理」である。
そんな現実を見ての工夫であり、勉強であった。。。。
さゆりは現実を見て、、、それらの選別処理を自分で考えだしていったのであった。
更に最終には「残土処理」であった。
現在、問題になっている不法処理、、、残土の違法捨て場の問題が、、、、
さゆりは考えて、工夫して処理することを考えようと思った。
それを解決できれば、社会的にも解決できて、、、大きな商いがあると考え始めた。


(6)さゆり商法始める
さゆりは今の社会で、建設関係から排出する「建設廃材」と称して、残土に混ぜて処理してる
違法処理を考えていた、、、
従弟の近藤武を使って、その処理方法を見つけようとしていた。
まずは合法的に処理するには「選別処理」であり、、、その選別方法を作ろうとしていた。
そして、近藤武に相談をして、、、安い土地を購入するために、東京近郊で探すように依頼した。
さゆりに頼まれた近藤武は、茨城県、千葉県の地区で、安い土地、、、山林や原野を探した。
地目は調整地域で無指定の土地を、、、、現在では利用価値が少なく、、、建築物が立てられない
くぼ地のような土地を探し始めた。
そして、近藤武は茨城県つくば市の山林を見つけた。常磐高速道路を利用すれば、、目的地まで
1時間30分少々であり、、、つくば市ならば跡地利用にもいいのだった。
近藤武はさゆりに報告をして、二人で現地を見に行き、、その土地を購入することにした。
さゆりは近藤武に法律的な確認も取らせていたのである。
その土地の開発許可が取得できるかとか、、、初めから無指定の調整地域を選んで有るので、
土地に関する許認可は問題なかった。
残るは地域住民との同意関係であった、、、その点も、近藤武は調べていた。
そして、地域住民の有力者も住民の民意も確認していた。
その確認を済ませてから、、融資先の銀行と話し合いを進めていったのである。
さゆりの建設廃材を適正処理するための、、、「残土処理の問題」も解決の見通しがついたので、
さゆりは建設廃材のリサイクル処理施設の建設に取り掛かった。


(7)建設廃材のリサイクル処理施設の建設に
さゆりは考えている建設廃材リサイクル処理施設の許可を取得するために、計画設計図を
作り始めた、、、計画地は茨城県つくば市なのでその行政での許認可と関連することで、
茨城県の規制、許認可を取得するための計画設計を綿密に作り始めたのであった。
その為に、近藤武に手伝ってもらい。。。1か月を掛けて仕上げた。
土地の面積は9万9千平方メートル(3万坪)で、その購入価格は約1500万円であり、、、その土地の造成は自社で行う。
第一回目の許可は「残土捨て場」なので、造成は自社の建設機械を利用するので、、、自社資本で可能であった。
さゆりは従弟の近藤武と相談をして、、、許認可を申請した後の業務を彼に頼んで、、、東京近郊の「残土集荷」に時間を割いていった。
さゆりの計画では「残土処理売り上げで利益を出来るだけ算出して、、、」
不足分を銀行融資で補う、、、、建設廃材処理施設に5億円を第1期予算を組みこみ、売り上げを伸ばして、、、第2期、第3期と施設を増設して、夢は日本一の施設を作ることであった。
その為に、さゆりは仕事一筋に懸ける覚悟もっていたのであった。


(8)さゆり久しぶりに母小百合の手料理を
さゆりはこのところ忙しく、母親小百合と家で寛ぐことがなかった。。。今日は久しぶりに
仕事が早くけりが付いてので、自宅に早く戻った。
帰る前に母親に連絡をして、帰ることにしていた、、、、
「お母さんの手料理が食べたいな、、、忙しいのに面倒懸けてごめんね、、、武も来るので
よろしね、、、」と、、、
「それじゃあ、、、さゆりの好きなカレーオムレスを作って、待ってるよ」
快く引きうけてくれた。
約束した時間に玄関を入ったら、、さゆりの好きな料理の匂いがしてきた、、、
「只今、、、お腹がすいたーー」と言って食卓に付いた。
「うん、、お母さんのカレーオムライスは最高、、、いつもありがとう、、、我儘な娘で」
と、」団欒をしながら、、、二人の食卓に花が咲いた。
食事途中で電話が入り、、、武が時間に少し遅れると連絡があった。
そして、8時ごろ武がやってきた。。。
「ごめん、ごめん、、遅れて、、、ああ、おばさん、すいません」
と、、言いながら食卓に付いた。
「武さん、いつもご苦労さんだね、、、こんな、我儘なさゆりに付き合ってくれて、、、
面倒懸けますが、よろしくね」と、、、声をかけてくれた。
「いええ、、そんなことはありませんよ。。。」と、美味しそうに用意した食事を食べてくれた。
その夜は武とも仕事抜きで、久しぶりに加増団欒のひと時を過ごした。



(9)さゆり、従弟の武と事業拡大の話を進める

さゆりは現在の経済社会においては、建築物、、、鉄筋コンクリートビル、一般道路、高速道路、橋梁などを
日本全国に作り始めて、おおよそ60年を経過しているものが多い。
それらの耐用年数がオーバーしたり、近付いているものが多く、、建て替える時期が来ている。
日本全体の建築物の解体に伴って、コンクリートガラや鉄筋等が廃材となって出てくる、、、それらの資材は
「都市鉱山」と言われて、立派な資源であるから、、、それらのリサイクルは必要である。
そのためには「選別」して、それぞれの目的利用によって、仕訳をしなくてはならない、、、
都市に埋もれた資源を、、埋め立て処分するのはもったいない。
これからの時代を考えて、リサイクルが最も理想であり、、さゆりは自分たちの自分たちの事業も順調に
成長した来たので、それらの時代の流れに沿って進みたいことを話した。
従弟の武も賛同して、、さゆりの計画を進めることにした。
武は残土処分場の第2期、第3期と事業展開するための土地を探すことを依頼した。
さゆりは現在のコンクリート破砕と選別施設の拡大許可を申請する準備を始めた。
さゆりは許可申請の合間を探して、、大型トラック、建設機械、特殊車両の免許を取得し始めた。」
これからは使う可能性の船舶免許の取得にも挑戦した。
これからの廃棄物処理のための準備をしている間、、、ゼネコンへの営業も強化していった。
従弟の武とは毎日のように打ち合わせをしていった。
それらの準備に3年を要した。。。。その間にコンクリート破砕施設と選別施設も完成して、必要な社員も募集して、必要な社員教育もして行った。
従弟の武と協力して、、、残土処分場も2か所に出来上がった。
処理施設も残土処分所も用意できたので、営業管理と社員育成に力を入れてもらった、、、


 
(10)金剛処理株式会社の躍進
さゆりは金剛処理株式会社を今日まで努力して、施設が完成し許認可も揃ったので、従弟の近藤武と、営業に力を入れた。
金剛処理株式会社は施設、許可が揃い産業廃棄物のなかで、建設廃材の破砕処理施設としては日本一の処理施設となった、、、そして、その残土処分場の埋め立て量も日本一となったのである。
さゆりと従弟の近藤武の二人の努力で、社員数も増えて、、、順風漫歩のようであった。
しかし、、、人の世は不思議なもので、妬み、やきもちがあり、いろいろな中傷や邪魔がはいる。
さゆりたちの場合もそうであった。
なぜ人は羨まないで、、中傷をしないでほめたり、、、協力しないのか、、、、
日本国内で必要な施設なので、、、みんなで力を合わせて、廃棄物処理を、、適正処理をしないのか、、、、
それでも、二人はめげなかった、、、、
そして、時間が経つうちにお客も増え、誰もが理解してくれた。
そんなある日、金剛処理株式会社の残土処理場の現場に右翼団体の「大日本青葉の会」が反対の旗を立てて、右翼団体の特殊な車で、押しかけてきた。
「処分場埋め立て反対」と、、、、、う
新聞ニュースやテレビで、、、大々的に、報道された、、
産業廃棄物処理業者として適正処理をしているにも関わらず、世の中の風評通りにさゆりたちも
反対の攻撃を受けた、、、、
しかし、何の反対をされようと、許認可を取り、、、地元住民とも話し合いをしているので、、
さゆりたちはゆるがなかった。
世間では不法投棄の問題があちこちで沸騰している、、、、
そんな世の中で、、、
さゆりたちは理解してほしいと思った。
法律的に適正処理をしている、、、産業廃棄物処理業者もいることを、、、
声を大にして、、、叫びたかった。


(12)産業廃棄物処理業者というだうけで、、、未だに風評が悪い
我が国の産業廃棄物処理業者は、どうしてというほど評判が悪い、、、、それは、今もって
不法投棄が多いからだ、、、建設廃材といわれる残土の不法の山があちこちに多く、、、捨てられている。。。
不法処理さえた残土は、、、兎に角多い、、、
余りにも多いのだ、
そんな中で金剛処理株式会社は、専務取締役の近藤武たちの働きで、、施設も最終処分場まで完備して、建設業界でも評判がいいのだった
、、さゆり社長たちは法律を守り、、、適正処理に心掛けていた、、、そして、事業も順調だった。
そんな会社運営で中心的な働きをしていた、、近藤武専務取締役が最終処分場のある現場で、、右翼団体「大日本青葉の会」の暴徒に襲われたのであった。午後の最終確認をしていた時だった。
以前から問題を起こして、、、衝突をしていた、、、常に難癖をつけて、文句をいったり、絡んでは来ていたが、、、その晩は近藤専務が臨時で宿直をしていたのであった。
運悪く、、右翼団体「大日本青葉の会」の反対暴徒が、近藤専務がいるというので、事務所に押しかけてきたのだった。
その中で押し問答をしていた時に、、、暴徒の一人が近藤専務に襲い掛かり、、隠し持っていた短刀で刺したのであった、、、そして、急所を刺され、
その場に倒れたのであった、、、
救急車が来て、病院に運ばれたが、、亡くなったのであった。
知らせを聞いたさゆり社長は病院へ急いだ、、、しかし、、すでに息を引き取っていた。
目の目が真っ白になり、、さゆり社長は憮然と立ちすくんでいた、、、
ともに手を取り合い、、助け合い、、作り上げてきた会社が崩れていくような嵐が吹き荒れた気がした。
しかし、、ここまで二人で築き上げてきた会社を守らないと、、、さゆり社長は近藤武専務の亡骸に誓った、、、
「武、、、辛かったね、、、ここまで一緒に頑張ってくれたね、、、ありがとう、、、本当にありがとう」
そして、、心に誓った。
東京に戻り、、さゆり社長は近藤武専務取締役の葬儀の準備をした
「武、、、私は暴力には負けないよ、、、そして、会社をもっともっと立派な処理会社にして見せるからね、、、どうか、、、見ててほしい、、」
「武、あなたが育てててくれた立派な社員たちを残してくれたことに感謝しているよ、、、みんなでこれからは武の意思を継いで頑張るから、、見守ってて欲しい」

































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