大阪のつむじ風

献残屋藤吉郎

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新危険な刑事

新危険な刑事」

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ハードボイルドな刑事サスペンス

新)献残屋藤吉郎「危険な刑事」



法治国家の大物政治家と言われる建長寺雄一郎を親に持ち、何一つ不自由なく育った、はみ出し刑事が建長寺太一で、国立大学京都大学卒業のエリートで、将来の官僚警察官を約束されたいた。

エリートでありながら、大学時代には空手の選手として活躍して、空手会では有望視されていた。空手4段の猛者でもあり、金持ちのおぼちゃんタイプではなかった。

そんな建長寺太一は官僚警察官になるようなタイプではなく、捜査刑事として、現場畑から出発した。

もともと、優秀だったので試験で昇給する警察組織では、すぐに警部補となり、警視庁捜査第一課に配属となった。

建長寺太一は利口ぶるでもなく、エリート意識は全くなく、刑事仲間に打ち解けていった。

元来が負けん気で、正義感の強い男だったので、悪行犯罪には燃えていったのである。

勢い余って、勇足も何度かあったが、警視庁捜査第一課に勤務してからは、刑事としての検挙率は群を抜いていた。

常に先頭に立ち、捜査に立ち向かい、悪事を憎んでいるようだった。

建長寺太一の父は民友党幹事長の建長寺雄一郎であったが、その権力を利用するようなことは無かった。

建長寺太一の母親は、政治家の妻と言うこともあり、ある講演会で暴漢に襲われて死亡していた。そんなこともあって、悪事を憎んでいた。

ある時に談合贈収賄事件が起きた時にも、父の建長寺雄一郎の立場を離れて、捜査に打ち込んでいた。

父が感れしていた事件でもあったので、建長寺太一警部補は家を出て、一人住まいをした。

そして、今も一人住まいを続けている太一であった。



(2)燃える刑事「太一」は走る

建長寺太一は警視庁捜査一課に配属になり、意欲に燃えていた。彼は大物政治家、建長寺雄一郎の長男に生まれたが、父が後妻を貰ってからは、その継母とは反りが合わなかった。

大学卒業までは親の元にいたが、卒業と同時に独立して、一人住まいを始めた。

異母兄弟ではあったが、弟の裕次郎とは気が合い、学生時代は好きな野球を一緒に見に行っていた。

弟は高校時代から、剣道に励んでいた。そして、スポーツマンらしく、すがすがしく、誰からも好かれていた。

太一が家を出てからも、兄弟中がよく、弟裕次郎は兄太一を訪ねてきていた。

太一が警視庁捜査一課に配属なってから、初めての事件を担当したのが殺人事件だった。

捜査一課の直接の上司となり捜査を担当したのが西園寺警部だった。経験豊富な刑事であり、面倒見のいいような刑事に見えた。

「おい、建長寺警部補、今夜は時間は空いてるか。。」

と、誘われて、西園寺警部の馴染の居酒屋に出かけた。

「よろしくな、、、建長寺警部補、、、これからは太一でいいかな、、呼び捨てにするけど」

ぶっきらぼうな、男らしい刑事だった。

そして、「太一、、、刑事になったんだから、事件に集中して、因果関係は忘れろよ、、」

と、、、初めから、親の力などは関係ないからなと、釘を刺されたような気がした。

勿論、太一は自分の力で、警察の中で生きていこうと思っていた。

「西園寺警部、、、大丈夫です。人を頼らなく、自分の力で生きていくつもりです、、、よろしくお願いします」

と、、太一も覚悟を決めて、刑事道を歩こうと、自分いいい聞かせた。

いい酒を飲んで家に戻った。

(男一匹刑事野郎)

太一は一人暮らしを始めて、朝は目覚ましをかけて、やっと起きていた。朝飯は抜きの状態が多かったので、移動中にいつもサンドかハンバーグをかじりながら朝食をとっていた。

その様子を何回か見ていたので、先輩刑事の西園寺警部が、、、

「太一、、おにぎりを持ってきたから、、、お前はいつも寝坊助か、、朝飯も食う暇がないのだったら、ちょとだけ早く起きて家へ来い、、、朝飯ぐらい用意してやるから。」

西園寺警部は言った。

「太一、、朝飯ぐらい食べないと、いい仕事が出来ないからな、、明日から、必ず来いよ」

と言うことになり、太一は毎朝、西園寺警部の家に通った。

なんか力が入るような、一日、頑張ってやろうという気になるようだった。

警視庁捜査一課に事件が舞い込んできた。

銀座で殺人事件が起きた、、、夜の銀座のクラブ街で、酔っぱらった客同士の喧嘩で人が殺された。

太一には初めての札事件であるので、なんか張り切って現場に向かった。

先輩刑事に従って、現場検証に立ち会った。

ナイフのようなもので、腹を刺され、血だらけになって倒れていた。

犯人はすぐに分かった。クラブの女から聞いて、すぐに逮捕にむかった。

犯人は室町明と言う、反ぐれの男だった。その男のアパートを訪ねたが留守だった。

住まいの近所で聞き込みをしたが、昨夜から戻っていなかったようだった。それで、反ぐれの室町明がいつも屯している

御徒町の麻雀屋を訪ねた。とんずらをしたようだった。

太一が西園寺警部と捜査をしてわかった事は彼らは覚せい剤を巡ってトラブルをしていたようだった。

新宿に事務所を構える暴力団「あかね連合」に組する反ぐれ集団に室町明はいたのだが、覚せい剤の集金をごまかしたということで、追われていたようだった。

太一たちも聞き込みをして、室町明を探した。どこに逃げたのか新見つか見つからなかった。

そこで室町明の実家のある千葉市市川を訪ねた。聞き込みでは一度はきたようだったが、行方をくらましていた。

室町明の友達関係を当たっていた時だった、偶然に太一は室町明に出会ったのであった。

先輩刑事の西園寺警部は、その時に昼食用のパンと牛乳を買いにお店に入っていた。

室町明に出会った太一は、相手が逃げたので追いかけた。

逃げる途中で子供が飛び出し、運悪く犯人に捕まり、人質になってしまったんである。

「こらーーそれ以上、動くと撃つぞ」と、、、拳銃を取り出して、子供の頭にこすりつけていた。

太一は咄嗟に、拳銃を売った、自身があったのだ。

射撃では警察学校でも一番だったので。。

運よく、命中した。犯人の頭を打ち抜いていた。

偶然に犯人を倒し、子供も無事に救えた。。。結果的は良かったのだが、、、銃声を聞いて、飛んできた西園寺警部に殴り飛ばされた。



(殺しの太一刑事となる)

建長寺太一警部補が捜査一課に配属になり、二つ目の殺人事件が起きた。

大手企業である「総武不動産開発株式会社」の営業第一課の長嶋係長が本社営業室で倒れていたのであった。頭から血を流して即死状態だった。

太一警部補の上司西園寺警部は思った、、、厄介な事件が起きたなと。

総武不動産開発株式会社にはいろいろ政界の大物政治家、経済界の重鎮が絡んでおり、今までにも談合贈収賄事件、汚職絡みで黒い噂が流れていた。

その上に反社会勢力と言われるやくざ組織までが絡んで、ことごとく談合や贈収賄、汚職に絡んだ事件をもみ消したり、捩じ上げた判決を生み出していた。

それらの事情を知っていた西園寺警部は気が進まなかった。

弟分の太一警部補は燃えていた。

「太一、、お前、大分やる気でいるな、、、褌を占めてかかれよ。」と、、、

西園寺警部は激を飛ばしていた。

いつもの通り、二人は今回も相棒を組んでの捜査に当たることになり、、とりあえずは「総武不動産開発」の本社現場に行った。

「ひどいな、、、鋭利なもので、刺され、その上を鈍器なようなもので多々言わられているよ。」

西園寺警部は見立て、、、「結構、恨まれているな。この殺し方は、、」と、、太一警部補に呟いた。

「太一、、会社の人間に事情聴収といくか、、、」と言ってから、当たり前の筋書き通りの事情を聞いて回った。

西園寺警部は太一警部補にあらかじめ、会社状況を説明しておいた。これからの捜査には気を配るようにと。。

最新の注意を払って、人間関係を捜査することと念を押した。

下手な捜査をすると、裏から、、、上から圧力が掛かることを教えておいた。

西園寺警部と太一警部補の凸凹コンビの捜査を大雑把にまとめると、汚職臭いと考えた。

会社の裏金隠しにまつわるトラブルと睨んだのだった。

兄貴分の西園寺警部は、、、気を付けないと、気を引き締めた。

「太一、今のうちに言っとくぞ、、、今回は一人では絶対に動くなよ。」と、、、

初めから、」西園寺警部は嫌な予感がしたのだった。

その夜、太一を誘って夕食をした、、美味い蕎麦屋があるので。。。



(最初の圧力が始まる)

日本の国とは不思議な処だ。法治国家なのに悪事が罷りとおって仕舞う。捻じ曲げられてしまう。

なんと不思議な国だろう。

西園寺警部は、弟分の太一警部補に言って聞かせた。今回の事件は気を付けないと警察官破滅があるからと。

今までの経験だと金持ちが絡んだ事件、裏金作りには余程気を付けないと馬鹿を見るからだ。

権力者たちは、自分の身を守るためには何でもするということだ。あらゆる手段、攻略を講じる、、人の命までも犠牲にして、、、何が正儀か分からない。

己の地位を守り、堅持するためには、時には悪行も断行するのであった。

その時のために、手を汚す人間たちまでも買っているようだ。さらに、法を守る人間にまで毒牙を伸ばしているのだった。

だから、汚職が絡んだ事件、殺人などを突き詰めていくと、初めから答えが準備されているにであった。

そして、都合が悪くなると、担当警察官などが責任を取らされてしまい、事件は幕が引かれる。

そんなことがあるから、弟分の太一警部補には苦湯をのませたくなかった。どういうわけか、西園寺警部には自分を慕ってくれる太一が可愛かったのである。

しかし、親心、子知らずなのか、太一警部補は燃えていた。今回の事件に、やけに熱心であった。

そして、抜き差しならない羽目になったのであった。

今回の総武不動産開発株式会社には、父親の建長寺雄一郎が絡んできたからだった。

太一警部補が捜査を始めたのは、死亡した長嶋係長の身辺からだった。

家族にあたった。奥さんの長嶋智子は総武不動産開発の経理部に勤務していた。従って、総武不動産開発の経理部の仕組みと言うか、内情を良く知っていた。

そして、夫の長嶋三郎係長が営業に関する資金管理をしていたので、資金運用が会社社長である、二階堂保の決済である程度処理できたのである。

捜査によれば、北海道小樽のリゾート用地買収に50億を要していた。しかし、太一の調べでは30億と分かった。

それでは残りの20億はどうしたのかとなる。

そのカラクリは見事なものだった。

太一警部補たちの捜査でも、用地買収には50億が使われていた、しかし、太一警部補の執拗な調べで、そのカラクリが暴かれたのであった。

その結果、西園寺警部は「やばい、、まずいな」と、思った。

その資金内訳が暴かれなけらば、長嶋係長の事件は自殺で処理されていたのであった。



(太一警部補に試練が、、、)

太一警部補が小樽に捜査に言った時だった。その時は西園寺警部が都合が悪かったので、同僚の大石警部補と捜査をしていた。

総武不動産開発の用地買収に関わった地元の柴田不動産を調査したときだった。偶然、同僚の大石と洒落た居酒屋に入った、先方は気が付かなかったが、噂話をしていた。

その話を聞いていた太一警部補は、、、、

「そうだったのか、、、ごまかしがあったのか、、、」

反面、どえらいネタを掴んだなと思い、、

翌日、柴田不動産を責めた。少し、強引すぎたかもしれないが、その裏付けを取った。

太一警部補は鬼の首を取った気分で、東京に戻った。

太一警部補は正儀溢れる、熱血漢刑事であった、誰が何と言おうと、今回の裏付けを取ったネタは折れないという覚悟を持って警視庁に帰り、上司の西園寺警部に報告をした。

話を聞いた西園寺警部は「まずい、、」と唸った。

必ず、今回の事件はクレームがつくはずだと、、、

しかし、太一警部補は強い意志を表して、クレーム覚悟していた。

今、横やりが入っいてることも知っていた。

西園寺警部補は、、「太一、本当にいいのか、、覚悟はできているのか、、」と、念を押してきた。

横やりは警察幹部や政治家絡みのものであり、最終的には民友党幹事長の建長寺雄一郎が出張ってくるはずだ。

太一警部補は覚悟していた。

自分の首をかけて、、、、、

一度は父親と対決しようと思っていたので。

兄貴分の西園寺警部は太一警部補の覚悟を知り、確認した。

そして、自分も一度ぐらいは警察官としての誇りを持って、望むことにしたのであった。

警視庁内部では大騒ぎとなった。

何としても、揉み消そうという、警視庁組織、、、しかし、太一警部補は引き下がらなかった。



(3)命を賭けた警察官としての誇り

  (誇り高き男たち)

西園寺警部は、安定した生活を送ることも一生、男一匹、人生最後を太一警部補にかけてみたくなった。

男としてロマンに夢にかけてもいいような。。。太一警部補には何かを感じていたのであった。

「太一、、、お前の思う通りにやってみな、、、俺な、、人生を間違うかも知れないが、、お前にかけるからな。。。」

「太一、お前の馬にのったぞ、、、走れよ、、しっかりな」

西園寺警部に尻を叩かれた。

太一警部補も走り出したのであった。

もう何があっても戻ることは無い。。。。

競馬で言えば最終コーナーだ。

走って見せるぞ、、、太一は心に誓った。

「西園寺先輩、ありがとうございます。力が湧いてきましたよ。。。警察官生命をかけて、頑張ります」

太一警部補は父親との確執もあったが、跳ねのける覚悟をしていた。

場合によっては警察官生命を絶たれるかも知れなかった。

太一警部補の見方は西園寺警部だけだった。


4)父親建長寺雄一郎との対決

太一警部補は呼ばれた。父、建長寺雄一郎に、、、

太一に電話があり、、、「太一、、今夜でも明日でもいいから、久しぶりに飯でも食わないか。。」と。誘いがあった。

太一は「来たか、、、覚悟するかな」と、思いながら父の誘いに向かった。

向かった先は六本木の寿司屋だ、、、父、建長寺雄一郎が好きな寿司屋で、注文の出来ない寿司屋であった。

しかし、魚は超一流のものが揃っている。

太一警部補に言わせれば、大人の見栄だ。不思議なことに太一は、その寿司屋へ行くと、決まって、次の日には腹を壊していた。行きたくなかったけど、今回は父親に顔を立てたのであった、

「太一、、お前、頑張ってるみたいだな、、張り切り過ぎるなよ、、、話はきいているけど」

「ああ、親父の脚は引っ張らないようにとは思っている」

「おやじ殿、俺はやっぱり、カエルの子だよ。。。。こうと決めたら、止まらないようだ。。。」

太一と父雄一郎は酒を酌み交わした。

そして、 太一は言った。

「おやじ殿、、、俺に構わずに親父は親父の道をいってくれ、、」

無言だけど、親父の道にあがらうと、決心をしていることを太一は告げた。

「そうか、、、太一、、お前は俺の子だ、、、わかった」

そう言って、父、雄一郎は盃を干した。

「太一、、、俺は帰るぞ」と、お店を後にした。

何処かに息子を誇らしげに思いながら、いつもの黒のハットをかぶりながら、背中で手を振ったようだった。

太一も思った。

「おやじ殿、、ありがとう、、、命を賭けてぶつかっていくよ」

頑固な親子の話しあいは終わった。

太一が夕闇の六本木の街へでた、、、明日もまた、腹が痛くなるだろう、、、、



(5)男の戦い

太一警部補は思った。これで悔いなく思いっきり戦えると、、、今回の汚職事件を解決するためには、幕引きをするためには、どうしても父、雄一郎との対決を避けずには通れない道であった。

西園寺警部には本音を話した。今回の決着をつけるためには、どうしても、民友党幹事長、建長寺雄一郎をも潰さなけらばならに事を、、、

西園寺警部は太一警部補の覚悟を聞いて、どこまでも応援しようと決めたのであった。警察官の誇りをかけて、最悪の場合は警察官の職を辞しても仕方がないと。。。

「太一、、、わかった。思いきりやれよ、、、悔いを残さないように。」

二人は覚悟を決めて、今回の汚職及び殺人教唆事件の最終捜査会議に臨んだ。

合同捜査会議に入り、まずは担当課長から話があった。

「今回の汚職疑惑及び殺人教唆の疑惑に関して説明をします。、、、捜査の結果、汚職は無かった、また、殺人教唆ではなく、本人の自殺であったことが判明した。そのことによって、今回の事件は終了。」

と言う捜査結論に達した。

太一は怒りをぶちまけることにして、反論をした。勿論、全ての捜査からなる証拠を出して、警察の今回の暴挙に対して自分の警察官生命をかけて、捜査結論に対する意見を述べた。

捻じ曲げられた事実を訴えた。法治国家であるべき日本の警察のやるべきことではないと。。。

そして、太一警部補は自分の意見を取り入れて、再捜査なり、再検討をしてくれと訴えた。

しかし、結論は変えられなかった。初めから覚悟していたので、その場の報道機関に訴えたのであった。

会議は大混乱を起こした。警察内部の上層部も慌てた。

まさか、太一警部補がここまでやるとは思ってもいなかったのである。

この捜査会議の記事が報道された。

パニックを起こしたのであった、警察内部でも責任問題が起こり、収まりがつかなくなっていた。



(6)決着



太一警部補の反乱ともいうべき行動によって、警視庁内部は大パニックになった、、、検察庁も同然であった。民友党事務局内でもてんやわんやの大騒動になった。

普通なら、政治力によりねじ伏せられた事件であったが、太一警部補が警察官生命をかけて、ぶちまけたことにより、全てが白日の下にさらけ出されたのであった。

どうにも止まらない、止めることが出来ない状況になり、社会悪が表面化したのであった。

手始めに民友党幹事長、建長寺雄一郎が辞任に追い込まれるとともに今回の汚職に絡む賄賂受託罪に問われた。

警察内部の刑事局長水野忠助、検察庁検事副総裁が起訴された。

また、総武不動産開発株式会社の鳳社長、経理部長の堀尾利助が汚職に絡む嫌疑で逮捕された。

更に北海道小樽の柴田不動産の柴田社長も汚職に絡んだ嫌疑で逮捕された。

一網打尽であった。

更に、殺人教唆に関わったと思われる暴力団青龍会の青田隆二幹部も逮捕された。

これまでの汚職などに関する事件では、大部分が隠蔽されてしまったいた。しかし、今回は処罰された。

勿論、正義のみかたである、太一警部補は警視庁から飛ばされた。遠い南の沖縄に左遷となった。

警部補から一巡査に格下げされて、交番勤務となったのであった。

西園寺警部も左遷となった。

日本と言う法治国家では社会悪を撃退すると、はるか彼方に飛ばされてしまうようだ。。。

なんとも空しい、馬鹿げた法治国家なんだろう。。。。

優秀な熱血刑事は消えたしまったのである。



7)沖縄に流されて。。。

建長寺太一は警視庁時代は警部補を拝命していたが、今回の脱税汚職事件の摘発に関しての功労者ではあるが、、日本の法治国家の不都合で、不始末を咎められ沖縄県波照間島にある、、、巡査部長として転属なったのである。
早い話が左遷であり、、日本最南端の波照間島にとばされた。
八重垣山警察署管轄の「最南端の交番「波照間駐在所」に転属になったのである。
波照間島駐在の先任者が定年となったためのことであり、、駐在員は1人だけであった。
沖縄県石垣市矢崎町に存在する波照間駐在があるところは「日本最南端で南十字星に一番近い島」であり、、空がきれいで海が美しい島である。
人口500人足らずで、面積も約13キロメートルと小さな島であるが、、最近観光客が多くなってきた。
島内にはホテルや民宿、ペンションもあり、、、観光ツアーが組まれている。
東京からは羽田空港経由で石垣島空港へ約3時間、そして、高速船で波照間島まで約1時間40分のきょりであった。
太一巡査部長は交番勤務も一人なので気楽であり、、、島の人々も親切でやさしくすみやすかった、、
二人住まいの老夫婦の所に下宿をしたので、、、近所の人たちも面倒を見てくれたのである。。
下宿先の中曽根忠治さんは釣りが好きで、太一が休みのたびに連れて行ってくれた。
海もきれいだし、、、食べる魚も新鮮なので、太一は色も黒くなり、、少し太ったのである。。沖縄の波照間島に来て、心が落ち着き、ゆったりして、、左遷ではあったがよかったと思っていた。
波照間島の部落の屋根は「赤煉瓦屋根が残り」塀はサンゴの石垣が、、、白砂の道の上を「水牛車がゆっくり歩いている」そして、屋根の上には「シーサー」がある。
太一は沖縄で生きていることを肌で感じた。ずっと、沖縄に居てもいいかなと思うようになったいたのである。

そんなある日,警視庁時代の上司でもあり、、兄貴のように世話に成った西園寺警部から電話が入った。
現在は太一と同じに左遷をさせられて北海道警察勤務であり、、警部補に格下げになっている、、、その西園寺警部補が尋ねてくるというのであった。
仕事を兼ねての来訪であるが,、、太一には嬉しかった。


8)恩人の西園寺警部補が訪ねて来た。

西園寺警部補が沖縄県波照間島まで北海道から来たのであった、、、仕事を兼ねての警察旅である、、、飛行機で石垣島まで来て、高速船で最南端の島までの旅であった。
太一の赴任した波照間島駐在には太一が一人勤務するだけであるが、ホテルや民宿、ペンションはいくつかあるので、、、太一が世話に成ってる「民宿うるま家」を予約しておいたのである。
「民宿うるま家」は海が見える大浴場が気持ちがよく、、魚料理が旨いのであった。
西園寺警部補が港に着くころに太一は,駐在のぼろ車で迎えにだたのである。。。。
西園寺警部補と同僚の大和警部補を車に乗せて「民宿うるま家」に案内する間、、太一は波照間島のガイドをしていた。
「この波照間島は日本の最南端で、、、南十字星が見られる島なんです、、空の綺麗な海の素敵な島で、最近は観光客も多いよ、、」
と、自分の家を自慢するように話したのである。
「西園寺のおやじさん、、、今夜の民宿のお風呂はいいですよ、、魚も旨し楽しみして居てください、、、」と、太一は旅行でも行くようにはしゃいでいた。
「事件のことは大体、聞いていますけど、、本人は家にはまだ、もどっていませんよ、、」と、、太一は報告だけはしておいたのである。
「わかった、、細かい話は飯でも食いながら、夜話そう」ということで、目的の民宿に着いた。
「親父さん、、まずはお風呂に入ってください、、」と、、太一は案内したのである、、、我が家を案内するように。。。
太一も一緒に風呂に入った、、
「親父さん、、、久しぶりに背なかを流すよ、、どうです、、海が眺めていいお風呂でしょう、、」
太一は久しぶりに会う西園寺警部補が懐かしかった。
夕食の時に民宿の中曽根夫婦が挨拶に来てくれたのである。。
「初めまして中曽根です、、太一さんからお話は聞いていますので、宜しくお願いします。。。」と、、、
西園寺警部補も軽く会釈をして「よろしくお願いします、、西園寺です、、、一緒に来ているのが大和です、、今回はしばらく、お世話に成りますので、、、」と、、中曾根さんの釣ってきてくれた魚の刺身と煮つけを食べた。
西園その恨みで寺警部補と大和警部補は舌鼓をうつほどの美味しさであった。
太一たちも仕事の話は明日ということにして、美味しい料理と旨い酒に包まれて、南海の島の夜を楽しんだのである。
ほんのわずかな警察官の癒し時間であった。



9)太一の刑事魂が燃える

沖縄県の最南端である波照間島の駐在に赴任してからの太一は自然に恵まれて、精神的にのんびりし過ぎた気がした。。
余りにもきれいな海や南十字星の見える島で、正直言って事件らしい事件も起きないので、太一は警察官でいることを忘れてしまったようだった。
そこに、西園寺警部補が刑事としての仕事を持ってきてくれたのである。
その犯人に今の自由党幹事長である松平重太郎の娘婿の松平史郎が殺されたと、、、そして、その犯人が実家のある沖縄波照間島に逃げてきているというのであった。犯人の名は中曽根三郎といい、、その犯人の母親が重病で明日をも知れぬ命であるというのであった。
西園寺警部補から話を聞くと、、、犯人の中曽根三郎はやくざ組織の組員とのことであり、、、北海道開発(株)とはリゾート開発での利権が絡んでるようだった。
詳しい話では、、、東京の本社「北海道開発(株)」が自由党幹事長松平重太郎の口利きで始まった開発事業であり、、「1000億円」からの開発内容で、、ホテルからスキー場施設やカジノまで併設した事業規模であった。
プロ野球球団の総合野球施設も含んだ大規模開発であるらしい。
そんな開発事業に黙って指を咥えてみているようなやくざ組織はいなかった。北海道に勢力を持っている「北海東北連合榎本会」が横車を押してきたのであった。
そんな利権争いの渦の中で、北海道開発(株)本社から松平史郎専務取締役が、、支社長として送り込まれてきたのである。
松平史郎支社長は「イケイケ行動派」だったので、強気の営業展開をしていたのであった。
札幌に近い石狩平野のどまんなかでの開発事業だった。
強きの松平史郎支社長は、「北海東北連合榎本会」にしてみれば、、邪魔だ
榎本連合会の榎本武会長は、、、
「幹部会を開き、、松平支社長は今回の俺たちの仕事には目障りだ、、邪魔だよ。。」
と、、言っただけで石田若頭が動いたのである。
そして、、今回の中曽根三郎組員が松平史郎支社長の暗殺となったのだった。
やられた「北海道開発(株)」の後ろ盾の自由党幹事長松平重太郎も黙ってはいなかったのである。。。
松平幹事長が悪事商売をすべてやらせていた、東京赤坂の総武不動産(株)の二階堂保社長に連絡を取り手を打たせた。。。総武不動産は反社会勢力のやくざ組織であったので、、
母体組織の「東京連合睦会」と今後の打ち合わせをしたのであった。
総武不動産(株)の不動産トラブルの専門やくざを3人チームを作って北海道へ乗り込ませたのである。


11)西園寺警部補は気になった、、、政治家の罠ではないのかと、、、

「太一、、今晩、飯でも食いに行こうか、、北海道にも馴染の店が出来たのでな、、
お前、、寿司が好きだったな、、帰りは一緒に出ようか、、」
と、、西園寺警部補と約束をしたのであった。
西園寺警部補は心配なのだ、、、今回も政治家が絡んでの転勤であったので、、、
どうも、太一の過去の実績を見ての自由党松平幹事長の思惑がありそうなのである。
太一警部補の行動力、捜査能力をかっての移動であってと思う西園寺警部補であった。
今度だけは政治力に、、悪だくみに利用されないように注意しないと、、そればっかりを考えていた西園寺警部補であった。
夜、、太一警部補は西園寺警部補に連れられて、、札幌市内の「狸小路商店街」にある、縄のれんの有る寿司屋に入った。
小ぎれいなカウンターだけの寿司屋で、老夫婦でやっているようだった。
「いらっしゃい、、西園寺の旦那、ご無沙汰ですね。。。」
と、、意気のいい声で挨拶をされた。
「おお、、こんばんわ、、今夜は俺の警視庁時代の愛弟子を連れ来たので、、
親父さんお奨めの寿司を握ってくれ、、」
頼むと威勢のいい返事が返ってきたのである。。
「西園寺の旦那は元気でしたか、、、」と言いながら,おかみさんがお茶を出してくれた。
そして、、太一警部補の前に旨いと言われる寿司がえてきた。
「旨いです、、久しぶりの美味しい寿司ですね、、ありがとうございます」
と、、太一は旨そうに頬張っていた。
「ところで、太一、、今回の締めくくりは上手くな、、、馬鹿を見ての責任取は絶対に御免だからな、、」
念を押したのである。。
「いいか、太一、どんなことがあっても最後は松平に、、そして、連合に泥をかぶせないとな、、、忘れるなよ」
と、、西園寺警部は何度も念をおしたのであった。
「太一、、よくよく考えとけよ、、、俺たちが責任を取るのではなく、、仕掛けてきた奴らに、全てを押しつけて責任を負わせることを絶対に忘れるなよ、、」
と、言いながら西園寺警部補は好きな日本酒を「冷酒」飲んだ。


12)太一警部補に戻っての初仕事

夕べは西園寺警部補と久しぶりに、、、「親父、、、太一、、」と呼び合いながら楽しい夜を過ごした。
そして、太一は肝に銘じたのである、、、今回は前回のようなバカな責任を取らずに、事件を解決してやろうと自分に言い聞かせた。
北海道警察に赴任した朝に、、上司の清水捜査課長から言い渡させられたこと、、それは「北海道開発(株)」と「北海東北連合榎本会」の争いを鎮てもらいたいことであった。今回の北海道開発の松平支社長暗殺の逮捕の実績から突破口を見つけて、事件解決に奮励努力をして欲しいと、、、言うことであった。
そして、、「西園寺警部補と力を合わせて欲しい、、」
指示命令を受けての捜査開始であった。
そのあとで太一警部補は西園寺警部補からいわれたのである、、、
「太一、、慌てるな、、じっくり構えていくぜ、、いいな、、」と、、念を押された。
「太一、、まずは逮捕した中曽根三郎の取り調べから行くからな、、、事情をしっかり聴けよ」
ということで、、暗殺犯人を取り調べ室に呼んで事情聴取から始めたのである。
中曽根三郎は逮捕時の太一警部補の対応に感謝していたので、、「刑事さん、、沖縄ではありがとうございました、、
本当にありがとうございました、、」と、、何度も頭を下げた。
西園寺警部補と太一に感謝の態度を見せながら、取り調べに素直に話をしてくれたのであった。
中曽根三郎組員は自分が事実を話せば、どうなるかを覚悟しての「やくざ掟」を破っての暴露である、、、
それは沖縄で取った太一の中曽根に対する対応であった、、、死に際の母親に合わせてくれた温情であり、、人間としての思いやり、やさしであった。
その行為に引き換えても余りあると、中曽根は感謝していたからであった。
中曽根の供述があったことで、、「殺人教唆」で「北海東北連合榎本会の榎本会長」を 逮捕出来たのである。。
榎本会では慌てた、、今後の相談をして、北海東北連合の指示を仰いだのである。
一方、北海道警察側は「中曽根三郎」の身の安全を守るために、警戒を厳重にしたのであった、警察側も中曽根三郎を釈放はせずに、、逆に監禁状態にして、ヤクザからの報復を守つたのである。。
太一たちは知っていた、、、「やくざ所以は殺しが出来るから、、裏切りは死に値する」というやくざ組織の鉄の掟があった。
そして、今回は裏切った中曽根を許すはずがないと、、、太一は真実を話してくれた中曽根三郎を殺させるわけにはいかなかったのである。。
裏切ったやくざは、、いつか娑婆に出た時に狙われ殺されるのであった、、、「殺された後はミンチにされて、豚か鶏の餌にされてしまうのであるか、、または海にまかれて魚の餌になる」
そして、、死体が消えるのであった。
この世の怖ろしい残酷物語が、、それが「やくざの恐ろしさ」である。。
太一は事件解明に当たると同時に、、中曽根三郎の身の安全を考えた、、、どんなことがあっても、、
守ると決めたのであった。


13)太一警部補の作戦、、、

太一警部補は中曽根三郎の命がけの証言により、、「北海東北連合榎本会」の榎本会長を殺人教唆で逮捕出来たのであった。、、「北海東北連合会」の大熊繁蔵会長は、月野若頭に号令をかけて幹部会を招集したのである。
「月野、、、いいか、、榎本が挙げられたのだから、、けじめはつけろよ、、、今回の「北海道開発(株)」の事業はつぶせよ、、、いいな。。」
と、、大熊繁蔵会長から厳命が出された、、、「北海東北連合会の面子にかけてな、、」と、、、
月野若頭が先頭を切っての戦争であった。
そして、月野若頭を中心に作戦を練ったのである。
「殺人教唆」でトップが執られたからにはトップを狙えでいくことにしたのであった。
月野若頭のもとに「ヒットマン」が仕立てられた、、、「榎本会」と「連合会本部」から4人が決められたにである。
北海道開発(株)本社の松平社長と自由党幹事長松平重太郎が今回のターゲットであった。
榎本会の狙いは二人である、、、そのほかの関係者は枝葉であり、、戦いを望んできたら料理すればよかっただけである。
準備の出来た北海東北連合会榎本会は動き出したのであった。
連合会と榎本会の「ヒットマン4人」は東京へ向かったのである。
太一警部補が仕組んだ作戦、、、それは、後処理で「政治力が圧力」がかからないように、、喧嘩相手に始末をさせるということだった。。
東京へ出た「4人のヒットマンたち」は獲物を狙って、機会を待っていた。
そして、、投稿連合会睦会が放った不動産プロたちよりも行動が早かったのである。
自由党幹事長松平重太郎と、、、北海道開発(株)の松平社長を暗殺したのであった。
テレビニュースなどで、、、大題的に報道された。
北海道開発(株)のリゾート開発に絡んだ事業は頓挫したのであった。




































































































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