巌窟女王の愛娘

ロサロサ史織

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プロローグ

(2)この世界には妖精王がいる

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 未知との、じゃなくて人外との遭遇なのだ。

「……黒い毛むくじゃらに一つ目?」
 それほど狭くもない地下室の壁いっぱいに、なにやらファサーッとしたモノが浮かんだ。
 いや、浮かんだんじゃなく、拡がった?
 それに、黒い獣毛のような背景の真ん中に、どう見ても『目』がある。しかも巨大。
 え、もしや目玉の親父さんテキな?(わくわく)
 金色の目。少なくとも人類の目ではないナニカ。つまりネコ科動物っぽい?
 やっぱり悪魔系なのかな?(わくわく)
「違う。これはわたしの目だが、ここに見えているのが一つなだけで、一つ目というわけではない」
 それは見せたことにはならないでしょーが。なにを勿体つけてるのよ。
「つまり、とっても巨大でこの部屋には出て、じゃないか、入り切らないってこと?」
「そうなるな」
 頷いた気配がエラそう。
 なに胸張ってんのよ、できてないでしょ!
「小さくなれないの? 悪魔だって人前に出てくる時はちゃんと人間の視野に収まるサイズで出てくるもんでしょ。目だけとかひづめだけ出しても、人間を誘惑することはできないんじゃ?」
「だから悪魔ではないと。それに、これでもかなり縮小しているのだが」
「全身見えてないのに、なに胸張ってんですか。もっと小さくなればいいだけでしょ?」
「むむむ」
 すぐに目のサイズが縮小した。でも、黒いモサモサエリアは変わった気がしない。
「変わってないわね。無能?」
「失敬な! これでどうだ!」
 ギュルギュルルーっとか擬音が背後から迫り出してきそうな勢いで、モサモサと金色が縮んだ。
「……わぁお」
「これでよいか?」
「やればできる子!」
 いや、これが褒めているかどうかはさて置き。
 やっぱり目玉の親父さん!
 じゃなくって、まん丸くて黒い毛玉の真ん中に、金色のまん丸い目玉が二つ、ついてる。親父さんと違うところは、小さくて人間ぽいカラダがないことだ。
 どうでもいいけど、それって寄り目なんじゃない?
 サイズとしては、うーん……クジラ? クジラの頭サイズの毛玉ってカワイイ、か?
「ケサランパサランだったのか」
「なんだそれは? 違うに決まっているだろう」
「なんで違うのよ。そういう形状のものを総称して『ケサランパサラン』なんだから、合ってるんじゃない?」
「だから違うと。わたしは『フェロワ』だ。それ以外の何者でもないぞ」
「フェ、……ロワ?」
 確かフランス語で妖精は『フェ』じゃなかったか?
 なら『ロワ』は王様ってことね!
「妖精王ってことで合ってる?」
「崇拝してもよいぞ」
 エッヘン!とか威張ってそうだ。モフモフのくせに。
「なんで崇拝するのよ。私は修道女なのよ、見てわかるでしょ。私が祈るのは神様だけなの」
 こちらも胸を張ってやる。院長様エライ。
「崇拝したこともないくせに、よく言う」
「ま、まあ、無神論者なのは否定しないけど」
 現代日本出身者にそうそう敬虔な神の信徒はいないんじゃないかな。
 信教の自由がありすぎたし、いちおう皇室が奉っていた神道もノンポリ庶民にとっては新年のお参りとか、受験の神頼みくらいしか需要がなかったし、そもそも頼みに行く先も神社とお寺でいっしょくただし。
 でもそれは現代人のせいじゃないと思う。神道一本にしぼって、戸籍っぽいものを管理していた寺社勢力を排斥した明治政府と、天皇を生き神様として奉り、『神国』なんて虚勢を張って巨大資本アメリカを敵に回し(バブル期ニッポンみたいなもんかな?)、ぐっちゃぐちゃに負けてるのにフェイクニュース垂れ流して国民洗脳してたし、最悪なことに原爆二つも落とされ、否定できない空気の中で敗戦し、わざわざ『人間宣言』するしかなかった天皇を見せられたためでは。
 クリスマスやバレンタイン、ハロウィンとかのイベントでしかキリスト教もお呼びじゃなかった。
 あっちこっちでよくわからない宗教の勧誘はあるのに、なんにも響いてこなかった。そもそも「シューキョー」といえば怪しくて胡散臭い代名詞だった。
 だからなのか、カミサマを信じたことはない。
 でも『神話』は大好きだった。日本のも世界のも。
 いや、カミサマを信じたことがないんじゃなくて、物心ついた頃には熱烈な宗教者だった某身内から洗脳されかけたし、聖書を暗唱していくともれなく貰える、綺麗なイラスト付きのカード(コレクター根性養成装置だろうアレは)とお菓子につられて教会にほいほい連れて行かれたこともある。
 そして、なんだかその気にさせられて、とっても勉強したんだ。
 ポケット聖書に始まって注釈書だの、宗教系の本を乱読したね。
 ただ、それがキリスト教だけにとどまらなかったのは、良かったのか悪かったのか。
 仏教には仏像オタクから入ったし、歴史を勉強していくとどうしても出てくるイスラム。まずは用語から。オスマン後宮ドラマはとっても興味深く視ました。
 で、教養というか雑識が積み重なっていくと、もともと戦時中に非国民扱いされたせいで凝り固まった別の身内の根強いアンチ精神に曝され、結果的に無神論者になるようにして、なった。
 それに、なにが恐いって、一番恐いのは人間でしょう、という結論。
 死後の世界に夢見てるなんてアホらしい、頭の中お花畑なんじゃない?と思っていた私がこうして死後の世界にいるなんて!
 どうかしていると思っていたのだ。
「まさか、あんたが私をこっちの世界に連れ込んだ張本人なんじゃないでしょうね!」
「連れ込んだ?」
「私は平穏に死んで塵に返ればよかっただけのタダの平凡な一般人だったのに! なんでこんな前近代で大仰で不潔な異世界でまたがんばって生きてないといけないのよ! それもいつ殺されるかわからない!」
 そう、近世末期は不潔なのだ。ヴェルサイユ宮殿にトイレがないのは有名。マリー・アントワネットもカーテンの陰でドレスの下におまる差し込んで用を足してたかと思うと、華麗な夢も醒めちゃう。おまるの中身は窓から下へポイ棄てられたとか、それはロンドン市街だったかな? 貴婦人より先にハイヒールを履いたルイ14世は汚物をよけるために履いてたのだとか。
 王子様もお姫様もお風呂になんか、月に数回入ればいいほうなんじゃないか。金ぴか大好きルイ14世は絢爛豪華な浴室をヴェルサイユ内に増築し、愛妾といちゃこらピンクで紫な遊びを愉しんでいた気はするけど。あの浴室は死後すぐに取り壊されたか埋められたんじゃなかったか。
 それでも中世よりはかなりマシっていう汚物とニオイの世界。絵面だけならうっとりかもしれないが。ニオイは絵に描けないもんねぇ。
 そしてニオイ消しに誕生したのがおフランス産香水。どんだけキョーレツじゃないと消せないか、実感しているところなのだ。
 ここランセーの人種だってどう見ても西欧系だし、恐らく体質もそちら型のはずだから、絶対に日本人よりも体臭が、濃い!
 しかも今なんて地下室に幽閉されて、お風呂なんて……お風呂なんて……ああああ!!
「平穏に、死んで?」
「なんでそこが疑問形なの」
「平穏、だったか?」
「え?」
 え、……と、どうだろう?
 どうやって死んだのか憶えていない。考えたこともなかったけど。
 いや、でも、忘却は救済って言われてなかったっけ? 無神論者でも生老病死の『四苦』を忘れられたら、それは救済だよね。
 それならどうして前世の記憶をわざわざ思い出しちゃったのか。というか、なんで転生してんの。しかも異世界! アリエナイ!
「え~~~、っと、ええと、あー……もしかして認知症で死んだ?」
 いや認知症では死なないかもだけど、誤嚥性肺炎とかよく聞いたし、徘徊して交通事故死とか凍死とか溺死とか餓死とか、フツーにあるよね?
「わたしに見えるのは、そなたが見て記憶していたことだけだ。そなたが夢の中で生きていたような時間のことは、薄膜が掛ったようにぼんやりとしか見えない」
「うっそぉ……マジ認知症で死んだ?」
「さて、わからんね。どうでもよいことだ」
「うーん。確かに今となってはどうでもいいのか」
 事故とか脳卒中とかいう物理的脳損傷からの認知症かもしれないけど、典型的アルツハイマーあたりなら、かなり長寿で死んだって考えられるし、それはそれでめでたく、平穏なのでは。でもアルツハイマーの治療薬とか出て来ていた時代だった気はするけど。
「ま、いっか。どうせ死んじゃったんだし」
 あ、なんか今、とっても懐かしい映像が――
「そうそう。『オマエハ、モウ、シンデイル』」
「ちょっと?! なんでそんな懐アニ知ってるの!」
「今、そなたが死んだということから連想したのではないのか? 見えたし聴こえた」
「も、もしかして声優の声を再現できちゃうとか?!」
 ガバッ!
 思わず知らず、私は黒くて金色のモノをぐわっと抱き締めていた。
「セ、セイユウとは?」
 声がひっくり返る妖精王。カワイイかも。
「声だけでキャラクターに生命を吹き込む神みたいな存在のこと!」
「神。ふむぅ、そんなに多くの神がいる世界にいたのだな」
「違うけど。みたいな、だけど。でも架空の存在を神様みたいに尊く思ってた人はたーっくさん、いたわね」
 真夏と初夏と真冬の臨海某所とか、あのへんには特に濃密にいた。実際にあの雑踏に交ざっていた時期があるから、わかる。
「よいではないか。神が実存しても、困ることはあるだろう」
「え、でも、妖精王は実存してるんじゃないの?」
 こうして抱っこできる。いや、しがみついてる。
「各自に都合のいい神がたった一柱なわけがなかろう。総合的に、妥協点を決めたのだな。それも長い歳月をかけてじわじわと、齟齬を解決してだ」
「え、じゃあこっちの神はいないの? 精神的世界の中にしか」
 ここは声を大にして言わねばならぬ。こっちの神はキリスト父子じゃなかった(当たり前か?)。
 しかも女神だ。
 あちら世界の厳しく厳めしく要求のやたら多い神とは違う、寛容なのかな、あまり些細なことには興味がなさそうな、おおらかでどっしりとしていて、お姿を描くとすればそれこそ山のようなサイズだろうと思う、女性と母性と男性性の黄金比融合とでもいうのか。どちらかといえば多神教のファースト女神っぽい。でも大文字のゴッデス。
 美と愛と豊穣と、知恵とか家庭とかかまどとか、いや太陽も月も海も山も空気も全部ひっくるめてご担当あそばしますスーパー女神様。個人名いや個神名はあられませんので、神もしくは女神とだけお呼び申し上げます。
 地と空と海を、というか世界の存在すべてを生んだ偉大なる造物主母神。全世界グレートマザー教とでも言おうか。
 まあ共通祖先だと、この宗教の信徒が認定しているのはせいぜいエウロペイア大陸と、隣接する大陸エリア、大き目の内海沿岸(語意的に地中海ぽい)と、アフルル大陸北部くらいで、大砂漠の向こうの黒人種を教義としては遠い兄弟と認めるけれど、内心は同じ人間とは思っていなそう。大洋を隔てたアムリア大陸なんて、未開でD人(差別用語なので規制が入る)の支配するところという認識だから、動物と同レベルで殺す。躊躇しない。虐殺する。奴隷にする。売買する。支配し宗教を強制する。
 直接の虐殺は免れても、南アムリア大陸や中央部の陸橋や列島では、あちらの大陸には存在しなかったウィルス感染症が爆発的に拡がり、人口が半減どころではすまないという恐怖のパンデミックが起きてしまった。
 長い間、交渉がなかった人類同士が急激に濃厚接触(=戦争)したから、エウロペイアでは死なないようなありふれた感染症でも、あちらではバタバタと住民が倒れたという。あちらの大陸世界からすれば、悪夢としか思えなかっただろう。王朝は軒並み征服されて滅び、都市は破壊され、生き残った住民は自由も、名前も、言葉も、歴史も奪われ抹殺された。奴隷として現地のプランテーションや鉱山で強制労働か、北アムリアやエウロペイアへの奴隷として輸出され、その少なくない人々が長い航海の中で死んだらしい。
 この私が生かされてきたランセー王国では、もう奴隷制度は廃止されているはずだ。それでも外国貴族やブルジョワ層が連れてくる奴隷そのものは没収されたり解放されることはないという。
「神は、彼らを助けなかった。我々はおぞましい殺戮者で、略奪者で、彼らの犠牲の上に依って立つ暴食の悪魔だったに違いない」
 祈りの対象が不在でも、形だけでも私は祈らなければならない。それが私に与えられた運命で、この生から逃れるためにはまた死ぬしかないが、まだ死にたくはない。
「……本当に、フェロワが私をこの世界に呼び込んだんじゃないの?」
「それは違う。そなたの魂は彼我ひがの境界の希薄な領域を漂っていたのだ。わたしはそれを見ていたが、干渉したことはないぞ。見ているうちにふよふよと、王家の女子おなごの胎に入っていってしまったのだからな」
「うわぁ、それってあんまり考えたくない。受胎の瞬間とシンクロしたってこと?」
 抱き着いたままの黒モフは、中央の金色の両目を笑うように細めた。細めやがりました。
「で? 三十年も放置してたのはなぜ? 私が記憶を取り戻してからでも、もう一年以上経ってる」
「なぜと言われても。困る。そなただけを眺めていたわけではないからなぁ」
「え、もしかして私以外にもあっちの世界から落っこちてきた魂がいるの? それともフツーにこっちの人間を鑑賞してるの?」
 ヘンテコストーカー妖精か!
「む。今、よからぬことを考えたな。それは雑言のたぐいでは?」
「いちいち煩いなあ! こんな境遇自覚しちゃったのに愚痴のひとつも言えてない、カワイソーな身の上なんだからね。ちょっとくらい褒めてくれてもいいんだから!」
 叫んだら、少し目尻が濡れたのがわかって、せわしなく瞬く。
 なんで私の魂、ふらふら飛んでた? 方向音痴? 死んだら消滅するんじゃないの? 肉体と魂って個別に存在してた? 魂って脳と心臓どっちにあるもの? いや、まさかの腸とか言わないよね?
「ううむ。迷子になっていたというか、夢を見たまま彷徨さまよってしまったというか、そんなところではないかな。いろいろ不透明でわからぬ。なにも聴こえぬ」
「おううう……やっぱり認知症か……それに難聴……」
 まあ、夢を見ながらゆるゆる死んだのなら、そんなに苦しまずに逝ったかな。
 それなら、大往生だったんじゃない?
 たった独りで死んだとしても。誰にも看取られなくても。夢で誰かと逢っていたかもしれないから。
 どうせなら黄金色こんじきのご来迎を拝んでから意識がなくなればよかったのに、それは贅沢というものだろう。
「うん、それは慰めになってる。嬉しいかも。打たれ弱いからイタイのイヤ」
「弱いとは、どのあたりが」
 ドスッ!
 反射的に黒モフへグーを突き出してしまったじゃないか。ごめん!
 抱き着いていた黒モフは壁まで吹っ飛んでいたりする。なんというクリティカルヒット。って、それギャグ?
「いたい」
「うそつけ! こんなモフモフのくせに!」
 吹っ飛んだ黒モフは、壁に激突してバウンドし、落っこちもせず、ふよよーっと浮かんでいる。
 モフなだけにグーもまったく痛くない。前世含めてグーでいきものを殴ったのは初めてだ。たぶん泥酔した時にやらかしていなければ。
 妖精王はお茶目だな。
 性別はないとか言ってたが、猛獣の赤ちゃんみたいな可憐さ(笑) 和む(クジラサイズだけど)!


「おや待て。外が騒がしい」
 なにも聴こえないが。
「あ、そういえばさっきジョリーが」
「心配するな。その者は立って目を開けたまま眠っている」
「ええっ、ジョリーになにかしたの?」
「なにもせぬよ。少々、時を止めていただけだ」
「かなりナニカしてるんですけど?!」
 お茶目がすぎるでしょ!
 ってか、それ、かなり便利能力なのでは? 後でじっくり聞かせてもらいたい。


「王女様! 兵が……ああっ」
 扉のすぐ向こうで武器のこすれる金属音と、ジョリーの金切り声。いよいよ革命軍の兵士が私を連れ出すようだ。
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 びっ、びっくり!
 王妃の愛人イキナリ登場!
 えええ、どうしてこんなド田舎に!
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「これはご無礼を」
 シュヴァルツ=ギリンクが小さく顎をしゃくると、ジョリーの胴を抱え口を塞いでいた兵士の手は速やかに離れた。そして敬礼。なかなか統制が行き届いているようだ。これなら無体なこともされまい。
「して、いずこへ?」
「秘密裏に動いておりますれば、現地までの間、臺下とお連れの従者には目隠しをして頂きたく願い奉る」
「ぶ、無礼な……」
 またジョリーが小さく叫んだが、黙ってそうさせる以外にはないだろう。
「この者も連れていってよいか」
「お望みのままに」
「かたじけない。長く共に暮らした仲であるのだ。この世情ではいつまた巡り合えるとも案じられるゆえ」
「ほかにも一人二人であれば、お連れすることもでき申すが、いかがか」
「誰も」
 首を振れば、頷かれた。
 どこへ連れて行かれるかもわからないのに、か弱い修道女たちをぞろぞろ連れて行くなど思ってもいないことを。
「お持ちになりたき物などありますれば、直ちにご用意つかまつるが」
「ジョリー」
「畏まりました」
 すっと正式なカーテシーをしてジョリーが階上へ向かう。さすがは王宮で揉まれた女性だ。逞しい。
 地下室へ閉じ込められた時に長年親しんだ居室は乱入した兵に荒らされ、もとより貴重品など持ち合わせないが、ジョリーが隠し持っていてくれた母の形見(ご本人もご無事だといいが)の幾つかと、着替えの一着もあれば上等。
 なにせ、地下に一年も暮らしたので、相当に強烈な臭いがしているはず。
 そう思ったら、よろめく私をゆっくりとエスコートしつつ階段を上っていたシュヴァルツ=ギリングが、懐から小さな物を取り出した。
「宜しければ、こちらを。気休めにはなりましょうかと」
「これは……かたじけない」
 王宮で持て囃されそうな美しいガラスの香水瓶だった。
「ありがたく頂戴する」
 ううーん、さすが、モテる男は違うなぁ。
 王家の逃亡は失敗したけど、そこまで能力が低いわけでもないのだろう。もしかすると王妃を逃がすことができたなら、献上するつもりだったのかもしれない。
 ふと瓶を回すと、黄金に銀の文字が繊細にJMと刻まれている
 やはりジャンヌ・マドレーヌの形見か、捧げるために用意したものか。
 考えすぎならばそれでいいが、形見のようなものを、初対面の相手に無造作に渡す。もう王妃との思い出は過去に昇華したのか、物欲も失せるほど絶望したのか。
 それでもこうしてランセー王家に連なる者のため動き、言葉少なく、仄かな灯りの下では思い詰めたようにも見える。どんな覚悟をしたのだろう。きっと私に語ることはないだろうけれど。

 地上階へ出、修道院の裏門をくぐると、黄昏時の果樹園の入り口に枝を伸ばす葡萄の樹が、残り少なくなった乾いた葉をまだ残していた。風はない。
 もうこの葡萄の樹を見ることもないだろう。毎年よくがんばってくれた。お手柄だったね、愛しいおまえたち。もうおまえたちのワインを嗜むこともない。
「臺下、これを」
 シュヴァルツ=ギリンクの声ともに、従卒が灰色っぽいマントを捧げ持っていた。
「ありがとう」
「ラフィ様! お待たせ致しまして」
 ぱたぱたと駆け寄ってくる、私よりもう背が低くなった愛しいジョリー。
 小さい頃、私がぐずるたびに抱っこして、実母や王都のことを何度でも語ってくれた、優しく大きな母。
 ファリアの名は憚られ、セラフィーヌとも呼ばず、ラフィ様とだけ呼んで構ってくれた。様々なことを教えてくれた。二代前の院長様から甘やかしてはなりませんと厳しく通告されたジョリーは、叱られてしおれる私へ、院長様の背中から肩をすくめてこっそりウインクしてくれた。
 さようなら、私の家だったサンタンジュ。
 聖天使たちの家。
「ジョリー、助かります。苦労ばかりですまない」
「いいえ、なんのその! わたくしはラフィ様の襁褓むつきもお取り替え申し上げたジョリー・ラ・メールでございますよ」
 そうして馬車に乗り込んだ私とジョリーは、黒い目隠しを渡されるとそれぞれの目に巻いた。
 これから夜というのに、大袈裟なことだ。
 馭者を背にシュヴァルツ=ギリンクが座り、進行方向を向いて私とジョリーが並ぶ。


(フェロワはどうしたのかな)
『馬車の上を飛んでいるぞ』
 また突然声が頭の中で鳴る。お行儀の悪いやつ!
(馬車に乗っているんじゃなくて、飛んで?)
『乗っても素通りしてしまうからな』
 なるほど。この世の物質とは違うモノでできてるってことね。さすが妖精王?
(ねえ、この馬車はどこに向かってるか知ってる?)
『マルセーヌ沖のシャトー・ド・ギイフ』
 えええええ。それって政治犯とか重罪人とかを何十年とか死ぬまで監禁する有名な牢獄のこっちヴァージョンでは。
 あれだよアレ。モンテ・クリスト伯!
『モンテ・クリスト伯とやらは知らぬが、中に興味深い女子がいる』
(王室関係者?)
『それは逢ってのお楽しみだ』
 けち!
 反射的にイーッと顔をしかめそうになり、向かいにシュヴァルツ=ギリングがいることを思い出した。急ブレーキ。やばいやばい。


「……伯爵閣下、少々疲れました。無作法なのは承知なのだが、眠っても構わぬだろうか」
「これは失礼! 臺下、どうぞお楽に。あのようなお暮らしで疲労は当然のこと。馬車も山道で揺れております。気のつかぬ身の不始末をご容赦ください。お休みくださいませ。侍女殿とお守り致しますゆえ」
 こちらが目隠しをしているのに、シュヴァルツ=ギリンクが頭を下げたらしい軽装甲と衣擦きぬずれの音がした。いかにも貴婦人にかしずく宮廷貴族らしい。
「ラフィ様、さ、わたくしを枕になさいませ。肉も前よりちょっぴりですが余計にございますよ。おつむりが痛いようなことは決して致しません」
「嬉しい。ジョリーの膝は久しぶりだ」
 ジョリーの膝に横向きに頭を載せると、少ししてぽたりと耳に落ちてきたものがある。
「も、申し訳……、あぁ、お耳を……」
 鼻声で謝りながらジョリーが指で私の耳を撫でる。
 目隠しをしていても涙が滴るほど泣いていたのに、ジョリーの声は直前まで気丈なものだった。さすがはわたくしのジョリーだ。
「この年でラフィ様の寝息を拝聴できるなど、ジョリーは果報者でございます。生涯忘れません」
「うん。いっぱい長生きしておくれ」
「もちろんでございますとも」

 こうして眠ったふりをしながらフェロワとの情報交換をしつつ、馬車ははるかマルセーヌを目指したのだった。





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