処刑官キリエ

中田ムータ

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第一部

幕間 彼女の普段着

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ムータロ処刑開始から2週間ほど前の話。

夕暮れ前の人並みで賑わう商店街バザール
食料品、日用品をはじめとして、交易品、骨董品、武具店、魔術具店、食べ物屋台、服飾装身具店、ヘアサロン、水タバコカフェ、怪しげな占い等まで、様々なショップが屋根付きの街路に並んでいる。

その中に、ひょろっと長いキリエの姿があった。
周りの人々よりも軽く頭二つは大きい。
そして当然だが、服装はあの処刑官スタイルではない。だいぶ地味目でシンプルな私服である。
白いブラウス、インディゴ染色された綿ズボン、ぺったんこの革製婦人靴パンプス、ポニーテールにまとめた髪。そして、いかにも秀才ガリ勉女子、といった風の丸眼鏡ロイドを着用している。

彼女は今、食料品店で香辛料スパイスを吟味している。
受刑者用の食事の材料を切らしてしまっていたのだ。

こういった買い物は基本的には管理局の経費で落ちる。主任処刑官であるキリエは比較的自由にそれを使える身だ。とはいえ上限はあるため、費用を抑えつつ最高の料理を作るためにしっかり吟味して選ぶことが重要なのだ。

(ン、こんなもんかな)

食料品の買い物を済ませ、今夜の料理メニューを考えながら、うきうき気分でいざ受刑者ピッグスの待つ管理局に戻ろうとしたその時だった。

「あら、キリエちゃん?」

背後から、名を呼ぶ声。
聞き覚えのあるその声に思わずぎくりとするキリエ。

(う、この声は……)

恐る恐る振り向いたキリエの視線の先にいたのは、七十代半ばほどの老婦人である。
年齢の割には大柄な体格。三日に一度のサロン通いで維持しているという、ボリューミーでふんわりとしたブルネットヘアー。華美ではないが上品に整えられた身なり。もとから朗らかな作りの顔にさらに満面の笑みを浮かべてこちらを見上げている。

「マ、マーガレットさん。お久しぶりです……」

「んもーぅ、随分見なかったじゃない。1ヶ月ぶりくらいかしら? 寂しかったのよ、お茶の相手がいなくて。ううん、本当はいるのだけど、歳をとると若い子とお話しするのが楽しいのよ。なんだか自分まで若返ったような気がするもの。今日は商店街バザールでお買い物? どれどれ何を買ったのかしら、あら、ずいぶん通好みの香辛料スパイスだこと。さすがキリエちゃんね。きちんとお料理できる若い子は今時珍しいもの。そういえばお役所のほうは相変わらず忙しいの? そう、でもいいことだわ。あなたみたいな優秀な子が暇してたら社会の不利益だものね。あ、そうそう、ちょっと聞いてくれるかしら? んもーぅ、うちのトーマスったら昨日ね……」

二人の出会いは半年ほど前に遡る。
道で転んで腰を痛めていたマーガレットを、たまたま通りかかったキリエが治療したのだ。マーガレットはお礼にとキリエを自宅に招待し、それ以来、キリエは時々彼女のお茶の相手にされていた。彼女はキリエの”今時の若い子には珍しい”礼儀正しさや教養の広さをとても気に入っており、トーマスという自分の二十歳の孫に会わせたがっているのだが、今までのところキリエはなんとかそれを避けることに成功していた。面白いのは、彼女はキリエがエリニュスであることをさして気にしていないようなのだ。

「あ、あの、マーガレットさん、わたしちょっと急い……」

「んもーぅ、少しぐらいいいじゃない、あなたの人生はまだまだ長いんだから。急がば回れって言うでしょ。てきぱきするのも大事だけど、心の余裕も必要よ。そうすればいい人との出会いも自然に訪れるわ」

マーガレットのマシンガントークのインターセプトを試みたキリエだったが、あっさりとかわされた挙句、返す刀で苦手な方面の話題に持っていかれることとなった。それでも、処刑時以外は基本的に温厚な常識人であるキリエは忍耐強くマーガレットの相手をする。

「で、でもほら私、こんなですし、なんていうか、その、普通の人とは……」

キリエはジェスチャーで自分を示しながら言う。すると、

「んもーぅ、何言ってるの。女の子が自分の身長のことなんて気にしちゃダメよ。本当にいい男だったらそんなことは気にしないものなの。それに、キリエちゃんはとっても可愛らしい顔をしてるもの。本当に妖精のお姫様みたいよ。それでもどうしても気になる? 大丈夫、そういうことなら私に任せなさい。うちのトーマスは運動をしていたから背は大きいの。あなたよりは少し小さいけど、並んでも十分釣り合うわ」

ある種の高齢の女性が備える曲解能力で、こちらの言葉をことごとく自分にとって都合よく読み替えてしまうマーガレットに、なす術のないキリエであった。

「あら、それともキリエちゃんにはもういい人がいるの? あらやだショック。そうだったのね。私ったら、ほんとごめんなさいね。んもーぅ、歳をとると……」

「い、いえ、そういうわけではないです!」
マーガレットによる既成事実化を慌てて阻止するキリエ。いや、これは阻止しないほうがよかったのだろうか?

「あ! あらやだ、忘れてたわ。今日はこれからお友達が来るんだったわ。もう来てるかしら。早く帰らなきゃね。んもーぅ、嫌よねぇ、歳をとると忘れっぽくなっちゃって。それじゃ、キリエちゃん、あとで”ゲート”で伝言送るわね。お時間あればお茶にいらっしゃって」

言いたいことをほぼ一方的に言い終えると、老婦人はちゃきちゃきした足取りで去っていった。

ちなみに”ゲート”とは、この世界で広く普及している小型遠隔通信魔術器のことだ。名称の由来は、聖典に登場する七神のうちコミュニケーション・情報・言語・技術を司る神の名前が”ゲイツ”で、開発者がそれにあやかって命名したのである。
”ゲート”は発売されるや否や爆発的に売れ、今では一家に一台必ずある、と言っていいほどの普及を見せている。

(はあ…… よかった、戻れる)

嵐が去って一息ついたキリエ。
マーガレットのことは嫌いではないが、お孫さんに会わせようとするのは勘弁願いたかった。いっそ彼女と連絡を絶てばいいのかもしれないが、人の縁というものの代え難さを思い、なかなかそうもできない自分がいる。もっぱら祖父に育てられたせいだろうか、自分の性格にはどうもそういう古風なところがあるとキリエは自覚していた。

(いい人、かぁ……)

キリエは先ほどのマーガレットとの会話を思い出す。

ごめんなさい、マーガレットさん。トーマスくんに会ったことはないけれど、きっと私にとっての”いい人”ではないと思います。もちろん、マーガレットさんのお孫さんなら好青年に違いないって思いますけど、でも、私にとっての”いい人”っていうのは………

その時キリエの脳裏に浮かんだのは、

(xxxくん……)

心の中で、処刑執行中のピッグスの名を呼ぶと、下腹部からの思いが燃え上がって来た。
ちんちくりんの可愛い体に施してあげたたくさんの人体改造処置。
四肢切断、抜歯、切開、切除、ピアッシング、ワイヤリング、顔面整形、超肥満化……
泣きながら頑張って処置の痛みに耐えているときの顔……
足元から見上げる、くりっとした可愛い瞳……
そしてなにより今、彼は管理局地下七階で私の帰りを待ってくれているのだ。うん、決めた。今日は最高のご飯を作ってあげる。そして明日は久しぶりに、オールナイトでハード人体改造処置をしてあげよう。それはもう、あんなことからこんなことまで……ふふふ……

周囲を歩く人々は想像すらしていまい。自分が今こんな妄想に耽っているなどとは。

(う、やべ、妄想で鼻血出そう。ダメじゃん、こんな街中で……クールダウンしなきゃ)

鼻と口を押さえ、深呼吸を繰り返すキリエ。
母親に連れられた6、7歳くらいの子供が、その様子を不思議そうに見て通り過ぎた。

晩春の西日が、石造りの街路を暖めている。
その中を、心なしか頬を朱に染めて、キリエは今度こそ帰路を急いだ。
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