11 / 62
近くて、遠い⑤
それまで訳もわからずスッキリとしなかった、心の霧がパッと晴れるように、私は何の後腐れもなく、「小濱堂」の娘に戻った。
店先から少し奥へと進んだところに、小濱家の生活スペースがあるが、「小濱堂」との明確な線引きはない。
「母さん、おはよう~」
私は眠い目を擦りながら、寝巻きの姿のまま、母さんが先に立つ台所に加勢していく。
そして食卓に、出来上がった朝食を並べ終えると、父さんを焼き場まで呼びに行き、揃って朝食を取る。
「これ。拓真じゃないか?」
テレビを真剣に見ていた父さんが、拓真の顔を指差した。
"連絡するから…連絡するから…''
私も口までヒョイヒョイと進めていた箸を置いて、テレビを食い入るように見つめる。
朝のテレビには、今日も拓真が映る。そんな拓真の姿にさえ、今まで以上に敏感に反応するようになっていた。
「お父さん、ダメよ。鈴子はPUPU派なんだから~。ほら、変えましょう、変えましょう」
「そうなのか?ったく、仕方ないな……」
(ああ。前になんか、そんなこと言ったかも…)
私はリモコンへと向かう母の手に、がしりと渾身の力で掴みにかかり、無理やりにも同意を引き出そうとした。
「このアナウンサーの人!カッコいいよね?ね?」
「あら、そう?お母さんは、ずっとお父さん一筋よ?」
「母さん。もーう、照れるじゃないか」
(ふぅ~。危機一髪だぜ)
"連絡するから…連絡するから…''
こうして今日も拓真の言葉を頭に残しながら、私の慌ただしい一日は始まる。
朝食を終えると、父さんがまだ暗いうちから仕込んだ生地と餡の、甘い匂いが広がる「小濱堂」へ向かい、また母さんに加勢するように、掃き掃除で店先から店内まで目に見える汚れをすべてなくす。
そして掃除を終えそうなタイミングで、父さんが焼き場に再び戻り、使い込まれた銅板にじっくり時間をかけて熱を浸透させていく。
下町に人の流れが生まれるのは、朝の9時。
父さんと代わる代わる、私たちもその時間に間に合うようにチラチラと時計を見ながら、肌に薄く血色を与えたあと、Tシャツとジーパンに着替え、髪を一つにサッと束ねる。
そして、気合を入れるようにエプロンの紐をキュッと締め、のぼり旗を一度上げてしまえば、もう目の前の出来事しか見ることを許されない。
店前で足を止めたお客さんに威勢よく声をかけ、父さんの焼いた美味しいたい焼きを極力時間をかけずに提供する。
それが私の役目であり、小濱家の日常だからだ。
のぼり旗を下げ、夕飯を食べ、家族の話し声や笑い声が私を満たしているときまでは、まだ大丈夫だった。
でも部屋でいざ一人になると、もう頭の中には本当に"連絡するから…連絡するから…''しか残らなくなる。
(拓真って、店の電話知ってたっけ?さすがに忙しい拓真が、そんなマメなことする?いやいや、ないない……)
「プルルルル、プルルルル」
(本当に電話鳴ってるじゃん……!)
私はだらしなく伸びていた身体を飛び起こして、全速力でその音が鳴る方へ駆け出す。
すると目の前では、一番恐れていた事態が発生していた。
あろうことか私より先に、父さんが受話器に手をかけようとしていたのだ。
(もし電話の相手が拓真だと、父さんに知られたら?それはまずい、まずすぎる!)
「どいてーー!!」
私は町一帯に響き渡るくらいの、馬鹿でかい声を張り上げ、父さんに体当たりしながら受話器を奪い取る。
「……何?鈴子に電話なの?…なら、そう言ってよ……いたたた……」
打ちどころをかばいながら捌けていく父さんを、私はとても心苦しい気持ちで見送る。
(父さん、ごめんよ。でも、私はやっと気づけたこの恋を絶対に守らなくちゃいけないんだー!)
手に持つ受話器から、小さく、それでもすぐにはっきりと分かる拓真の声が聞こえてくる。
「……もしもし?」
その声がまだ夢にみたいに信じられなくて、上がった息も整っていないのに、飛びつくように受話器を耳にきつく押し当てた。
「鈴子?俺、拓真」
「拓真!?」
(……やっぱり、拓真だ!約束、本当に守ってくれたんだ!)
「連絡するって、言ったろ?」
店先から少し奥へと進んだところに、小濱家の生活スペースがあるが、「小濱堂」との明確な線引きはない。
「母さん、おはよう~」
私は眠い目を擦りながら、寝巻きの姿のまま、母さんが先に立つ台所に加勢していく。
そして食卓に、出来上がった朝食を並べ終えると、父さんを焼き場まで呼びに行き、揃って朝食を取る。
「これ。拓真じゃないか?」
テレビを真剣に見ていた父さんが、拓真の顔を指差した。
"連絡するから…連絡するから…''
私も口までヒョイヒョイと進めていた箸を置いて、テレビを食い入るように見つめる。
朝のテレビには、今日も拓真が映る。そんな拓真の姿にさえ、今まで以上に敏感に反応するようになっていた。
「お父さん、ダメよ。鈴子はPUPU派なんだから~。ほら、変えましょう、変えましょう」
「そうなのか?ったく、仕方ないな……」
(ああ。前になんか、そんなこと言ったかも…)
私はリモコンへと向かう母の手に、がしりと渾身の力で掴みにかかり、無理やりにも同意を引き出そうとした。
「このアナウンサーの人!カッコいいよね?ね?」
「あら、そう?お母さんは、ずっとお父さん一筋よ?」
「母さん。もーう、照れるじゃないか」
(ふぅ~。危機一髪だぜ)
"連絡するから…連絡するから…''
こうして今日も拓真の言葉を頭に残しながら、私の慌ただしい一日は始まる。
朝食を終えると、父さんがまだ暗いうちから仕込んだ生地と餡の、甘い匂いが広がる「小濱堂」へ向かい、また母さんに加勢するように、掃き掃除で店先から店内まで目に見える汚れをすべてなくす。
そして掃除を終えそうなタイミングで、父さんが焼き場に再び戻り、使い込まれた銅板にじっくり時間をかけて熱を浸透させていく。
下町に人の流れが生まれるのは、朝の9時。
父さんと代わる代わる、私たちもその時間に間に合うようにチラチラと時計を見ながら、肌に薄く血色を与えたあと、Tシャツとジーパンに着替え、髪を一つにサッと束ねる。
そして、気合を入れるようにエプロンの紐をキュッと締め、のぼり旗を一度上げてしまえば、もう目の前の出来事しか見ることを許されない。
店前で足を止めたお客さんに威勢よく声をかけ、父さんの焼いた美味しいたい焼きを極力時間をかけずに提供する。
それが私の役目であり、小濱家の日常だからだ。
のぼり旗を下げ、夕飯を食べ、家族の話し声や笑い声が私を満たしているときまでは、まだ大丈夫だった。
でも部屋でいざ一人になると、もう頭の中には本当に"連絡するから…連絡するから…''しか残らなくなる。
(拓真って、店の電話知ってたっけ?さすがに忙しい拓真が、そんなマメなことする?いやいや、ないない……)
「プルルルル、プルルルル」
(本当に電話鳴ってるじゃん……!)
私はだらしなく伸びていた身体を飛び起こして、全速力でその音が鳴る方へ駆け出す。
すると目の前では、一番恐れていた事態が発生していた。
あろうことか私より先に、父さんが受話器に手をかけようとしていたのだ。
(もし電話の相手が拓真だと、父さんに知られたら?それはまずい、まずすぎる!)
「どいてーー!!」
私は町一帯に響き渡るくらいの、馬鹿でかい声を張り上げ、父さんに体当たりしながら受話器を奪い取る。
「……何?鈴子に電話なの?…なら、そう言ってよ……いたたた……」
打ちどころをかばいながら捌けていく父さんを、私はとても心苦しい気持ちで見送る。
(父さん、ごめんよ。でも、私はやっと気づけたこの恋を絶対に守らなくちゃいけないんだー!)
手に持つ受話器から、小さく、それでもすぐにはっきりと分かる拓真の声が聞こえてくる。
「……もしもし?」
その声がまだ夢にみたいに信じられなくて、上がった息も整っていないのに、飛びつくように受話器を耳にきつく押し当てた。
「鈴子?俺、拓真」
「拓真!?」
(……やっぱり、拓真だ!約束、本当に守ってくれたんだ!)
「連絡するって、言ったろ?」
あなたにおすすめの小説
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には何年も思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
半年間、俺の妻になれ〜幼馴染CEOのありえない求婚から始まる仮初の溺愛新婚生活〜 崖っぷち元社畜、会社が倒産したら玉の輿に乗りました!?
とろみ
恋愛
出勤したら会社が無くなっていた。
高瀬由衣(たかせゆい)二十七歳。金ナシ、職ナシ、彼氏ナシ。ついでに結婚願望も丸でナシ。
明日までに家賃を用意できなければ更に家も無くなってしまう。でも絶対田舎の実家には帰りたくない!!
そんな崖っぷちの由衣に救いの手を差し伸べたのは、幼なじみで大企業CEOの宮坂直人(みやさかなおと)。
「なぁ、俺と結婚しないか?」
直人は縁談よけのため、由衣に仮初の花嫁役を打診する。その代わりその間の生活費は全て直人が持つという。
便利な仮初の妻が欲しい直人と、金は無いけど東京に居続けたい由衣。
利害の一致から始まった愛のない結婚生活のはずが、気付けばいつの間にか世話焼きで独占欲強めな幼なじみCEOに囲い込まれていて――。
一般人のふりをする御曹司が、私にだけ妙に懐いてきます
星乃和花
恋愛
地味で目立たないOL・相沢澪には、人に言えない趣味がある。
それは、御曹司・財閥・富豪が登場するコメディ小説を読むこと。
特に大好物なのは、ヘリ移動、やたら広い家、常識のズレた金持ち仕草――そしてライオンなど大型動物との暮らしである。
そんな澪の前に現れたのは、自称“世間知らずの一般人”こと高瀬恒一。
だがこの人、どう見ても一般人ではない。
緊急時はヘリで移動し、やたら距離感が近く、しかも大きな猫まで飼っている。
周囲が引くなか、なぜか澪だけは「まあ、そういうこともあるか」と受け止めてしまい――そのせいで高瀬に“理解者”認定され、どんどん懐かれることに!?
規格外な彼と、隠れ御曹司オタクOLの、爆笑多めでちょっと甘いラブコメディです。
(火金21:00更新ー本編9話+後日談)
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
巨乳のメイドは庭師に夢中
さねうずる
恋愛
ピンクブロンドの派手な髪と大きすぎる胸であらぬ誤解を受けることの多いピンクマリリン。メイドとして真面目に働いているつもりなのにいつもクビになってしまう。初恋もまだだった彼女がやっとの思いで雇ってもらえたお屋敷にいたのは、大きくて無口な庭師のエバンスさん。彼のことが気になる彼女は、、、、