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第九話 『闇の領域』

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 それに、誰もが目を見開き、驚愕する。

 
「なっ!? イ、イルルカさん!?」

 ギムダはオロオロし。

 ユナとイルルカはまだ何が起こったのかよく理解できない。 

 イルルカを貫いた矢は。
 魔法で作られたモノだった故、既に霧散して消え去っているが。

 深く突き刺さった一撃は。
 イルルカの外骨格を一瞬で砕き、胸部の中心。
 すなわち、イルルカ自身のHPを傷つけていた。
 そして、外骨格のHPが高めの昆虫種は、自分自身のHPが低いという特徴がある。

「……う、ぐ……ッ……いったい、何が?」

 胸部の中心という弱点部位にダメージを受けたのは、かなり深手であり。

 胸部を手で押さえながら、イルルカがよろよろと後退あとじさる。

 さらに……。

 昆虫は生物だ。
 だから、基本的に毒に耐性が無い。

 故に、矢に籠められていた猛毒が回る。

 そしてその毒は。
 スキルレベル12にもなるゲーム内でも最強レベルに位置する4種類の猛毒――。
 『腐食毒』による追加の毒ダメージと、『負傷』の状態異常による、最大HPの減少。  
 『実質毒』による、基礎ステータス減少。
 『神経毒』による、行動速度ダウン。
 『血液毒』による、DOT。
 

 イルルカはスズメバチ種の種族スキルで『神経毒』を覚えているだけで、毒の専門家というわけじゃない。

 つまり木属性の毒スキルツリーの一部が、種族スキルとして無償提供されているに過ぎないのだ。

 だからこの中4種の中で、イルルカが無効にできるのは神経毒だけだ。

「く……しかもこれ、毒……!?」
 
 けど、スズメバチ種のスキルにも解毒がある。 
 ワンサイクル12%のDOTはシャレにならない。
 
 イルルカは朦朧としつつも、慌てて、血反吐を吐きながら。
「『解毒デトキシィ』!!」――を実行する。

 だが無駄だった。毒は消えない。
 解毒のレベルが足りないのだ。

 ギムダはまだオロオロしているが。
 ずっとうんこ座りで、冷静に観察していたナハトは、その様子を見て。
 誰の仕業か理解した。


 ナハトが上をみながら立ち上がる。

 そんなナハトが見上げる先。

 おもむろに見上げた空に。
 視力の悪い昆虫とアンデッドでは見ることができない遥か彼方に。
 英姿颯爽と宙に立つ、小柄が見て取れる。

 長弓を構え。

 イルルカを狙うその姿が。



 そうして。
 苦しんでいるイルルカを流し見て。
 ナハトは見かねたように『小瓶』を放り投げた。
 反射的にそれを受け取ったイルルカは怪訝な顔だ。 

 ナハトは言う。

「くれてやる。その毒はたぶん12レベル、そいつじゃなきゃ解毒できねぇ」 

「……12!?」 

「ああ、あいつを引きずり下ろすにゃ、ユナさん様をもう少し虐めなきゃならねぇだろうからよ。オレ様だけじゃ、手が足りねぇんだわ」

 
 ナハトは考える。

 大空たいくうの狙撃手がすぐに撃ってこないのは、防衛に徹しているからだろう、と。
 矢を射るのは、恐らく『大事なモノ』を傷つけようとした時だ。
 だからそれを利用する。
 ダークエルフの視力で豆粒ほどにしか見えない標的に、攻撃を加える方法がナハトには無く。
 ギムダの魔法も届かないだろう。
 無論、イルルカが単身行ってもすぐにやられるだけだ。
 

 そして――狙撃手の大事なモノは決まっている!

 ナハトはギザギザなクリスナーガのような短剣を手に持ち。

「つぅ、ことで、次の相手はオレだぜェ!」

 そうしてナハトは、未だ傷だらけの状態のユナに。

 突然、躍りかかる。
  
「くっ!?」 
 
 咄嗟にハルバードを構え直そうとするユナだが。 
 イルルカの毒が利いていて、全然間に合わない。


 ――ナハトの予想の通り。

 その瞬間に狙撃手は動いた。

 だが――。 

「チィ!?」 

 その矢の速度は、予想外。 
 
 冗談じゃねぇぜ、と思いつつ。
 
 ナハトは、高空から放たれた、音を凌駕する速度の『風』の矢を。
『雷』を纏った短剣クリスナーガで斬り払う。

 風の魔力は、弱点である雷の魔力に触れ、成す術なく消え失せて。

 風の魔力の残り香が、周囲に衝撃となって吹き荒れる中。

 一寸たりとも油断のない追撃が来る。
 斬り払うというナハトの動作の合間に、既に大量の矢が放たれているからだ。

 当然、ナハトには気を抜く隙も、余裕もなく。 
 雨あられと降り注ぐ『通常矢』を、俊敏な速度で躱し、武器でパリィする。
 それだけでナハトは必死だ。

 なぜなら狙撃手の【ガイダンス】という風のパッシブスキルが活きていて。
 矢の1本1本が、まるで誘導矢のように標的に吸い付いてくるからだ。  

「クソッ……あのチビエルフが!」 

「……まさか? この矢はやっぱり先輩が……?」

 ナハトの言動に確信を得て。
 ユナが矢の来た方角を向くが、ヒュム種族の視力ではその姿を見つけ出すことはできなかった。
 でも。
「やっぱり、来てくれたんですね」
 信じていたユナは、それだけでもう胸がいっぱいだった。
 

 そして。

 ナハトは、一進一退、短剣を振るい続ける。

 それにより、周囲に散らばっていく折れた幾つもの矢。

 迎撃だけで手一杯の今の状況。

 ナハトは悪態を吐く。

「あの距離から、この威力で、この正確さとはねェ……いけ好かねえなァ!」

 ガキリ、と、また一本、矢が撃ち砕かれる。

 木で作られる矢は、無限。

 風に祝福された矢羽根は速度と威力を増し、風の影響も現れず。

 重力を味方につけたヤジリは、距離による減衰さえない。

 闇の領域に入ったことで確認できるようになったユナの正確な位置と。
 パッシブスキルで見えるその周囲を取り巻く敵の位置。
 そこに加わるエルフ種族の驚異的な遠距離視力。

 そのすべてを駆使された矢は、一片の狂いも、一片の容赦もなく。

 ユナを加害しようとするナハトを、間違いなく射抜く。

 だからすべての矢から目が離せない。

 ナハトは苛立った。

 そんな油断も隙も無い攻撃を、ないがしろにできるはずもなく。

 ユナを攻めるどころではなく。
 
 結局。
 空からの射撃が邪魔をして、ナハトは1歩たりともユナに接近できないでいた。


「……ったく、いけ好かねえぜ、あのやろう、マジでよォ!」

  
 そんなナハトに歯がゆさを押し付ける攻防の最中。


 カラン、と小瓶が地面に転がって。

「生者必滅の嘆きをもって、今、愛しき運命さだめを暖めん――癒しの輝きよ!――『生命力回復キュアハート』」

 ギムダが治癒を施し。
 イルルカが動きを取り戻す。
 ――ただし、リアルでは自己治癒の起こらない昆虫を基にしているため。
 外骨格のHPは時間経過でしか回復せず、イルルカの装甲は傷を負ったテクスチャのままだ。
 
「さんきゅ、助かったわギムダ、あとそこのダークエルフ」 

 ナハトは「ヘッ」、と鼻で笑いつつ。 

「礼はいらねぇ。その代わり……回復済んだなら手ェ貸せ、小娘。さっきの薬はクソ高ェんだ。その分くれぇ、手伝ってもらうぜェ」


 イルルカの現状分析では。
 
 状況的に見て。
 ナハトはユナに攻撃を加えたいということだろう。

 だが、空からの狙撃者がそれを許さない様子だ。

 だから、もっと大勢でユナを襲わなければ。
 空の弓兵が地上に降りて来てはくれないだろう、というナハトの算段だ。

 無論、飛ぶことができるイルルカが単身で上空の狙撃者に襲い掛かる。
 そんな案もイルルカの脳裏に浮かぶが。
 相手が、ヴィルトールを倒したヤツだと思えば、簡単な話ではないと思えるから。
  
 理解したイルルカは頷く。

「いいわ、どうせその娘を持っていかれるわけにはいかないもの」

 イルルカは空を見る。
 とはいえ、上空の狙撃者をイルルカの目で捉えることはできない。
 無論、ギムダにも無理だ。

 やる気になるイルルカを見て、ギムダは自分を指さし。
 気弱に尋ねる。

「あの……もしかして、私も?」

 それにナハトは強く言う。

「当然だろう、ますたぁ? こいつぁ、お前も参加してる戦争なんだろォ? 部外者面してる場合じゃねぇぜ」

「う、解りましたよぉ……」

 そうして、イルルカは再び構えを取り。

 ギムダは炎の魔法を唱え始め。

 
 周囲に待機していた魔物は、ギルドマスターであるイルルカの命令でユナに攻撃を開始する。

 
 そして、ユナも闇の住人たちが話している隙に。
 エルフ印の高級回復薬と、解毒剤を使用して、完全回復を果たしていた。


 だからといって。

 この四面楚歌の状況が打開できるかと言えばそうではない。

 ユナは気合を入れ直し。
 自分に向かって言う。 

「私は今一人じゃない、まだ諦めるような状況じゃない。そうよね?」
 

 そうしてユナに殺到する昆虫たちの群れ。
 
 3人の闇の住人達。


 そこに雨は降る。


結晶石フレシェット豪雨アローレイン】 
 
 
 それは地属性の、魔法の矢で。

 弓マスタリの【アローレイン】と、土属性魔法による魔法戦技コーディネート


 ヤジリが結晶になったクリスタルの矢が、上空から雨のように降り注ぎ。
 地面に着弾すると周囲に、破片をばら撒く二段構え。

 それで昆虫たちの群れは、耐久力の弱い者から順に成す術なく消えていった。

 
 だが、ギムダの【灼熱火炎壁ヘルファイアウォール】に防がれて。

 闇の住人まで倒すことはできなかった。

 
 ユナに、レイピアを手にしたイルルカと、短剣を手にしたナハトが襲い掛かる。


 ハルバードを大きく薙ぎ払って、遠ざけようとするユナだが。

 同じ手は食わないイルルカと。
 戦いの様子を見ていたナハトは巧みにすり抜ける。


 たまらず。
 バックステップで距離を稼ぎ。
 防御を選択するユナ。


 そんなところに。


 流星のような速度で、地面に降り立つ影。


 そのレイピアを【自動紅玉盾オート・ルビンガード】で弾き返し。


 その雷属性の短剣を、メルクリエのMVPで獲得した【氷の剣コンヘラシオン】で受け止めて。


 バチバチと、暗殺者と交差する剣が、紫電が散らす中。


 花の香りと共に舞い降りた妖精はいう。

 


「……え、えっと、あの……その……。お、お、お待たせしました、ユナ、ちゃん……!」  
 

 天使様か妖精様か女神様。

 そんな風に見えたユナの元に。

 
 何かカッコいいセリフで登場しようとしたけれど。

 あんまり上手くいかなかった小さなエルフの背中――。

 その、若草色の長い髪が。


 ふと気が付いたユナの前で、揺れていた。
 



 
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