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ー午後8時 タイムリミットはあと1時間ー
尚道の場合・3
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予定が大幅に狂った。
もう本来ならば、尚道のパーティータイムは始まっていたはずであろう午後8時。
尚道はいまだ家の中から出れずにいた。
(失敗したな。まさか親父が酒を捨てちまうとは…。)
酒に薬を混ぜたのが良くなった。父はすぐに違和感を覚え、グラスの中はおろか、ボトルごと中身を捨ててしまったのだ。
息子からのプレゼント。母はそれでも飲もうとしていたが、父がそれを止めた。
幸い残った酒はまだいくつかある。では潰れるまで飲ませるかと、飲ませ始めてからどれくらいたったのか。母はやっと眠り出したものの、父が全く潰れそうにない。むしろ、今絶好調なのではないだろうか。
いっそのこと殺してしまおうかとも思った。惨劇を知ることとなろうが、もう家を飛び出してしまうかとも考えた。
しかし、尚道の完全主義が許さない。
こうと決めたらそう、なのだ。予定通りに決行させたい。
揺れる欲望と理性。不意に父が声をかけてくる。
「尚道。さっきは酒、捨ててしまってごめんな。ありがとう。
父さんはさ、ずっとほら。煩かっただろう?やれ道徳だ。やれ社会性だ。そうやって世の中のルールをお前に押し付けてきた。
お前が大人になるにつれて少しずつ周りに壁を作り出したのに、何となく気付いてたよ。心から笑えてなかったのにも。
きっと父さんがそうしちゃったんだろうな。悪かったな。
だから、今日お前がプレゼントだって酒を持ってきた時の顔が嬉しかった。久しぶりに心から笑ってるお前を見れた、それだけで嬉しかったんだ。」
赤い顔をして、普段なら言わないだろう照れ臭い事を語りだす父。
(ふーん。俺の異変には何となく気付いてたのか。でも親父。色々と的外れだな。
俺は逆に感謝してるよ。親父の教えがあったから俺は今日を迎えられた。踏みとどまれていたからここにいれるんだよ。それが無きゃ俺は今頃壁の中。あるいは、あの世だったわけだ。そりゃ喜びも顔に出るさ。)
父にとっては少し情緒不安定ではあるが『普通の息子』。
尚道は不意に思った。なるほど。最初から回りくどい事などしなくて良かったではないか。
薬はまだある。
「父さん。俺からの提案なんだけどさ。俺やっぱ怖いんだよね。だから皆で酒でも飲んで酔って潰れたら…。と思ってたけど。どうも駄目みたいだ。母さんは眠れたみたいだけどね。
それで、これ。」
尚道はポケットから薬を出す。
「眠剤。飲まない?俺は母さんみたいに、このまま眠りながら終わりたい。父さんにも苦しんで欲しくないよ。だから一緒に。」
父は尚道の手にある薬をじっと見つめ、深く息を吐くと目を瞑る。
そして、小さく頷いた。
「お前は準備が良い。そうだな。それも良い。こうやって家族揃って楽しい時間を過ごせたんだ。どうせ終わるなら最後までこの気持ちでいたい。」
そう言って薬を受け取ると酒でそれを飲み込んだ。
尚道も飲んだふりをする。
ソファーに腰掛けて父の様子を呆然と眺める。
徐々に目が虚ろになっていく父が最後に発した一言。
「真っ直ぐに育ってくれて、ありがとう。」
静けさに包まれた部屋の中。そこに響くのは父の大きないびき。
尚道は思わず笑いが込み上げる。
小さな笑い声が次第に大きくなっていく。
「真っ直ぐね。真逆だよ。俺は狂ってるんだ。」
時間がかなり遅れたが、計画通りには進んでいる。あとはタイムアウトまで自分を存分に解放すれば良い。
河川敷に着くと、想定よりも人がいた。
しかしより多く集まっているのはどうも反対側の様だが。あちら側にあるカウントダウンの電光掲示板が、こちらからも良く見えたのは助かった。
時間は短くなってしまったが、これで良かったのかもしれない。実際の1時間耐久殺人はなかなかハードだっただろう。
自分の理想は最後の最後まで人を殺し続ける事だ。時間の長さはさほど問題ではなかった。
尚道は辺りを見回す。手に持ったナイフを確かめる。ホームセンターで適当に盗ってきたサバイバルナイフだったが、改めて見ると思いの外切れ味が悪そうに見えた。
(包丁にすれば良かったな。)
尚道は軽く舌打ちをすると、なるべく人の固まっている場所へと歩き出す。
そして…、視界に入った女性を何の躊躇いもなく斬りつけた。
一瞬何が起きたのかわからなくなる人々。だがそれも次第に悲鳴へと変わる。
逃げる間もなくすぐに隣にいた男性に斬りかかる。
そのまま尚道は勢いに乗り、手当り次第、視界に入るものを斬りまくった。
まさに地獄の光景。
反対側でも異変を感じ始めたか。
空気がピリピリと肌を刺激する。
我先にと逃げる奴がいる。誰かを庇う奴もいる。死を目の前に感じた時の人間のリアル。本性というものが剥き出しに晒される。
(たまらない。これだよ。俺が求めていたもの。ここはまさにユートピアってやつだ!
泣け!わめけ!怯ろ、怖がれ、痛いだろ?苦しいだろ?もっと俺をゾクゾクさせてくれよ!)
これまでの人生で今ほど幸せだと感じた事はない。自分は生きていると実感する。今までは何だったのか。自分はずっと生きた死体だったんだ。
一度理性を解き放った野獣はもう止まれない。本能のままに突っ走るだけだ。
尚道に『殺したい理由』などない。原因もない。ただ、持って産まれた思考なだけだ。
天性の殺人鬼。
しかし…。ここで重大な事に気付く。
(誰も死んでないんじゃないか?殺せてない…?違う。違う!俺は人を殺すためにここにいるのに!!)
己の欲のままに人を襲っていたが、絶命した人間はいない。良くて重症、下手すれば軽症だ。
今までニュースで見てきた通り魔事件はなぜあんなにも上手くいったのか?
このナイフのせいだろうか?それとも単純に力が弱いのか?
まさか…運なのか??
時間がない。自分はまだ一人も殺せていない。
尚道は苛立ちが募る。焦りが思考を混乱させる。とにかくこのまま誰一人として殺せないなど、あってはならぬ事だった。
(何度も刺しまくるか、致命傷を狙うか…。いや、子どもだ。子どもなら確実に殺せる。周りの大人が厄介だが傷でも付けてやれば怯むだろう。)
血走った目で周囲を見回す。そして見つけた一つの家族。親が必死に子どもを庇っている。
暗かった空に光が灯る。凄まじい音が人々の悲鳴をかき消す。
尚道は走り出す。その瞳にあるものは、その心を占めるものは。
もう一つだけであった。
もう本来ならば、尚道のパーティータイムは始まっていたはずであろう午後8時。
尚道はいまだ家の中から出れずにいた。
(失敗したな。まさか親父が酒を捨てちまうとは…。)
酒に薬を混ぜたのが良くなった。父はすぐに違和感を覚え、グラスの中はおろか、ボトルごと中身を捨ててしまったのだ。
息子からのプレゼント。母はそれでも飲もうとしていたが、父がそれを止めた。
幸い残った酒はまだいくつかある。では潰れるまで飲ませるかと、飲ませ始めてからどれくらいたったのか。母はやっと眠り出したものの、父が全く潰れそうにない。むしろ、今絶好調なのではないだろうか。
いっそのこと殺してしまおうかとも思った。惨劇を知ることとなろうが、もう家を飛び出してしまうかとも考えた。
しかし、尚道の完全主義が許さない。
こうと決めたらそう、なのだ。予定通りに決行させたい。
揺れる欲望と理性。不意に父が声をかけてくる。
「尚道。さっきは酒、捨ててしまってごめんな。ありがとう。
父さんはさ、ずっとほら。煩かっただろう?やれ道徳だ。やれ社会性だ。そうやって世の中のルールをお前に押し付けてきた。
お前が大人になるにつれて少しずつ周りに壁を作り出したのに、何となく気付いてたよ。心から笑えてなかったのにも。
きっと父さんがそうしちゃったんだろうな。悪かったな。
だから、今日お前がプレゼントだって酒を持ってきた時の顔が嬉しかった。久しぶりに心から笑ってるお前を見れた、それだけで嬉しかったんだ。」
赤い顔をして、普段なら言わないだろう照れ臭い事を語りだす父。
(ふーん。俺の異変には何となく気付いてたのか。でも親父。色々と的外れだな。
俺は逆に感謝してるよ。親父の教えがあったから俺は今日を迎えられた。踏みとどまれていたからここにいれるんだよ。それが無きゃ俺は今頃壁の中。あるいは、あの世だったわけだ。そりゃ喜びも顔に出るさ。)
父にとっては少し情緒不安定ではあるが『普通の息子』。
尚道は不意に思った。なるほど。最初から回りくどい事などしなくて良かったではないか。
薬はまだある。
「父さん。俺からの提案なんだけどさ。俺やっぱ怖いんだよね。だから皆で酒でも飲んで酔って潰れたら…。と思ってたけど。どうも駄目みたいだ。母さんは眠れたみたいだけどね。
それで、これ。」
尚道はポケットから薬を出す。
「眠剤。飲まない?俺は母さんみたいに、このまま眠りながら終わりたい。父さんにも苦しんで欲しくないよ。だから一緒に。」
父は尚道の手にある薬をじっと見つめ、深く息を吐くと目を瞑る。
そして、小さく頷いた。
「お前は準備が良い。そうだな。それも良い。こうやって家族揃って楽しい時間を過ごせたんだ。どうせ終わるなら最後までこの気持ちでいたい。」
そう言って薬を受け取ると酒でそれを飲み込んだ。
尚道も飲んだふりをする。
ソファーに腰掛けて父の様子を呆然と眺める。
徐々に目が虚ろになっていく父が最後に発した一言。
「真っ直ぐに育ってくれて、ありがとう。」
静けさに包まれた部屋の中。そこに響くのは父の大きないびき。
尚道は思わず笑いが込み上げる。
小さな笑い声が次第に大きくなっていく。
「真っ直ぐね。真逆だよ。俺は狂ってるんだ。」
時間がかなり遅れたが、計画通りには進んでいる。あとはタイムアウトまで自分を存分に解放すれば良い。
河川敷に着くと、想定よりも人がいた。
しかしより多く集まっているのはどうも反対側の様だが。あちら側にあるカウントダウンの電光掲示板が、こちらからも良く見えたのは助かった。
時間は短くなってしまったが、これで良かったのかもしれない。実際の1時間耐久殺人はなかなかハードだっただろう。
自分の理想は最後の最後まで人を殺し続ける事だ。時間の長さはさほど問題ではなかった。
尚道は辺りを見回す。手に持ったナイフを確かめる。ホームセンターで適当に盗ってきたサバイバルナイフだったが、改めて見ると思いの外切れ味が悪そうに見えた。
(包丁にすれば良かったな。)
尚道は軽く舌打ちをすると、なるべく人の固まっている場所へと歩き出す。
そして…、視界に入った女性を何の躊躇いもなく斬りつけた。
一瞬何が起きたのかわからなくなる人々。だがそれも次第に悲鳴へと変わる。
逃げる間もなくすぐに隣にいた男性に斬りかかる。
そのまま尚道は勢いに乗り、手当り次第、視界に入るものを斬りまくった。
まさに地獄の光景。
反対側でも異変を感じ始めたか。
空気がピリピリと肌を刺激する。
我先にと逃げる奴がいる。誰かを庇う奴もいる。死を目の前に感じた時の人間のリアル。本性というものが剥き出しに晒される。
(たまらない。これだよ。俺が求めていたもの。ここはまさにユートピアってやつだ!
泣け!わめけ!怯ろ、怖がれ、痛いだろ?苦しいだろ?もっと俺をゾクゾクさせてくれよ!)
これまでの人生で今ほど幸せだと感じた事はない。自分は生きていると実感する。今までは何だったのか。自分はずっと生きた死体だったんだ。
一度理性を解き放った野獣はもう止まれない。本能のままに突っ走るだけだ。
尚道に『殺したい理由』などない。原因もない。ただ、持って産まれた思考なだけだ。
天性の殺人鬼。
しかし…。ここで重大な事に気付く。
(誰も死んでないんじゃないか?殺せてない…?違う。違う!俺は人を殺すためにここにいるのに!!)
己の欲のままに人を襲っていたが、絶命した人間はいない。良くて重症、下手すれば軽症だ。
今までニュースで見てきた通り魔事件はなぜあんなにも上手くいったのか?
このナイフのせいだろうか?それとも単純に力が弱いのか?
まさか…運なのか??
時間がない。自分はまだ一人も殺せていない。
尚道は苛立ちが募る。焦りが思考を混乱させる。とにかくこのまま誰一人として殺せないなど、あってはならぬ事だった。
(何度も刺しまくるか、致命傷を狙うか…。いや、子どもだ。子どもなら確実に殺せる。周りの大人が厄介だが傷でも付けてやれば怯むだろう。)
血走った目で周囲を見回す。そして見つけた一つの家族。親が必死に子どもを庇っている。
暗かった空に光が灯る。凄まじい音が人々の悲鳴をかき消す。
尚道は走り出す。その瞳にあるものは、その心を占めるものは。
もう一つだけであった。
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