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「死あわせな考え」
しおりを挟む冬の終わり頃。
俺はコタツに寝そべりながら、一日中テレビゲームに興じた。そして日をまたぐ頃合い、睡魔に負け、眠り込んだ。
夢を見た。
俺は元カノと人々のごった返す波のプールにいた。彼女は俺の上半身に組みついており、波を乗り越えるたび唇を重ねた。
そのうち水が熱くなってきて、息苦しくなった。
「下りてくれ」
たまらず、元カノに言った。
すると、彼女は不機嫌な表情を浮かべ、俺から離れるとスーっと人混みに消えていった。
「待てよ!」
追いかけたが、その姿はどこにも見当たらない。水温はどんどん上昇し、プールから上がろうとするも人が多くてなかなか進めない。
「どいてくれ!」
無我夢中で人混みをかき分けた。
そのとき、粘つくように、現実世界が迫ってくる気配を感じた。
もうすぐ、もうすぐだ……
もうすぐ俺は、目が覚めるだろう……
覚醒してすぐ、全身すっぽりとコタツの中にもぐっていたことに気づいた。ひどく熱がこもり、汗だくになっている。変な夢を見るはずだと思った。
夢を思い返して、妙にさみしい気持ちになりながら、コタツから這い出る。
と、そこは、見知らぬ部屋だった。
「え──」
当惑し、何も考えられなくなった。
その部屋は、俺の部屋と違ってすっきりと整頓されていた。オシャレな小物や観葉植物なんかが見栄えをよくしており、何より、広くて真新しい。きわめつけは、壁に掛けられた季節外れの大きな浮き輪。そんなものをインテリアとして使う奴など、知り合いにはいない……と思う。
差し込む朝日にきらめく巨大な浮き輪を眺めながら、思案する。この部屋は一体だれの……俺は、なぜこんなところに……?
必死になって記憶の糸をたぐってみるが、昨晩はそもそも自分の部屋から出ていない。ゲームをしながらコタツで寝てしまったはずで……わからない。なんでこんなところにいるのだろうか。
ふと、隣の部屋が気になった。きっちり閉じられたこの引き戸の向こうが、もし寝室だとしたら、そこにはおそらく部屋の主がいるはずだ。
心臓が早鐘を打ち、緊張感がつのる。
いよいよ決心して、引き戸のくぼみに手をかけた。鋭く息を吐き、慎重に力を入れる。
そっと扉が開いた。
奥の部屋はやはり寝室だった──男女だ。男女がベッドに寝ている。
おずおずと近づき、ベッドを覗き込んでみた。
男性の顔はよく見えたが、誰なのかはさっぱりわからない。女性の顔は、長い髪の毛が顔全体を覆っているせいでわかりにくい。もしかしたらこの女性が俺の知り合いなのかもしれない……
意を決し、小指の先で、女性の髪をさっと払った。
「──!」
それは知っている人物、というか、知っているもなにも……
瞬間、女性が、小さく声を漏らした。
とっさにあとずさる。そのまま、音をたてないよう注意深く、俺はその部屋から退出した。
「なんで……」
他に余計なことはせず、まっすぐ玄関へ向かう。あたりまえだが、そこに俺の靴は無い。
靴を履かずに建物の外へ出た。建物を見上げる。それは小綺麗なアパートで、やはり、全く見覚えがなかった。
わけがわからないまま、とにかく駅を目指した。携帯電話も何も持っていなかったのでずいぶん苦労した。その道中、既視感のあるプール施設を発見し、呆然とした。
帰宅できた時には、午後になっていた。
俺はその不可思議な体験について考えを巡らせた。しかし、原因やその他の何もかもが意味不明だった。何も、理解できる要素がない。
俺は一体、なぜ、どういうわけで、元カノの寝ている部屋にいたんだろうか……?
寝室で寝ていたのは、間違いなく元カノだったのだ。
*
それから数日が経つと、例の一件はまるで夢の中の出来事のように感じられ、日常の慌ただしさに、すっかり頭から離れていた。
そして、ある日曜日。再びその現象は起きた。
俺はコタツに寝そべり、夜遅くまで漫画を読んでいた。日付が変わってからしばらくして、いつの間にか夢の世界にいた。
そこは砂漠だった。はるか向こうに火山がそびえていた。
やけに鳥の声がうるさいと思い、空を見上げると、鳥ではなく黒い人影がばさばさと飛んでいた。そいつらが奇声を発しているのだった。
夢の中だからか、その光景を疑問に感じることもなく、俺は砂漠をひたすら歩いた。そのうち喉が乾いてきた。俺は水を求めるようになった。
懸命に探索しているうち、ある巨岩の裏に、こぢんまりとしたオアシスを見つけた。
そこには見知った人間がいた。
そいつは俺を見つけると、眉根をよせて声をかけてきた。
「なんだお前、休憩かよ。作業ちゃんと片付いてんのか?」
それは、昔のアルバイト先の高崎という先輩だった。嫌われ者のやっかいなやつだ。
俺は高崎を無視して、水を飲もうと水源に近づいた。
すると高崎は、やたらと鼻につく調子でまた声をかけてきた。
「お前さあ、指示される前に、自分で作業見つけて仕事しろよな」
カチンときた。
「いま、休憩中なんすけど」
俺は一言そう投げ、水をすすった。しかし、すぐに吐き出した。水はやたらと生臭かったのだ。
水底を見てみると、ビニール袋や生ゴミが大量に溜まっている。こんなもの飲めたもんじゃない。
「くそ」
立ちくらみがした。照りつける太陽、チリチリと痛む皮膚。鼓動がやけにやかましく、耳はつんぼになり、その奥の方で機械が発するような高い音が鳴る。視界は徐々に靄がかる。
こりゃあ、倒れるな……
そう思ったとき、現実の存在を近くに感じた。予感がする。俺はすぐにでも目が覚めるだろう。確かな予感だ。
「あっつ……!」
目が覚めるやいなや、慌ててコタツから飛び出た。信じられないほど熱く、汗をびっしょりかいていた。
コタツの外へ出ると、朝方の冷たい空気が体を吹き抜けていくようだった。
が、大きく息を吸い込むと、異臭がした。とっさに息を止め、顔をしかめる。
その部屋は、俺の部屋ではなかった──またもや。
「なんだここ……」
元カノのいた部屋でもない。全く別の、見知らぬ部屋。
見たところ、部屋はワンルームだった。狭く、汚れており、そこかしこに食べ終えたあとのカップ麺やコンビニ飯の容器が放置されていた。テーブルの上の灰皿には吸い殻がこんもり溜まっていて、灰はテーブルに散乱している。その光景はまるで火山、そして、灰の砂漠……。
脇にはベッドがあり、シミや焦げのついた布団が膨らんでいた。部屋の主が寝ているのだろうが、顔は見えない。
緊張しつつも、ベッドに近づき、恐る恐る布団をつまんでわずかに持ち上げた。そしてゆっくりと覗き込む。
高崎だ……高崎先輩だ!
俺は布団を戻し、ベッドから離れ、呆然と突っ立った。一体なんなんだ、この現象は?
仮に夢遊病めいたもので、俺が自らここへ来たのだとしても、高崎が俺のことを部屋に入れるとは思えない。元カノの時もそうだ。そうなると──
やはり、コタツか?
うちのコタツと、誰かの部屋のコタツが、繋がることがある?
……いやいや、それこそありえない。あまりにも荒唐無稽。しかし、いまのところ仮説としては、それくらいしか……。
一応、確かめるため、つけっぱなしのコタツにもぐってみた。が、やけに熱がこもっている以外になんの変哲もない。そのまま通り抜けてみる──何も起こらない。微妙に条件を変えて何度か試したが、やはりダメだった。
そうしているうち、ふと、スチールラックに置いてある長財布に目がとまった。
心臓が大きく跳ねた。
高崎のほうを見やる。起きる気配はない。
おもむろに、財布を手に取った。そして、胸のあたりでじりじりと、良くないものがくすぶるのを感じながらも、財布の中身を確認した。
万札がいくらか入っていた。
高崎のほうを気にしながら札を数える。一、二、三……六万円ある。
一瞬迷ったが、おもいきってそれらを抜き取った。震えながら、財布を元の場所へ戻す。
大丈夫だ、このまま退散できれば絶対にバレない。空き巣でもないわけだし。これでコタツから家に帰れたら、完璧なんだけど。
そんなことを思いながら、高崎の部屋から退出した。罪悪感はあったが、高崎の性悪ぶりを思い返すことで、自分を正当化した。
高崎の一件以来、俺は毎日コタツで寝た。一応携帯電話をズボンのポケットに入れておき、靴を履いたままで。
ところが何も起きずに一週間が過ぎた。夢すら見なかった。俺はゲームをしたり漫画を読んだりしながら、コタツで寝落ちする日々を送り続けた。
そして春になる手前、ついに待ち望んだ時がきた。
そこが夢の世界だとすぐにわかった。
あたりの風景には見覚えがあった。それはまちがいなく、地元のとある大きな公園だった。
懐かしくなり、俺は当初の目的をすっかり忘れて公園を探索した。砂場の広場や、池のある広場、遊具広場……。
と、遠く向こうの草原に、人影を発見した。どうやらピクニックをしているようだ。
近寄ってみると、それは俺の両親であることがわかった。その周りには、実家の居間の家具が配置されていて、床にはカーペットが敷いてあった。そして中央にはコタツがあり、両親はそこへ足をつっこんでテレビを見ていた。
「おう貴弘」
父が俺に気づき、テーブルを拳でコツコツと叩いた。
「メシ食え、メシ」
母も気づくやいなや、声をかけてきた。
「ほら、コタツ入りな。寒いだろ?」
「暑いでしょ、どう考えても」
俺は苦笑した。それからコタツの外側に座り、テーブルの上に並ぶ煮物や白飯に手をつけた。
だが、そのうち、どんどん気温が上昇していることに気づいた。その中心はコタツであるような気がした。コタツがこの世界を暖めているのだ。まるで太陽みたいに。
では、本物の太陽は? と思い空を見上げると、空には大きなコタツがむき出しになっており、雲みたいにいくつも浮かんでいた。なるほど、暑いわけだ……。
「おい、コタツ消してくれよ」
俺は空を見上げたまま言った。
しかし、いつの間にか両親は寝ていた。母は床に横たわり、父はテーブルに突っ伏して寝息をたてている。
ため息をつき、俺はコタツの電源を探した。が、見当たらない。
気温はさらに上がっていく。服が汗で重くなり、胸が気持ち悪くなる。喉が乾く。頭がガンガン痛む。
「おい」
俺は父を揺すった。
「おい!」
母も揺する。
「起きろって!」
が、両親は起きない。テレビは煙をあげ、バチバチと火花が散る。空のコタツも、煙と火花を吐き出す。
「おい! いいかげん起きろよ!」
叫ぶ。しかし両親は起きない。
状況はますます悪化し、ついには中央のコタツから凄まじい勢いで巨大な炎があがった。
「あっつ!」
俺は飛び退いた。
いつの間にかそこらじゅう煙で満ち、火に囲まれていた。家具はみな燃え盛っている。
「くそ……!」
両親を運ぼうとした。ところが、まったく動かせない。煙でむせる。喉が痛い。頭が働かない。どうすればいい? ここで、俺に何ができる? 何をすればいい?
──いや、何もできやしない。火がどんどん迫ってくる。もうすぐ俺たちは、火の海に呑まれてしまう……
そのとき、そのときだった。予感がした。現実が迫ってくる予感。じわじわと、粘つくような目覚めの予感。もうすぐ俺は、目が覚めるだろう。
それで、目が覚めたら、どうなっている? 現実世界はどんな状況だ?
もし、これまで通り、夢と現実が連動しているとしたら……?
もし、コタツが実家へ繋がっているとしたら……?
このまま目覚めたとき……
俺は……
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