山下町は福楽日和

真山マロウ

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誰しも事情はある

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「嘘つくやつの顔だ。信用するな」
 続けざまの攻撃に、綾川さんの目がつりあがる。もともと垂れ気味なせいか、もりもり増量まつ毛にとり囲まれているせいか、どちらにしろ異様な迫力。だが、朔くんは怯みもせず対峙。これは、よろしくない空気である。

「ご、ごめん綾川さん、また日をあらためて……」
「二度と日和に近づくな!」

 言いおわりを待たずして、さらに追撃。私のためにしてくれたのだろうが、収束のもくろみは儚く散った。こんなことなら、ちからずくでも朔くんを帰しておくべきだった。なんて思ってみたところで、あとの祭り。かくなるうえは、彼の癇癪玉が破裂する前に解散するしかない。

 無理にでも別辞を、と口をひらきかけたそのとき、綾川さんのつやつやの唇が先に動いた。
「そういえば今日って平日だよね。きみ、学校どうしたの」

 言葉もろとも息をのみ、総毛だつ。嫌なところを的確についてくる嗅覚と、リアルに反撃にでたことが信じられなかった。朔くんの物言いもどうかと思うが、なにも年下相手に本腰でやり返さなくても。

「……関係ないだろ」
 わずかな動揺に、そこが急所であることを確信した綾川さんが容赦ない連続攻撃をくりだしていく。

「学校、ちゃんと行ったほうがいいよ。大人になって困るのは自分だよ」
「勉強以外も学ぶことあるし。人づきあいとか、そういうの社会にでて絶対必要だから」
「つらいのは自分だけじゃない。みんな我慢して頑張ってる。甘えちゃダメだよ」

 朔くんは、ただ聞いていた。わかりやすいほどだった感情も、横顔から消えている。傷ついたり悲しんだりしているのではなく、ゼロ。見ているこちらまでてつかせるような空恐ろしさだ。なのに綾川さんは気づきもしないどころか、私たちが言い返さないことでさらに調子づき、語気を強める。

「だから、あんなに思いやりのないこと言えるんじゃない? きみ、友達いないでしょ。そんなだと、みんなに嫌われるよ」

 彼女の口から飛びだした『思いやり』――その瞬間、蓄積していたものが熱い塊となり、カーッと頭に駆けのぼった。私の中の触れてはならないものに、彼女は触れた。とても無神経に。

 目の前のラテを乱暴に飲みほし、ご高説をさえぎる。
「私もどこかで思ってた。事情があったとしても、学校は行かないより、行ったほうが本人のためになるって。でも……」

 子どものころからの宝物を、侮辱されたような気持ちだった。
『正直』『誠実』『感謝』そして『思いやり』
 大切にしてきた、おばあちゃんの教え。それを悪意まみれに、誰かを攻撃するために利用されたのが我慢ならなかった。

「学校に行っても綾川さんみたいになるなら、行かなくていいと思う!」
 千円札二枚をテーブルに叩きつけ、朔くんの手をとる。
「あと、朔くんは友達いるから! ちゃんと心配してくれる人たちもいるから! まったく誰にも嫌われてないから!」

 その後どうやって帰ったのか、よく覚えていない。けれども、八雲さんの絶品スイートポテトを片っぱしからたいらげたところで頭が冷え、やらかしたのを実感したとき、朔くんが綾川さんを嘘つき呼ばわりしたのが急に引っかかった。

 かろうじて連絡先を知っていた、綾川さんと同じ派遣会社の子にメッセージを送る。あまり接点はなかったが、彼女は明朗で人あたりもいいため、いきなりの私の質問にも気前よく答えてくれた。

 綾川さんが私に接触してきた本当の理由は、身代わりの確保。職場の人間関係でトラブルを起こし担当さんに派遣先の変更を頼んだものの、人手不足で渋られたのだそうだ。悶着のすえ「代わりを見つけてきたら応じる」と返され、私に白羽の矢がたったのだという。

『仲よさそうに見えたから言わずにいたけど、綾川さんとは関わらないほうがいいよ。距離おいてる人、けっこういる』

 最後にそえられた忠告に、自分ののん気さを呪った。そんな噂がでまわるくらいなら相当だったはず。なぜ気づかかなかったんだ。つか、綾川さんも自分のこと棚にあげて、よくあれだけ朔くんに言えたな。ブーメラン刺さっとりますがな。

 とはいえ、捨てぜりふをかまして一方的に帰るという、矜持にそぐわない言動をとってしまったことは反省。綾川さんには翌日、お詫びのメッセージを送信した。それから数日たつが、いまだ既読はつかない。ブロックされたのならそれでいい。というか、そのほうがいい。二度と関わらないのが、お互いのためだ。

 いっぽう、今回のことで一番心配だった朔くんは、なぜか目をみはるほど態度が軟化し、食事のとき必ず同席するようになった。それどころか八雲さんとの買い出しや、象の鼻パークあたりまでのお散歩も不平なく一緒に来てくれている。もっとも気がかりだった、綾川さんの暴言についても、
「気にしてない。勉強は自分でちゃんとしてるし、人づきあいはここでやってる」
 抜きうちでテストされても問題ないそうだ。やるじゃん。

「いいんじゃないですか。僕は学校ほぼ休まず行きましたけど、こんなふうです。将来どうなるかなんて、本人の心がけな気がします」

 八雲さんの意見に同意。私も病欠以外は出席したけど、ごらんのありさまだ。それに、いざとなればフリースクールとかもある。道はひとつじゃない。

「なんでもう復学しない流れなんだよ。そのうちするに決まってんじゃん」
 唇を尖らせ、朔くんがぼそり。
「時雨ばあちゃんと約束したし」

 たとえ七星くんという味方がいて、とても恵まれた環境にいるのだとしても、しばらくぶりに学校に戻るというのは、どれほど勇気のいることだろう。歓迎されるともかぎらない。どんな目にあうかさえもわからない。なのに朔くんは、時雨さんとの約束を守ろうとしている。こんな健気な子が、思いやりがないわけない!

「私は朔くんの味方だからね! 手伝えることがあるなら、なんでも言って!」

 感動のあまり気炎をはいた私に、朔くんが「ちょうどよかった」と紙袋を見せる。とりだされたのは、突起のついた帯状の物体。

「新作。腰ツボ刺激コルセット。今回は巻くだけ。そのかわり、押すパーツにはこだわった」

 ここに住む条件のひとつ、発明品のテスト係を請けおったのを思いだす。約束を破るつもりは毛頭ない。けど、なんでこの突起、激いかつい形状してんの? 刺さんない? 大丈夫?

「どうして体に影響しそうなものばかりの発明を……?」
「時雨ばあちゃんが『年とると、あちこちしんどい』って言ってたから、少しでもお年寄りが楽になれそうなのを作りたい」

 ああもう、この純粋でひたむきなセリフをくらって断れる者がいるだろうか!
 言うまでもなく私は巻き、そして激痛に悶絶した。
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