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弐・迷い家の怪
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迷う。それはともすれば誰にでも起こりうる事態。どんなに地図を読んでいても、道に迷わない自信があっても…。
六弥太は今日改めてその事を実感したのだった。
「六弥太ぁぁー、腹が減ったでやんす…」
「わかったから黙ってて!」
嘉助がよろよろと後ろを付いて来ながらぶつぶつと文句を言うのに苛々しながら進んでいく。
道はいつの間にか再び山道になっていて、獣道にひとしい荒れた道を、草木をかき分けて歩くのは、思いの他体力を消耗するらしく、六弥太も嘉助も次第に疲れの色を見せ始めていた。
「……参ったなぁ…」
見上げると、空は既に日暮れの色。思わず、弱音が漏れる。普段はまず迷わないのだが、今日に限って抜け出せなくなってしまった。
「六弥太!」
と、それまで死にそうな顔をしていた嘉助が突然声を張り上げた。
「何?旦那」
六弥太が振り向くと、嘉助は西方の方角を 指差して顔を輝かせていた。
その方角に首をめぐらせると…
「 あ 」
陰の様に重なり合う草木の間に、ぼんやりと灯火が見えた。
「こいつぁ幸運でやんすよ!あれはきっと家の灯かりでやんす!」
「ちょっ…待った旦那!」
こんな山奥にある一軒家なんて、怪しい事この上無い。きっと妖怪か幽霊の住処に違いない。六弥太はもう妖怪の類は勘弁して欲しかった。
「今夜は彼処に泊めてもらうでやんすよ六弥太」
「俺は嫌だよ!絶対妖怪か何かの住処に決まってるんだから!」
「妖怪!」
「…!」
しまった。
六弥太は自分の失言を悔やんだ。
「妖怪ときちゃぁ挑まねぇ訳にはいかねぇでやんす!」
「挑まなくていいから!ね?!」
「行くでやんすよ六弥太!」
「俺が悪かったからやめて!」
が、今更悔やんでも時既に遅し、六弥太がうっかり溢した「妖怪」という単語に反応した嘉助は、喜々として灯かりの見える方向に向かって行く。
嘉助の裾を引いて止めようとする六弥太を引きずり、先程まで死にそうな表情で歩いていたとは思えないほどの力強い足取りで進む。
「旦那ってばぁ!」
六弥太の悲鳴じみた叫びも耳に入らず、嘉助はずんずんと歩いて、灯かりの源になっている一軒家の前まで辿り着いた。
「御免下さい!」
「旦那っ、頼むからやめて!」
そして、何の躊躇いもなく戸を叩く。六弥太はそれでも粘るが…
「…どちら様でしょう…」
戸の向こうから、返事が返ってきたと平行して、がたがたと音を立てながら戸が開いてしまった。
「夜分に申し訳ない、一晩の宿を求めているんでやんすが…」
顔を出したのは、嘉助と大して変わらない歳に見える男。戸口に立った嘉助と六弥太を見て、一瞬きょとんとしていたが、次の瞬間には、厭味なほど爽やかな笑みを浮かべ、二人を招き入れた。
「旦那っ。あがっちゃ駄目だって!」
「大丈夫でやんすよ、六弥太」
「そんな根拠どこにも無いでしょ!」
と、六弥太は抵抗するが、嘉助は問答無用で引きずっていく。
「旦那ってば!」
招き入れられた二人は、囲炉裏端に座り、ひとまず名前を名乗り、旅の目的を話した。
「へぇ…。江戸から、全国を回って妖怪を探しているのですか…、変わった方だ…」
小さな家の中は、不思議な程暖かく、心地よい。疲れている二人にとって、思わず眠くなるほどに。
「そうなんでやんす。この辺りに面白い話は無いでやんすかね?」
「旦那、余計な事言わない」
六弥太はぺらぺらと喋る嘉助を牽制しつつも、睡魔と戦っていた。何時もよりツッコミにキレが無いのは眠気のせいだ。
「六弥太。眠かったら寝ていいでやんすよ?今夜は此処に泊めてもらいやしょう」
「…やだよ。旦那…何するか分からないでしょ」
「あっしは信用されてないでやんすか」
「…旦那のどこを信用しろっていうの」
「こいつぁ手厳しいでやんすね」
嘉助は六弥太の厳しい言葉にも大して気にした様子を見せず、隣に座る六弥太の肩を引き寄せた。
「ちょっと…やめてよ。…子供じゃないんだからさ…」
家の中の暖かさと相まって、嘉助の体温で更に眠くなる。六弥太は身体をよじって離れようとするが、眠くて眠くて、上手く力が入らない。
「……」
ああもう…。どうにでもなれ。
六弥太は自分の身体から力が抜けていくのに任せ、瞼を閉じた。
「…余程疲れていたのですね。お連れの方は」
「そうみたいでやんすね」
嘉助は、六弥太が眠りやすい様に頭を膝の上にのせてやった。そして、自分の着ていた羽織を背中にかけて、優しく頭を撫でた。
「貴方は眠くは無いのですか?」
「いいや、ちっとも眠くねぇでやんす」
「そうですか、やはり変わった方だ。普通はすぐに眠りについてしまうのに」
笑みを浮かべた青年は、少々驚いているようだったが、何でも無い様に、熱いお茶をすすめてきた。
「こんな面白いところで、うかうか寝ていられねぇでやんすよ」
「面白い?」
嘉助の言葉に、今度は不思議そうに眉を上げた。
「面白いでやんすよ。まさか『迷い家』に遭遇できるたぁ」
「……!」
驚きに目を見開く青年に、嘉助は邪気の無い笑みを振り撒きながら、口調からはわくわくしている様子が伺えた。
「迷い家…、そうですね、人間はこの家をそう呼びます」
「くぁー!感激でやんす!この辺りには迷い家の話がありやしたが…まさかお目にかかれるたぁ思わなかったでやんす」
「…ふ…、本当に可笑しな方だ」
青年は歯止め役のいない嘉助の感激ぶりも軽く流し、ゆっくりと言葉を続けていく。
「貴方は…此処がどんなところかご存知で?」
ふわりと、暖かい空気に混じって木の薫りが鼻をかすめた。
「…此処は、迷いし者を導く処。故に迷い家…」
「それは知っておりやす。だが、あっしは導いて欲しいんじゃないんでやんす」
「へぇ…、では何をお望みで」
いつの間にか、嘉助はお茶を飲み干してしまっていた。緊張しているのだろうか、この喉の渇きは…。
「…あっしの様に、妖怪を探して此処へ迷い込んだ男がおりやせんでしたか」
「男……。探し人ですか」
「…あっしの親父でやんす」
「お父上…」
嘉助の父、利一は、息子以上の妖怪馬鹿で、二年前に仕入れに出かけたまま行方不明になった。当時は誰もが、利一は死んだと思った。現に、共に出掛けた者までも戻らなかった。
「ご存知無いでやんすか」
だが嘉助は、利一はまだどこかで生きていて、好き勝手に旅をして回っているのではないかと、どこかで思っていた。
だから、ようやく店が落ち着いてきたのを見計らって、番頭に無理を言って旅に出たのだ。
どこかで生きているかもしれないという、希望だけを頼りに…。
「……いえ、残念ながら。貴方の様な面白い方に会ったのはこれが初めてです」
「…そうでやんすか…」
しかし、探せば探す程希望は薄らいでいくばかり。
「…代わりにと言っては何ですが、貴方を妖怪のもとへ導いて差し上げましょう」
「妖怪ッ!」
『妖怪』という最強の単語の前ではそんなことなどたちまち頭の隅に追いやられてしまう。
嘉助は、膝の上で穏やかな寝息をたてる六弥太を起こしてしまうのではないかと思う程身を乗り出す。
「…ここから西南へ降った先の海辺の村では、猩々が出没するそうです」
「猩々でやんすか!」
「興味を持っていただけましたか?」
「興味深々でやんす!」
きらきらと、子供の様に瞳を輝かせる嘉助に微笑みかけ、猩々の話を続ける。
「それはなによりです。猩々は酒の匂いにつられて海からやってくると聞きます。これを授けましょう」
どん。と、嘉助の前に差し出されたのは酒瓶。
「そして、お連れの方にはこれを…」
更に、眠っている六弥太には朱塗りの盃が授けられた。
「迷い家に迷い込んだ者には、何かを授けるのが此所のきまり。どうそ持って行って下さい」
「おお。こいつぁありがてぇでやんす」
嘉助が酒瓶と盃を丁重に受け取ると、青年は笑みを浮かべながら静かに近付いた。
「さ、導きましょう。貴方が望む場所へ…」
「ッ……」
グニャリと周囲の景色が歪み、嘉助はクラリと意識を手放した。
「…あ…」
ドサリと、六弥太を腕に抱えた格好で床に倒れ込んだ。
「また…お会い出来ると良いですね。面白い方」
暗い暗い水の底に沈む様に、嘉助の意識は堕ちていった。
六弥太は今日改めてその事を実感したのだった。
「六弥太ぁぁー、腹が減ったでやんす…」
「わかったから黙ってて!」
嘉助がよろよろと後ろを付いて来ながらぶつぶつと文句を言うのに苛々しながら進んでいく。
道はいつの間にか再び山道になっていて、獣道にひとしい荒れた道を、草木をかき分けて歩くのは、思いの他体力を消耗するらしく、六弥太も嘉助も次第に疲れの色を見せ始めていた。
「……参ったなぁ…」
見上げると、空は既に日暮れの色。思わず、弱音が漏れる。普段はまず迷わないのだが、今日に限って抜け出せなくなってしまった。
「六弥太!」
と、それまで死にそうな顔をしていた嘉助が突然声を張り上げた。
「何?旦那」
六弥太が振り向くと、嘉助は西方の方角を 指差して顔を輝かせていた。
その方角に首をめぐらせると…
「 あ 」
陰の様に重なり合う草木の間に、ぼんやりと灯火が見えた。
「こいつぁ幸運でやんすよ!あれはきっと家の灯かりでやんす!」
「ちょっ…待った旦那!」
こんな山奥にある一軒家なんて、怪しい事この上無い。きっと妖怪か幽霊の住処に違いない。六弥太はもう妖怪の類は勘弁して欲しかった。
「今夜は彼処に泊めてもらうでやんすよ六弥太」
「俺は嫌だよ!絶対妖怪か何かの住処に決まってるんだから!」
「妖怪!」
「…!」
しまった。
六弥太は自分の失言を悔やんだ。
「妖怪ときちゃぁ挑まねぇ訳にはいかねぇでやんす!」
「挑まなくていいから!ね?!」
「行くでやんすよ六弥太!」
「俺が悪かったからやめて!」
が、今更悔やんでも時既に遅し、六弥太がうっかり溢した「妖怪」という単語に反応した嘉助は、喜々として灯かりの見える方向に向かって行く。
嘉助の裾を引いて止めようとする六弥太を引きずり、先程まで死にそうな表情で歩いていたとは思えないほどの力強い足取りで進む。
「旦那ってばぁ!」
六弥太の悲鳴じみた叫びも耳に入らず、嘉助はずんずんと歩いて、灯かりの源になっている一軒家の前まで辿り着いた。
「御免下さい!」
「旦那っ、頼むからやめて!」
そして、何の躊躇いもなく戸を叩く。六弥太はそれでも粘るが…
「…どちら様でしょう…」
戸の向こうから、返事が返ってきたと平行して、がたがたと音を立てながら戸が開いてしまった。
「夜分に申し訳ない、一晩の宿を求めているんでやんすが…」
顔を出したのは、嘉助と大して変わらない歳に見える男。戸口に立った嘉助と六弥太を見て、一瞬きょとんとしていたが、次の瞬間には、厭味なほど爽やかな笑みを浮かべ、二人を招き入れた。
「旦那っ。あがっちゃ駄目だって!」
「大丈夫でやんすよ、六弥太」
「そんな根拠どこにも無いでしょ!」
と、六弥太は抵抗するが、嘉助は問答無用で引きずっていく。
「旦那ってば!」
招き入れられた二人は、囲炉裏端に座り、ひとまず名前を名乗り、旅の目的を話した。
「へぇ…。江戸から、全国を回って妖怪を探しているのですか…、変わった方だ…」
小さな家の中は、不思議な程暖かく、心地よい。疲れている二人にとって、思わず眠くなるほどに。
「そうなんでやんす。この辺りに面白い話は無いでやんすかね?」
「旦那、余計な事言わない」
六弥太はぺらぺらと喋る嘉助を牽制しつつも、睡魔と戦っていた。何時もよりツッコミにキレが無いのは眠気のせいだ。
「六弥太。眠かったら寝ていいでやんすよ?今夜は此処に泊めてもらいやしょう」
「…やだよ。旦那…何するか分からないでしょ」
「あっしは信用されてないでやんすか」
「…旦那のどこを信用しろっていうの」
「こいつぁ手厳しいでやんすね」
嘉助は六弥太の厳しい言葉にも大して気にした様子を見せず、隣に座る六弥太の肩を引き寄せた。
「ちょっと…やめてよ。…子供じゃないんだからさ…」
家の中の暖かさと相まって、嘉助の体温で更に眠くなる。六弥太は身体をよじって離れようとするが、眠くて眠くて、上手く力が入らない。
「……」
ああもう…。どうにでもなれ。
六弥太は自分の身体から力が抜けていくのに任せ、瞼を閉じた。
「…余程疲れていたのですね。お連れの方は」
「そうみたいでやんすね」
嘉助は、六弥太が眠りやすい様に頭を膝の上にのせてやった。そして、自分の着ていた羽織を背中にかけて、優しく頭を撫でた。
「貴方は眠くは無いのですか?」
「いいや、ちっとも眠くねぇでやんす」
「そうですか、やはり変わった方だ。普通はすぐに眠りについてしまうのに」
笑みを浮かべた青年は、少々驚いているようだったが、何でも無い様に、熱いお茶をすすめてきた。
「こんな面白いところで、うかうか寝ていられねぇでやんすよ」
「面白い?」
嘉助の言葉に、今度は不思議そうに眉を上げた。
「面白いでやんすよ。まさか『迷い家』に遭遇できるたぁ」
「……!」
驚きに目を見開く青年に、嘉助は邪気の無い笑みを振り撒きながら、口調からはわくわくしている様子が伺えた。
「迷い家…、そうですね、人間はこの家をそう呼びます」
「くぁー!感激でやんす!この辺りには迷い家の話がありやしたが…まさかお目にかかれるたぁ思わなかったでやんす」
「…ふ…、本当に可笑しな方だ」
青年は歯止め役のいない嘉助の感激ぶりも軽く流し、ゆっくりと言葉を続けていく。
「貴方は…此処がどんなところかご存知で?」
ふわりと、暖かい空気に混じって木の薫りが鼻をかすめた。
「…此処は、迷いし者を導く処。故に迷い家…」
「それは知っておりやす。だが、あっしは導いて欲しいんじゃないんでやんす」
「へぇ…、では何をお望みで」
いつの間にか、嘉助はお茶を飲み干してしまっていた。緊張しているのだろうか、この喉の渇きは…。
「…あっしの様に、妖怪を探して此処へ迷い込んだ男がおりやせんでしたか」
「男……。探し人ですか」
「…あっしの親父でやんす」
「お父上…」
嘉助の父、利一は、息子以上の妖怪馬鹿で、二年前に仕入れに出かけたまま行方不明になった。当時は誰もが、利一は死んだと思った。現に、共に出掛けた者までも戻らなかった。
「ご存知無いでやんすか」
だが嘉助は、利一はまだどこかで生きていて、好き勝手に旅をして回っているのではないかと、どこかで思っていた。
だから、ようやく店が落ち着いてきたのを見計らって、番頭に無理を言って旅に出たのだ。
どこかで生きているかもしれないという、希望だけを頼りに…。
「……いえ、残念ながら。貴方の様な面白い方に会ったのはこれが初めてです」
「…そうでやんすか…」
しかし、探せば探す程希望は薄らいでいくばかり。
「…代わりにと言っては何ですが、貴方を妖怪のもとへ導いて差し上げましょう」
「妖怪ッ!」
『妖怪』という最強の単語の前ではそんなことなどたちまち頭の隅に追いやられてしまう。
嘉助は、膝の上で穏やかな寝息をたてる六弥太を起こしてしまうのではないかと思う程身を乗り出す。
「…ここから西南へ降った先の海辺の村では、猩々が出没するそうです」
「猩々でやんすか!」
「興味を持っていただけましたか?」
「興味深々でやんす!」
きらきらと、子供の様に瞳を輝かせる嘉助に微笑みかけ、猩々の話を続ける。
「それはなによりです。猩々は酒の匂いにつられて海からやってくると聞きます。これを授けましょう」
どん。と、嘉助の前に差し出されたのは酒瓶。
「そして、お連れの方にはこれを…」
更に、眠っている六弥太には朱塗りの盃が授けられた。
「迷い家に迷い込んだ者には、何かを授けるのが此所のきまり。どうそ持って行って下さい」
「おお。こいつぁありがてぇでやんす」
嘉助が酒瓶と盃を丁重に受け取ると、青年は笑みを浮かべながら静かに近付いた。
「さ、導きましょう。貴方が望む場所へ…」
「ッ……」
グニャリと周囲の景色が歪み、嘉助はクラリと意識を手放した。
「…あ…」
ドサリと、六弥太を腕に抱えた格好で床に倒れ込んだ。
「また…お会い出来ると良いですね。面白い方」
暗い暗い水の底に沈む様に、嘉助の意識は堕ちていった。
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