序列学園

あくがりたる

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学園戦争の章《結》

第135話~本当の楽園~

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 カンナは斑鳩いかるがに呼ばれて斑鳩の隣りの席に着いた。
 カンナは胸の鼓動が高鳴るのを感じずにはいられなかった。

「考えてみたら、お前と一緒に呑んだ事なかったな」

 斑鳩はカンナの前のグラスに酒を注ぎながら微笑んだ。

「あ、そうですね……。えっと、久壽居くすいさんは今日こちらにはいらっしゃらないんですか?」

「ああ、久壽居さんは俺達がこうしてゆっくりと飲み食い出来るように今帝都軍の指揮を執って学園と村の警備をしてくれてるよ」

 なるほど、と頷きながらカンナは注がれた酒を口に流し込んだ。

「まさか学園がこんな風に変わるとは思わなかったな。この学園も昔は今みたいに平和だった時もあったかが、青幻せいげん達が絡んできてから変わった。それが今また、生徒達の力によって元のあるべき平和な学園に戻った。凄い事だよな」

 斑鳩はしみじみと感傷に浸りながら箸で目の前の皿の肉をつついた。

「澄川、お前が体特のナンバー2なんだからな。これからはしっかりと自覚を持てよ。もちろん、俺を序列仕合で倒して高みを目指せ。実際、俺と澄川では、お前の方が上かもしれないからな」

「そ、そんな、とんでもない」

 暑い。酒のせいで体温が上がったのか、斑鳩と話しているからなのか。カンナはまた顔を手でパタパタと仰いだ。
それを見た斑鳩はおもむろに立ち上がった。

「外の風にでも当たりに行くか。付き合えよ」

「はい!」

 初めて斑鳩に誘われた。頭がふわふわする。
 カンナは先に歩きだした斑鳩の後をとことこと追いかけて行った。




 秋の夜の風が吹いていた。季節は冬になりつつあり、少し肌寒いくらいだが、今のカンナには丁度よく感じた。
 もう日もすっかり沈んで辺りは真っ暗で月と星の灯りしかない。
 斑鳩は校舎の屋上の策に肘を置いた。
 カンナも隣りで同じように肘を置いた。

「お前がこの学園に来た頃の事、覚えてるよ」

 斑鳩は突然星空を見上げながら言った。
 カンナも星空を見上げた。

「あの頃は響音ことねさんがいたな。あの人が学園の生徒達に澄川と仲良くするなと脅して回っていた。もちろん俺はそんな話聞くつもりはなかった。だが、お前を庇うつもりもなかった。だからお前が周りから距離を置かれていてもあの時は声を掛けなかった」

「……はい」

 確かにそうだった。入学して間もない頃は響音の理不尽な嫌がらせを執拗に受けた。誰も助けてはくれなかった。斑鳩でさえ、カンナに関心を持つ様子はなかった。今では考えられないが、あの頃の斑鳩は冷たかった。

「俺はその事を後悔している。何故お前に声を掛けてやらなかったのか。すまなかった」

 斑鳩は目を瞑ってカンナに謝罪した。

「謝らないでください。私はそんな事気にしてません。あの状況を打開するには自分の力で道を切り開くしかないと思っていました。これは試練なんだって……。斑鳩さんを恨んだ事なんてないです」

 カンナは必死に斑鳩の抱いていた後悔を否定した。斑鳩がそんな事を気に病む必要は全くないのだ。

「お前は何故俺の事を好きだと言ったんだ?」

 唐突な質問にカンナは固まった。

「俺はお前に好かれる要素はないと思う」

 カンナは少し考えて口を開いた。

「分かりません。自分でも理由は分かりません。でも、好きなものは好きなんです。初めてなんです。こういう気持ちになるの。だから、理由は良く分かりません。……いけませんか?」

 感情を上手く伝えられなかった。”好き”という言葉しかカンナの口からは伝えられないかつてないもどかしさに苛まれた。

「そうだな。人を好きになる事に理由なんて要らないのかもしれないな。ありがとな。澄川」

 斑鳩はカンナの顔を一瞬だけ見ると柵から離れ屋上から降りる階段の方へ歩き出した。

「そろそろ戻ろう。酒がなくなっちまうぞ」

 カンナを見ずに言う斑鳩。
 何故かその後ろ姿を見てカンナはガッカリとした気持ちになった。何故だろうか。斑鳩と2人切りで話が出来て嬉しいはずなのに、何故ガッカリしたのだろう。
 もしかして、自分は何かを期待していたのだろうか。それは一体何なのだろう。

「あー、そうだ。良かったら今度、予定合わせて大陸側まで行かないか?  美味い肉料理の店があるんだ」

 斑鳩は立ち止まり背を向けたまま少し横を向き言った。

「あ、は、はい!  もちろん!  喜んで!」

 カンナは喜びのあまり普段はめったに見せない満面の笑みを浮かべていた。
 求めていたものはこれだった。斑鳩ともっと2人で長い時を過ごしたい。特別な時間を過ごしたい。
 カンナの顔を見て、斑鳩の表情が一瞬固まったような気がしたが、すぐに微笑み返してくれた。

「お前のそんな表情、初めて見たかもな」

 カンナは斑鳩にそう言われ急に恥ずかしくなり両手で頬を抑えた。

「俺は島外に出るのは数年ぶりだ。浪臥村から船で2時間くらいだったか?」

 船という言葉を聴きカンナの顔からは笑顔が消えた。

「なんだ、澄川?  まさか船苦手なのか?」

 斑鳩はすぐさまカンナの異変に気が付いた。

「大丈夫……です。苦い木の実食べれば」

「まさか、”死辛ししんの実”を食べた事あるのか?  あんな死ぬ程苦いもの、よく食えたな?  そんなもの食わなくても、俺が介抱してやるから寝てればいい」

 斑鳩の言葉を聴き、カンナはそれの方がいいと思いにやりと笑ってしまった。

「おい、にやけてないで早く来い!  飲み直すぞ!」

 斑鳩に急かされてカンナはまた宴真っ最中の大講堂に戻った。
 月明かりに照らされた斑鳩の姿はいつか倉庫で抱き合った夜と同じでとても美しかった。




 宴は最高潮の盛り上がりだった。
 講堂の壇上の端にあるグランドピアノで茉里まつりが軽快な曲を奏でていた。その傍でアリアが目を瞑って茉里の演奏に酔いしれていた。
 ほとんどの生徒や師範は酒で気分が良くなったのか、茉里のピアノに合わせ歌ったり、手拍子をしてたりして大いに盛り上がっていた。
 カンナがもともと座っていた席には櫛橋叶羽くしはしとわが座ってつかさ達と楽しげに話していた。また、離れた席では新居千里にいせんり矢継玲我やつぎれいがが2人で仲良さそうに話している。
 思えば今までこの学園でこのような全生徒による宴が行われた事はない。他のクラスはお互いに干渉し合わないという暗黙のルールがあった為だろう。殺伐とした雰囲気を醸し出していた。それが先の戦いで全生徒が一つになり今こうしてクラスの垣根を越えて同じテーブルを囲んでいる。

「カンナー!  こっちおいでー!」

 斑鳩と大講堂に戻って来たカンナはかなり出来上がっている詩歩しほに呼ばれた。顔が真っ赤で普段は見せない笑顔で手招きしていた。
 カンナが詩歩の元へ行くと詩歩の隣のあかりはその隣のリリアと笑いながら話しており、カンナが戻った事には気付いていないようだ。
 席がなかったのでキョロキョロと辺りを見回していると詩歩が自分の太ももを叩いた。

「ここに座っていいよ、はい、おいでー」

 普段の詩歩からは考えられない行動。詩歩は両手を伸ばしてカンナを求めた。
 カンナが躊躇っていると詩歩は口を尖らせ何故か詩歩の隣に移動していた光希みつきを抱き締めた。

「カンナ~、たかむらさん可愛いね~、このツインテール、サラサラで可愛い!  首のチョーカーも可愛い!  私と同じ髪の色、可愛い!」

 光希は酔っ払いに絡まれとても迷惑そうな表情でカンナに救済の視線を送った。

「光希、その席代わって。私が座る」

 光希はしめた! という顔でそそくさと詩歩の手から逃れキナと蔦浜つたはまの所へ逃げて行った。

「カンナー!  斑鳩さんと何してたの~?  ちゅ~したの~?」

 詩歩はにやにやとしてカンナの顔の前に自分の呑んでいた酒の入ったジョッキをぐいっと差し出した。
    めんどくさい。流石にカンナもそう思った。
 カンナは詩歩の隣に腰を落とした。

ほうりさん、飲み過ぎじゃないの?  大丈夫?」

「ふふふ~、平気ですよ~、私は~」

 詩歩は楽しそうにまたぐびぐびとジョッキで酒を飲み干した。すると、突然ジョッキを机に置き、大人しくなった。

「私ね、カンナと仲良くなれて本当に良かった。あの時の後醍院ごだいいんさんとの村当番がなかったら今もきっとカンナを憎み口もきかなかったと思う。カンナがこんなに強くて優しい人だなんて思わなかった。尊敬します」

 詩歩は今までの酔っ払った様子と打って変わっていつも通りの口調で話した。

「私も、祝さんと仲良くなれて本当に良かったと思ってるよ。これからも宜しくね」

 カンナはにこりと笑った。

「うー、カンナー!  大好き~!」

 詩歩が突然カンナに抱き着いてきた。カンナは驚いて椅子から転がり落ちてしまった。

「何やってますの!?  祝さん!  澄川さんはわたくしのものですわよ!」

 詩歩がカンナを押し倒したのを見てピアノを弾いていた茉里が立ち上がった。茉里のピアノの演奏が止まり、皆の視線がカンナ達に集まった。

「茉里!  あんたのものじゃないわよ!  何勝手なこと言ってんの!?  ぶっ飛ばすわよ!」

 今度はつかさが立ち上がった。

「おお!  なんだ!?  喧嘩か?  あたしも混ぜろよ!」

 つかさの声に反応して今度は燈が躍り出た。
 周りの生徒達も何事かと思いカンナの周りに集まって来た。

「なんだ!  ここは俺が止めてやる!」

 蔦浜が腕まくりして止めに入ろうとするとキナが襟を掴み蔦浜を止めた。

「そうやってお前、どさくさに紛れて女の子達の身体触ろうってんじゃないだろうな?」

「ば、馬鹿!  俺は喧嘩を止めようと」

「蔦浜が止めないなら俺が止める!  任せろ!」

 突如現れた和流せせらぎがキナに止められている蔦浜の横からつかさや燈、茉里、詩歩、カンナが入り乱れている乱戦の中に飛び込もうとしたのでさらに混乱を招いた。
 カンナは揉みくちゃにされているにも関わらず何故か笑っていた。
 なんだか楽しい。皆に認められて今ここが自分の居場所なんだ。これが”本当の楽園”なんだ。
 その乱戦を見て、師範達は笑っていた。笑顔が想像も出来ない重黒木でさえも笑っていた。




 奈南ななみは少し離れた所で斑鳩と座り、もみくちゃになっているカンナ達を眺めていた。
 液体が入った数本の小さな試験管がしまってある帯状の革の入れ物を机に広げた。そして、その中から1本の試験管を取り出し頬杖を付いてそれを見詰めた。

「何ですか?  それは」

「響音さんが澄川さんを殺す為にどこからともなく手に入れた劇薬。”消氣剤しょうきざい”といって、その名の通り氣を消す薬よ」

 斑鳩の質問に奈南は目を細めて答えた。

「何故そんなものをあなたが持ってるんですか?」

 斑鳩は不審な目で奈南を見た。

「以前響音さんに頼まれて私が保管しといたのよ。……でも、もう必要ないわよね」

 奈南は何の躊躇いもなく手に持った試験管と机に広げた帯状の入れ物を床に落とし足で踏み潰した。試験管は粉々に割れ、液体が漏れて床に広がった。
 斑鳩は奈南の顔を見た。

「まさか澄川さんがこんなに学園を変えてくれるとは思わなかったわ。斑鳩君も、あの子の事、もっとよく見てあげてよね」

 奈南はにこりと微笑んだ。
 斑鳩は奈南から目を逸らし、顔を赤く染めるとグラスに入った酒を口に流し込んだ。



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 木枯らしが身体に沁みた。
 宴から数週間が経った。
 カンナはお気に入りの場所である学園の東の岩壁の上の広場に座っていた。
 カンナが学園に来てまだ1年も経っていない。しかし、既にこの学園に何年もいる気分だった。半年程しか経っていないのに色々な事があった。様々な苦難と出会い。そして別れ。
 カンナは岩壁の上の広場の端にひっそりとある#水音__みお__の墓を見た。たくさんの花が供えられている。
 ふと、背後に気配を感じた。
 カンナは振り返らずにすっと立ち上がった。

「つかさ。どうしたの?」

 カンナはゆっくりと振り返った。
 そこには豪天棒ごうてんぼうを持った斉宮つかさが凛とした表情で立っていた。

「カンナ、私と序列仕合しなさい!」

 カンナは突然の申し込みだったが驚きはしなかった。これが本来の学園の姿。

「もちろん。喜んで!」

 カンナは笑顔で答えた。
 つかさもニコリと微笑んだ。



 風がカンナの黒髪と青いリボンを揺らした。
 耳に入る波の音。


 波は今日も穏やかだった。




 ~完~
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