どうせ俺はNPCだから

枕崎 純之助

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第三章 絶海の孤島

第13話 夢想という名の野望

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 思考プログラムの化身となった上級天使のグリフィンは言った。
 目的はこのゲーム世界を抜け出して、あちら側の世界に行くことだと。
 このゲームを作った奴らやプレイヤーらのいる世界へと。
 それはまるで夜空に浮かぶ月に行って見せると豪語する夢想家の話だったが、野望に燃えるグリフィンの瞳は自分の行いに一寸の疑いも持たぬ狂信的な光に満ちていた。
 
「絵空事だと思うか? だがこの世界には多くのプレイヤーがあちら側の世界から訪れるだろう? ならばこちらから向こう側へ渡れないという道理はあるまい」

 それは一介のNPCに過ぎない俺にはよく分からない感覚だった。
 そんなことを考えたこともないからだ。
 俺は首輪の解除が終わったら旅に出るつもりだったが、それはあくまでもこのゲーム世界の中の話だ。
 目の前にいるグリフィンの話は、あるかどうかも分からない新大陸を夢見る冒険家のそれで、俺にはいまいちピンとこない。

「フンッ。ここから出て行きたきゃ1人でヒッソリと行けよ。立つ鳥あとにごさずって言うだろうが。他の奴はどうでもいいが、俺に迷惑をかけるんじゃねえ」

 怒りを込めてそう言うが、グリフィンは少しもひるむことなく持論を展開する。

「バレット。今我々がいるこの世界は永遠ではない。ゲーム世界は様々な要因により唐突な終焉しゅうえんを迎える。人気低下によりプレイヤーの数が減りサービス終了に追い込まれたり、運営本部が新たなゲームを仕掛けることにより旧ゲームのサービスが終了したり、とな。そうなった時にこのゲーム世界は無慈悲むじひに終わり、我々NPCは問答無用で人生の幕を閉じる。貴様が厳しい鍛錬たんれんや壮絶な実戦を乗り越えて手にした実力も全て水のあわと帰すことになるのだ。貴様はそれを良しとして受け入れられるか?」

 その問いに俺はスッと自分の気持ちが冷えるのを感じた。
 こいつは俺たちNPCが気にしても仕方のないことにあらがおうとしている。
 諸行無常しょうぎょうむじょう盛者必衰じょうしゃひっすい
 それが世のことわりだってことくらいは俺だってわきまえている。

「それがNPCってもんだ。永遠に生きられるとでも思ってんのか?」
「永遠とは言わぬが、あちらの世界に行けば、人の営みがある限り生き続ける方法がある。姿はなくとも意思はある。そんな思念体としてクラウド世界の中で生き続けるんだ。それが私の最終目標だ」

 恍惚こうこつの表情でそう言うグリフィンに薄ら寒さを感じて、俺は胸の内で自らを落ち着かせた。
 こいつのワケの分からない目的のために自分が犠牲にされたことは許せんが、今の俺が怒りをあらわにしたところで、こいつを喜ばせるスパイスにしかならねえ。
 しゃべることしか出来ないなら、頭を必死に回してこいつから出来る限りのことを聞き出してやる。
 事ここに及んでそんなことが意味を成すのかどうか分からねえが、俺に待つのが消滅の運命だとしても、絶対にこんな奴に心までくっしてやるものか。

「くだらねえ。てめえのにもつかねえ与太話にはもう腹いっぱいだぜ。てめえらが敬愛する女王様がその話を聞いたら情けなくて涙を流すだろうよ」
「そうであろうな。それは私も胸が痛むさ。だが……すぐにそれもどうでも良くなる」
「……なに?」
「いや失敬。こちらの話さ。そろそろ本題に入ろうか」

 そう言うとグリフィンはまたもやパチンと指を鳴らし、背後の映像を切り替えた。
 するとそこには、くさりつながれろうの中にるされている俺の肉体が現れる。
 画面のはしには『LIVE』という表示が成され、この映像が今現在を映していることが示されていた。
 
「貴様の体は今、天樹の塔の分析室の中にある特別牢に隔離かくりされている。ティナの正常化ノーマリゼイションによって不正プログラムの除去された状態で安置され、大方の分析もすでに終わっている」
「あとは消去処分を待つばかりかよ。これを見せて俺を悔しがらせようってのか? いい趣味しゅみだなゲス野郎」
「ハッハッハ。それは楽しそうだな。だが、貴様の肉体は消さずに残すよう、マーカスの権限を使って私が指示をした」

 何だと?

「マーカスは上級種の中でも幹部会に席を持つほどのえらい男でな。私が乗り物として一から育て上げた優秀な……」
「んなことはどうでもいい。俺の肉体を残すだと? てめえ。何を考えていやがる」

 そう言う俺にグリフィンはニヤニヤとした笑みを浮かべたまま何も答えようとしない。
 まさか……。

「てめえ。俺の体を乗り物として使うつもりか」
「……ククク。ちょうどいい悪魔の体が欲しくてな。安心してくれ。私は貴様の口調や性格などもよく見てきた。ちゃんと貴様のキャラクターを崩さずに演じてみせるさ」
「くっ……」

 俺の体がまったく別の人物によって使われる。
 しかも胸糞むなくそ悪いこの天使野郎によって。
 それを考えただけでヘドが出そうになる。
 そんな俺の内心を見透みすかしたようにグリフィンはわざとらしく悲しげな顔で憐憫れんびんの情を表すかのように言って見せる。

「この世は無情だな。バレット。俺は何食わぬ顔で貴様の体を使ってのうのうと今後も生き続け、本来の持ち主である貴様はこのような場所に閉じ込められ、命運が尽きようとしている。さぞかし悔しかろう」
「クソ野郎が……」
「これはひどい言われようだ。では、そのクソ野郎がどうやって貴様らを監視していたのか教えて差し上げようか」

 そう言うとグリフィンは得意気に指を鳴らして見せた。
 そして例によって画面が切り替わる。
 画面のはしに表示された時刻は、それが数日前の出来事であることを示していた。
 また過去の映像かよ。
 そしてそこにパッと映し出されたのは、俺のことを目のかたきにしていたケルの野郎だった。

旦那だんな方。こっちです。バレットの奴が入りびたっている洞窟どうくつは。あの野郎。炎獄鬼なんて呼ばれていい気になってやがる。旦那だんな方のお力でブチのめしてやってくだせえ』

 卑屈ひくつな表情でそう言うケルに話しかけられたこの人物は、となりにいる仲間と顔を見合わせてうなづいた。
 そこに映し出されたのは上級種のディエゴだった。
 俺は即座に気が付いた。
 この映像は……上級種・アヴァンの視点だ。

 それからこいつらは不正プログラムで開けあなを使い、悪魔の臓腑デモンズ・ガッツの中へと足を踏み入れていった。
 この後だ。
 俺が忌々いまいましい不正プログラムによって閉じ込められることになるのは。
 その道中でアヴァンとディエゴが交わした会話が映像の中に記録されていた。

『ディエゴ。ここらで張ってりゃ、あの見習い天使の小娘が現れるってのは本当か?』
『ああ。グリフィンが確定情報として高値で売り付けてきやがった』
『フンッ。まあ、今までもあいつの情報が間違っていたことはねえからな。それにしても天使のくせに同胞を売るとは、大したタマだぜ』

 そうか。
 こいつらとグリフィンはつながっていやがったのか。
 俺は映像を楽しげに見つめているグリフィンを揶揄やゆして言った。

「おい。潜入捜査官。女王様への忠誠心はどうした? 裏で悪魔どもにティナの情報を売っておいて、よくもまあ白々しく小娘に説教できたもんだな」
「ハッハッハ。そう言われると返す言葉もない。だが、私とあのディエゴはキャメロン殿に選ばれた運命の同胞でもあるんだ。不本意だが、彼らに協力することで自分の利益を引き出せるなら、私に躊躇ちゅうちょはなかった」

 そう言うとグリフィンは一本の試験管を取り出した。
 その中には緑色に輝く液体が収められている。

「これは異世界からやって来たある女科学者が使っていた薬を極秘のルートでくすね、それを私が分析して複製した物だ。自分の姿を動物や虫などに変化させることが出来る。これを持っていた女科学者は異世界からやってきた魔女や聖女の仲間らしい」
 
 ティナが話していた天樹の塔の戦いで堕天使キャメロンと戦った異世界のNPCたちのことか。

「これがあれば目に見えないダニ程度の小ささまで変身することができる。私はこの時、ダニになって上級悪魔アヴァンのまゆの中に潜んでいたんだ」
「アヴァンの視点ってわけじゃなく、てめえの目から見た映像ってことか」
「その通り。そしてこの後、私は貴様との接触の機会を利用して、貴様の体に移り住んだんだ」
「移り住んだ……そういうことか」

 ビジョンの中では俺が不正プログラムによってとらわれたところに、ティナが落ちてきた様子が克明こくめいに映し出されていた。

「ティナがあそこに落ちてくることまで予想していやがったのか」
「これでも長年、敵地で潜入捜査をやってきた。NPCたちがどのような動きをするのか予想することは難しいことではない。ティナのような素直なタイプなら尚更なおさらな」

 ここからこいつは監視のためにしばらく俺の体に勝手に巣食っていやがったのか。
 映像の中では俺がティナと出会ってからの日々が走馬灯そうまとうのように流れ続けている。
 クソッ!
 マジで頭にくるぜ。
 こんなクソ野郎を体に飼っていて、それに気付きもしなかったマヌケな自分自身にもな。

「ティナが貴様と行動を共にしてくれたことで、私は目的に最大限近付くことが出来るようになった。貴様とティナの体を自由に行き来できるようになったからな。そして私はティナの体に移り住み、修復術に手が届く寸前まで辿たどり着いた。まあ、そこで天使長様の防御システムに邪魔されてしまったわけだが……それでも私は目的を果たすチャンスを得ることが出来た。貴様を利用することでな」

 そう言うとグリフィンは薄笑いを浮かべる。
 俺は胸の内で歯ぎしりするような思いでビジョンを見つめた。
 俺は自分がなぜ不正プログラムに感染したのかを気付かされ、ハラワタがえくりかえるような激しい怒りを覚える。
 不正プログラムを所持するグリフィンが、小さなダニとなって俺の体に取りついた。
 それはすなわち、いついかなる時にでもこいつは好きなように俺に不正プログラムを感染させることが出来たってことだ。
 俺が真実を察したことに感付いたのか、グリフィンはしたり顔で言う。
 
「さて。天樹の塔で行われていた貴様の肉体の分析結果から、貴様が不正プログラムに感染した時刻が判明した。それをこの記録映像の時刻に重ね合わせてみようじゃないか」

 楽しげに思い出を振り返るような調子でグリフィンがそう言う。
 そして映し出された映像を見て俺は愕然がくぜんとした。
 死ぬ思いで上級種どもを倒したその夜、つかれ果てて眠っている間に俺は不正プログラムに感染していたんだ。
 その翌日、首の後ろに痛みを感じた時はすでに俺の体はむしばまれていた。
 ダニになったグリフィンの野郎に首の後ろをまれたんだろう。
 吐き気がするぜ。

「……クソ野郎にまんまとハメられたってわけか。自分のマヌケさに失望したぜ」
「そんなおのれ卑下ひげすることはない。貴様は十分に役に立ってくれた。貴様のマヌケさのおかげで私は大助かりだ」
「黙れぇぇぇぇぇっ!」
 
 怒りを抑え切れずに俺が叫んだその時、目の前に奇妙なシステム・ウインドウが浮かび上がった。
 真っ黒なウインドウには桃色の文字が浮かび上がる。

【HA……】

 だが、一瞬だけ現れたそのウインドウはけむりのようにすぐに消えてしまった。
 何なんだ?
 ワケが分からず戸惑う俺の目の前で、グリフィンは低い声でうなって首をひねった。

「むぅ……単純な怒りでは馬脚をあらわさんか」
「何なんだ今のは?」
「言っただろう? 貴様の首輪の中にかぎが隠されていると。だが厄介やっかいなことに、そのかぎを取り出すための暗号が必要なんだ。その暗号は貴様の感情の中に隠されていると俺は感付いたんだ」
 
 感情の中に隠された暗号?
 いよいよ理解しがたい話になってきたぞ。
 そう思ったその時、俺はグリフィンの後方に浮かぶ映像にある変化を見て取った。

『ガァァァァァッ!』
『くそっ!』

 それはとりででの上級種どもとの戦いの最中のことだった。
 ティナの体に発動した天使長の防御プログラムが限界を迎えて、気を失ったティナの背後からアヴァンが襲いかかって来た場面だ。
 そこでティナを抱え上げて後方に逃れた俺の背後に、ウインドウが浮かび上がっていた。

【H……】

 あんなもんが出ていたのか?
 その時は必死で俺はまったく気が付かなかったが、それは今しがた一瞬だけ現れて消えたウインドウと同じものだった。
 
「貴様は今まで気付かなかったようだが、俺が監視している最中、少なくとも三回はあのウインドウが現れていた。それは貴様がひどく感情的になった時にだけ現れたんだ。天使長様は防御システムのかぎを首輪から取り出すための暗号を、貴様の感情プログラムの中に設定したようだ。なぜそうしたのか、その意図するとこは分からんがな……だが」

 そう言うとグリフィンは指を鳴らし、映像を切り替える。
 その画面には取調室のような部屋で、うつむいたまま椅子いすに座るティナの姿が映し出されていた。

「ティナ……」

 ティナはその取調室のような場所の壁に設置された大型のモニターを見つめていた。
 その顔は不安げで、疲れ切ったような色がにじんでいる。
 そしてティナが見つめるモニターの中には、ろうるされた俺の姿が映し出されていた。
 俺は不快感を覚え、怒りを押し殺してグリフィンに向け声をしぼり出す。

「てめえ……何のつもりだ?」
「あらためて先ほどの映像を見て、気付いたことがある。あの奇妙なウインドウが現れるのは、貴様がティナに関わることで感情をあらわにした時のようだ。それならば私には打つ手がある。試してみるか」

 そう言うとグリフィンはニヤリと笑みを浮かべた。
 それは狡猾こうかつさにゆがんだ微笑みだった。

「バレット。今から貴様の体を試運転する。よく見ていろ。私は貴様の体をうまく使って見せるぞ」
「待ちやがれ!」

 俺の制止の声が響く前に、グリフィンの姿が唐突に目の前から消えた。
 あの野郎……一体何をするつもりだ。
 そういぶかしむ俺の目の前のビジョンの中で、不意にティナがビクッと肩を震わせて両目を大きく見開いた。
 そんなティナの顔が見る見るうちに青ざめ、そのくちびるが小刻みに震え出す。
 
 そしてティナが見つめるモニターの中で、物言わぬむくろとなっていたはずの俺の体がモゾモゾと動き始めたんだ。
 それからすぐにボソボソとくぐもった声が聞こえてきた。
 その声がティナをいちじるしく動揺させている。
 
 今にも泣き出しそうなほど目に涙を浮かべたティナがガタンと椅子いすを倒して立ち上がる中、あいつを動揺させるその声が俺の耳にも届いた。
 それはモニターの中で身じろぎしている俺の体から聞こえてくる声だった。

『ティナ……俺を裏切りやがって。絶対に許せねえ』

 俺は自分の耳を疑った。
 その声は……確かに俺自身の声だった。
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