58 / 76
最終章 桃炎の誓い
第8話 バーンナップ・ゲージ
しおりを挟む
【Burn up gauge】
俺のライフゲージの下に唐突に表示されたその新たなゲージにはそう記されていた。
バーンナップ・ゲージ?
何だこりゃ?
それにさっきの魔力の爆発は……ん?
そこで俺は自分の右腕に猛烈な熱を感じた。
目をやると右腕に溶け込むように貼り付いた腕章が赤く輝きを放っている。
それはかつて天使長イザベラが魔王になる前の悪魔ドレイクに贈ったものだった。
ティナの奴が俺に似合うからと強引に俺の腕に巻きやがったんだ。
これを装備したことで俺の全ステータスがアップしたから、俺もそれで良しとしていたが、今起きているこの異変は一体どういうことだ?
もしかしたらこのバーンナップ・ゲージとかいう表示と関係があるのか?
ゲージはライフゲージとは異なり空の状態だが、その枠が今のこの腕章と同じく紅蓮の輝きを放っている。
これは……俺の炎の色と同じだ。
「妙な技を。本当に不可解な男だ」
冷たく苛立ったグリフィンの声が響く。
俺はハッとしてすぐに立ち上がった。
俺の前方には、さっきの爆発の影響で床に落としてしまった長槍と俺が蹴り飛ばした水鏡の盾を拾い上げるグリフィンの姿がある。
奴に隙を見せねえよう、俺も即座に戦闘態勢を取った。
それにしても腕章がこの身に起こしている変化のせいか、体がやけに熱い。
だがそれは決して嫌な熱さではなく、むしろ気分を高揚させるような熱さだった。
その熱が切り裂かれた脇腹の痛みを消してくれる。
俺は奮い立つ戦意のままに拳を握りしめてグリフィンと対峙した。
「いくぞオラッ!」
先ほどまでと変わらずに水流の動きでグリフィンを撹乱するように動き回りながら、俺は攻撃を仕掛けていく。
水浸しだった床は徐々に乾き始めていたが、すでに水流の動きのコツを掴んでいる俺は変わらぬ速度で動き続けた。
灼熱鴉や噴熱間欠泉でグリフィンを牽制しつつ、奴の繰り出してくる長槍を懸命に避ける。
そうした攻防を繰り返しているうちに、ある現象が起きていることに俺は気が付いた。
ライフゲージの下に新たに表示されているバーンナップ・ゲージに少しずつエネルギーが充填され始めたんだ。
それは俺が攻撃を繰り出したり、相手の攻撃を避けたりする度に少しずつ貯まっていき、やがて満タンの半分ほどまで蓄積されていった。
グリフィンの奴はそのことに何の反応も見せないから、おそらくこれはライフゲージと違って俺にしか見えないんだろう。
このゲージが満タンになると一体どうなるんだ?
内心でそうした疑問を持ちながらも、俺の気分は次第に昂ぶっていく。
まだ見ぬ自分の変化がどのような作用をこの身にもたらすのか、それを心待ちにしているような気分だ。
そんな俺とは対照的にグリフィンは面白くなさそうな顔で俺を睨む。
「貴様……まだ何か力を隠し持っているのか。なぜだ? 単なる一NPCに過ぎぬ貴様が。それも下級悪魔の分際で」
グリフィンは腑に落ちないといった様子でふいに立ち止まると、長槍を構えようともせずに呆然と立ち尽くした。
俺自身も分からねえが、これがドレイクの腕章に隠された力なのかもしれない。
腕章なんて気取っていて俺に似合う代物じゃないと思っていたが、奴を倒すための力になってくれるなら何でもいい。
「ゴチャゴチャ言ってる暇はねえぞコラッ!」
俺は奴に回復の時間を与えないために、すぐに襲いかかった。
だが、グリフィンは呆然とこちらを見据えたまま、槍も盾も構えようとしない。
俺は構わずに奴の横っ面を先ほど同様にぶん殴ってやった。
俺の拳をまともに受けたグリフィンが真横に吹き飛ぶ。
何だ?
グリフィンの野郎、不正プログラムも使わずにあまりにも無抵抗だ。
奴のおかしな様子に戸惑う俺だが、考えている暇はねえ。
一気に決めるぜ。
俺は得意の連続技でグリフィンを攻めまくった。
次々と拳や蹴りが決まり、グリフィンのライフが見る見るうちに減っていく。
それとは対照的に俺のバーンナップ・ゲージが満タンに向かってどんどん蓄積されていく。
俺は噴き出すアドレナリンの勢いに任せて手を緩めずに攻め続けた。
そしてグリフィンのライフがいよいよ危険領域まで減少すると、俺は全ての魔力を右手に込めた。
俺の右拳に必殺の炎が宿る。
俺は全身全霊を込めた拳を下から思い切り振り上げた。
「火だるまになっちまいな! 噴殺炎獄拳!」
燃え盛る拳がグリフィンの胸に食い込んだ……かのように見えたその時、にわかには信じ難いことがグリフィンの身に起きたんだ。
「なっ……」
奴の胸をえぐるはずだった拳は、グリフィンの手で受け止められていた。
それは長槍を持つ左手でも水鏡の盾を持つ右手でもない。
グリフィンの胸の中から唐突に生えてきた第3の手によって。
胸から手が生える?
そういうスキルなのか?
そう思った俺だが、すぐにその考えを改めることとなった。
その第3の手が不正プログラム特有のバグで揺らいでいたからだ。
またしても不正プログラムの力か。
やはりそういうことかよ。
さらに奇怪な現象はそれだけにとどまらなかった。
グリフィンの胸のみならず、腹、肩、太もも、さらには額からも次々と手が生えてきて俺の体のあちこちを掴みやがったんだ。
体中から何本も手を生やしたそれは異様な姿だった。
「気色悪いんだよ。てめえ……いよいよ化け物じみてきやがったな」
そう毒づくと俺はそれらの手から逃れようともがく。
だがその力は強く、さらにそれらの手の平は吸盤のように俺の体に密着して、力で外そうにも外れない。
まるであの海中で戦った大ダコの吸盤のようだ。
「放しやがれ! このタコ!」
「バレット。無力なくせに時折見せるおまえのその奇妙な抵抗力は何なんだ? おまえの力の源は何だ? これか?」
そう言うグリフィンの体から無数に生えている手のうちの一つが、俺の腕に貼り付いた腕章を掴もうとする。
だが、赤く燃えるような輝きを放つ腕章に触れた途端、グリフィンの手は炎に包まれてビクッと引っ込められた。
そしてその手は見る見るうちに黒く炭化してボロボロと崩れ去っていく。
それを見たグリフィンの顔が忌々しげに歪んだ。
「やはり貴様の背後には支援者がいるようだな。それが誰であるかはどうでもいい。だが、これ以上、貴様を化けさせると危険な存在になりそうだ。ここで永遠にその命の灯火を吹き消してやる」
そう言うとグリフィンは槍も盾も放り出し、いきなり俺の両肩を掴むと、あろうことかこの首すじに噛みついて来やがった。
思いもよらない原始的な行動に虚を突かれた俺は、奴の歯が首に食い込む痛みに思わず身をよじる。
「ぐっ……て、てめえ!」
それでもグリフィンは肉食獣さながらに俺の首にくらいついたまま離れない。
その力強さと吸着力の凄まじさは俺の体にまとわりついている無数の手と同様で、俺がどんなに振りほどこうと暴れてもビクともしない。
や、やばい……ライフが。
首すじから血が流れ落ち、俺のライフが徐々に削られていく。
くそっ!
このままじゃ命が吸い尽くされる。
こんなクソ野郎に噛みつかれて死ぬなんて、冗談じゃねえぞ。
俺は再び焔雷を起こすべく体中の魔力を放出しようとした。
だが……。
「ぐぅ……」
急激な脱力感に体中を苛まれ、魔力を高めることが出来ない。
何だこれは?
目まいで視界がグラグラと揺れている。
そんな俺の揺れる視界の中に、コマンド・ウインドウが表示され、意味不明な文字列が並ぶ。
ま、まさか……。
「ふ、不正プログラムをまた俺に……」
「前回は私が小さなダニの姿になってなっていたから、痛みも感じず気付くこともなかったな。だが今回はこの姿で直接、不正プログラムを流し込んでやる。それも大容量でな」
そう言うとグリフィンは再び俺の首すじに噛みついた。
鋭い痛みが首を刺すが、そんな痛みなど比べ物にならないほどの激痛が俺の全身を苛む。
まるで鋭いガラスの破片が血管の中を暴れ回っているかのように、指先から頭のてっぺんまでが激痛に包まれていた。
「ぐぅぅぅぅああああああっ!」
耐え難い苦痛に俺はたまらずに声を上げた。
全身に猛毒が回るかのように不正プログラムが俺の体中に染み渡っていく。
だが、俺の体は一度不正プログラムに感染し、そしてティナの修復術を受けて正常化された。
ティナが前に言っていたことだが、一度正常化された肉体には不正プログラムに対する抗体が生成されるため、二度と不正プログラムには感染しないということだった。
俺の体には断絶凶刃の効果がまだ残っているとはいえ、その抗体が存在するはずだ。
不正プログラムに再感染することはない。
そのことをグリフィンが知らねえはずはねえ。
だが奴は俺の首すじから口を放すと、唇に付着した俺の血を舐め取りながら、おぞましくも嬉々とした表情で俺の苦しむ様子を眺めて言う。
「ほう。私も初めて見るが、これが抗体の効果か。大したものだ。貴様の体に不正プログラムが根付くのを必死に防いでいる。今の貴様の苦しみはその反作用だ」
そこにはかつての分析官としてのグリフィンの顔があった。
この野郎。
人がもがき苦しむのを見てニヤニヤ笑っていやがる。
いい趣味だぜ。
くそったれめ。
「ティナの亡骸から修復術のプログラムを取り出せないのであれば、貴様の体から抗体を摘出して分析するという手もあるな。これは盲点だった」
「この上、俺の体までいじくり回そうってのか? この変態野郎が」
「随分な言われようだ。それだけ苦しみながらも減らず口を叩ける根性は認めるがな」
そう言うグリフィンの額から生えている手が、今も血が溢れ出す俺の首すじに触れた。
そしてその指先が傷をえぐる。
「ぐああああああっ!」
「ハッハッハ。強者には弱者を虐げ、自由に隷属させる権利がある。私が貴様を打ち負かし、その遺体をどう使おうと私の勝手だろう? 違うかね。炎獄鬼殿」
グリフィンはさも当然と胸を張り、俺の傷をえぐり続ける。
出血も止まらず、俺は歯を食いしばって耐えるが、ライフがとうとう危険領域まで減り、ライフ低下の警告がコマンド・ウインドウに表示された。
激痛で目が霞み、意識があやふやになってくる。
まずい。
このまま気を失えばジ・エンドだ。
俺は必死に目を見開き、意識が飛ばないように堪える。
グリフィンの肩越しに見える俺の視線の先には、角柱から突き出している配管にぶら下げられたティナの姿がある。
ティナは死んでもグリフィンの奴に魂を渡さずにいる。
俺にはもちろん防御プログラムなんて備えられていないから、死ねばこの体をグリフィンにいいように解剖され、抗体とやらを奪われちまうだろう。
情けねえ。
そう歯を食いしばった俺は、ティナの亡骸の近くで何か光る長細い物がヒラヒラと揺れているのを見た。
……何だありゃ?
よく見るとそれは桃色の光を放つ一本の縄だった。
どこかで見た光景だと思ったら、NPC墓場で天使長イザベラが用意した光の糸と似たようなものだった。
それはティナの体から宙を舞い……いや、違う。
逆だな。
その縄が今、生き物のようにうねりながらティナの体に到達したところだった。
それはどこからかティナの体に向かって伸びていたんだ。
一体どこから……。
俺はその縄を目で辿る。
そしてすぐに気が付いた。
その縄の発信元が俺の体だということに。
正確には俺の太ももに巻かれたレッグ・カバーが桃色の光を放ち、そこから光の縄が発生しているんだ。
それはティナが俺の胴着の破れた部分への当て布として拵えたものだ。
ティナの奴はこのレッグ・カバーには何の機能も搭載されていないと言っていた。
ただの飾りじゃなかったのか?
そこで俺はNPC墓場での別れ際に天使長イザベラが言っていたことを思い返した。
― バレット様。ティナがあなたに贈ったレッグ・カバー。困った時には頼ってみて下さい。きっとあなたの助けになると思いますよ。 ―
そういうことか。
ここに隠されていたのは海竜の笛だけじゃなかったんだ。
俺の視線の動きに気付いたグリフィンが、俺を痛めつける手を止めて、訝しむように振り返って後方を窺う。
その視線の先では、桃色の縄に触れたティナの体が、同じように桃色に輝き始めていた。
「何だ? 今度は何が起きている?」
苛立つ声でそう言いながらティナを見つめるグリフィンを尻目に、俺の視界の中でも変化が起きていた。
光り輝く桃色の縄でティナと繋がった途端、文字化けしていたコマンド・ウインドウのバグ表示が正常化していき、別の文字が表示される。
【H……A……R……M】
HARM。
それはグリフィンがティナの修復術を盗み出すために、第一防壁を破るパスワードとして使った【危害】という意味の言葉だった。
なぜ今その言葉が……ん?
そこで俺は目を見張った。
ウインドウにその文字の続きが表示され始めたんだ。
【……O……N……Y】
HARMONY。
コマンド・ウインドウには確かにそう表示されていた。
俺のライフゲージの下に唐突に表示されたその新たなゲージにはそう記されていた。
バーンナップ・ゲージ?
何だこりゃ?
それにさっきの魔力の爆発は……ん?
そこで俺は自分の右腕に猛烈な熱を感じた。
目をやると右腕に溶け込むように貼り付いた腕章が赤く輝きを放っている。
それはかつて天使長イザベラが魔王になる前の悪魔ドレイクに贈ったものだった。
ティナの奴が俺に似合うからと強引に俺の腕に巻きやがったんだ。
これを装備したことで俺の全ステータスがアップしたから、俺もそれで良しとしていたが、今起きているこの異変は一体どういうことだ?
もしかしたらこのバーンナップ・ゲージとかいう表示と関係があるのか?
ゲージはライフゲージとは異なり空の状態だが、その枠が今のこの腕章と同じく紅蓮の輝きを放っている。
これは……俺の炎の色と同じだ。
「妙な技を。本当に不可解な男だ」
冷たく苛立ったグリフィンの声が響く。
俺はハッとしてすぐに立ち上がった。
俺の前方には、さっきの爆発の影響で床に落としてしまった長槍と俺が蹴り飛ばした水鏡の盾を拾い上げるグリフィンの姿がある。
奴に隙を見せねえよう、俺も即座に戦闘態勢を取った。
それにしても腕章がこの身に起こしている変化のせいか、体がやけに熱い。
だがそれは決して嫌な熱さではなく、むしろ気分を高揚させるような熱さだった。
その熱が切り裂かれた脇腹の痛みを消してくれる。
俺は奮い立つ戦意のままに拳を握りしめてグリフィンと対峙した。
「いくぞオラッ!」
先ほどまでと変わらずに水流の動きでグリフィンを撹乱するように動き回りながら、俺は攻撃を仕掛けていく。
水浸しだった床は徐々に乾き始めていたが、すでに水流の動きのコツを掴んでいる俺は変わらぬ速度で動き続けた。
灼熱鴉や噴熱間欠泉でグリフィンを牽制しつつ、奴の繰り出してくる長槍を懸命に避ける。
そうした攻防を繰り返しているうちに、ある現象が起きていることに俺は気が付いた。
ライフゲージの下に新たに表示されているバーンナップ・ゲージに少しずつエネルギーが充填され始めたんだ。
それは俺が攻撃を繰り出したり、相手の攻撃を避けたりする度に少しずつ貯まっていき、やがて満タンの半分ほどまで蓄積されていった。
グリフィンの奴はそのことに何の反応も見せないから、おそらくこれはライフゲージと違って俺にしか見えないんだろう。
このゲージが満タンになると一体どうなるんだ?
内心でそうした疑問を持ちながらも、俺の気分は次第に昂ぶっていく。
まだ見ぬ自分の変化がどのような作用をこの身にもたらすのか、それを心待ちにしているような気分だ。
そんな俺とは対照的にグリフィンは面白くなさそうな顔で俺を睨む。
「貴様……まだ何か力を隠し持っているのか。なぜだ? 単なる一NPCに過ぎぬ貴様が。それも下級悪魔の分際で」
グリフィンは腑に落ちないといった様子でふいに立ち止まると、長槍を構えようともせずに呆然と立ち尽くした。
俺自身も分からねえが、これがドレイクの腕章に隠された力なのかもしれない。
腕章なんて気取っていて俺に似合う代物じゃないと思っていたが、奴を倒すための力になってくれるなら何でもいい。
「ゴチャゴチャ言ってる暇はねえぞコラッ!」
俺は奴に回復の時間を与えないために、すぐに襲いかかった。
だが、グリフィンは呆然とこちらを見据えたまま、槍も盾も構えようとしない。
俺は構わずに奴の横っ面を先ほど同様にぶん殴ってやった。
俺の拳をまともに受けたグリフィンが真横に吹き飛ぶ。
何だ?
グリフィンの野郎、不正プログラムも使わずにあまりにも無抵抗だ。
奴のおかしな様子に戸惑う俺だが、考えている暇はねえ。
一気に決めるぜ。
俺は得意の連続技でグリフィンを攻めまくった。
次々と拳や蹴りが決まり、グリフィンのライフが見る見るうちに減っていく。
それとは対照的に俺のバーンナップ・ゲージが満タンに向かってどんどん蓄積されていく。
俺は噴き出すアドレナリンの勢いに任せて手を緩めずに攻め続けた。
そしてグリフィンのライフがいよいよ危険領域まで減少すると、俺は全ての魔力を右手に込めた。
俺の右拳に必殺の炎が宿る。
俺は全身全霊を込めた拳を下から思い切り振り上げた。
「火だるまになっちまいな! 噴殺炎獄拳!」
燃え盛る拳がグリフィンの胸に食い込んだ……かのように見えたその時、にわかには信じ難いことがグリフィンの身に起きたんだ。
「なっ……」
奴の胸をえぐるはずだった拳は、グリフィンの手で受け止められていた。
それは長槍を持つ左手でも水鏡の盾を持つ右手でもない。
グリフィンの胸の中から唐突に生えてきた第3の手によって。
胸から手が生える?
そういうスキルなのか?
そう思った俺だが、すぐにその考えを改めることとなった。
その第3の手が不正プログラム特有のバグで揺らいでいたからだ。
またしても不正プログラムの力か。
やはりそういうことかよ。
さらに奇怪な現象はそれだけにとどまらなかった。
グリフィンの胸のみならず、腹、肩、太もも、さらには額からも次々と手が生えてきて俺の体のあちこちを掴みやがったんだ。
体中から何本も手を生やしたそれは異様な姿だった。
「気色悪いんだよ。てめえ……いよいよ化け物じみてきやがったな」
そう毒づくと俺はそれらの手から逃れようともがく。
だがその力は強く、さらにそれらの手の平は吸盤のように俺の体に密着して、力で外そうにも外れない。
まるであの海中で戦った大ダコの吸盤のようだ。
「放しやがれ! このタコ!」
「バレット。無力なくせに時折見せるおまえのその奇妙な抵抗力は何なんだ? おまえの力の源は何だ? これか?」
そう言うグリフィンの体から無数に生えている手のうちの一つが、俺の腕に貼り付いた腕章を掴もうとする。
だが、赤く燃えるような輝きを放つ腕章に触れた途端、グリフィンの手は炎に包まれてビクッと引っ込められた。
そしてその手は見る見るうちに黒く炭化してボロボロと崩れ去っていく。
それを見たグリフィンの顔が忌々しげに歪んだ。
「やはり貴様の背後には支援者がいるようだな。それが誰であるかはどうでもいい。だが、これ以上、貴様を化けさせると危険な存在になりそうだ。ここで永遠にその命の灯火を吹き消してやる」
そう言うとグリフィンは槍も盾も放り出し、いきなり俺の両肩を掴むと、あろうことかこの首すじに噛みついて来やがった。
思いもよらない原始的な行動に虚を突かれた俺は、奴の歯が首に食い込む痛みに思わず身をよじる。
「ぐっ……て、てめえ!」
それでもグリフィンは肉食獣さながらに俺の首にくらいついたまま離れない。
その力強さと吸着力の凄まじさは俺の体にまとわりついている無数の手と同様で、俺がどんなに振りほどこうと暴れてもビクともしない。
や、やばい……ライフが。
首すじから血が流れ落ち、俺のライフが徐々に削られていく。
くそっ!
このままじゃ命が吸い尽くされる。
こんなクソ野郎に噛みつかれて死ぬなんて、冗談じゃねえぞ。
俺は再び焔雷を起こすべく体中の魔力を放出しようとした。
だが……。
「ぐぅ……」
急激な脱力感に体中を苛まれ、魔力を高めることが出来ない。
何だこれは?
目まいで視界がグラグラと揺れている。
そんな俺の揺れる視界の中に、コマンド・ウインドウが表示され、意味不明な文字列が並ぶ。
ま、まさか……。
「ふ、不正プログラムをまた俺に……」
「前回は私が小さなダニの姿になってなっていたから、痛みも感じず気付くこともなかったな。だが今回はこの姿で直接、不正プログラムを流し込んでやる。それも大容量でな」
そう言うとグリフィンは再び俺の首すじに噛みついた。
鋭い痛みが首を刺すが、そんな痛みなど比べ物にならないほどの激痛が俺の全身を苛む。
まるで鋭いガラスの破片が血管の中を暴れ回っているかのように、指先から頭のてっぺんまでが激痛に包まれていた。
「ぐぅぅぅぅああああああっ!」
耐え難い苦痛に俺はたまらずに声を上げた。
全身に猛毒が回るかのように不正プログラムが俺の体中に染み渡っていく。
だが、俺の体は一度不正プログラムに感染し、そしてティナの修復術を受けて正常化された。
ティナが前に言っていたことだが、一度正常化された肉体には不正プログラムに対する抗体が生成されるため、二度と不正プログラムには感染しないということだった。
俺の体には断絶凶刃の効果がまだ残っているとはいえ、その抗体が存在するはずだ。
不正プログラムに再感染することはない。
そのことをグリフィンが知らねえはずはねえ。
だが奴は俺の首すじから口を放すと、唇に付着した俺の血を舐め取りながら、おぞましくも嬉々とした表情で俺の苦しむ様子を眺めて言う。
「ほう。私も初めて見るが、これが抗体の効果か。大したものだ。貴様の体に不正プログラムが根付くのを必死に防いでいる。今の貴様の苦しみはその反作用だ」
そこにはかつての分析官としてのグリフィンの顔があった。
この野郎。
人がもがき苦しむのを見てニヤニヤ笑っていやがる。
いい趣味だぜ。
くそったれめ。
「ティナの亡骸から修復術のプログラムを取り出せないのであれば、貴様の体から抗体を摘出して分析するという手もあるな。これは盲点だった」
「この上、俺の体までいじくり回そうってのか? この変態野郎が」
「随分な言われようだ。それだけ苦しみながらも減らず口を叩ける根性は認めるがな」
そう言うグリフィンの額から生えている手が、今も血が溢れ出す俺の首すじに触れた。
そしてその指先が傷をえぐる。
「ぐああああああっ!」
「ハッハッハ。強者には弱者を虐げ、自由に隷属させる権利がある。私が貴様を打ち負かし、その遺体をどう使おうと私の勝手だろう? 違うかね。炎獄鬼殿」
グリフィンはさも当然と胸を張り、俺の傷をえぐり続ける。
出血も止まらず、俺は歯を食いしばって耐えるが、ライフがとうとう危険領域まで減り、ライフ低下の警告がコマンド・ウインドウに表示された。
激痛で目が霞み、意識があやふやになってくる。
まずい。
このまま気を失えばジ・エンドだ。
俺は必死に目を見開き、意識が飛ばないように堪える。
グリフィンの肩越しに見える俺の視線の先には、角柱から突き出している配管にぶら下げられたティナの姿がある。
ティナは死んでもグリフィンの奴に魂を渡さずにいる。
俺にはもちろん防御プログラムなんて備えられていないから、死ねばこの体をグリフィンにいいように解剖され、抗体とやらを奪われちまうだろう。
情けねえ。
そう歯を食いしばった俺は、ティナの亡骸の近くで何か光る長細い物がヒラヒラと揺れているのを見た。
……何だありゃ?
よく見るとそれは桃色の光を放つ一本の縄だった。
どこかで見た光景だと思ったら、NPC墓場で天使長イザベラが用意した光の糸と似たようなものだった。
それはティナの体から宙を舞い……いや、違う。
逆だな。
その縄が今、生き物のようにうねりながらティナの体に到達したところだった。
それはどこからかティナの体に向かって伸びていたんだ。
一体どこから……。
俺はその縄を目で辿る。
そしてすぐに気が付いた。
その縄の発信元が俺の体だということに。
正確には俺の太ももに巻かれたレッグ・カバーが桃色の光を放ち、そこから光の縄が発生しているんだ。
それはティナが俺の胴着の破れた部分への当て布として拵えたものだ。
ティナの奴はこのレッグ・カバーには何の機能も搭載されていないと言っていた。
ただの飾りじゃなかったのか?
そこで俺はNPC墓場での別れ際に天使長イザベラが言っていたことを思い返した。
― バレット様。ティナがあなたに贈ったレッグ・カバー。困った時には頼ってみて下さい。きっとあなたの助けになると思いますよ。 ―
そういうことか。
ここに隠されていたのは海竜の笛だけじゃなかったんだ。
俺の視線の動きに気付いたグリフィンが、俺を痛めつける手を止めて、訝しむように振り返って後方を窺う。
その視線の先では、桃色の縄に触れたティナの体が、同じように桃色に輝き始めていた。
「何だ? 今度は何が起きている?」
苛立つ声でそう言いながらティナを見つめるグリフィンを尻目に、俺の視界の中でも変化が起きていた。
光り輝く桃色の縄でティナと繋がった途端、文字化けしていたコマンド・ウインドウのバグ表示が正常化していき、別の文字が表示される。
【H……A……R……M】
HARM。
それはグリフィンがティナの修復術を盗み出すために、第一防壁を破るパスワードとして使った【危害】という意味の言葉だった。
なぜ今その言葉が……ん?
そこで俺は目を見張った。
ウインドウにその文字の続きが表示され始めたんだ。
【……O……N……Y】
HARMONY。
コマンド・ウインドウには確かにそう表示されていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
老衰で死んだ僕は異世界に転生して仲間を探す旅に出ます。最初の武器は木の棒ですか!? 絶対にあきらめない心で剣と魔法を使いこなします!
菊池 快晴
ファンタジー
10代という若さで老衰により病気で死んでしまった主人公アイレは
「まだ、死にたくない」という願いの通り異世界転生に成功する。
同じ病気で亡くなった親友のヴェルネルとレムリもこの世界いるはずだと
アイレは二人を探す旅に出るが、すぐに魔物に襲われてしまう
最初の武器は木の棒!?
そして謎の人物によって明かされるヴェネルとレムリの転生の真実。
何度も心が折れそうになりながらも、アイレは剣と魔法を使いこなしながら
困難に立ち向かっていく。
チート、ハーレムなしの王道ファンタジー物語!
異世界転生は2話目です! キャラクタ―の魅力を味わってもらえると嬉しいです。
話の終わりのヒキを重要視しているので、そこを注目して下さい!
****** 完結まで必ず続けます *****
****** 毎日更新もします *****
他サイトへ重複投稿しています!
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
最強剣士が転生した世界は魔法しかない異世界でした! ~基礎魔法しか使えませんが魔法剣で成り上がります~
渡琉兎
ファンタジー
政権争いに巻き込まれた騎士団長で天才剣士のアルベルト・マリノワーナ。
彼はどこにも属していなかったが、敵に回ると厄介だという理由だけで毒を盛られて殺されてしまった。
剣の道を極める──志半ばで死んでしまったアルベルトを不憫に思った女神は、アルベルトの望む能力をそのままに転生する権利を与えた。
アルベルトが望んだ能力はもちろん、剣術の能力。
転生した先で剣の道を極めることを心に誓ったアルベルトだったが──転生先は魔法が発展した、魔法師だらけの異世界だった!
剣術が廃れた世界で、剣術で最強を目指すアルベルト──改め、アル・ノワールの成り上がり物語。
※アルファポリス、カクヨム、小説家になろうにて同時掲載しています。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@2025/11月新刊発売予定!
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
《作者からのお知らせ!》
※2025/11月中旬、 辺境領主の3巻が刊行となります。
今回は3巻はほぼ全編を書き下ろしとなっています。
【貧乏貴族の領地の話や魔導車オーディションなど、】連載にはないストーリーが盛りだくさん!
※また加筆によって新しい展開になったことに伴い、今まで投稿サイトに連載していた続話は、全て取り下げさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる