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第126話 ショーナの決意
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別荘の寝室から浴室に向かうためチェルシーが立ち去り、ひとり部屋に残されたショーナは大きく息を吐いた。
王国を離反して逃亡したジュードは、捕まれば罰せられることになる。
(だけどもう1人、罰せられるべき者がいる……ワタシだ)
ジュードの脱走を知りながらそれを見過ごし、あまつさえ手助けまでした。
これは重罪だった。
先ほどのジュードの件を兄であるジャイルズ王に報告するとチェルシーが口にした時、ショーナは思わず喉元まで言葉が出かかった。
罰せられるべきは自分も同じだと。
だが、思いとどまった。
我が身かわいさ……というのももちろんある。
だが、このことをチェルシーに告げれば、苦しみをチェルシーにまで伝染させてしまうことになる。
かつてジュードの脱走に加担した。
ショーナがそんなことをしたと知ればチェルシーは思い悩むだろう。
そうなればショーナを告発しなければならないが、幼い頃から共にいる姉のような存在の女を処刑台に送り込んで平気でいられるチェルシーではない。
そのことはショーナもよく分かっている。
さらに悪いことにチェルシーはショーナをかばってそのことを黙っているかもしれない。
そうなればチェルシーは罪の意識を抱えるだけではなく、ショーナと共に罪そのものをかぶることになる。
もちろんその場合、事が発露すればチェルシーにも咎が及ぶだろう。
(絶対に言えない……)
ジュード脱走の件については自分1人が抱え込むべき事柄だ。
もしジュードがこの先、捕まってしまうようなことがあれば、彼が受ける拷問が少しでも軽くなるよう、自ら罪を告白しよう。
ショーナはそう心に決めた。
それらは……自分を慈しんでくれた亡き先代クローディアへのせめてもの罪滅ぼしだった。
(先代。チェルシー様を止めようとしなかったのはワタシです。本当ならば彼女を諭し、その悲しみが憎しみに変わらぬよう支えるべきだったのに、ワタシは自分が悲しみに暮れるばかりでそれをしなかった。チェルシー様に復讐の人生を歩ませてしまったのはワタシの責任です。その報いはいつか必ずこの身で受けます)
ショーナは1人そう心に決めると、チェルシーの待つ浴室へと向かうのだった。
その顔にもう迷いの色はなかった。
☆☆☆☆☆☆
湯煙の中、銀色の美しい髪を湯ですすぎながらチェルシーは昔のことを思い返していた。
朧げだが、母である先代クローディアに優しく髪を洗ってもらったことを覚えている。
後に聞いた話によれば、そんなことは侍女に任せればいいと周囲から言われていたにも関わらず、母は自らの手でチェルシーの面倒をよく見てくれていたのだ。
おそらく先の短い自分の命を感じ、出来る限り娘に寄り添おうとしてくれたのだろう。
母が亡くなってしまったのはまだチェルシーが2歳になる前だったから、全ての記憶は朧げで断片的でしかない。
それでも母のことを思い出すといつもそうして温かな思いが胸に滲むのだが、その後はいつも同じように深い悲しみに囚われる。
どうしても思い出してしまうのだ。
母が亡くなったあの日のことを。
あまりにも幼かったにも関わらず、その時のことは強烈に記憶に残っていた。
☆☆☆☆☆☆
朧げな記憶の中、覚えているのは寝台に横たわる母の姿だった。
周りにはショーナを含めた何人かの人間がいて、必死に母に呼びかけていた。
チェルシーが近付くと母はいつものように手を差し伸べてくれた。
だが、その手の動きはひどく緩慢で小刻みに震えていた。
そしていつも優しい眼差しを向けてくれていた母の目が、この日は違うことにチェルシーは気が付いた。
虚ろな目をチェルシーに向けて母はこう言ったのだ。
「ああ……レジーナ……会いに来てくれたのね……嬉しいわ……レジーナ」
レジーナ。
それが自分の姉であり、後の第7代クローディアの幼名であるとは、この時のチェルシーには分からなかった。
だが、母が自分を見て別の者の名を呼んでいるという事実が受け入れ難いほどに悲しかった。
「ワタシ……チェルシーよ。母様。レジーナじゃないわ」
そう言っても母はレジーナという名をうわ言のように繰り返すばかりで、やがてその目から光は失われていった。
死というものが何か分かっていなかったその時のチェルシーにも、その目から光が消え、その体が動かなくなった母がどこか遠くへ行ってしまったのだと分かった。
その後、月日は流れて少しずつ成長していくにつれ、チェルシーは悲しみが胸の中で重く、大きくなっていくのを感じ続けたのだ。
母が残した日記から、レジーナというのが姉のことであることはすぐに分かった。
母が死の間際にすぐ傍にいた自分ではなく、この国や母や自分を捨てて遠く離れていった姉の名を呼んだという事実が、チェルシーにはどうしても受け入れられなかった。
そのことはチェルシーの心に拭い切れぬほど暗い影を落としたのだ。
やがて深い悲しみは……姉への強い恨みへ変わっていく。
チェルシーが10歳になる頃にはすでに、彼女の胸には復讐の鬼が巣食っていたのだった。
☆☆☆☆☆☆
追憶から我に返ったチェルシーは、浴室の壁に貼られた鏡に映る、鬼のような形相の自分の顔を見つめていた。
あまりにも幼かったはずなのに、あまりにも悲しい思い出として強烈に印象に残っている。
そんな母の死に思いを馳せると、チェルシーはいつも顎が痛くなるほど歯を食いしばってしまうのだ。
「チェルシー様。入ります」
その時、その言葉とともに浴室の扉が開いて黒髪の女性が入ってくる。
ショーナだ。
その美しい黒髪とは対照的に、その肌は白く透き通るような美しさで、ショーナのどこか儚げな美貌を際立たせていた。
「また……思い出していたのですね」
ショーナはチェルシーの表情を見ると、自身も少し沈んだ顔でそう言った。
「ええ……これはもう呪いね」
そう言うとチェルシーは自嘲気味に笑う。
もうその恨みや憎しみに縛られることなく、忘れて生きたほうが幸せだ。
ショーナは以前、そう言ってチェルシーを激怒させたことがある。
自分の恨みはあなたには分からないと言われ、ショーナは確かにその通りだと思った。
ショーナとて先代の死には、悲しみの底に突き落とされるような思いをした。
親のいない自分をかわいがってくれた母親代わりのような人だったからだ。
だが、それが実の娘であるチェルシーが受けた悲しみよりも強いとは言えなかった。
「呪い……呪いはどうすれば解けますか?」
ショーナはそう言うとチェルシーの隣の洗い場で自身の体を洗い始めた。
彼女の言葉にチェルシーはしばし黙り込む。
そして手桶に汲んたお湯を頭からかぶると立ち上がった。
「きっと……解けないわね。姉さまに復讐を果たせば少しは……痛みが和らぐのかしら」
そう言うとチェルシーは湯船に浸かる。
そして考えるのだ。
(復讐を果たした後、ワタシは何をして生きるのか。それすらもどうでもいい)
今、彼女にとって生きる理由は復讐のためだけだ。
国王である兄には口が裂けても言えないが、国のことなどどうでもよかった。
彼女の心は王国にない。
それでもチェルシーは拳を強く握る。
「だけどねショーナ。ワタシはこの復讐を果たさないまま前に進むことは出来ないわ。クローディアの大事なものを奪い、彼女に己の罪を悔いさせてから、その首を刎ねる。その復讐が果たされた後、その後どうするのかは考えるわ」
そう言ったチェルシーの顔は強い決意に強張っていた。
それを見たショーナは、やはり自分ではチェルシーを変えることは出来ないと痛感する。
チェルシーの心に深々と刺さった悲しみの棘は、決して抜くことは出来ない。
長い時間をかけて積み重なった恨みは、簡単には消えはしないのだ。
(クローディアに直接会えば……チェルシー様の心は変わるだろうか。クローディアならばチェルシー様を変えてくれるだろうか)
チェルシーの恨みの対象であるクローディア。
いよいよ対面を果たしたとなった時に、チェルシーの心にどのような変化が起きるか。
それは劇薬に回復効果を期待するようなものだった。
下手をすれば治すどころか最悪の毒薬になりかねない。
きっとチェルシーは復讐を果たしても晴れやかな顔はしないだろう。
最愛の母を幼くして失い、かつては恋しく思っていた姉のクローディアを自らの手で討つ。
それを果たした時、彼女の胸に訪れるのは取り返しのつかない後悔か、果てしない虚無感なのではないか。
ショーナにはそう思えて仕方がない。
チェルシーがその本懐を遂げ、クローディアを葬った後に、どんな表情を見せるのか。
ショーナは恐ろしくてそれを想像することすら出来なかった。
(この子はもう自身の幸せを放棄してしまっている)
そのことが悲しくてたまらず、ショーナは体の震えを抑えるように静かに湯にその身を沈めるのだった。
王国を離反して逃亡したジュードは、捕まれば罰せられることになる。
(だけどもう1人、罰せられるべき者がいる……ワタシだ)
ジュードの脱走を知りながらそれを見過ごし、あまつさえ手助けまでした。
これは重罪だった。
先ほどのジュードの件を兄であるジャイルズ王に報告するとチェルシーが口にした時、ショーナは思わず喉元まで言葉が出かかった。
罰せられるべきは自分も同じだと。
だが、思いとどまった。
我が身かわいさ……というのももちろんある。
だが、このことをチェルシーに告げれば、苦しみをチェルシーにまで伝染させてしまうことになる。
かつてジュードの脱走に加担した。
ショーナがそんなことをしたと知ればチェルシーは思い悩むだろう。
そうなればショーナを告発しなければならないが、幼い頃から共にいる姉のような存在の女を処刑台に送り込んで平気でいられるチェルシーではない。
そのことはショーナもよく分かっている。
さらに悪いことにチェルシーはショーナをかばってそのことを黙っているかもしれない。
そうなればチェルシーは罪の意識を抱えるだけではなく、ショーナと共に罪そのものをかぶることになる。
もちろんその場合、事が発露すればチェルシーにも咎が及ぶだろう。
(絶対に言えない……)
ジュード脱走の件については自分1人が抱え込むべき事柄だ。
もしジュードがこの先、捕まってしまうようなことがあれば、彼が受ける拷問が少しでも軽くなるよう、自ら罪を告白しよう。
ショーナはそう心に決めた。
それらは……自分を慈しんでくれた亡き先代クローディアへのせめてもの罪滅ぼしだった。
(先代。チェルシー様を止めようとしなかったのはワタシです。本当ならば彼女を諭し、その悲しみが憎しみに変わらぬよう支えるべきだったのに、ワタシは自分が悲しみに暮れるばかりでそれをしなかった。チェルシー様に復讐の人生を歩ませてしまったのはワタシの責任です。その報いはいつか必ずこの身で受けます)
ショーナは1人そう心に決めると、チェルシーの待つ浴室へと向かうのだった。
その顔にもう迷いの色はなかった。
☆☆☆☆☆☆
湯煙の中、銀色の美しい髪を湯ですすぎながらチェルシーは昔のことを思い返していた。
朧げだが、母である先代クローディアに優しく髪を洗ってもらったことを覚えている。
後に聞いた話によれば、そんなことは侍女に任せればいいと周囲から言われていたにも関わらず、母は自らの手でチェルシーの面倒をよく見てくれていたのだ。
おそらく先の短い自分の命を感じ、出来る限り娘に寄り添おうとしてくれたのだろう。
母が亡くなってしまったのはまだチェルシーが2歳になる前だったから、全ての記憶は朧げで断片的でしかない。
それでも母のことを思い出すといつもそうして温かな思いが胸に滲むのだが、その後はいつも同じように深い悲しみに囚われる。
どうしても思い出してしまうのだ。
母が亡くなったあの日のことを。
あまりにも幼かったにも関わらず、その時のことは強烈に記憶に残っていた。
☆☆☆☆☆☆
朧げな記憶の中、覚えているのは寝台に横たわる母の姿だった。
周りにはショーナを含めた何人かの人間がいて、必死に母に呼びかけていた。
チェルシーが近付くと母はいつものように手を差し伸べてくれた。
だが、その手の動きはひどく緩慢で小刻みに震えていた。
そしていつも優しい眼差しを向けてくれていた母の目が、この日は違うことにチェルシーは気が付いた。
虚ろな目をチェルシーに向けて母はこう言ったのだ。
「ああ……レジーナ……会いに来てくれたのね……嬉しいわ……レジーナ」
レジーナ。
それが自分の姉であり、後の第7代クローディアの幼名であるとは、この時のチェルシーには分からなかった。
だが、母が自分を見て別の者の名を呼んでいるという事実が受け入れ難いほどに悲しかった。
「ワタシ……チェルシーよ。母様。レジーナじゃないわ」
そう言っても母はレジーナという名をうわ言のように繰り返すばかりで、やがてその目から光は失われていった。
死というものが何か分かっていなかったその時のチェルシーにも、その目から光が消え、その体が動かなくなった母がどこか遠くへ行ってしまったのだと分かった。
その後、月日は流れて少しずつ成長していくにつれ、チェルシーは悲しみが胸の中で重く、大きくなっていくのを感じ続けたのだ。
母が残した日記から、レジーナというのが姉のことであることはすぐに分かった。
母が死の間際にすぐ傍にいた自分ではなく、この国や母や自分を捨てて遠く離れていった姉の名を呼んだという事実が、チェルシーにはどうしても受け入れられなかった。
そのことはチェルシーの心に拭い切れぬほど暗い影を落としたのだ。
やがて深い悲しみは……姉への強い恨みへ変わっていく。
チェルシーが10歳になる頃にはすでに、彼女の胸には復讐の鬼が巣食っていたのだった。
☆☆☆☆☆☆
追憶から我に返ったチェルシーは、浴室の壁に貼られた鏡に映る、鬼のような形相の自分の顔を見つめていた。
あまりにも幼かったはずなのに、あまりにも悲しい思い出として強烈に印象に残っている。
そんな母の死に思いを馳せると、チェルシーはいつも顎が痛くなるほど歯を食いしばってしまうのだ。
「チェルシー様。入ります」
その時、その言葉とともに浴室の扉が開いて黒髪の女性が入ってくる。
ショーナだ。
その美しい黒髪とは対照的に、その肌は白く透き通るような美しさで、ショーナのどこか儚げな美貌を際立たせていた。
「また……思い出していたのですね」
ショーナはチェルシーの表情を見ると、自身も少し沈んだ顔でそう言った。
「ええ……これはもう呪いね」
そう言うとチェルシーは自嘲気味に笑う。
もうその恨みや憎しみに縛られることなく、忘れて生きたほうが幸せだ。
ショーナは以前、そう言ってチェルシーを激怒させたことがある。
自分の恨みはあなたには分からないと言われ、ショーナは確かにその通りだと思った。
ショーナとて先代の死には、悲しみの底に突き落とされるような思いをした。
親のいない自分をかわいがってくれた母親代わりのような人だったからだ。
だが、それが実の娘であるチェルシーが受けた悲しみよりも強いとは言えなかった。
「呪い……呪いはどうすれば解けますか?」
ショーナはそう言うとチェルシーの隣の洗い場で自身の体を洗い始めた。
彼女の言葉にチェルシーはしばし黙り込む。
そして手桶に汲んたお湯を頭からかぶると立ち上がった。
「きっと……解けないわね。姉さまに復讐を果たせば少しは……痛みが和らぐのかしら」
そう言うとチェルシーは湯船に浸かる。
そして考えるのだ。
(復讐を果たした後、ワタシは何をして生きるのか。それすらもどうでもいい)
今、彼女にとって生きる理由は復讐のためだけだ。
国王である兄には口が裂けても言えないが、国のことなどどうでもよかった。
彼女の心は王国にない。
それでもチェルシーは拳を強く握る。
「だけどねショーナ。ワタシはこの復讐を果たさないまま前に進むことは出来ないわ。クローディアの大事なものを奪い、彼女に己の罪を悔いさせてから、その首を刎ねる。その復讐が果たされた後、その後どうするのかは考えるわ」
そう言ったチェルシーの顔は強い決意に強張っていた。
それを見たショーナは、やはり自分ではチェルシーを変えることは出来ないと痛感する。
チェルシーの心に深々と刺さった悲しみの棘は、決して抜くことは出来ない。
長い時間をかけて積み重なった恨みは、簡単には消えはしないのだ。
(クローディアに直接会えば……チェルシー様の心は変わるだろうか。クローディアならばチェルシー様を変えてくれるだろうか)
チェルシーの恨みの対象であるクローディア。
いよいよ対面を果たしたとなった時に、チェルシーの心にどのような変化が起きるか。
それは劇薬に回復効果を期待するようなものだった。
下手をすれば治すどころか最悪の毒薬になりかねない。
きっとチェルシーは復讐を果たしても晴れやかな顔はしないだろう。
最愛の母を幼くして失い、かつては恋しく思っていた姉のクローディアを自らの手で討つ。
それを果たした時、彼女の胸に訪れるのは取り返しのつかない後悔か、果てしない虚無感なのではないか。
ショーナにはそう思えて仕方がない。
チェルシーがその本懐を遂げ、クローディアを葬った後に、どんな表情を見せるのか。
ショーナは恐ろしくてそれを想像することすら出来なかった。
(この子はもう自身の幸せを放棄してしまっている)
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