蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第138話 ヤゲンの憂鬱

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 公国領スケルツではこの街を占領支配している王国軍が出発準備を整え、明日の早朝からの進軍に備えている。
 
「ヤゲン。兄上からの進軍命令は今日の昼には届いていたのだぞ。進軍準備をもう少し早く済ませれば今日のうちに出発できたであろうが」

 軍本部が置かれている領主の館。
 すでに元の持ち主は無残に銃で頭を撃ち抜かれてこの世を去っている。
 その館の執務室で、兄であるジャイルズ王の命令を受けて王国軍を預かる副将軍ウェズリーは副官のヤゲンに不満をぶつけていた。
 進軍時刻が遅れたことに苛立いらだっているのだ。
 副官のヤゲンは深々と頭を下げて上官の許しをう。

「申し訳ございません。ウェズリー閣下かっかおっしゃる通りでございます。全てこのヤゲンの力不足。明日の朝一番での出発はお約束申し上げますので、何卒ご容赦ようしゃを」

 こういう時、ヤゲンは一切反論しない。
 もちろんヤゲンにも言い分はある。
 午後遅くなってからの出発も可能であったが、それではすぐに夜になってしまう。
 明朝の出発であれば、夜と朝の2食分の糧食を持ち運ばなくて済むし、兵をもう一晩休ませることが出来るのだ。
 その方が進軍に支障は出ないだろう。

 だが、そんなことをウェズリーに説明しても、この傲慢ごうまんな上官はさらに怒りをつのらせるだけだ。
 そんなことになるならヤゲンは平謝りをしてウェズリーの怒りを一身に受け止め、なだめすかす方を選ぶ。
 時間の無駄むだだからだ。

「必ずだぞ。日の出と同時に軍を出発させる。一刻の遅れも許さぬからな」
「はっ」

 ヤゲンはうやうやしく頭を下げた。
 ウェズリーは少しでも早く公国を征服し、自らの功績を挙げたがっている。
 彼の腹違いの妹であるチェルシーが共和国大統領の子女であるヴァージルとウェンディーの2人を誘拐ゆうかいする任務を果たすよりも先に。
 若干16歳の妹に先を越されてなるものかと、ウェズリーは躍起やっきになっていた。

 くだらない対抗心だとヤゲンは思う。
 そのくだらない対抗心すら尊重し、ウェズリーのご機嫌きげんを取らなくてはココノエ一族の命運は危うくなるのだ。
 だが……ふと思う時がある。

 自分達が助けを求めた先が王国ではなく、あのイライアス大統領が治める共和国だったとしたら……このような理不尽な思いはせずとも一族の皆にもっと良い道を示せたのではないかと。
 話に聞く共和国のイライアスは柔軟な思考の持ち主で、戦ではなく他国とも富を分け合うことで国を大きくしてきた共和国育ちらしい人物だという。
 
かなうことならば、そのような人物につかえたかったが……)

 言っても仕方のないことだった。
 地理的に自分達が流れ着いた場所が大陸西端の王国だったのだから。
 王国に助けを求める他なかったのだ。
 その王国の栄華なくしてココノエに未来はない。
 その覚悟はとうに出来ている。

閣下かっか。それでは失礼して進軍準備を進めてまいります」

 そう言うとヤゲンは不満顔のウェズリーに頭を下げて部屋から退出した。
 この公国領スケルツの次の標的はメヌエルテだ。
 そこを落とせば公国首都のラフーガはもう目と鼻の先だった。
 王国の侵略戦争はいよいよ苛烈な佳境を迎えようとしていた。 

 ☆☆☆☆☆☆

    
「共和国内の警備は相当厳しくなっているわね」

 馬車の荷台に山と積まれた藁束わらたばの中に身を潜めながらチェルシーは小声でそう言った。
 同じ場所に隠れているショーナがそんなチェルシーのひじつかんで、薄くささやく。

「……お静かに」

 馬車列の前方から聞こえてくるのは検問の兵士たちが厳しく詰問をする声だ。
 チェルシー一行は支援者たちが用意した隊商の馬車列に紛れて共和国内を移動していた。
 あらかじめ検問の薄い場所を通るはずだったが、共和国側も馬鹿ではない。
 国内の警備を刻一刻と強化および変化させ、検問の位置も頻繁ひんぱんに変えているようだった。

「いざとなれば強行突破しかありませんね」

 同じ藁束わらたばの中に身を潜めている副官のシジマがそう言うが、それは本当に最後の手段だと本人も分かっている。
 検問は大人数で行っているであろうし、強行突破などすればすぐに別部隊に連絡が行く。
 不届き者が潜入したというしらせはまたたく間に共和国内を駆けめぐり、チェルシーらはすぐに追われる身となってしまうだろう。

「ここは飼い葉か」
 
 共和国軍兵士らの声がして、馬車のほろめくり上げる音が鳴る。
 チェルシーの部下の他の者たちも同様に、いくつかの馬車の荷物に紛れ込んでいた。
 誰か1人でも見つかってしまえば、そこからは全ての荷物をひっくり返しての徹底的な検査が行われることになるだろう。
 チェルシーらの間に緊張が走る。
 だが……。

「襲撃だ!」

 共和国軍兵士らの声が響き渡る。
 同時に複数の馬のいななきと怒号が巻き起こった。
 チェルシーらはすぐに理解する。
 この検問の場を襲撃する者がいたのだと。

「野盗だ! 馬車を出せ!」

 共和国兵士らが交戦する音が聞こえてくる。
 そして混乱に乗じて隊商の馬車列が走り出した。
 チェルシーらはホッと胸をで下ろす。

 ちょうどいいところに野盗が来てくれた。
 などと思う者はいない。
 これもシジマが仕事を依頼した共和国の貴族くずれであるマージョリー・スノウの差し金だ。
 チェルシーは内心でほくそ笑む。

(共和国内も決して盤石ばんじゃくというわけじゃない。姉さま。あなたの国にもこうしてほころびと病巣びょうそう蔓延まんえんしているのよ。思い知るといいわ。自分の国の意外なもろさを)

 怒号と悲鳴、それらの喧騒けんそうが遠ざかっていく中で、チェルシーらは共和国内深くへと切り込んで行くのだった。

 ☆☆☆☆☆☆

 異変が起きたのは、夜空に浮かぶ月の明かりが大地を煌々こうこうと照らす時間帯のことだった。
 公国内を進む馬車に乗るオニユリは、その耳で地面に響く複数の馬の足音を聞くと、部下の男らに鋭く命じる。

「キツツキ、ヒバリ。後方確認!」 

 命じられた2人の若い男らは弾かれたようにほろの後方から顔を出した。
 そのすぐ頭の上のほろに、一本の矢が突き立つ。
 それは後方からこの馬車を追って走って来る馬にまたがった者たちが放ったものだった。

「姉上様! 襲撃です!」
「敵兵の数……7騎の騎兵! 鎧兜よろいかぶとに身を包んでいます!」

 その声にオニユリは舌打ちをした。
 そして左手で拳銃を取り出して握る。
 ジャスティーナにやられて負傷した右肩はまだ完全に回復はしておらず、拳銃を握るには心許こころもとないが、オニユリは冷静だった。

「7騎。公国兵の残党かしら。でも、そのくらいなら片手で十分ね」

 そう言うとオニユリは冷静に部下たちに指示をする。

「ヒバリ。キツツキ。あなたたちは御者と馬を守りなさい。ヤブラン。あなたは彼が転倒しないよう支えなさい。彼にケガさせたら承知しないわよ」

 オニユリの厳しい視線を受けてヤブランはうなづき、外套がいとうを被ったエミルのそばに寄る。
 それを見て苦虫をつぶしたような顔をするオニユリだったが、襲撃者らを排除するべく拳銃を手に、荷台の後方へと移動して行くのだった。
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