蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第155話 潜伏

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 夕闇ゆうやみに包まれた林の中、一台の馬車が止まっている。
 き火がパチパチと音を立てながら、周囲を照らしていた。
 馬はえさと水を与えられ、走り続けて疲れた体を休めている。

 き火の灯かりの前で若い男2人が向き合っていた。
 真っ白い髪がたばになって地面に舞い落ちていく。
 オニユリの部下であるヒバリは同僚のキツツキの頭髪を剃刀かみそりり落としていた。

「そのまま動かないでね。キツツキ」

 そう言うヒバリの頭も綺麗きれいり上げられている。
 2人がそんなことをしているのはオニユリの命令だ。
 その命令を下したオニユリは今、馬車のほろの中にいた。
 同じ荷台にはヤブランとエミルが乗っている。

「ごめんなさいね。坊や。ここで着替えさせてもらうわ」
 
 そう言うとオニユリは黒い布を取り出してそれをエミルの目に巻いていく。
 目隠しだ。

「坊やに着替えを見られるのはちょっと恥ずかしいから。うふふ」

 そう言うとオニユリは着ていた衣をするすると脱いでいく。
 そして白い肌をあらわにすると、先ほどヒバリたちに用意させた、き火でかした湯を張ったおけに清潔な手拭てぬぐいをひたし、自らの髪や体をいていく。
 そして香油を体のあちこちに付けると、ヤブランに目を向けた。
 ヤブランはオニユリのあられもない姿に赤面しつつ、顔を背けている。
 オニユリはそんな彼女に冷たい視線を向けて言った。

「何しているの。あなたも体をきなさい」
「は、はい」
いたらこれに着替えるのよ」

 そう言うとオニユリは用意しておいた着替えを手に取った。
 それは黒い布で織られた修道服だ。
 教会の修道女たちが被るベールも付いている。

「まったく。地味で質素だわ。嫌になっちゃう」

 修道服を着こんでいきながらオニユリはウンザリした顔でそう吐き捨てた。
 そんな彼女をよそにヤブランは恥ずかしそうに服を脱ぎ始めている。
 オニユリはそれを見咎みとがめると、苛立いらだちを込めて言った。

「さっさとしなさい。まったく。あなたが急に同行するとか言い出したから、もう1着余計に用意する手間が増えたのよ」
「……申し訳ございません」

 刺々とげとげしいオニユリの言葉に、ヤブランはそそくさと服を脱ぐと、湯にひたした手拭てぬぐいで体をき始める。
 ヤブランの頭に浮かぶのは単純な疑問だ。

(……何で修道服に?)

 その理由はヤブランには分からなかったが、オニユリは白いベールを被ってその自慢の美しい白髪をきっちりと隠す。
 そしてヤブランに告げた。

「ちゃんとベールで髪を隠しなさい。私たちの髪はこの大陸では目立つから」

 そう言われたヤブランは、この格好が正体を隠すための変装なのだと悟った。
 
(そうか……これから向かうのは港町だ。そこに入るための変装なんだ) 
 
 ヤブランはベールをしっかりと被り、その白髪を隠す。
 そんな彼女たちをよそにエミルは目隠しで閉ざされた視界の中で、衣擦きぬずれの音を聞きながら別のことを考えていた。
 いや、試していたのだ。
 神経を集中させながら。

(……夜になって昼間よりも感覚が冴えてきた)

 黒髪術者ダークネスの力を研ぎ澄まし、周辺の環境を探る。
 木々の枝葉が風にそよぐ様子が感じられる。
 フクロウなどの夜行性の鳥たちが、狩りにいそしんでいる羽音が感じられる。

(薬の効果が薄まってきているんだ……誰か……誰かいませんか?)

 エミルは自身の心の声を感覚に乗せて出来る限り遠くに、出来る限り広くに飛ばした。
 その声の届く範囲に黒髪術者ダークネスがいれば、この声を感じ取ってくれるはずだ。
 だが、エミルの問いかけに答える者はいなかった。

(まだ森の中だもんね……でももっと人の多いところに行けば誰かがこたえてくれるかもしれない。それまで辛抱して……力を保っておかないと)
 
 エミルは希望を捨てず、そっと力を閉じるのだった。

 ☆☆☆☆☆☆
 
 港町バラーディオ。
 ここは共和国の南の出入口であり、船を使って諸外国から多くの外国人たちが訪れる。
 そのため街の中は共和国領でありながら多国籍地域のような様相をていしていた。

 街の周囲は市壁で囲われており、その市壁を越えて街から共和国内へと入国する者たちはそれなりに厳しい入国審査を受けることになる。
 反面、街の外から中に入って来る者たちの審査はそれほど厳しくない。
 入国者が多いため、慢性的な人手不足におちいっているからだ。
 出国者まで手間をくことが出来ないのだった。

 今、その街に一台の馬車が入ろうとしていた。
 街に入る者たちの列に並んでいたその馬車には修道女が御者台に乗っている。
 その馬車に市壁の門の衛兵が近付いた。

「どこへ行く?」
「ギニディア修道院です」
 
 あらかじめ修道女の姿に着替えていたオニユリは用意しておいた通行証を衛兵に渡して笑顔でそう言う。
 そのとなりでは同じように修道女姿のヤブランが衛兵らにペコリと頭を下げた。
 さらにその背後では頭を丸くり上げたキツツキとヒバリの姿がある。
 どちらも僧服に身を包んでいた。
 オニユリに命じられた2人は、その目立つ白髪を何の躊躇ちゅうちょもなく事前にり落としたのだ。
 そして……。
 
「その者は?」

 衛兵は馬車のほろの中をのぞき込みながらそう言った。
 荷車の奥には外套に身を包み、頭巾ずきんを被った人物が座ってうつむいていた。
 その目を隠す様に黒い布を巻いているその人物を見て衛兵はまゆを潜める。
 そんな衛兵にオニユリは声を潜めて言った。

「彼は……ギニディア修道院の特別なお客様です」

 オニユリのその言葉を聞き、衛兵はわずかに顔をしかめたが、すぐに意味を理解すると通行を許可した。
 
「……そういうことか。行っていいぞ」

 ギニディア修道院。
 神の教えに従い、慈愛じあいの心で困窮こんきゅうする者たちに手を差し伸べるその修道院は、心を病んだ者たちを受け入れている。
 そうした者たちが数多く暮らしているため、日夜問わず修道院の中からは不穏な叫び声が聞こえ、近隣きんりんの住人たちはこれを忌避きひして近付こうとしなかった。
 だが、この修道院のそうした一面はあくまでも表向きのものだ。

 公には一切知られていないが、心を病んでこの修道院に入った者たちは二度と出てくることはない。
 そしていつの間にか消えていなくなるのだ。
 その代わりに毎月いくつかの遺体が運び出されていく。
 中で何が行われているのか外部の人間は一切知らなかった。
 そしてこの修道院には、とある女実業家が出資している。

「もういいわよ。坊や。よくおとなしくしていてくれたわね。偉いわ」

 馬車が街を進む中、オニユリはそう言うとほろの中に目を向ける。
 エミルは静かに息を吐いた。
 そんな彼を両脇からはさむようにして座っているヒバリとキツツキは、エミルの腰に背後から突き付けていた小刀をそっと引いた。
 絶対に声を出すなとエミルは2人からおどされていたのだ。

 だが、エミルはここで騒ぎを起こすつもりはなかった。
 この状況から走って逃げられたとしても、きっとすぐにオニユリやこの2人に追いつかれて捕まってしまうだろう。
 逃げる好機をじっくりとうかがうため、今はおとなしく従うとエミルは決めていた。
 
 やがて馬車は目的の修道院に到着する。
 街外れに位置するそれは石造りの古い建物で、どこか寒々しい雰囲気ふんいきただよわせている。
 その建物の門扉もんぴの前に馬車を止めると、門の管理人とおぼしき1人の老人が小さく粗末な守衛小屋から出て来た。
 オニユリは馬車の御者台から降りると、一通の手紙を老人に手渡す。

「レディー・ミルドレッドからのご紹介ですわ」
うかがっております。中へどうぞ」

 そう言うと老人は古びた鉄ごしらえの門扉もんぴを開いていく。
 ゆっくりと開く修道院の門から、馬車はその敷地内へと入っていくのだった。
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