蛮族女王の娘《プリンセス》 第2部【共和国編】

枕崎 純之助

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第158話 暗黒の修道院

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 その修道院に一歩足を踏み入れたその時から、エミルはとてつもなく重苦しい気分に襲われた。
 ここには人々の苦しみや悲しみ、憎しみや怒りといった負の感情がどす黒い油のようになってうずを巻いている。 
 黒髪術者ダークネスの特殊な力によって感じられる異様な雰囲気ふんいきにエミルは思わず吐き気を覚えたが、必死にこらえて表情は平静を保つ。
 黒髪術者ダークネスの力が回復してきていることをオニユリらに悟られるわけにはいかないからだ。

(何なんだ……ここは)

 ギニディア修道院。
 そこは心を病んだ者たちの受け皿となり、回復に向けた心療治療がほどこされる場所だ。
 だが院内には奥からとどろく奇妙な叫び声が断続的に続いている。
 オニユリやキツツキ、ヒバリは平然としているが、ヤブランはエミルと同じようように顔をしかめて気味悪がっている。
 そんなヤブランの様子を見て、案内役の老人はいびつな笑みを浮かべて言った。
 
「ご安心ください。あなた方に提供するお部屋は離れの別邸ですので、患者たちの声は聞こえません」

 そう言うと老人はオニユリらを案内して建物の裏手の庭に出る。
 表門から見るよりも敷地は広く、中庭をはさんで数十メートル先に一軒の邸宅が見えて来た。 
 古くて寒々しい石造りの修道院の本館とは異なり、別邸は小奇麗こぎれいな木造建てだ。
 オニユリはその様子に目を細める。

「まあ、洒落しゃれた建物ですわね」
「お忍びでご利用される貴族様や商人様に喜ばれております。ここは外界から隔絶かくぜつされておりますので」

 そう言うと老人はクククとのどを鳴らして笑いながら足を進め、中庭を横切って別邸のとびらを開けた。
 そして皆を招き入れる。
 外観と同じく、建物の中は清潔感に満ちており、貴族の別邸そのものだ。
 広さはそれほどでもないが、この5人が過ごすには十分だった。

 そして窓から見える四方は修道院の高い外壁に囲まれているため、街の通りから家の中を見咎みとがめられることはなかった。
 貴族が愛人と密会したり、商人が違法な取引をしたりする際に使われるため、その秘匿ひとく性は高い。 
 ここならば白髪のオニユリらや黒髪のエミルといった目立つ者たちも、外からは見つからずに過ごせる隠れ家になるというわけだ。

 老人は建物の中を一通り案内し終えると、全員を居間に通してお茶をれた。 
 そしてここでの暮らしについて説明をする。
 住居や井戸、まきなどは自由に使っていいが、食事などは自給自足制であり、食材や日用品などは自己調達してほしいことなどを告げると老人は一礼する。

「大したおもてなしは出来ませんが、どうぞごゆるりとお過ごし下さい」
「ありがとう。神父様はどちらに?」

 そうたずねるオニユリに老人はおごそかな口調で答えた。

「神父様は現在、治療中でございまして、夕刻までは手が空きません。後ほどご挨拶あいさつにまいりますので」
「そう。感謝するわ」
「もう一つ……くれぐれも本館のほうには許可なく立ち入らないでいただきたたいのです。何か御用がある時は、先ほどの待機小屋にいる私めにお申し付け下さいませ」
「承知したわ」

 そう言うオニユリに老人は再びうやうやしく頭を下げ、別邸を後にした。
 ヒバリとキツツキはすぐさま席を立つ。
 ヒバリは頭巾ずきんを再び被ると、部屋に置かれていた買い物かごを手に取った。
 キツツキは腕まくりをする。

「姉上様。私は食材の買い出しに出てまいります」
「私は浴室にて湯をかしてまいります、ご入浴のご準備を」
「ええ。そうさせてもらうわ」

 2人にそう言うと、オニユリはチラリとヤブランに目を向ける。

「ヤブラン。あなたに言っておくことがあるわ。ここにいる間、あなたは外に出ないこと。このバラーディオに若い白髪の女がいると知られるのはまずいから」
「はい……あのお2人は大丈夫なのですか?」
 
 部屋から出て行ったヒバリとキツツキのことを言うヤブランに、オニユリは不機嫌そうに鋭い眼光を向けた。

「ヒバリとキツツキはきちんと訓練をして斥候せっこうとして仕込んであるの。ヘマはしないわ。でもあなたは違う。ただの小間使いなんだから身の程をわきまえなさい。あなたには炊事すいじ洗濯掃除を担当してもらうわよ」
「はい……おおせのままに」

 ヤブランはオニユリの眼光から逃げるように目をらして頭を下げる。
 そんな彼女を忌々いまいましげに見据みすえながら、オニユリは告げた。

「あと……私も数日したらアリアドに戻らないとならないわ。ケガが回復次第、軍務への復帰が義務付けられているから。その時はあなたも一緒に戻るのよ」
「え? 私もですか?」
「当たり前でしょう。坊やのことはここでヒバリとキツツキに任せるわ。あなたは私の道中の世話係よ」
「……かしこまりました」

 その話にヤブランは内心で舌打ちをした。
 オニユリだけがアリアドに帰ってくれればヤブランにとっては絶好の機会だ。
 決して簡単なことではないが、エミルをその間にどうにかしてここから連れ出し、シジマのいるチェルシー将軍の部隊に引き渡す道筋をつける光明が見えてくる。
 だが、逆にオニユリと共にアリアドに戻ることになれば、ヤブランに出来ることは何もなくなってしまう。

(まずいなぁ……アリアドに帰ったら、何やかんやと理由をつけられてここに戻ることは許されなさそうだし。数日のうちに何とかしないと。ああもう。シジマ様。今どこにいらっしゃるのですか)

 仮にヒバリとキツツキの目を盗んでエミルをここから連れ出すことが出来たとしても、そこから先、路頭に迷ってしまうことになる。 
 ただ、最悪そうなったとしてもオニユリがひそかにエミルを囲っているという状態を無くすことが出来れば、ココノエの一族がジャイルズ王からとがめられることはなくなるだろう。
 ヤブランはエミルに目を向ける。
 エミルは今、オニユリによって目隠しと頭巾ずきんを取り払われていた。

「さあ坊や。ここにいる間は自由にしていていいわよ」
 
 嬉々としてそう語るとオニユリは表情を一変させ、冷たい目でヤブランを見やる。

「ヤブラン。あなたは今のうちに台所に行って、調理の準備をしておきなさい。食材が届いたらすぐにでも夕飯を作れるように。いいわね」
「……かしこまりました」

 夕飯の準備といっても現状、食材がないのだから大したことは出来ない。
 要するにオニユリはヤブランに邪魔だと言っているのだ。
 ここに来た時からオニユリの目が爛々らんらんかがやいているのをヤブランは知っている。
 一方のエミルは何やら重苦しい表情をしていた。
 ヤブランは少々、エミルが気の毒に思えていくる。

「さあ。坊や。お風呂に入りましょうね」
 
 ヤブランが台所に向かうべく部屋を辞すると、後方からオニユリのそんな声が聞こえてくる。
 ヤブランは嫌悪感を覚えつつ、それは自分には関係のないことだと言い聞かせるのだった。
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